武蔵の五輪書を読む
五輪書研究会版テクスト全文
現代語訳と注解・評釈

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五輪書 水之巻 4  Back   Next 

 
   14 搆えあって搆えなし
【原 文】

一 有搆無搆の教の事。
有搆無搆と云ハ、
太刀を搆と云事、有べき事にあらず。
されども、五方に置事あれバ、
搆ともなるべし。
太刀は、敵の縁により、
所により、けいきにしたがひ、
いづれのかたに置たりとも、
其敵きりよき様に持心也。
上段も、時に随ひ、
少さぐる心なれバ、中段となり、
中段も*、利により少上れば、上段となる。
下段も、折にふれ少上れバ、中段となる。
両脇の搆も、位により、少し中へ出せバ、
中段、下段ともなる心也。
然によつて、搆ハ有て搆ハなきと云利也。
先、太刀をとりてハ、
何れにしてなりとも敵をきる、と云心也。
若、敵のきる太刀を、うくる、はる、
あたる、ねばる、さはる、
など云事あれども、
みな敵をきる縁也、と心得べし。
うくるとおもひ、はるとおもひ、
あたるとおもひ、ねばるとおもひ、
さはると思ふによつて、切事不足なるべし。
何事もきる縁とおもふ事、肝要也。
能々吟味すべし。
兵法大にして、人数だてと云も搆也。
ミな合戦に勝縁也。
いつくと云事悪し。能々工夫すべし。(1)

【現代語訳】

一 有搆無搆〔うこうむこう〕の教えの事
 有搆無搆〔搆えあって搆えなし〕というのは、(こういうことである――)
 太刀を搆えるということは、あるべきことではない。けれども、太刀を「五方」に置くのであれば、搆えともなるであろう。(ただし)太刀は、敵の出方により、場所により、形勢にしたがって、(五方の)何れの方に太刀を置いたとしても、その敵を切りやすいように太刀を持つのである。
 上段も、時にしたがい、少し(太刀が)下る感じであれば、中段となり、中段も、場合により少し上れば、上段となる。下段も、折にふれ少し上れば、中段となる。両脇の搆えも、状態により、少し中へ出せば、中段、下段ともなる、ということである。――そういうことなので、搆えはあって搆えはない、というわけである。
 まず(何よりも)、太刀を手に取っては、どのようにしてでも敵を切るのだ、という心持である。もし(仮に)、敵の切ってくる太刀を、受ける、張る、当る、粘る、触る、などと云うことがあっても、それはすべて、敵を切るためのものだ、と心得るべきである。
 受けると思い、張ると思い、当ると思い、粘ると思い、触ると思うと、そのことによって、切ることが不十分になるであろう。何ごとも敵を切るためだと思うことが肝要である。よくよく吟味すべし。
 兵法が大きい(大分の兵法の)ばあい、「人数立て」〔兵員配置〕というのも、搆えである。すべては合戦に勝つためのものである。
 (どんなばあいでも)居付くということはよくない。よくよく工夫すべし。
 
  【註 解】

 (1)有搆無搆と云ハ
 有搆無搆〔うこうむこう〕というのは、「搆えあって搆えなし」ということである。ようするに、搆えはあるけれど、その搆えにとらわれてはならない、というのが、武蔵の言う有搆無搆の教えである。
 直前の節まで「五方の搆え」を説いたばかりである。武蔵は、大急ぎでこの有搆無搆の教訓を補足しなければならない。そうしないと、「五方の搆え」が仰々しく武蔵流の術技だと誤解されかねない。武蔵の根本的なスタンスは、
  「実戦においては、搆えなど、どうでもいい」
ということにある。搆えとはいっても、その搆えの形式に何の意味もない。何のための搆えなのか、よく考えてみよ。太刀を「五方」のどれに置こうとも、戦場の実戦においては、――其敵きりよき様に持心也。――敵を切りやすいように太刀をもつというだけの話である、と。
 まことにプラクティック(practic)な教えである。
 有搆無搆とは「形に捉われるな」という教えである。この教えを単独に採ってみれば、さしたることもない凡庸な教えのようだが、この言説が、無数の搆えが繁殖した当時の様相、搆えをめぐる形式主義の支配的な状況の中で語られたとみるとき、武蔵の言挙げの批判的な意味が理解されるであろう。
 すなわち、戦場のリアリティを欠いた状況のなかでは、戦闘術は実践性を離れた形式化をまぬがれない。リアリティの欠如と形式主義は相補的現象である。しかも、この形式主義が剣の精神化を生産するのである。
 そうなると、搆えそれ自体に何のかのと意味づけをして、薀蓄を傾ける流派が出てくる。するとますます搆えは細分化し、何十、何百という搆えを誇るものまで現れる。こうした「進化」としての分節化(articulation)の全盛、それが武蔵の時代だった。五輪書が書かれた時代だった。
 このようなとき、太刀の搆えといっても、それは、敵を切り殺すためのもので、搆えそれじたいに意味はない、とする武蔵の言挙げの、状況批判の意味合いを読み取っておくべきである。
 また、武蔵がここでも注意を促すのは、「居つく」ということである。ここでの文脈だと、形に捉われ搆えに気が行くと、居つく。それはいけないと言っているようにみえる。
 最後になって、このことが出てくるが、むろん、見たとおり取って付けたようで、納まりが悪い。武蔵は、ここで「居つく」ことについて、あと数行何か書くつもりであったのだろうが、これも草稿状態を示す箇処である。
 ただ、注意を喚起しておきたいのは、武蔵はここでは、居つくから搆えにこだわるのはよくない、ということは言っていないことだ。
 まず、太刀を手に取っては、どのようにしてでも敵を切るのだ、という心持が肝腎。もし、敵の切ってくる太刀を、受ける、張る、当る、粘る、触る、などということがあっても、それはすべて、敵を切るためのものだ、と心得るべきである。受けると思い、張ると思い、当ると思い、粘ると思い、触ると思うと、そのことによって、切ることが不十分になるであろう。何ごとも敵を切るためだと思うことが肝要である。よくよく吟味すべし、というわけである。
 ようするに、この有搆無搆の教えは、五方の搆えを説いてしまった後で、それを再度ぶちこわす。搆えにこだわっていると、敵を切れないぞ、という教えである。
 なお文中、「受ける」「張る」「当る」「粘る」「触る〔さわる〕」とあるのは、兵法のスペシフィックな語彙群であるから、そのまま読まれたい。
○此条諸本参照 →  異本集 







五方の搆え=搆えあって搆えなし




 ここで肥後兵法書をみれば、右掲のように、該当部分には、搆える心があると、太刀が居付き、身も居付くものなり、とある。これは五輪書よりは説明的であるが、つまり、搆えるという型に捉われると、太刀も身体も「居付く」、固着してしまって柔軟性を失うぞ、という指摘である。
 居つくなということは五輪書も述べている。しかしこの有搆無搆の条では、その教えの重点は、何が何でも敵を切るんだ、どうやってでも敵を切るんだ、と思って太刀を取れというところにある。前にも述べたように、肥後兵法書では、何が何でも敵を切るんだという、その殺伐を嫌って、居付かないようにとする方へ軸足が移っている。
 また肥後兵法書には、「上段の内にも三つの色あり。中段の内にも下段にも三つの色あり。左右脇までも同じ心なり」とする。五方の搆えそれぞれにさらに三つの色があるというから、いわば十五色である。せっかく、五輪書が有搆無搆といって、搆えを無化したのに、逆に数が増殖してしまったようである。他の諸流との交渉影響もあっただろうが、これでは話が逆行している。これは、武蔵死後、肥後の寺尾求馬助の門流では、五方では不足と見て、型の細分化・分節化という状況が生じつつあったことを示す。
 これに対し五輪書の武蔵は、上段も少し下れば中段になる云々として、搆えの細分化のあげく搆えの型の境界が曖昧になり、結局は型など無くなってしまう、無搆に行き着くではないか、という皮肉である。
 こうした形式主義化、型への拘泥というのは、「偃武」による支配秩序が完成して、武士が官僚化する状況と、構造的に相同のことである。秩序には形式が必要である。戦国の遺物としての武蔵は、この秩序の内部にはとうてい納まらぬものであった。
 だから、武蔵が有搆無搆というとき、孫子兵法の「兵に常勢無く、水に常形無し」の敷衍というよりも、もっとヤクザなところがある。肥後兵法書は、それを居つくなという教えに回収しようとするが、それは後世の合理化である。この有搆無搆の条に明らかなように、構えや形にこだわっていると、人は切れないぞ、敵を殺せないぞ、という戦場の実際論が、武蔵の本旨なのである。

