(2)懸の先・待の先・躰々の先
ここは「三つの先」の説明である。懸〔けん〕の先・待〔たい〕の先・躰々〔たいたい〕の先と名づけたものを、具体的に解説する。
まず、懸〔けん〕の先は、こちらから先に仕懸けようとする場合である。これにはいくつかあって、
(a)最初は静かにしていて、それから突然素早く仕懸ける。
(b)表面では強く早くするが、底を残す心。
(c)逆に、我が心をいかにも強くして、ただ、足は平常の足より少し早い程度で、敵の間際へ寄るやいなや、猛烈に攻めたてる。
(d)心を放捨して、初めも中間も最後も同じように、敵を押し潰す気持の、底まで強い心で攻撃に出て勝つ。
これらはいづれも「懸の先」である。肥後兵法書には、
《我かゝる時の先ハ、身ハかゝる身にして、足と心を中に殘し、たるまず、はらず、敵の心をうごかさず、是懸の先なり》
とあって、身体は攻撃態勢だが、足と心は中に「残す」というわけで、前に水之巻にあった身心分裂操法の一種である。これは上記(b)の残心の先に近いが、何とも言えない。
むしろ、五輪書では「懸の先」を具体的に分析して、さらなる分類をしているので、必ずしも肥後兵法書の記述とは符合しない。言い換えれば、肥後兵法書の記述は要約的だが、五輪書の方は、分析的に述べて、四つの懸の先があるという話である。
第二の待〔たい〕の先は、逆に、相手から先に仕懸けてくる場合の先である。これには二つあるようで、
(a)敵の方が仕掛けてくる時、それには少しも相手にならず、こちらの攻勢が弱いように見せて、そして敵が近づくと対応を一変して「づん」と強く出て、飛びつくように見せる。と、敵の攻撃の弛みが生じる、それを見て、一気に強く出て勝つ。
(b)敵が仕懸けてくると、――こんどは逆に――こちらは敵よりも強く出る。その時、敵の仕懸ける拍子の変化する隙間を捉えて、そのまま勝ちを得る。
これをみると「待の先」にも、積極的なものと消極的なものがあるようである。肥後兵法書の当該部分には、
《敵かゝり來る時の先ハ、我身に心なくして、程近き時、心を放ち、敵の動にしたがひ、其まゝ先になるべし》
とあって、これは上記の前者の方に近い内容である。しかし、後者の積極的な応戦の方の記述はない。五輪書のほうが説明が詳しいのである。
第三の躰々〔たいたい〕の先。これは、敵我双方が同時に仕懸け合いの場合である。これにも二つあるようである。
(a)敵が早く仕懸けてくるとき、こちらは静かに、つまり急がずに、強く応戦し、敵が近づくと、「づん」と思い切った体勢になって出る、そこで敵のゆとり〔遅滞〕の見えるところを、一気に強く出て勝つ。
(b)また逆に、敵が静かに、ゆっくりと懸かってくる時、我身は軽く浮いたようになって、敵より少し早く仕懸けていき、敵が間近になると、ひと揉み争ってみて、その敵の様子に応じて、強く出て勝つ。
これはまた、相手の出方の動静によって、こちらは逆の動静で応じるが、様子を見て強く出て勝つということでは同じである。
肥後兵法書の当該部分には、
《互にかゝりあふ時、我身を強く、ろくにして、太刀にてなりとも、身にてなりとも、足にてなりとも、心にてなりとも、先に成べし》
とあって、この記述は、五輪書のように具体的ではない。これではほとんど内容は不明である。
肥後兵法書はこの「三つの先」において、五輪書のような、「懸」「待」「躰々」という用語も使用しない。形式・内容ともに、記述が簡略化、悪く言えば、貧弱化しているようである。
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*【肥後兵法書】 (再掲)
《 三ツの先と云事 一 三ツの先と云ハ、一ツにハ、我敵の方へかゝりての先也。二ツには、敵我方へかゝる時の先。三ツには、我もかゝり、敵もかゝる時の先。是三ツの先也。我かゝる時の先ハ、身ハかゝる身にして、足と心を中に殘し、たるまず、はらず、敵の心をうごかさず、是懸の先なり。又敵かゝり來る時の先ハ、我身に心なくして、程近き時、心を放ち、敵の動にしたがひ、其まゝ先になるべし。又互にかゝりあふ時、我身を強く、ろくにして、太刀にてなりとも、身にてなりとも、足にてなりとも、心にてなりとも、先に成べし。先を取事肝要なり》
*【水之巻参考箇所】
《敵を打拍子に、一拍子と云て、敵我あたるほどの位を得て、敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、いかにも早く、直にうつ拍子なり。敵の太刀ひかん、はづさん、うたん、と思ふ心のなきうちを打拍子、是一拍子也》(敵を打つに一つ拍子の打の事)
《我うちださんとするとき、敵はやく引、はやくはりのくる様なる時は、我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二のこしの拍子也》(二のこしの拍子の事)
《敵もうち出さんとし、我も打ださんとおもふとき、身もうつ身になり、心も打心になつて、手は、いつとなく、空より後ばやに強く打事、是無念無相とて、一大事の打也》(無念無相の打と云事)
《流水の打といひて、敵あひに成て、せりあふ時、敵、はやくひかん、はやくはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大になつて、太刀を我身の跡より、いかほどもゆる/\と、よどみの有様に、大に強くうつ事也》(流水の打と云事)
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