【原 文】
無三四霹靂〔かミなり〕話の事(承前)
七助嘆息〔ためいき〕して申けるハ、これにハ段々〔だん/\〕の長物がたりあり。今日幸の雨天なれば、外にも人の往來なし。委く話申べし。外へ漏てハ一大事なり。無三四様も随分ちかく寄たまへ。十助娘も近くよるべし。我今日までも、女房にも話さず。此事をいはんとするも、胸ふさがる事共也。
われ先年、身上〔しんしやう〕困窮の節、家内わかれ/\に奉公挊〔かせぎ〕を仕出し、まづわが身ハ名島の城下にいたり、溝口源兵衛といふ人の方へ僕〔しもべ〕奉公にありつき、ずいぶん律義に勤〔つとめ〕たり。主人も我奉公に内外〔かげひなた〕なきを見て、甚だ憐ミを加へられ、およそ三年ばかりつとむる内、又他の家士〔やしき〕に年給〔きりまい〕よろしき口ありしまゝに、溝口家のいとまを乞取、その家に奉公する事、還〔また〕一年ばかり。嘗て奉公の暇〔いとま〕あるときハ、先主〔せんしゆ〕溝口殿へ訪〔ミま〕ひに参ること毎度也。
扨此人小身なりといへども、至〔いたつ〕て慈悲深き、篤実主顧〔とくじつだんな〕。時々〔よりより〕にわれに向ひて、汝もし在所へ帰らず、猶今暫く奉公を挊〔かせぐ〕ぞならば、ふたゝび我家に還り來れと薦らるゝ故に、我もまた主顧〔だんな〕の慈恵〔なさけ〕を忘れがたく、溝口どのに帰り新参となり、復〔また〕三年の間奉公仕りぬ。
前後七ケ年の辛抱、六ケ年ハ溝口家に仕へ、其後此所へ帰り、僅に埴生〔はにふ〕の小家〔こや〕をつくり、農業耕作をむねとし、木を樵〔きり〕ては城下に賣〔うり〕、いさゝか農事〔つくり〕の暇ある時ハ、人に雇れ四方を駈めぐり、賃錢〔ちんせん〕を取、挊けるに、城下へいづる度ごとにハ、古主〔こしゆ〕の家に至り訪へば、古主もまた我こゝろざしの変らざるを歓び、吉〔よき〕につけ凶〔あしき〕に就〔つけ〕てハ、我を呼よせ、折々多く金錢をも賜ハるにより、厚恩を感じ、両日三日〔ふつかミか〕隔〔はざま〕にハ機嫌を伺ひに参りし処、すでに四年以前より、それなる十助還〔きた〕りて後ハ、我に代りて農業を営めば、我は大かた溝口家へ参り、僕〔しもべ〕代りに雇ハれ、或ハ旬日〔とをか〕あるひハ一月逗留仕る事、尋常〔つね/\〕也。
然るに、三ケ年以前の三月、彼家の僕〔しもべ〕俄に越度〔をちど〕の事ありて、暇を出され、我を呼に遣し、僕代りに一二ヶ月雇はれ居たりし処、四月十五日の夜半〔よなか〕の頃、召仕の下女、俄に腹痛を仕出し、大きに苦ミけるほどに、主顧〔だんな〕ハもとより、奥方さま/\にいたハり、丸散〔くすり〕よ水よと詈り喧〔さハげ〕ども、痛疼〔いたミ〕ますます厳敷して、治りがたき故に、日頃出入の針医〔はりい〕あれバ、我に迎へ來れと有しまゝに、我も大きに忙〔あハて〕ながら、醫者の方〔かた〕へかけ出せし処、其日ハ正〔てう〕ど今日のごとく雷鳴雨〔かみなりあめ〕降て、宵に雨もやミ、空は晴たれ共、路次湿り、所々に水潦〔たま〕りありし間、木履〔あしだ〕を着〔はき〕、善悪を厭〔かまハ〕ず駈付る折こそあれ、鳴尾殿と申大身の別荘〔しもやしき〕の後門〔うらもん〕の圖〔づ〕へ参る所に、向ふの方より謡曲〔うたひ〕高らかにうたふて來る人あり。
耳を傾ふけてくハしく其聲をきけば、溝口家の隣家吉岡殿と申、武藝の師匠あり、其人也。此主顧〔だんな〕も個〔ひとり〕の篤実なる人物〔ひとがら〕。溝口殿とハことの外懇意にて、平日圍碁を好玉ひ、我居る主人の方へ日々に來り玉へバ、我等も折に觸てハ茶などはこび出るに、ことの外したしく、言〔ことば〕をもかけらるゝといへども、劔術者ときけば、何となく心地悪〔あし〕く、其上其人礼義正しき人なれバ、我もつねに路次などにて出合ときハ、少しも不礼〔ぶれい〕を活〔はたらか〕ず、其夜ハ雨の後、空も清〔さやけ〕く晴わたり、月の光昼よりも明〔あき〕らか成しかバ、若〔もし〕出合てハ木履〔ぼくり〕をぬぐも邪魔なれバ、やりすごして行んと見廻す処に、鳴尾家の屋敷の土墻〔へい〕の外に、枳殻〔きこく〕の籬〔まがき〕有て所々損じ、土墻と籬の際〔あいだ〕にかゞミ竄〔かく〕るべき木蔭あり。