――――――――――――

 ここで校異の問題にふれておく。それは、文中、《上段も、時に随ひ、少さぐる心なれバ、中段となり、中段も、利により少上れバ、上段となる。下段も、折にふれ少上れバ、中段となる》とあるところ、諸本のうちには、この「も」字を「を」字に作るものがある。
 つまり、《中段も、利により少上れバ、上段となる》のところ、《中段も》を《中段を》として、「も」でなく「を」字と書くのである。
 興味深いことに、これが筑前系/肥後系を横断して見られるところである。《中段も》と書く例は筑前系/肥後系両方にあり、また、《中段を》と記す写本も、筑前系/肥後系両方にわたって存在する。
 とすれば、このケースは、どう見るべきであるか。どちらが正しいのか。
 もとより、前後の文では「上段も」「下段も」「両脇の搆も」とすべて「も」字にするから、この中段だけ「中段を」とする理由がない。したがって、これは「も」字を「を」字に誤写したものである。
 しかるに、留意すべきは、これが筑前系・肥後系を横断して見られる文字表記である点である。両系統それぞれにおいて、これが偶発したとするのは、いささか難がある。
 とすれば、寺尾孫之丞が発給した五輪書には、ここを《中段を》としていた。それを奇異に感じた後の写本が、この「を」字を「も」字に変えて、文の整合を試みた。――そう考えることもできる。
 それゆえ、ここは《中段を》としたいところであるが、それが武蔵オリジナル草稿の文字だったか、となると、確証があるわけではない。寺尾孫之丞が編集段階で草稿を誤写した可能性もなきにしもあらず。
 かくして、この《中段を》は宙に浮いて、留保に付すことになる。我々のテクストでは、ここは、「も」字に統一して文章の整合性を示す諸本にしたがい、《中段も》の方を採ったのである。   Go Back

*【肥後兵法書】
《 有搆無搆の事
一 有搆無搆と云事、太刀を取て身の中に置所、何れもかまへなれ共、搆ゆる心にあるによつて、太刀居付、身も居付もの也。所により事にしたがひ、何れに太刀はあり共、搆ゆると云こゝろなく、敵に相應の事なれば、上段の内にも三ツの色あり。中段の内にも下段にも三ツの色あり。左右脇までも同じ心也。能々吟味有べし》














*【孫子】
《夫兵形象水。水之形、避高而趨下、兵之形、避實而撃虚。水因地而制流、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形》(虚実篇)





*【吉田家本】
《中段、利により少上れバ、上段となる》
*【中山文庫本】
《中段、利により少上れバ、上段となる》
*【赤見家丙本】
《中段、利により少上れば、上段となる》
*【近藤家甲乙本】
《中段、利により少上れば、上段となる》
*【石井家本】
《中段、利により少上れバ、上段となる》
*【楠家本】
《中段、利により少あがれば、上段となる》
*【細川家本】
《中段、利により少あぐれば、上段となる》
*【丸岡家本】
《中段、利により少あぐれば、上段となる》
*【富永家本】
《中段、利により少上れバ、上段となる》
*【狩野文庫本】
《中段、利に随ひ少上れば、上段と成》
*【山岡鉄舟本】
《中段、利ニヨリ少シ上レバ、上段トナル》


 
   15 一つ拍子の打ち
【原 文】

一 敵をうつに、一拍子の打の事。
敵を打拍子に、一拍子と云て、
敵我あたるほどの位を得て、
敵のわきまへぬうちを心に得て、
我身もうごかさず、心もつけず、
いかにも早く、直にうつ拍子也。
敵の、太刀ひかん、はづさん、うたん、
とおもふ心のなきうちを打拍子、是一拍子也。
此拍子、よくならひ得て、
間の拍子をはやく打事、鍛錬すべし。(1)

【現代語訳】

一 敵を打つに、一つ拍子の打ちの事
 敵を打つ拍子に、一つ拍子というものがあって、敵と自分が(太刀を打って)当るほどの位置を得て、敵の心の準備ができないのを心得て、こちらは身体も動かさず、心もつけず〔起こさせず〕、できるだけ早く真っ直ぐに打つ拍子である。
 敵が、太刀を引こう、外そう、打とうと思う心を、まだ起さない内に打つ拍子、これが一つ拍子である。
 この拍子をよく習得して、間〔あい〕の拍子を早く打つこと、鍛練すべし。
 
  【註 解】

 (1)おもふ心のなきうちを打拍子
 この条と次条「二のこし」にわたって、関連する教えが連続する。何れも「間」の拍子に関わることである。それを念頭において読まれたい。――この「間の拍子」の「間」は、「ま」「あい」どちらとも読めて、確定できないのだが、ここでは「あい」としておく。
 まず、一拍子。これは「いち拍子」ではなく、「ひとつ拍子」と読む。これは打撃する拍子の話である。しかしそれはまず、敵の攻撃の心が起きる前に、機先を制して攻撃することである。敵の心が起動する以前の打撃、つまりは、「不意打ち」である。
 この拍子(タイミング)は、いかにも先制攻撃であるが、早ければ早いほどよいというわけでもない。ようは、気の遅い敵の心の動きを読んで、攻撃の機先を制することである。
 武蔵の教えは、拍子を外す拍子、つまりは敵の攻撃リズムを撹乱し、失調させることを重視していたらしい。そのことは、すでに前巻・地之巻にも見えるところである。ところが、攻撃の最中ではなく、攻撃開始の前に拍子を外す、――とは変な話かもしれないが、まさにそれが、武蔵流の先制攻撃の要諦なのである。
 《敵の、太刀ひかん、はづさん、うたん、と思ふ心のなきうちを打拍子、是一拍子也》とあるが、とくに、《敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、いかにも早く、直にうつ拍子なり》という。これが武蔵流の不意打ちの要旨である。
 語釈のことでは、我身も動かさず、心も付けず、というところ、「心も付けず」とは、心を添付させず、ということではない。心を起動させず、という意味である。現代語で、灯りをつける、テレビをつけるなどという「つける」に似た語意である。ここは、身も動かさず、心の起りもなく、ということで、後の別条に「空より」という表現でなされることもある。
 このあたり、五輪書の記述を敷衍して言えば、――攻撃しようとする意図(intention)は、すでに表に現れる。心の動きは内面的なものだが、それは必ず気配として表出され、それが察知される。だから、それでは不意打ちにはならない。ここは、「心も付けず」なのである。つまり、自分の心や身体とは無関係に、太刀(手)が勝手に動いてしまう、そんな攻撃メカニズムを武蔵は語っているのである。これは後述の分裂運動の一種である。
 右掲肥後兵法書には、心おそき敵には、太刀相になると、我身を動さず、太刀の起りを知らせず、早く、空〔くう〕にあたる、これ一拍子なり、とある。五輪書の「心を付けず」は、ここでは、「太刀の起りを知らせず、早く空にあたる」に対応するところである。こちらは、五輪書の記事とちがって、記述はいたって簡潔で、定式化されている。ただし、《空にあたる》という表現は、五輪書の趣旨からすると、ややズレがある。
 あるいは、肥後兵法書では、これが「心おそき敵」が相手のケースだとする。敵には気の早いやつもいれば、遅いやつもいる。そんな相手に応じた、ケース・バイ・ケースである。これはかなり実際的な教えのようにみえる。
 つまり、「心おそき敵」には一拍子、しかし、武蔵の教えにはそんな話はない。肥後兵法書の説明はケースの分析をして一見具体的でわかりやすいのだが、相手を限定しすぎている。このケースでは、相手が遅いというより、こちらが早く懸るのである。いわば懸〔けん〕の先である。五輪書では、――敵の心が遅かろうと、早かろうと、――敵の不意を衝いて、攻撃の「先」を制することである。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 






