【原 文】
宮本無三四危殆を遁るゝ事 (承前)
無三四これを見て、如何〔いかゞ〕して走らんと計較〔しあん〕するに、すべて此家の構ハ前門一所〔ひとつ〕にして、後面〔うしろ〕は竹垣高く結廻し、其外ハ北町とて廣き還道〔くわんだう〕なり。然らバ最初のごとくかしこに出るに如〔しく〕はなしと、速かに後園に駈出、其まゝ竹藪を乗超たり。此所にも近隣の諸士、兵器を撚〔ひねつ〕て備〔そなへ〕たり。
無三四大音声を上て申けるハ、各〔おの/\〕まづ手を動す事を罷て、我一言〔いちごん〕を聞候へ。某は諸國武者修行の浪人なり。三ケ月以前、當所に來り、如々〔しか/\〕の事にて、其日、白倉と較量〔しあひ〕を試しところ、源五左衛門師弟、某に贏〔かち〕をとる事能ハず、我ために門人となり、悉く我流義の蘊奥を叩て尋ね問〔とふ〕。我また未練の武術なりといへども、少しも悋〔おし〕む事なく、奥儀を傳へぬ。然る處、今般それがしを殺害〔せつがい〕せんと、師弟十九人数多の家僕を誂〔かた〕らひ、浴室の内に誘〔すか〕し導き、熱湯を以て某を烹殺さんとす。僕〔やつがれ〕不思議に熱湯の中を脱れいで、一時の憤りによつて、忽白倉父子を討取、貝沢万右衛門、村山源右衛門を切とめ、且諸門人にも手疵を負せ、唯今此所へ突出〔とつしゆつ〕せり。即今〔いまや〕某、如斯〔かく〕大勢を殺害いたしたるの上ハ、進退自殺の場に至れり。然れ共それがしが身のうへに於てハ、実父の報讐を抱きたる者なり。自殺の義、心にまかせず。何國〔いづく〕までも切抜て罷通る。列位〔おの/\〕少しの芳志〔はうし〕ありて、道を避て通し玉ハゞ、某がためにハ莫大の洪恩なり。若又通し玉ハざるに於てハ、據〔よんどころ〕なく手を下し申べしと、竹垣の上より飛下り、両刀を抜はなち、東路〔ひんがし〕を臨んで駈出す。
其勢ひ凛々〔りん/\〕たるに目を驚して、一人として遮り逗〔とゞむ〕るものなく、適〔たま/\〕英勇の人ありといへども、無三四の言に理あるのミならず、実父の讎〔あだ〕を報ずる大望〔たいもう〕ある人と聞、また白倉が奸悪、言語に絶したるを悪〔にく〕みて、誰か力を出すものあらんや、道を開いて追ざりけり。これひとへに順孝を感じて、天の祐〔さいは〕ひする處なり。
いまだ事の是非を聞ざる者は大きに憤激し、何國〔いづく〕までも追かけて、擄にせんと、手毎〔てごと〕に鎗、捧、熊手の類を携へ、跡を慕うて追ふもあり、制しとゞむる人もあり。その騒動、恰も鼎〔かなへ〕の沸に異ならず。此時はや黄昏〔たそがれ〕に及びしかバ、人々無三四が遁れたる方角を失ひし間、却て急にハ追ざりき。
編者曰、無三四出避〔しゆつへき〕の後に、浮田秀家卿検使を白倉が家に遣し、死亡の者を見分させ、家僕等を呼出し、逐一に白倉が所業〔しハざ〕を聞せ玉ひ、又諸隣家を召され、一々に事の実否を糺明あるに、諸近隣悉く、無三四が説話〔せつわ〕せし事ども詳かに訴〔うつたへ〕しかバ、秀家卿、甚だ白倉が不義ならびに諸高弟等が振舞を憤り給ひ、実〔まこと〕に彼黨〔かのたう〕の兇悪は人面獣心の所行、嘗て我國の風俗を失ひ、其惡臭を天下に流すといふもの也。殊に清正朝臣の慮ふ所も恥かしく、速かに奸謀〔かんぼう〕の者共を捕へ、首を刎〔はね〕、ながく後來の庭禁〔ミこらし〕とすべし、とのたまひ、忽ち福田十右衛門、福島左十郎、浮田源兵衛が如き奸人、一々召捕られ、罪科究〔きハま〕り、或ひは刎刑を蒙り、自刄を賜りぬ。此の事繁多〔はんた〕なるが故に畧す。
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【現代語訳】
宮本、宮本無三四、危機を遁れる事 (承前)