我これを見付、幸ひの所なりと、忍んで籬〔かき〕の後にわけ入、ひそかに伺ふ折しも、吉岡殿、はや我かくれゐる籬の処へ來り玉ふをミれば、よほど酒に酔玉ひしとおぼへて、脚歩〔あしもと〕穏〔おだやか〕ならず、我忍びゐる木蔭の前を二間ばかりも通玉ハざるに、一人の大男、草鞋をはき、忍び足にて伺ひ逼〔せま〕り、吉岡殿の後〔うしろ〕より、ひらりと抜て切つけたり。彼男の劔術の勝れたるか、又ハ刄物の名作物か、あゝといはさず切倒す。
其時われハ枳殻の蔭に有て、此形状〔ありさま〕を見て、おそろしさいふばかりなく、満身〔からだ〕一度に麻縮〔なへちゞま〕り、地の上に打臥、今も見付られて殺さるゝかと、其時心願〔しんぐわん〕を做〔かけ〕て、南無金毘羅大權現、此度の難を救ひ玉ハゞ早速参詣いたすべしと、只顧〔ひたすら〕拝み居るうちに、彼くせもの、吉岡殿の髻〔たぶさ〕をとつて引仰〔ひきあを〕のけ、いかに吉岡、先年某に恥辱を与へし欝憤〔うつぷん〕今はらすぞ、思ひしれといひさま、とゞめといふものにても候べし、吭〔のどぶへ〕を二刀〔ふたかたな〕までさし通したる其有さま、畏ろしさ強〔こハ〕さ。其聲耳の底にとゞまり、月の明りに能々〔よく/\〕面躰〔めんてい〕をミるに、双髪にして色白く、腮〔おとがひ〕方〔しかく〕にして、両の頬骨たかく聳〔あがり〕、眉の毛黒く、年齢〔としごろ〕四十余り、一向〔いつかう〕名嶋の家中にハ見慣ざる人柄〔ひとがら〕、殊に旅装〔たびよそほ〕ひしたれバ、全く他國の人に相違なし。其顔かたち夜分なれども、恐怖〔おそろし〕さの余り、目さきに着てわすれがたく、然るに太刀音〔たちおと〕鳴尾の屋敷に響てや有けん、門内に数多〔あまた〕の人聲ありて、たしかに刀の刄音なり。後門〔うらもん〕の外へかけ出ミよと、聲々に騒〔さハぎ〕のゝしるを聞て、彼のくせ者ハ刀を鞘に納め、迯出すを、我も由縁〔よし〕なき所に居て、捕へられてハ身の大事なりと存じ、籬の裏〔うち〕よりにげ出、路筋を改〔かへ〕て走りしが、其夜より城下大きに騒ぎたち、吉岡を切たるもの、諸士の内にあるべしと、殿様よりの御詮議きびしく、我より外に子細を見認〔ミしり〕たる者なしといへ共、もしや掛り合となりてハ、後日の難儀なりとぞんじ、曽て口外〔かうぐわい〕に出さず。
其時に金毘羅大權現様へ願籠いたしたる故に、此度願解のため参詣いたせし也。
扨〔さて〕其後時々其事を思ひ出せば、彼の者の悌〔おもかげ〕まぼろしに見え、ひたすらおそろしかりしに、先日はからず池の側〔はた〕におゐての扱ひに入たる男の顔をミるに、彼〔かの〕吉岡どのを殺したる曲者に相違なし。競〔あらそひ〕の時、我渠をミるより駭〔借字・びつくり〕し、懐〔おも〕はずしらず氣を取失ひぬ。
是こそかなたの先刻の仰〔おほせ〕の通、一度動轉したる魂蟲〔むし〕の治らざる故と覚〔おぼへ〕たりと、汗を流して物がたる。
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【現代語訳】
無三四、雷の話の事 (承前)
七助が嘆息して言うには、「これには、いろいろと長い話があります。今日は幸いの雨天ですから、(家の)外に往来する人もありません。くわしくお話しいたしましょう。外へ漏れては一大事です。無三四様も、ずっと近くへお寄りください。十助、娘も近く寄りなさい。私は今日まで、女房にも話しませんでした。このことを話そうとしても、胸が塞がる思いです。[以下、七助の長物語]
