【原 文】
宮本無三四始終の事
百行のうち孝より大〔おほひ〕なるはなし。
宮本無三四は既に父の讐〔あだ〕を復して後ハ、仁人のために感を起し、護送を蒙りて境をはなれ、夫より筑前國名嶋に赴き、亡父吉岡が塚に詣で、香花〔かうくわ〕を備へ、復讐のよしを告て、霊を祀り、其後諸高弟に對面して、事の子細を告けれバ、吉岡が高弟等も倶に感涙を催しける。
夫より十助諸共〔もろとも〕七助が方〔かた〕にいたり、爰に逗留する事三日也。七助夫婦娘がよろこび、蘇生の人に逢ふがごとく、猶幾許〔いくばく〕日をとゞむるといへども、無三四は養父に對面せん事を心せきけれバ、七助もとゞむる事あたハず。
これより無三四昼夜のへだてなく道を急ぎ、熊木に立帰る。無三四が帰しと聞て、舎弟〔しやてい〕友之助奥より走り出て迎けれバ、無三四弟にむかひ、父母〔ちゝはゝ〕はいかにして見えさせ玉ハぬぞ。
友之助是を聞、涙を流し語けるハ、母は三年以前八月、風のこゝちと煩ひ病死し給ひ、父はひたすら兄の事を案じ、此友次郎は如何〔いかゞ〕したるぞ、本意〔ほんゐ〕を遂しやなど、朝夕〔あさゆふ〕に氣づかひ玉ふうへに、母の病死に力をおとし、程なく病に罹り、去年十月に墓〔はか〕なく成玉ひ、今日も兄〔このかミ〕の事申出し、獨寂莫〔ものうく〕して暮しかねたる折節なり。能〔よく〕こそ帰り玉ひつと、聲をあげて歎きける。
無三四も両親〔ふたおや〕の死を聞、大きに力を失ひ、倶に涙にくれけるが、友之助に向ひ、實父の讐〔あだ〕を報いたる物語をなし、これより父母の墳墓〔はか〕に詣で、鬱々として十有餘日を過しけるが、一日〔あるひ〕友之助に向ひ申けるハ、某すでに仕官の道に心なし。また忙然〔ばうぜん〕として此所に年月を費さん事を希ハず。猶廻〔めぐ〕り残したる国々を巡り、心に任せたる住處〔すミどころ〕を求むべし。
友之助忙〔あハて〕おどろき、今ハ世に憑〔たのミ〕なき孤子〔ミなしご〕、兄をもつて父とも母とも思ひしに、復〔また〕家を出給ハゞ、行末はいかゞせん。是非に思ひ止まり玉へと、かきくどき嘆くといへども、無三四決して聴入ず、終〔つひ〕に同年十月下旬、肥後國熊木の城下を出去〔いでさり〕ける。
嗚呼〔あゝ〕無三四が英名、唯武術を以て天下に鳴るのミならず、孝心節義ならびなき俊傑也。後世〔のちのよ〕の君子、つとめて其の孝をとらバ可ならんかし。
編者曰く、無三四再び家を出諸國を經歴せし事跡并前編に洩たる所々〔しよ/\〕の奇談等、詳かに後編に出す。前編と照し観〔ミ〕玉ふべし。
繪本二島英勇記 巻十 大尾
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【現代語訳】
宮本無三四の行く末の事
あまたある行いのうち、孝より偉大なものはない[読本的教訓。そろそろ結語]。
宮本無三四は、すでに父の讐を復した[敵討ちをした]後、仁人[黒田吉高入道](の措置)に感激し、護送を受けて国境を離れ、それから筑前の国名島へ赴き、亡父吉岡の墓に詣で、香花を供え、復讐をやりとげた由を報告し、霊を祀り[法要を行い]、そののち(吉岡の)諸高弟に対面して、ことの仔細を報告したので、吉岡の高弟等も一緒になって感涙を催した。
それから、十助とともに七助の家に行き、ここに三日間逗留した。七助夫婦と娘は、蘇生の人に逢ったようによろこび、さらに数日留めようとしたが、無三四は養父に対面することを急いだので、七助も引き留めることはできなかった。
これより無三四は、昼も夜も道を急ぎ、(肥後)熊木に帰った。無三四が帰ったと聞いて、舎弟・友之助が(家の)奥から走り出て迎えたので、無三四は弟に向い、「父母は、どうしてお見えにならないのか」。
友之助はこれを聞き、涙を流して語った。「母は三年前の八月、風邪の心地がすると煩い病死なさいました。父はひたすら兄のことを心配し、「あの友次郎はどうしたのか。本意を遂げただろうか」など、朝夕に気づかわれていた上に、母の病死に力を落とし、ほどなく病いに罹り、去年十月に亡くなりました。今日も(亡父霊前に)兄[このかみは古語]のことを語り出し、一人もの憂く[ルビによる。侘しく]、暮しかねていたところです。よくこそお帰りになりました」と、声をあげて嘆泣する。
無三四も、両親の死を聞き、大いに落胆して、ともに涙にくれたが、友之助に向い、実父(吉岡)の讐を報いた話を語り聞かせ、それから父母の墓に詣で、鬱々として十数日を過したが、ある日、友之助に向い、言った。「それがしは、もはや仕官の道には関心がない。また、茫然としてここに年月を費すことも願わない。(これからは)めぐり残した国々をさらに巡り、自分の気に入った住み処[ルビによる。落着く先]を探すつもりだ」。
友之助は慌て驚き、「(私は)今となっては、この世に頼りのない孤児です。兄を父とも母とも思っていましたのに、また家を出てしまわれては、(私は)行末はどうすればいいのですか。是非とも思い止まってください」と、泣いて頼んだが、無三四は決して聴き入れず[無三四は弟に家督を嗣がせる]、ついに同年[文禄二年]十月下旬、肥後の国熊木の城下を立ち去った。
ああ、無三四の英名[名声]は、ただ武術をもって天下に鳴り渡るのみならず、孝心と節義[ともに儒教道徳](において)並びなき俊傑[傑出した人物]である。後の世の君子よ、(武術の無三四ではなく)できるだけその孝(の無三四の方)を取ればよいであろう。
編者曰く、無三四が再び家を出て、諸国を経歴した事跡、および前編に洩れた諸所の奇談等は、詳しく後編に出す。前編と照し(合わせ)観ていただきたい。[むろんこの予告にある後篇はない]
絵本二島英勇記 巻十 完結
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