吉田家本














*【肥後兵法書】
《 拍子の間を知ると云事
一 拍子の間をしるハ、敵により、早きもあり、遅きもあり、敵にしたがふ拍子也。心おそき敵には、太刀相になると、我身をうごかさず、太刀の起りを知らせず、早く空にあたる、是一拍子也。(後略)》
 この一拍子について、岩波版注記は、「ただ一撃で敵を斃す、直線的な打ち」などと書いているが、どこをどう読めば、こんな見当違いの解釈が可能なのか、呆れるところである。ここは拍子のことを云っているのである。一拍子とは、敵がまだ何を思う心もない内に打つ拍子、なのである。岩波版注記には、誤釈というより、恣意的な解釈がしばしば見られる。これはその一例である。
 また、文中、「間の拍子を早く打つ事」とあるが、この「間の拍子」を、「半拍子」とする語釈例もあるが、それでは、不意打ちである「一拍子」という語意を外してしまう。ここでは「一拍子」とは「間の拍子」であり、不意をつく、拍子を外し、拍子を背く拍子だということが要点なのである。
 このあたり、既成現代語訳を見るに、さまざま誤訳を陳列している。戦前の石田訳は、「心も付けず」は意訳して、戦後の誤訳よりはマシなところを示しているが、「間の拍子」については、「間早に」としていて、この語を抹消してしまっている。戦後の神子訳も同様で、「間の拍子」について「きわめて早い間で」としており、石田訳の路線を踏襲するだけである。これでは、「間の拍子」という語が跡形もないのである。
 以後の大河内訳は、《いかにも早く、直にうつ拍子なり》を、「すばやく一撃で敵を倒す拍子のことである」として、原文にない語句を入れて珍訳を示しているが、これは岩波版注記を頂戴したものらしい。鎌田訳は、「心も付けず」を「どこにも心を付けず」としているところを見ると、「付けず」の語意がわかっていないらしい。それに、「間の拍子」を、「間合いをきりつめ」などと珍訳しているのは、これも文意が把握できていない証拠である。
 さして難解とも思えぬこのあたりであるが、これまで正しい現代語訳が出たことがないのは、まさに不思議と謂うべし。ようするに、訳者の質が問題なのである。   Go Back





*【現代語訳事例】
《敵のスキをつかんで、身も動かさず心も打つことを意識せず、如何にも早く眞ッ直ぐに打つことである。(中略)この拍子を能く修得して間早に打つ事を鍛練せよ》(石田外茂一訳)
《敵がまだ判断の定まっていないことを見抜き、自分の身を動かさず、心もそのままに、すばやく一気に打つ拍子がある。(中略)この拍子をよく修得し、きわめて早い間で、すばやく打つことを鍛練せよ》(神子侃訳)
《敵の心構えができない前に、自分の身も動かさず、心も動かさず、すばやく一撃で敵を倒す拍子のことである。(中略)この拍子をよく修得して、「間の拍子」を、すばやく打つことを鍛練すべきである》(大河内昭爾訳)
《敵の心がまえができないまえに、自分の身も動かさず、どこにも心をつけず、すばやく一気に打つ拍子がある。(中略)この拍子をよく修得して、間合をきりつめ、すばやく打つことを鍛練しなければならぬ》(鎌田茂雄訳)

 
   16 二つのこしの拍子
【原 文】

一 二のこしの拍子の事。
二のこしの拍子、我うちださんとするとき、
敵はやく引、はやくはりのくる様なる時ハ、
我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、
引てたるむところをうつ、
これ二のこしの拍子*也。
此書付ばかりにてハ、中々打得がたかるべし。
おしへをうけてハ、忽合点のゆく所也。(1)

【現代語訳】

一 二つのこしの拍子の事
 二つのこし(二重)の拍子とは、こちらが打ち出そうとすると、敵が早く引き、早く張り退〔の〕けるような時、こちらが打つと見せかけて、敵が張って(一瞬)弛むところを打ち、引いて弛むところを打つ。これが二つのこしの拍子である。
 この文書を読んだだけでは、この打ちは、なかなかできないはずである。だがこれも、教えを受ければ、たちまち合点のゆくところである。
 
  【註 解】

 (1)二のこしの拍子
 これも前条につづいて、拍子の話である。
 まず条件は、敵の位〔態勢〕である。敵が早く反応する相手、つまり、《敵はやく引、はやくはりのくる様なる時ハ》というばあいである。
 そのケースでは、自分が打つと見せかけて――つまり、フェイントをかけて――、敵が張って弛〔たる〕むところを打ち、引いて弛むところを打つ。
 これは、相手の反応(張り、引き)を誘発し、その直後の一瞬の弛みを引き出して打つという二拍子の攻撃である。たんに打ち合うということではなく、相手の出方を見て打つというのでもなく、こちらからまず仕懸けるふりをして、相手のリアクションを誘発して遂行する、リフレクシヴ(reflexive)な攻撃である。この組立てが、
   攻撃の擬態 → 相手の弛みの誘発 → つけ込み
という一連の流れのなか、まず、相手のリアクションを誘発するためのフェイントをかける。反応の早い敵は、すぐに張るなり、引くなり対応してくる。その瞬間、擬態にはっと気づいて、弛む。そこが付け目で、気づいたところがすでに遅く、二拍子目が実の攻撃である。
 これは、前条が「一拍子の打ち」のことだったのに対し、いわば二拍子の打ちである。一拍子、二拍子と、このあたり五輪書は話を連続させているわけである。二拍子だから「二のこし」というのだが、「二のこし」という語の意味は、これだけではわからない。
 文意からすると、最初の拍子は擬態で、次に実の打ちをするということで、これは二拍子の攻撃だから、二拍子目はまずためている、次にのこしているということである。この「ため」や「のこし」があるということである。とすれば、「二のこし」は、「二残し」ということになるだろうが、やや語呂が悪い。
 もうひとつ考えられるのは、ここは二拍子だから、二拍子目は最初の拍子に重なる。二重である。たとえば、九重の塔という場合、その「九重」を、「ここのえ」ともいうが、他方、「九のこし」ともいう。とすれば、ここでの「二のこし」は「二の重」、二層の意味である。
 どちらかというと、文意に素直に沿行するのは、後者の方である。したがって、我々は、この「二のこし」を、「二の重」、二層の意味と解しておいた。二拍子だから、拍子の重層ということである。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 




九州大学蔵
吉田家本
 異本間の相違ということでは、ここではいくつか指摘すべき箇処があろう。ひとつは、筑前系諸本に、
《引てたるむところをうつ、これ二のこしの拍子也》
とあるところ、肥後系写本では、「二のこしの打」とする。ここは表題が、「二のこしの拍子」だから、「打」ではなく「拍子」である。筑前系諸本の方が正しい。
 さて、――ここで、上記の「二のこし」について、異本間に若干問題がある。すなわち、現存五輪書写本は、たいてい、これを「二のこし」とする。ところが、写本の中には、これを「二の」と記すものが多数ある。

富永家本「二の越の拍子」

石井家本「二の越の拍子」
 たとえば、筑前系では、早川系は《二のこし》とするが、立花=越後系の諸本には、《二の越》と記す。「こし」を「越」と漢字で書いたのである。またこれは、肥後系でも、丸岡家本・田村家本・富永家本なども同じく《二の越》と記している。つまり、この《二の越》もまた、筑前系/肥後系を横断してあらわれているのである。
 このように、《二のこし》も《二の越》も、両方とも筑前系/肥後系に共通する。すると校異の所在によってのみでは、いづれを是とすることもできない。
 しかしながら、前条との連続で、ここは「一拍子」に対する「二拍子」についての話である。すでに上記に述べたように、「二のこし」は実は、「二の重〔こし〕」の意である。つまり、二層、二重ということである。
 したがって、「二のこし」という文字は、本来「二の重」と書くべき語句なのである。おそらく武蔵が、「二のこし」と仮名で書いたのだろう。だが、そのため、門流末葉の間で、「重」〔こし〕の語義が忘却されて不明になってしまい、この「こし」に「越」と当て字するようになってしまったというのが、その経緯であろう。すなわち、
    二の重 → 二のこし → 二の越
 この「二の越」というのは、オリジナルにはなく、伝写過程で「生産」された字句である。ただし我々の見るところ、当て字とはいえ、微妙なところで文意に沿わないものでもない。
 それというのも、この「越」はたとえば、建物に「越(こし)屋根」というものがあるのをイメージすれば、いささか腑に落ちることもあろう。これは大屋根の上に、さらに小さな屋根を設けて、通風採光の用をさせる。これは屋根の重層である。「越」の意味は重複することである。
 ゆえに、「二の越」は二拍子の打ちを意味するのに、大きくはズレはない。「越」(こし)は重層重複のことだからである。そのかぎりにおいて「二の重」という意味は、異字でも保全されている。ただし、この「越」が、兵法用語「越す」にからむとなると、やはり、「二の越」では、明らかに意味にズレが生じるのである。「二の越」は二次的な当て字だからである。
 我々のテクストは、「二のこし」を「二の重〔こし〕」として、これを復元したのものである。これもまた、この読解作業におけるテクストクリティークの一例である。要は、「二の越」などという語句はオリジナルにはなかった、これは武蔵によって「二のこし」と書かれたもので、本来は「二の重」の意味だったのである
 なお、この件の現代語訳に関連していえば、あろうことか、既成訳はたいてい「二のこし」について「二の腰」と誤訳している。
 これはどこから生じた誤謬かと云えば、戦前の岩波版五輪書(高柳光壽校訂)が、この「こし」に「(腰)」と傍注している、そのあたりが起源であろう。高柳は「二の越」とする写本が多数あるのも知らなかったとみえる。かくして、岩波版五輪書において、細川家本の「二のこし」の「こし」に、「腰」という漢字をあてがってしまったのである。しかるに、戦前戦後を通じて五輪書現代語訳はすべてこれに準拠し、「二の腰」と誤解する仕儀になってしまったのである。
 しかし、そもそも「二の腰」は明らかに間違いで、「腰」という解釈は、文脈からして何の根拠もない。これが「こし」だとするかぎりは、諸写本が当て字した「越」の方がまだしもである。もとより、既成現代語訳の「二の腰」は論外である。