無三四はこれを見て、どのようにして逃げようかと思案する[ルビによる]に、この(白倉の)家の構えは表門一ヶ所だけで、裏は竹垣を高く結い廻し、その外は北町といって広い往来[還道は街道]である。しからば、最初(の考え)のように、そこから脱出するのが一番だと、速やかに菜園を駈け出て、そのまま竹藪を乗りこえた。(ところが)ここにも、近隣の諸士が、兵器を構えて待ち構えていたのである。
無三四は、大声をあげて言った。「皆さん、攻撃するのをやめて、まずは私の一言を聞いてください。それがしは諸国武者修行の浪人です。三ヶ月前、ここに来て、しかじかのことで、その日、白倉と試合[ルビによる]をしたところ、(白倉)源五左衛門師弟は、それがしに勝つことができず、私の門人となって、我が流儀の蘊奥をことごとく探究して尋ね問うた。私もまた、未熟の武術だとはいえ、少しも惜しむことなく、奥儀を伝えた。ところが、今般それがしを殺害しようと、師弟十九人が多数の使用人と謀議して、それがしを浴室の内に誘い込んで、熱湯で煮殺そうとした。やつがれは不思議に[奇蹟的に]熱湯の中を脱れ出て、一時の憤りによって、すぐさま白倉父子を討ち取り、貝沢万右衛門、村山源右衛門を切りとめ、また門人たちにも手疵を負わせ、ただ今ここへ飛び出てきました。こんなに大勢の人間を殺害いたした以上、今やそれがしは、自殺せざるをえない状況にたち至った。けれども、それがしの身の上は、実父の敵討ち(の望み)を抱く者です。自殺しようにも、勝手にはできないのです。どの国までも切り抜けて罷り通る(つもりです)。皆さん、少しでも善意があって、道を避けて通してくだされば、それがしにとって莫大な洪恩です。しかし、もしお通しくださらないのなら、やむをえません、手を下しますぞ」と、竹垣の上から飛下り、両刀を抜き放ち、東の方に向かって駈けだす。
その勢いの凛々たるを見て驚き、一人として遮り制止する者なく、たまたま英勇の人があっても、無三四の言葉に理があるのみならず、実父の讎を報ずる大望ある人と聞き、また言語に絶する白倉の奸悪を憎んだので、誰も(阻止のため)力を出す者はなく、道を開いて(無三四を)追わなかった。これはまったく天が(無三四の)順孝を感じて、助けてくれたのである。
(一方)まだ事件の真実を知らない者は、大いに憤激し、どの国までも追いかけて、捕まえようと、手に手に鎗・捧・熊手の類いを携え、(無三四)の後を追う者もあり、(またそれを)制し止める人もあり、その騒動は、あたかも鼎の沸騰するに異ならず[鼎は煮沸用の金属製容器。ようするに大騒ぎの意]。この時はや黄昏になったので、(追う)人々は、無三四がどっちへ逃げたかわからなくなったので、むしろ急いで追うことはしなかった。
編者曰く[以下、補記である]、無三四が逃走して後、浮田秀家卿[これは実名。備前岡山城主]は、検使を白倉の家に派遣し、死亡の者を検分させ、下男らを呼び出し、細かく白倉の所業をお聞きになり、また隣の家々を召され、一つひとつ事の実否を糺明されたところ、近隣の者たちは、皆がそろって、無三四が語った話を詳しく報告したので、秀家卿は、白倉の不義ならびに高弟どもの振舞いを激怒され、「まことに白倉の党の兇悪は、人面獣心の所行、まったく我が国の姿を損ない、その悪臭を天下に流すというものである。ことに清正朝臣[ただし、ここでは佐藤清正]が、このことをどう思うかと考えると、恥かしい。速やかに奸謀の者どもを捕え、首を刎ね、長く将来の見せしめにせよ」と言われたので、すぐさま、福田十右衛門、福島左十郎、浮田源兵衛のような奸人たちはすべて召し捕られ、罪科が決定し、刎刑[斬首刑]を蒙ったり、自刄[切腹]を賜わった。これらのことは、話がくどくなるので省略する。
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