*【撃劍叢談】
《浪人、「憚りながら御立合下さる可き哉」と望む。三厳〔柳生十兵衛〕、即ち立合ひて打合はれしに、相打也。「今一度」と望む。又相打なり。三厳、浪人に向ひ、「見えたるか」と問はる。浪人怒りて「両度とも相打にて候」といふ。其時主人に向ひ、「いかに見られたるか」と問はる。主人も「いかにも浪人の申す通りに見請け候」との挨拶なり。三厳、「此勝負見分けられずば是非なし」とて坐に着る。浪人弥よせきて、「さらば眞劍にて御立合下さる可し」と望む。三厳、「二つなき命也。いらぬ事故やめにせられよ」とて、顔色常の如し。浪人、弥よ募りて、「此分にては明日より人前なり申さず。是非々々御立合下さる可し」といさむ。三厳静に下り、「いざ来られよ」と立合はれ、初の如く切結ばる。浪人は肩前六寸計切られて二言もいはず倒れたり。三厳坐に歸られしに、着用の黒羽二重の小袖、下着の\綿までは切先はづれに切さき、下着の裏は殘りたり。主人にこれを示され、「すべて劍術のとゞくととゞかざるは、五分一寸の間に有る物也。勝は如何樣にしても勝つべけれども、最初より申す所の違はざるを御覧に入るべき爲、此如に致し候」と申されたり。主人感じ且驚かれしと云ふ》(巻之一 柳生流)

柳生十兵衛三厳
*【丹治峰均筆記】
《武州、以ノ外機嫌損ジ、(中略)散々ニ呵リタマヒ、十左衛門ガ児小姓ヲ呼テ、「盆ニメシツブヲ入レ来タレ」トテ取ヨセ、右ノ児小姓ガ前髪ノ結目ニ食粒一粒ツケテ、「アレヘ参リ立テヲリ候ヘ」ト申付、立アガリ、床ニアリケル刀ヲ取テ、スルスルト抜放シ、上段ニ搆、児小姓ガウシロザマニ立チタルニ、上段ヨリ直ニ打込ミ、結目ニツケタル飯粒ヲ二ツニ切ワリ、条右衛門ガ鼻ヱサシ付、「コレヲ見ヨ」トテ、三度マデ致サル。条右衛門驚嘆シ、十左衛門ヲ初一座ノ面々舌ヲマキ感誉セリ。武州ノ玉フハ、「吾、如是手ワザ熟シタレ共、ワザニテハ敵ニ勝ガタシ。増而其方、兵意ハ得心セズ、ワザハ不叶、何ヲ以テ人ニ可勝哉。サテ/\ウツケ者也。早々帰候ヘ」トテ追カヘサレシト也》

伊藤一刀斎 武稽百人一首
*【撃劍叢談】
《又東国にて一人の浪人、地ずりの晴眼と云ふ太刀を覚へ、是に勝つ者あらじと思ひ、一刀斎に逢ひて、此の地ずりの晴眼の留め様も候はど御相伝下され候へと望む。一刀斎、成程伝へんと請合ひながら、其の事なく又他国に赴かんとす。浪人心には、一刀斎も此の太刀留る事ならぬ故ぞと思ひ、途中に出向ひ、日比望みし地ずりの晴眼の留様御伝授なきこそ遺恨なれ。唯今御相伝下さる可しと云ふままに、刀を抜きて彼の地ずりの晴眼にてする/\と仕懸けたり。一刀斎抜打に切ると見えしが、彼の浪人は二つに成りて倒れ伏したり。世に、地ずりの晴眼の留め様伝授すると、其の儘息絶えたる事残念也、是をや真金江の土産とも云ふべき、とて評しあへり》(巻之三 一刀流)
*【沢庵宗彭】
《不動とは、我心を動転せぬ事にて候、動転せぬとは物毎に留まらぬ事にて候。物一目見て其の心を止めぬを不動と申し候》(不動智神妙録)
|