 もう一つ校異の問題を取り上げると、本条末尾、筑前系諸本に、
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
とあって、《おしへを》として「を」字を入れるところ、肥後系諸本の中には、楠家本や細川家本のように、この「を」字を欠くものがある。
 しかるに、同じ肥後系でも、丸岡家本や富永家本など、この「を」字を保全しているものがある。したがって、この「を」字を欠く事態は、肥後系早期のものではなく、二次的な派生以後の脱字である。
 しかるに、従来の五輪書校訂本では、これを全く無視して、むしろ、ここに「を」字の脱字があるということすら認識していない。これは、肥後系(とくに細川家本)中心主義的な見方としては当然の帰結であって、まともに諸本を校合するという基本的作業を怠った結果である。
 これを看過している五輪書校訂本は、その意味において失格である。同じ肥後系でも、丸岡家本・富永家本・田村家本などにこの「を」字を保全していることさえ認識していないようでは、肥後系中心主義どころか、細川家本中心主義という偏向を露呈しているのである。
 これは言わずもがなの些細な校異であるが、従来の五輪書校訂におけるそうした偏向を示す典型として、ここに指摘しておく。

――――――――――――

*【吉田家本】
二のこしの拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我うつとミせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二のこしの拍子也》
*【伊丹家甲本】
二のこしの拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二のこしの拍子也》
*【赤見家丙本】
二の越の拍子の事。二の越の拍子、(中略)我うつと見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二の越の拍子也》
*【近藤家甲本】
二の越の拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我うつと見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二の越の拍子也》
*【石井家本】
二の越の拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我うつと見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二の越の拍子也》
*【楠家本】
二のこしの拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我打と見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところを打、是二のこしの也》
*【細川家本】
二のこしの拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我打とミせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところを打、これ二のこしの也》
*【丸岡家本】
二の越の拍子の事。二の越の拍子、(中略)我打と見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむ處を打、是二の越のなり》
*【富永家本】
二の越の拍子の事。二のこしの拍子、(中略)我打と見せて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむ所を打。是二のこしのなり》





越屋根




岩波旧版五輪書 昭和17年
「こし」を(腰)と傍注



*【吉田家本】
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
*【伊丹家甲本】
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
*【赤見家丙本】
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
*【近藤家甲乙本】
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
*【石井家本】
《おしへうけてハ、忽合点のゆく所也》
*【楠家本】
《おしへ【】うけてハ、忽合点のゆく所也》
*【細川家本】
《おしへ【】うけては、忽合点のゆく所也》
*【丸岡家本】
《教受ては、忽がてんの行所也》
*【富永家本】
《教へ請てハ、【】合点のゆく處なり》

 この「二のこし」については、肥後兵法書にも記述がある。前に見た「拍子の間を知ると云事」である。そこでは、
 ――心おそき敵には、太刀相になると、我身をうごかさず、太刀の起りを知らせず、早く空にあたる、これが一拍子である。(他方、)敵の気がはやいばあいには、我身と心を打ち、敵の動きのあとを打つこと、これを二のこしと云うのである、と。
 こうしてみると、一拍子は、敵が「心おそき」相手のばあい、二のこしの拍子は、敵が「氣はやき」相手のばあい、と使い分けるような話である。これは一応納得できることだが、では、五輪書は、そういう話の筋かというと、そうでもない。
 前にも述べたように、一拍子は、相手の不意を衝いてこちらが早く懸るという、縣の先である。敵がおそいかどうかは、五輪書には言わないことである。あえていえば、敵が「心おそき」相手というよりも、不意を衝きやすい相手ということであろうが、それも打ってみないことにはわからない。
 これに対し、二のこしの拍子は、五輪書では、敵の気がはやく、打つと見せれば、すぐに張ったり引いたりして反応する相手である。したがって、五輪書にそう書いているから、肥後兵法書は、一拍子の方は、逆に「心おそき」相手という場合だろうと拡大解釈をしてしまったようである。ただし、そんな分類は五輪書の記述にはない。
 つぎに、その二のこしはどんなことかと、肥後兵法書をみれば、「我身と心を打ち、敵の動きのあとを打つこと」とあるだけであって、具体的な説明はない。とくに、五輪書がいうところの、「打つと見せかけて、敵が張って(一瞬)弛むところを打ち、引いて弛むところを打つ」という肝腎の記述がまったく脱落している。これだと、「二のこし」のことを語ったことにはならないのである。
 それゆえ、この二のこしの拍子に関して、「我身と心を打ち、敵の動きのあとを打つこと」とする肥後兵法書の記述は、逸脱しているというよりも、記述に不足がありすぎて、何も言っていないに等しい。肥後兵法書は、どうやら「二のこし」について伝承がなかったようで、その肝腎を理解していないのである。この点、諸君の注意を喚起しておきたい。
 二のこしの拍子を語る五輪書の方では、心と身体の動きは、太刀(手)と同時ではない。前条の「一拍子」が、身体と心に何の気配も見せずに、先に手が動いたのに対し、ここでは、まず「我身と心を打ち」、つまり身体と心に攻撃の気配を見せる。この攻撃擬態に反応して敵が動く、その一瞬後弛みを捉えて打つ、ということである。
 したがって、「一拍子」が先制攻撃(preemptive attack)なら、二拍子の「残し」は言わば「後制」攻撃(post-emptive attack)なのである。前者が機先を制するのに対し、後者は言わば「機後」を制する。武蔵の思考は明晰であり、解説は構造的に明解である。   Go Back




*【肥後兵法書】
《 拍子の間を知ると云事
一 拍子の間をしるハ、敵により、早きもあり、遅きもあり、敵にしたがふ拍子也。心おそき敵には、太刀相になると、我身をうごかさず、太刀の起りを知らせず、早く空にあたる、是一拍子也。敵氣はやきには、我身と心を打、敵動きのあとを打事、是二のこしと云也》


 
   17 無念無相の打ち
【原 文】

一 無念無相の打と云事。
敵もうち出さんとし、我も打ださんとおもふとき、
身もうつ身になり、心も打心になつて、
手ハ、いつとなく、空より後ばやに強く打事、
是無念無相とて、一大事の打也。
此打、たび/\出合打也。
能々ならひ得て、鍛錬有べき儀也。(1)

【現代語訳】

一 無念無相の打ちという事
 敵も打ち出そうとし、自分も打ち出そうと思う時、身も打つ身になり、心も打つ心になって、手は何時となく、空〔くう〕から遅ればせに、強く打つこと。これが無念無相といって、(我が流派では)重要な打ちである。
 この打ちは(さまざまな状況で)度々使える打ちである。よくよく習得して、鍛練あるべきことである。
 