私は先年、身上困窮のおり、家族別れ別れになって奉公稼ぎを始め、まず私自身は名島の城下に行きまして、溝口源兵衛という人の家へ下男奉公にありつき[ありつくは就職]、できる限り律義に勤めました。主人も、私の奉公に蔭日向のない[ルビによる。裏表がない]のを見て、非常に目をかけて下さり、およそ三年ほど勤めましたが、そのうち、また他の家士(の屋敷)に年給(切米)のよい口がありましたので、溝口家を辞めさせてもらい、その家に奉公すること、また一年ばかり。(しかし)奉公の暇があるときはいつでも、先主[以前の雇い主]溝口殿へ機嫌伺い[見舞い]に参るのが毎度のことでした。
さて、この人は小身[禄高の小さい侍]だとはいえ、いたって慈悲深い、篤実な旦那[ルビによる。主顧はふつう顧客の意だが、ここは雇い主]でして、折々、私に向って、「おまえ、もし在所へ帰らず、もうしばらく奉公稼ぎをするつもりなら、もう一度我が家に帰って来い」とお薦めになりますので、私もまた、旦那のお情けを忘れがたく、溝口殿(の家)に帰り新参[出戻って再び仕える者]となり、また三年の間奉公いたしました。
前後七ヶ年の(奉公稼ぎの)辛抱(でしたが)、六年は溝口家に仕え、そののち、ここへ帰り、やっと埴生の小家[土間しかない小屋、転じてみすぼらしい粗末な家]をつくり、農業耕作を主とし、(他に)木を樵っては(名島の)城下に売り、いささか農事の暇がある時は、人に雇われ四方を走り回り、賃銭をもらって稼いでいましたが、城下へ出る時はいつも、古主[溝口源兵衛]の家へ訪ねて参りますので、古主もまた、私の心ざし[誠心]の変らないのを歓び、よきにつけ凶しきにつけて、私を(手伝いに)呼び寄せ、折々多く金銭も下さるので、厚恩を感じ、二、三日おきには機嫌を伺いに参っておりましたところ、すでに四年前から、そこにいる十助が来て後は、私に代って農業をしてくれますので、私はほとんど溝口家へ行き、下男代りに雇われ、十日[ルビによる]あるいはひと月と、逗留いたしますのが常のことでした。
ところが、三年前の三月、かの家[溝口家]の下男が、落ち度[過失]の事があって、急に暇を出され、(溝口家では)私を呼びに遣わし、下男代りに一、二ヶ月雇われていましたところ、四月十五日の夜半の頃、召仕えの下女が急に腹痛を起こし、大いに苦しみますので、旦那はもとより奥方がさまざまに看病し、「薬[丸薬・散薬]よ、水よ」と大声で騒いでいましたが、痛みはますますひどくなって、おさまりません。日頃出入りの針医[鍼医者]がありまして、私に「迎えに行って来い」と言われましたので、私も大いに慌てながら、医者の家へかけ出しましたところ、その日は、ちょうど今日のように雷雨が降りまして、宵には雨もやんで空は晴れましたが、道路は濡れて、所々に水たまりもありますので、足駄[ルビによる。雨天用の高下駄。木履はぽくり]をはき、濡れるのもかまわず、走って行きました。そのとき、鳴尾殿と申す大身[高禄の家士。前出によれば家老]の下屋敷[ルビによる。前出]の裏門の通り[図は条里制の条]まで参りますと、向うの方から謡曲を高らかに謳いながら来る人があります。
耳を傾けてじっとその声を聞きますと、溝口家の隣家に、吉岡殿と申す武芸の師匠があり、その人なのです。この旦那も、これまた篤実な人物で、溝口殿とはことのほか懇意で、日ごろ囲碁を好まれ、私が居ります主人の家[溝口家]へ毎日のようにおいでになるので、私らも折にふれては茶など運んで出ますと、ことのほか親しく言葉をかけてくださる。とはいえ、剣術者ときけば、何となく気味が悪く、そのうえ、この人が礼義正しい人なので、私もつねに道端などで出くわすときは、少しも不礼にならないようにしておりまして、その夜は、雨ののち、空もさやけく晴れわたり、月の光で昼よりも明るいほどでしたので、もし出合っては、木履[ルビによる。前出雨天用の高下駄]を脱いで(挨拶しなければならない)、それが面倒なので、(吉岡殿を)やり過ごして行こう、と(あたりを)見廻しますと、鳴尾家の屋敷の土塀の外に、枳殻[からたち]の籬があって、所々に穴があり、土塀と籬のあいだに、屈んで隠れておれそうな木蔭があります。
