また、ここでは校異の点で問題があろう。若干それを指摘しておきたい。
まず一つは、《眉あひにしわをよせて》という部分、肥後系楠家本は、これを、「しわをよせず」と否定形で書いている。しかし、筑前系/肥後系諸本に共通してある通り、ここは「よせて」が正しい。なぜなら、額に皺をよせず、皺は眉間の方によせた方がよいという教えだからだ。
これは肥後系他本にはない誤記である。では、この点、楠家本のポジションはいかに。この「よせず」という誤記は、越後系諸本のうち、写し崩れの多い猿子家本にそれがある。ということは、これに関するかぎり、楠家本も同じような後発性を示すということである。内容もよく見ないで、楠家本が古いなどとするのは誤りである。
ところで、興味深いのは、数多い粉本の先師武蔵像である。その顔は目を剥いた醜悪な顔つきだが、むろん「うらやかにみゆる顔」どころではない。それをみると、五輪書の教えとは逆なのだが、ことほど左様に、極端に眉間に皺をよせたかっこうである。奇妙なことではある。
もう一つは、ここのタイトル、《兵法、身なりの事》である。筑前系諸本は「の」字を入れないのであるが、肥後系は《兵法の身なりの事》として「の」字を入れる。
肥後系の例外は、田村家本と多田家本である。これらは何れも後期写本であるから、肥後系に「の」字を入れない早期写本があったとは見なしえない。前後の条々を勘案して、整合性のある《兵法、身なりの事》としたもののようである。肥後系では、早期から「の」字が入ったのである。
ところで、肥後系諸本は、前条の「兵法、心持の事」では「の」字を入れないのに、ここでは入れる。いささか恣意的であるが、こうした「の」字の出没は、書写段階でいつも発生することである。
たとえば、《目の玉のうごかざる様にして》の箇処でも、肥後系諸本のうちの、楠家本・富永家本などは、筑前系諸本と同じく「の」字を入れるが、細川家本・丸岡家本・田村家本では、「の」字を落としている。
こうした肥後家諸本の間の表記のばらつきは、門外流出後の写本の子孫だから、あって当然のことだが、ここは細川家本・丸岡家本・田村家本が誤りで、楠家本・富永家が正しい。そういう判定がつくというのも、筑前系諸本との照合が可能になったからである。肥後系諸本だけを見ていては、甲乙正誤の弁別がつかないのである。
またこのように富永家本が正しいということは、すでに一連の校異で見たように、富永家本が早期に派生した系統の子孫であって、肥後系早期のかたちをしばしば保存している「こともある」という一例である。もちろん富永家本自体は後期写本なので、写し崩れがかなりある。この箇処でも、後の《して》という二字を落としている。
次の校異は、以上の偶発的な誤記よりも、ある意味で重要な相異である。すなわち、筑前系諸本に、
《鼻すぢ直にして、少おとがいに出すこゝろ也》
とあって、《おとがいに》と、「に」字を記すところ、肥後系諸本では、《おとがいを出す》として、これを「を」字に作る。
これは、筑前系/肥後系を截然と区分する指標的な相異である。つまり、筑前系諸本は共通して「に」字を書くのに対し、肥後系諸本は共通してこれを「を」と記す。
筑前系諸本が、吉田=早川系だけではなく、立花峯均系の越後諸本でも、共通して同じ字句を記すばあい、これは筑前系初期からあったものとみることができる。したがって、これの古型は「に」という文字である。
しかし、「頤に」というよりも、「頤を」とあった方が文意がストレートに通りやすい。それは当時の人々も同じだったと見えて、「に」(尓)字を「を」字にあっさり誤読したらしい。これは訂正の意識があったというよりも、たんなる誤読であろう。門外流出後の肥後系初期に、この文字変異が生じた。そうして、以後の写本はみな、ここに「を」字を書くようになったのである。
ところが、寺尾孫之丞段階では、ここは《少おとがい「に」出すこゝろ也》だった。その文意は、「頤〔おとがい〕については、少し前に出すという感じ」ということである。筑前系諸本は、この《少おとがひ「に」出すこゝろ也》という文を正確に伝えたが、肥後系はその早期に、この「に」字を「を」字にあっさり変えてしまったのである。
これも、肥後系諸本だけを見ていては、分らぬことである。しかも、とりわけ現代語の感覚では、「少し頤を出す感じ」という方が分りやすいので、これが「頤を」ではなく「頤に」だったことに気づかない。そのため、これまで誤記が放置されてきた箇処なのである。
これは、現代の言語感覚では、あっさり滑らかに文意が通らず、抵抗のあるところ、そこに古型があったという例である。史料批判も「我身のひいきをせざること」という武蔵の教訓に学ぶのである。
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*【楠家本】
《ひたいにしはをよせず、まゆあいにしわをよせず》
*【猿子本】
《額にしハをよせず、眉あいにしハよせず》
*【吉田家本】
《兵法、身なりの事。(中略)目の玉のうごかざる様にして》
*【伊丹家甲本】
《兵法、身なりの事。(中略)目の玉のうごかざる様にして》
*【赤見家丙本】
《兵法、身なりの事。(中略)目の玉のうごかざる様にして》
*【近藤家甲乙本】
《兵法、身なりの事。(中略)目の玉のうごかざる様にして》
*【石井家本】
《兵法、身なりの事。(中略)目の玉のうごかざる様にして》
*【楠家本】
《兵法の身なりの事。(中略)めの玉のうごかざるやうにして》
*【細川家本】
《兵法の身なりの事。(中略)目の玉【★】うごかざるやうにして》
*【丸岡家本】
《兵法の身なりの事。(中略)目の玉【★】不動やうにして》
*【富永家本】
《兵法の身なりの事。(中略)目の玉のうごかざるやうに【★】》
*【田村家本】
《兵法、身ナリノ事。(中略)目ノ玉【★】動ザルヤウニシテ》
*【吉田家本】
《少おとがひに出すこゝろ也》
*【伊丹家甲本】
《少おとがひに出す心也》
*【赤見家丙本】
《少おとがいに出すこゝろ也》
*【近藤家甲乙本】
《少おとがいに出すこゝろ也》
*【石井家本】
《少おとがいに出すこゝろ也》
*【伊藤家本】
《少おとがいに出すこゝろ也》
*【楠家本】
《少おとがいを出す心也》
*【細川家本】
《少おとがいを出す心なり》
*【富永家本】
《少しおとがひを出す心なり》
*【狩野文庫本】
《少しおとがひを出す心也》

少おとがいに出すここゝろ
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