  【註 解】

 (1)無念無相の打
 ここに無念無相という語句がある。ところで、この「無相」というのは「無想」ではないか、「無念無」ではなく「無念無」ではないかという質疑もあるが、これは、「無念無相」でよい。というのも、慧能の『六祖壇経』に「無住為本、無相為體、無念為宗」というテーゼがあって、「無相」を體となすと記すように、禅家では「無念無相」という。武蔵の知的文化的なバックグラウンドからして、ここは、「無想」ではなく、「無相」なのである。
 しかし、無念無相の打ち――である。さてさて、このあたりから、なんとなく神秘主義的な雰囲気が出てきて、いわばオリエンタリズムの好餌となる。何となく解ったようで解らない、茫漠とした気分というのが味噌である。
 諸流のうちには、無想流、無相流、無念流なる名を称するものもなきしもあらず、そういうところからすると、無念無相は、近世ことさらに愛好された語だったようである。
 武蔵もまた、此条において、《是無念無相とて、一大事の打也》と述べているのだから、これは重要なことなのである。しかも、他流、たとえば、時中流の伝書「諸流極意秘傳之巻」(享保十六年)などには、
一 青木休心居士ハ、常極眞ト察切
一 神明武藏ハ、無念無相ト打
一 戸田流ニハ、保論苔之長 短一身ト秘傳ス
一 柳生流ニハ、棒心清江水ト秘傳
一 一刀流ニハ、近代四ツノ切トテ秘スレ共、現在目ニ見ユル業太刀也
一 新影ニ、文五郎扇團ト秘メ、脇指ノ時左ニ扇又ハ何ニテモ持也
一 微塵流ニハ、大八相ノヒシキ打トテ秘傳ス
 此外諸流家々ニ秘傳有トイヘ共、皆ハマグリノグリハマニテ、凡同ジ。
とあって、時中流の祖・青木休心をはじめ、諸流の秘伝を列挙するなかに、「神明武藏」の秘伝として、ほかならぬ無念無相の打ちを挙げているのもおもしろい。
 ようするに、「神明武藏」は無念無相の打ちだというのは、武蔵流の数ある教えのうち、世間では、これが武蔵の極意秘伝として有名になっていたのである。
 しかし、《是無念無相とて、一大事の打也》とは言っても、五輪書の教えからすれば、無念無相は、極意秘伝というような、そんなミステリアスなことではない。あきらかに、もっと明確な話なのである。
 ようするに、身も打つ身になり、心も打つ心になって、手は、何時となく、空〔くう〕から遅ればせに強く打つ、というところがポイントである。身も心も打つ気になっているのに、肝心の手の方は、いつとはなく「空から」遅ればせに動くという。ここが武蔵の教えの妙味である。
 しかし、ここでまず注意したいのは、これが最近までよく言われていた「一致」テーゼとは逆の、「分裂」テーゼを背景にしているということだ。すなわち、心気体の一致、気剣体の一致、心技体の一致、眼意足の一致、心形刀の一致…というような、一致論、三要素一体論があったが、それとはまったく違う「分裂」テーゼである。
 この三要素一致テーゼの方は、近世後期から言われはじめた新しい観念である。この一致論への言説の転換は、幕末のあたりと特定しうる。それ以前には、むしろ逆に、右掲のごとき「心氣體の三つをつかい分ける」といった分析的な考えが基本であった。
 このことを念頭において、ここでの武蔵の教えを読まねばならない。つまり、一致論から読めば間違うことがある。ここは徹底して武蔵の教えを分裂テーゼとして読む必要がある。
 すなわち、まず第一に、身心と手が分裂している。ただ分裂しているだけではない。その分裂(splitting)において、分裂構造が尋常のものではない。これがふつうなら、分裂するのは、心と身体(手)である。心身二元論ならそういうことになる。ところが、武蔵の分裂構造は、身心と手の分裂なのである。
 第二に、手が「いつとはなく、空から、遅ればせに」動くという点である。
 ふつうなら、「空」にする(なる)のは心の方である。だから「無心」ということを強調する。ところが、武蔵は逆のことをいう。身心が打つ気でいるが、手が「空」だというのが無念無相だとするのである。
 たとえば、柳生宗矩『兵法家伝書』には、
《手足身に所作はありて、心になくなり、習をはなれて習にたがはず、何事も、するわざ自由也。此時は、わが心いづくにありともしれず》
とある。いわゆる無心の境位である。
 すなわち、――さまざま修行をし尽くして、修行が稽古の効果を蓄積すれば、手足身体に動作はあっても、心には動作がなくなり、修得したことが念頭を去っても修得したに違背せず、どんなことでも、する動きが自由自在になる。こうになると、自分の心がどこにあるかもわからなくなり、天魔外道でさえ、我が心を窺い知ることはできないのである。ようするに、このレベルまで達するための修行である、云々。
 これは心を空にするという論理だが、武蔵の方は、先ほど見たように、身も心も先に行っているのに、手は遅れて、「いつとはなく、空から」動くのである。
 こういうあたり、ほんの僅かの差異、紙一重の違いで、同じ無念無相といっても、武蔵のそれは他と異なるのである。むろん、従来の読み手はだれもそんな差異に注意せず、他と同類の無念無相だと錯覚してきたわけだから、我々のこういう指摘が必要なのである。
 武蔵の無念無相は、たんなる無心ではなく、いわば道元の「身心脱落」というテーゼに近いのである。道元の身心脱落がいかに従来の禅思想史のなかでユニークな突出したものであったか、それが単に「空」や「無心」を語る思考とはいかに違っていたか、そのことは少しは理解されている。ところが、武蔵の無念無相は、通俗的解釈のなかで手垢にまみれている、というぐあいなのである。

 それゆえここでは、内在的分析を通して、この「無念無相」を解析してみることにする。前々から引用している肥後兵法書の「拍子の間を知ると云事」の当該部分、無念無相のことを述べるところがある。
 それを見るに、肥後系伝書のみならず、尾張円明流や三河武蔵流の伝書に至るまで、たいていの写本には、これが無念無「想」とあって、そのことからすると、肥後兵法書初期の段階ですでに無念無「想」と記していたものらしい。五輪書の「無念無相」に沿わない字句である点、肥後兵法書はやや杜撰な発足であったようである。
 そのように、この無念無「想」という字句は、肥後兵法書に特徴的な伝承崩れであるから、これを無理に五輪書に合わせて訂正する必要はないし、その意味もない。「無念無」は、武蔵なら書かない字句であるから、そのままにしておくべきである。
 それはともかくとして、肥後兵法書では、見かけは少しだけだが、実際は説き方がかなり違っている。たとえば、
《又、無念無想と云は、身を打やうになし、心と太刀ハ殘し、敵の氣の間を、空よりつよく打つ、是無念無想也》
 つまり、ここでは、分裂するのは、
    身 × 心と太刀(手)
であって、それは五輪書の、
    身と心 × 手(太刀)
という分裂構造とは異なる。心のポジションが五輪書では身の方にあるのに対し、肥後兵法書では、太刀(手)の方へ移項しているのである。
 ここで改めて肥後兵法書をみると、前項「二のこし」には、《我身と心を打ち》とあって、残すのは太刀であり、「無念無想」の項には、《身を打やうになし、心と太刀は殘し》とあって、前述のように、残すのは心と太刀である。
 したがって、五輪書の「無念無相」は、肥後兵法書の「二のこし」の打ちと、形式上は相似である。ここから言えることは、肥後兵法書の祖述には混乱があるということである。五輪書の教説を見直し自身の解釈で再構成しているというよりも、そもそも五輪書を理解していないのである。
 上に見たように、無念無相の打ちに関して、肥後兵法書の段階では、心は太刀(手)の項にあるのだが、もともと五輪書では、心は身の項にあり、身心を一つにして、手(太刀)を空から動くものとする。――すなわち、心は動にして不動だということではなく、心は分裂の二項間を動くことによって、ポジションが「空」なのである。
 五輪書では、手(太刀)を空に、太刀を残す、という点が強調される。そうして、通俗的な「残心」テーゼから離脱している。武蔵は、このようにして禅思想のディスクールに一般的な「無心」というクリシェを、わざと避けているふしがある。
 ただ、通俗観念に染まった者には、「心と太刀は残せ」といった方が理解しやすいのであろう。肥後兵法書はその境位にある。逆に、五輪書のように、身も心も打つ気になって、しかし手(太刀)は気にするな、遅ればせでよい、と言うことで、難解になるのではない。むしろ、初心または非熟達者にとっては、その方が理解しやすいかもしれない。
 すでに指摘してあるように五輪書は、説き方が懇切である。少なくとも、なるべく理解しやすいように、という対機説法なのである。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 




*【六祖壇経】
《若一念斷絶法身、即是離色身。念念時中、於一切法上無住。一念若住念念、即住名繋縛。於一切法上念念不住、即無縛也。以無住爲本。善知識、外離一切相、是無相。但能離相性體是清淨。是以無相爲體。於一切鏡上不染名爲無念。於自念上離鏡、不不於法上念生。莫百物不思、念盡除却、一念斷、即無別處受生。學道者用心、莫不息法意、自錯尚可更勸他人、迷不自見迷、又謗經法。是以立無念爲宗》(敦煌本)




諸流極意秘傳之巻






吉田家本










*【兵法家伝書】
《様々の習をつくして、習、稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はありて、心になくなり、習をはなれて習にたがはず、何事も、するわざ自由也。此時は、わが心いづくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかがひ得ざる也。此位にいたらん為の習也》