私はこれを見つけ、幸いの隠れ場所だと、そっと籬の後にわけ入り、ひそかに窺っておりますと、吉岡殿は、はや私が隠れている籬のところへ来られたのを見れば、よほど酒にお酔いなされているようで、足元[ルビによる。脚歩は漢流]がフラついています。私が隠れている木蔭の前を二間ばかり[約四m]も通過されないうちに、一人の大男が、草鞋をはき、忍び足で窺い迫り、吉岡殿の背後から、ひらりと(刀を)抜いて斬りつけました。かの男の剣術がすぐれていたのか、あるいは刀剣が名作物だったのか、(吉岡殿を)「ああ」とも言わさず、切り倒しました。
そのとき、私は枳殻の蔭にいて、このありさまを見まして、その恐ろしさは口では言えないほどで、全身が一度に萎え縮まり、地面にうつ臥せになって、今にも見つけられて殺されるかと(思い)、そのとき心に願かけをして、「南無金毘羅大権現[前出、讃岐金比羅神]、この度の難をお救いくだされば、早速に(お礼に)参詣いたします」と、ひたすら拝んでいますうちに、かの曲者は吉岡殿の髻[もとどり、髪を束ね結んだ部分]をつかんで(身体を)仰向けにし、「どうだ、吉岡。先年それがしに恥辱を与えた欝憤を、いま晴らすぞ。思い知れ」と言いざま、とどめというものでございましょうか、喉笛[ルビによる。吭は漢流]を、二回も刀で刺し通したそのありさまの、畏ろしさ、こわさ。その声は耳の底に残り、月の明かりによくよく(曲者の)面躰を見ますに、総髪[髷を結わず肩まで垂らす髪型]で色が白く、頤は腮が張って四角く、両の頬骨は高く聳え、眉の毛は黒く(濃く)、年のころは四十歳余りで、一向に名島の家中には見慣れない人物、ことに旅装しているので、まったく他の国の人に相違ない。その顔かたちは、夜分だとはいえ、恐怖のあまり、目先にとり付いて忘れられません。そのとき、太刀音が鳴尾の屋敷まで聞こえたのでしょうか、門内に数多くの人声があって、「たしかに刀の刄音だ。裏門の外へかけ出て見よ」と、口々に騒ぎわめくのを聞いて、彼の曲者は、刀を鞘に納めて逃げ出します。私も、理由の立たない場所に居て、捕えられては身の破滅、と存じまして、籬の内から逃げ出し、道筋を(曲者とは逆方向に)替えて逃げましたが、その夜から城下は大騒動で、「吉岡を切った者が、(家中の)諸士のなかに居るはず」と、殿様からのご詮議はきびしく、私以外に(現場の)一部始終を目撃した者はいないとはいえ、万が一係わり合いになっては、後日の難儀だと考え、(これまで)一度も口外に出しませんでした。
そのときに、金毘羅大権現様へ願こめ[願かけ]いたしましたので、この度は願ほどき[願かけが叶うとお礼参りして自身の願かけを解く]のため、(金比羅宮に)参詣したのです。
さて、そののち、時々このことを思い出しますと、かの者の面影[ルビによる。顔]がまぼろしに見えて[フラッシュバックで再現し]、ひたすら恐ろしかったのですが、先日、はからずも池の端で仲裁に入った男の顔を見てしまいました。かの吉岡どのを殺した曲者に違いありません。諍いの時、私は彼を見てびっくりし[ルビによる]、思わず知らず、気を失ってしまったのでした。
これこそ、あなたの先刻の仰せの通り、一度動転した心の虫[心傷の因、いわゆるトラウマ]が治らないためと思われます」――と、汗を流して物語った。
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