道元禅師像 永平寺蔵



*【肥後兵法書】
《心おそき敵には、太刀相になると、我身をうごかさず、太刀の起りを知らせず、早く空にあたる、是一拍子也。敵氣はやきには、我身と心を打、敵動きの跡を打事、是二のこしと云也。又、無念無想と云は、身を打やうになし、心と太刀ハ殘し、敵の氣の間を、空よりつよく打つ、是無念無想也》(拍子の間を知ると云事)



個人蔵
三河系伝書 武蔵流五七巻
「無念無想」当該箇処

 なお、既成現代語訳に関していえば、それらの障害はやはり、《手は、いつとなく、空より後ばやに強く打事》という箇処にあるらしい。いろいろ誤訳がならんでいる。
 戦前の石田訳は、「空より」を意訳しているが、これは戦後の諸訳よりも的外れではない。ただし、《後ばやに》を「その後は機敏に」としているところを見ると、この語の意味を知らなかったようである。現代語でいえば《後ばやに》とは「遅ればせに」という意味である。
 戦後になると誤訳は著しくなった。まず神子訳は、《いつとなく空より》を「きわめて自然に」と意訳したのだが、これは「超訳」にすぎて、脱線である。そして《後ばやに》の語訳も、「加速をつけて」と、すばらしく脱線してしまった。《後ばやに》は、後になると速く、の意味ではないか、するとこれは加速(acceleration)だと、――そんな勝手な思いつきで、こんな語訳に及んだものらしい。「後ばや」が「おくればや」と読むものだとは知らない。古典の素養がない素人の誤訳である。
 続いて大河内訳は、まったく文言が同じで神子訳のパクリである。次の鎌田訳は、神子の「加速をつけて」はあんまりだと思ったのか、別になんとかしようとしたようすだが、「すばやく敵の気の間を」という訳の分らぬ珍訳を示している。むろんこれは独自の工夫ではない。岩波版注記が、何のコメントも付さず、ここに兵法三十五箇条の「拍子の間を知ると云事」の一節を引用しているのだが、それを見たらしい。そこに「敵の気の間を、空よりつよく打つ」とあるのを、ここにそのまま転記したのである。
 これは鎌田訳の杜撰なスタンスを示す事例である。何の工夫もせずに岩波版注記を流用するのだが、その極みはこれである。神子訳は《後ばやに》を誤訳しただけだが、鎌田訳は五輪書とは違う文書の文言を誤用したのである。
 以上は、既成現代語訳のレベルを示すものである。これまで語訳は、こういうレベルに低迷してきたのである。   Go Back




*【現代語訳事例】
《手はいつとなく無意識に振り上げて、その後は機敏に打つのが》(石田外茂一訳)
《手はきわめて自然に、加速をつけてつよく打つのである》(神子侃訳)
《手は自然に、加速をつけて強く打つ》(大河内昭爾訳)
《手は自然に、すばやく敵の気の間を、空よりつよく打つのである》(鎌田茂雄訳)

 
   18 流水の打ち
【原 文】

一 流水の打と云事。
流水の打と云て、敵あひに成て、せりあふ時、
敵、はやくひかん、はやくはづさん、
早く太刀をはりのけんとする時、
我身も心も大になつて、
太刀を、我身の跡より、
いかほどもゆる/\と、
よどミの有様に、大に強くうつ事也。
此打、ならひ得てハ、たしかにうちよきもの也。
敵の位を見分事、肝要也。(1)

【現代語訳】

一 流水の打ちという事
 流水〔りゅうすい〕の打ちというのは、敵合(敵相)になって競り合う時に、敵が早く引こう、早く外そう、早く太刀を張りのけようとする時、こちらは身も心も大きくなって、太刀を我が身の後から、いかほどもゆるゆると、淀みのあるように、大きく強く打つことである。
 この打ちを習得すれば、たしかに打ちやすいものである。
 (以上四つの「間の拍子」については)敵の位〔態勢〕を見分けることが肝要である。
 
  【註 解】

 (1)いかほどもゆる/\と、よどミの有様に
 この流水の打ちは、意図して遅れるという拍子である。早いばかりが拍子ではないことは、武蔵の再三説くところであるが、その極みはこの「流水の打ち」である。
 流水の打ちという「流水」とは、正確には「流水の淀み」のことである。「流水」といえば、「淀み」という反対物が連想される。その反対物の連想を織り込んだ、一種の省略語法であり、「淀み」といわずに、逆に「流水」という反対物を表に出すという言語遊戯が行使されているわけだ。
 「流水」の打ちとは、実は「淀み」の打ちだという戯れである。五輪書に「流水の打」と記しているところをみると、武蔵生前すでに、この「流水」という省略語法が流派内用語として定着していたようである。
 かくして、「流水の打ち」とは、一部解説書にあるごとく、水の流れるようにスムースに打つ、ということでは決してない。逆である。ここでは「淀み」、できるだけ遅く、ということがポイントなのである。
 これは、先ほどの「二のこしの拍子」の打ちと前提が似ている。その二つの「こし」(二重)の打ちとは、
《我うちださんとするとき、敵はやく引、はやくはりのくる様なる時は、我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ》
ということであった。これに対し、この流水の打ちは、
《敵合に成て、せりあふ時、敵はやくひかん、はやくはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大になつて、太刀を我身の跡より、いかほどもゆる/\と、よどミの有様に、大に強くうつ事也》
ということなのである。どちらも敵は早く反応する相手だが、流水の打ちの方は、敵合(敵相)になって競り合っていて、敵が引く一瞬をとらえて攻勢に出る攻撃である。
 ところがこの攻勢は、素早く一気にどっと出るという常識とは逆に、できるだけゆっくりと淀みのあるように、緩慢に出ろという教えなのである。そのときの気持は、身も心も大きくなって、太刀を我が身の後から、ゆるゆると淀みのあるように、大きく強く打つことである。
 このように、太刀はゆっくりと《我が身の後から》打つという感じは、よく解るところである。これはまた、先ほどの無念無相の打ち、《空より後ばやに》という文言と呼応する内容である。ただし、無念無相の打ちが、躰々になって懸ってくるアグレッシヴ(攻撃的)な敵が相手であるのに対し、流水の打ちの方は、敵は、引いたり外したりするディフェンシヴ(防衛的)なポジションである。つまり「敵の位」が違うのである。
 最後に、《敵の位を見分る事、肝要也》とある。ここには、しかし、「能々分別有べし」とか、「能々工夫すべし」とか、そういう結語はない。何やら書き残しがありそうで、武蔵が書かずに終った文言があるようである。未定稿の徴しがここにある。
 ところで、この敵の「位」とは、敵のポジション、つまり態勢のことである。つまり、不意を衝きやすい相手か、気が早くてすぐ弛む相手か、あるいは、張り合ってくるアグレッシヴ(攻撃的)な相手か、それとも引きがちなディフェンシヴ(防衛的)な相手か、そういう敵の態勢(positions)を見分ける事が肝要だということである。
 したがって、《敵の位を見分る事、肝要也》という一行は、この「流水の打」だけのことではない。これより前の、「一拍子」「二のこし」「無念無相」の三条も含めた総括的な要約なのである。
 なるほど、以上、本条を含めて、四つのパートになっているが、肥後兵法書では「拍子の間を知る」というテーマで、一箇条にまとめている。両者の対応関係を整理すれば、以下のごとし。
○此条諸本参照 →  異本集 







流水の淀み 高千穂峡
宮崎県高千穂町

























*【肥後兵法書】
《 拍子の間を知ると云事
一 拍子の間をしるハ、敵により、早きもあり、遅きもあり、敵にしたがふ拍子也。(以下、下記掲載)》
敵の位 五 輪 書 肥後兵法書
不意の
隙あり
(1)一拍子
敵を打拍子に、一拍子と云て、敵我あたるほどの位を得て、敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、いかにも早く、直にうつひやうしなり。敵の太刀ひかん、はづさん、うたん、と思ふ心のなきうちを打拍子、是一拍子也。
(1)一拍子
心おそき敵には、太刀相になると、我身をうごかさず、太刀の起りを知らせず、早く空にあたる、是一拍子也。
早いが
たるむ
(2)二のこしの拍子
我うちださんとするとき、敵はやく引、はやくはりのくる様なる時は、我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ、これ二のこしの拍子也。
(2)二のこし
敵氣はやきには、我身と心を打、敵動きの跡を打事、是二のこしと云也。
攻撃的
(3)無念無相の打
敵もうち出さんとし、我も打ださんとおもふとき、身もうつ身になり、心も打心になつて、手は、いつとなく、空より後ばやに強く打事、是無念無相とて一大事の打也。
(3)無念無想
又、無念無想と云ハ、身を打やうになし、心と太刀ハ殘し、敵の氣の間を、空よりつよく打つ、是無念無想也。
防衛的
(4)流水の打
敵合に成て、せりあふ時、敵、はやくひかん、はやくはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大になつて、太刀を我身の跡より、いかほどもゆる/\と、よどみの有様に、大に強くうつ事也。
(4)おくれ拍子
又、おくれ拍子と云ハ、敵太刀にてはらんとし請んとする時、如何にも遲く、中によどむ心にして、間を打事、是おくれ拍子也。
 両者を対応させてみると、肥後兵法書も、一拍子、二のこし、無念無想とあって、順序は同じであるが、ただ名称の点で、五輪書では第四を「流水の打ち」としているのに対し、肥後兵法書では、「おくれ」〔後れ〕の拍子と名を変えている。
 「流水の打ち」の「流水」とは、前にも述べたように「流水の淀み」という語句の省略語法である。正確には「流水」の打ちというより「淀み」の打ちということである。だから、後出の「紅葉の打ち」等々と同様、武蔵はここで、すこし言葉遊びをやっているということである。
 肥後兵法書の「おくれ」という表現は、「流水の打ち」では誤解を生じやすいと考えて、これを修正してしまったのである。武蔵の文芸的な遊興性が消去されている。何事も後には窮屈になるもののようである。
 しかし、問題は、ここに肥後兵法書が示しているように、これら四つを「拍子の間を知ると云事」で括れるか、ということである。肥後兵法書は、無念無想にも、《敵の氣の間を、空よりつよく打つ》として、新義を示しているし、流水の打ちに対応する「おくれ拍子」についても、《如何にも遲く、中によどむ心にして、間を打事》として、「間」の拍子を打つという新解釈を提示している。
 しかし、五輪書の教えに明らかなごとく、無念無相の打ちと流水の打ちは、「間」の拍子がテーマだとは言えない。こちらは、敵の位がアグレッシヴか、ディフェンシヴかによって、打ち方が違うという教えなのである。
 無念無相の打ちは、敵の位がアグレッシヴであるとき、《身もうつ身になり、心も打心になつて、手は、いつとなく、空より後ばやに強く打事》であって、「間」の拍子ではない。むしろ、いわば「空」の打ちである。あるいは、流水の打ちは、敵の位がディフェンシヴであるとき、《太刀を我身の跡より、いかほどもゆる/\と、よどみの有様に、大に強くうつ事》であって、これも「間」の拍子ではない。
 「間」の拍子といって適切なのは、一拍子と二のこしの拍子である。一拍子は、《敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、いかにも早く、直にうつ》拍子であり、《敵の太刀ひかん、はづさん、うたん、と思ふ心のなきうちを打つ拍子》である。不意の隙間に付け込んで先をとるのである。また、二のこしの拍子は、《我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、引てたるむところをうつ》拍子である。これも、敵の拍子を攪乱して相手が弛む瞬間に付け入るのであるから、「間」の拍子と云ってよい。
 ようするに、前者では、敵の反応以前に付け入り、後者では、敵の反応後に付け込む。その「間」の拍子について五輪書は教えている。ただし、これは「間」の拍子であって、拍子の「間」ではない。この点も、肥後兵法書の語法には問題がある。
 また、前に述べたように、これが敵の位において、心が遅いか、気が早いか、ということではない。敵の心が遅いのではなく、不意打ちをこうむる隙があるということであり、敵の気が早いのではなく、早くてもすぐ弛む隙があるということである。
 したがって、以上のことからすれば、肥後兵法書に「拍子の間を知ると云事」でこれら四つを括るというのは無理がある。道理がない。もしこれら四つを括るというのであれば、それは敵の位ということである。敵の位はそれぞれ異なるから、それに応じた拍子や打ちがあるという教えである。こうしたことは、五輪書の記述を、無構造に、起伏なくベタに読んでいては、看取できないことである。

 余談になるが、既成現代語訳を見るに、最後の《敵の位を見分る事、肝要也》のあたり、どうも「敵の位」という語が躓きの石であったようである。この語がきちんと理解されずに、翻訳がなされてきたのである。
 武蔵は、ここまでの四段について、総括的にこの注意を促しているのである。これは独立した一行である。それを読めないのは、「敵の位」というキーワードを理解していないからである。
 戦前の石田訳は、敵の「位」という語を、敵の「形勢」と訳して、誤訳の皮切りになったが、これは戦後の諸訳に較べれば、まだ、語訳への努力がみられる。
 神子訳は、「敵の位」について、「敵の位置、力量」と訳して、この語を理解していないことを露呈している。言うまでもないが、「敵の位」とは、上述のごとく、敵の四つのポジションのことである。この点では、戦前の石田訳の方がまだしもマシである。戦後になって語訳能力が後退したのである。
 神子訳が出た後の大河内訳は、何の工夫もなく、神子訳をそっくり頂戴したにすぎない。同じく鎌田訳は、神子訳の「位置、力量」という訳語の「位置」だけを頂戴している。これは「位」を位置の意味と勘違いしたのか、いづれにしても、「敵の位」という語句がわかっていないのであって、ここでも訳者として力量不足であることを隠さない。   Go Back










全生庵蔵
三十五箇条之書
「拍子の間を知ると云事」























*【現代語訳事例】
この打ちをするには敵の形勢を見分けることが肝要である》(石田外茂一訳)
この際、敵の位置、力量をよく見わけることが大切である》(神子侃訳)
この場合、敵の力量や位置をよく見分けることが肝要である》(大河内昭爾訳)
このとき、敵の位置をよく見わけることが肝要である》(鎌田茂雄訳)

 
   19 縁の当り
【原 文】

一 縁のあたりと云事。
我うち出す時、
敵、打とめん、はりのけんとする時、
我打一つにして、あたまをも打、
手をも打、足をも打。太刀の道ひとつをもつて、
いづれなりとも打所、是縁の打也。(1)
此打、能々打ならひ(得てハ*)、何時も出合打也。
さい/\打合て、分別有べき事也。(2)

【現代語訳】

一 縁〔えん〕の当りという事
 こちらが打ち出すと、敵は打ち留めよう、張りのけようとする、その時、こちらは打ち一つで、頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。太刀の軌道一つで、どこなりとも打つところ、これが縁の打ちである。
 この打ちは、よくよく打ち習い(得れば)、どんな場合でも使える打ちである。何度も打ち合って(練習し)、分別しておくべきことである。
 
  【註 解】

 (1)太刀の道一つをもつて、いづれなりとも打
 自分が打ち出して、敵が打ち留めよう、張りのけようとする時、こちらは打ち一つで、頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。太刀の軌道は一つで、どこなりとも打つ。こういう打撃法が「縁の打ち」であるという。
 太刀の軌道は一つで、どこなりとも打つというのは、打つ場所によって太刀筋が異なるのでなく、同じ軌道でどこへでも打つということである。野球の打者が、狙いを定めるより先にバットを起動させ、高低左右どこでも打つというのと近いかもしれない。
 しかし、これがどうして「縁の打ち」というべきものか、となると、解釈は異なってくるだろう。
 たとえば、これが次の攻撃へ展開する機縁となるから「縁の打ち」だという理解もある。しかしこれは間違いである。そんなことは、どこにも書かれていない。
 ようするに、太刀の軌道一つで、どこなりとも打つ、という字義通りのことが、ここでのポイントなのである。このとき自分から、頭、手、足、身体のどこを狙って打つというのではない。どこをヒットするかは、相手の出方次第なのである。だから、自分では意図しないが、当る場所は「相手次第」だということで、「縁の当り」というタイトルなのである。
 武蔵は後出の別のところで、「打つ」と「当る」は違う、両方を区別する必要がある――と語っている。しかし、こういう打ちになると、「縁の打ち」といっても「当り」に近い。そこで、「縁の当り」という。繰り返せば、ようするに、ポイントは、《太刀の道一つをもつて、いづれなりとも打》、つまり、太刀の軌道は一つで、どこなりとも打って当てる、ということである。
 ところが一方、肥後兵法書では、右掲のような「縁の当り」の記述がある。よく読めば分ろうが、話は、五輪書の教えとはかなり違っている。
 つまり、「縁の当り」というのは、敵が太刀で切かかってくるさい、間合いが近い時は、我が太刀で張ることもあり、受けることもあり、当ることもある。受けるも張るも当るも、敵を打つ太刀の縁だと思うべし。切るも外すも突くも、すべて打たんがためだから、我身も心も太刀も、常に打つというアグレッシヴな心持である、云々。
 これは、肥後兵法書が、五輪書の教説からの逸脱を見せているところである。肥後兵法書は、寺尾求馬助の門流で生じたものである。武蔵の教義が反芻されるうちに、変質を結果したのも当然である。
 この箇処について言えば、もともと五輪書の方は、太刀の軌道は一つで、どこなりとも打って当てる、というのが「縁の当り」である。ところが、肥後兵法書では、その《太刀の道一つをもつて》という肝腎なポイントが脱落しているのである。
 そもそも、武藏が五輪書でいうところは、意図と結果というリニアな「因果」関係(causality)の切断である。この意図と結果の因果連関に介在するのが、相手の動きである。この偶発的な「縁」によって「因果」が実現する。そこでは、結果的にどこを打撃するかは、その被害者自身がもたらした縁によるのである。
 このあたり、武蔵という思考は、なかなか食えない、一筋縄ではいかないところがある。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 




近藤家乙本




*【肥後兵法書】
《 縁のあたりと云事
一 縁の當りと云ハ、敵太刀切かくるに、其間〔あひ〕近き時ハ、我太刀にて張ることもあり、うくることもあり、あたることもあり。うくるも、はるも、あたるも、敵を打太刀の縁と思べし。きるもはづすもつくも、皆打ん爲なれバ、我身も心も太刀も、常に打たる心也。能々吟味すべし》

 
 (2)さい/\打合て、分別有べき事也
 まず、字句校異の問題だが、筑前系/肥後系ともに諸写本は、《此打、能々打ならひ、何時も出合打也》としている。このばあい、「打ならひ」では、「何時も出合打也」という次への接続の具合が悪い。
 しかし、これは筑前系/肥後系とも諸写本にほぼ共通するところである。ただし例外もある。越後石井家冊子本である。同家の巻子本は、諸本と同じく《此打、能々打ならひ》とするのであるが、冊子本は、《此打、能々習ひ得てハ》として、しかも、「得てハ」の三文字に朱点を付して、誤記だという認識を示している。
 しかるに、これは書写において、ついそう書いてしまったものの、その誤謬には真実が内包されているのである。その誤写は、ここに脱字のあることを直指している。それがたとえば、「得てハ」の三文字ならば、この不通の文意も通るようになる。
 他方、《打ならひ》は、筑前系/肥後系とも諸写本にほぼ共通する文言なので、おそらく寺尾孫之丞段階における誤記であろう。おそらく、オリジナルは、《此打、能々打ならひ得ては、何時も出合打也》というような文言であったはずである。つまり、この打ちをよくよく打ちならえば、いつでも使える役に立つ打ちだよ、というわけである。
 したがって、《打ならひ》の次に脱字があったものとみなし、我々のテクストでは、「得ては」という三文字をその穴埋めの候補として、如上の修復を行っている。
 こうした修復の前例は、越後系石井家本の他に、肥後系の丸岡家本・田村家本の系統に、《打習バ》、《打習テハ》とする事例が見られるが、この部分の異常に気づいていた者もすでにあったということである。それぞれは、その異変に対応して、文字を宛行っているのだが、それはこの脱字を座視するよりまだマシである。
 我々もまた、この箇処に脱字あることを看過できず、その候補を考えていたのだが、たまたま越後で発掘した写本の文言に触発されたかたちで、これを「得ては」としたまでである。他によき文言があれば、その折に検討してみたいと考えている。
 さて、次の問題箇処に移る。
 これも字句校異の問題だが、「さい/\」とある箇所である。これは、文脈からして、「再々」、つまり、たびたび、何度も、繰り返し、ということである。しかるに、たとえば、細川家本には、
細々打あひて分別あるべき事也》
とある。この「細々」という字句について、細川家本を底本とする岩波版は、わざわざ「こまごま」とルビをふって、しかも脚注には、「しばしば。たびたび」と矛盾した語釈を示している。しかし「こまごま」とルビをふるのは、校註者の間違いである。諸本参照すればすぐに分ることだが、そもそも、「細々」とする細川家本が間違っているのである。
 岩波版がこういう次第なので、既成現代語訳には、これを「細々」(こまごま)とするものがある。これは誤謬の再生産である。
 「細々」とするのは、書写者が「さい/\」とある箇所を誤解して、「細々」と当て字してしまったのだが、この「さい/\」を「細々」と記す例は、細川家本のみにあらず。肥後系諸本には他にも例がある。富永家本は《細/\》とし、円明流系統の多田家本や稼堂文庫本にも《細々》とある。それゆえ、《細々》という表記は、後期写本の特徴だということである。
 とすれば、細川家本が「細々」とするところから、判明することは何か。それは、細川家本が、後期写本と同じ位相にあるということである。「さい/\」を「細々」と当て字するその写し崩れをそのまま継承しているのが細川家本なのである。そうした後発性の特徴を示す細川家本にもかかわらず、これを古型として信奉とする偏向がいまだに支配的である。困ったことに、それが五輪書研究の現状なのである。   Go Back



*【吉田家本】
《此うち、能々打ならひ【】》
*【赤見家丙本】
《此打、能々打ならひ【】》
*【近藤家甲乙本】
《此打、能々打ならひ【】》
*【石井家本】
《此打、能々打ならひ(得てハ)》
*【楠家本】
《此打、能々打ならひ【】》
*【細川家本】
《此打、能々打ならひ【】》
*【丸岡家本】
《此打、能々打習
*【田村家本】
《此打、能々打習テハ


石井家本 「得てハ」

永青文庫蔵
細川家本 「細々」

*【富永家本】 《細/\打合て》
*【多田家本】 《細々打合て》
*【稼堂文庫本】 《細々打合て》
*【山岡鉄舟本】 《細々打合テ》

 
   20 石火の当り
【原 文】

一 石火のあたりと云事。
石火のあたりハ、
敵の太刀とわが太刀と付合程にて、
我太刀少もあげずして、いかにも強く打也。
是ハ、足もつよく、身も強く、手も強く、
三所をもつて、はやく打べき也。
此打、たび/\打ならはずしてハ、打がたし。
能鍛錬をすれバ、つよくあたるもの也。(1)

【現代語訳】

一 石火の当りという事
 石火〔せっか〕の当りは、敵の太刀と我が太刀が触れ合うほど(接近した状態)で、我が太刀は少しも上げずに、できるだけ強く打つのである。
 これは、足も強く、身も強く、手も強く、三所*(さんしょ、足・身・手)をもって早く打つべきである。
 この打ちは、度々(繰り返し)練習しなくては、打つことはできない。よく鍛練をすれば、強く当たる(ようになる)ものである。
 
  【註 解】

 (1)我太刀少もあげずして、いかにも強く打也
 この「石火」は、「いしび」ではなく、「せっか」と読む。火打ち石を打って火花が散る、そんな一瞬のこと、それが一般的な意味であろう。和語の伝統的文脈では、刹那の果敢なさという語感もあった。《老少不定の世のなかは、石火の光にことならず》(平家物語 巻十)。道元の『普勧坐禅儀』にも《既に人身の機要を得たり、虚しく光陰を度ること莫れ。仏道の要機を保任す、誰か浪に石火を楽しまん。加以、形質は草露の如く、運命は電光に似たり》ともある。
 ここにあるごとく、現代人にも周知の「電光石火」という言葉がある。もともとは、禅家のいう「撃石火、閃電光」あるいは「閃電光、撃石火」という成語である。たとえば、『碧巌録』に《撃石火の如く、閃電光に似て、直下に一條の正路を撥開す》とある。
 五輪書の「石火」という語も、そのような禅家の文脈で当時流布していたと思われるが、武蔵の語の用法はそれとは異なっている。たとえば、沢庵の『不動智神妙録』に、こういう一節があった。
《石火の機と申事の候。是も前の心持にて候。石をはたと打と否や、ぴかりと出候火の如く、うつと其儘出る火なれば、間もすきまもなき事にて候、是も心の留まるべき間のなき事を申候》
 これが通常の石火という語の語られる背景である。とくに、「心の留まるべき間のなき事」とあるのは、しばしば禅問答に、間に髪を容れずの応答のあることからくる。「如何是仏」と問えば、即座に手をパンと打つ、といった類の話である。
 しかしこの「石火の当り」の条文を一読すればわかるように、武蔵は、そういう「心の留まらぬ」ことを教訓する禅家の文脈から、この「石火」という言葉を解放しているのである。ここでの話は比喩ではなく、もっと即物的である。
 すなわち、石火、そんな素早い一瞬の動きのことであるが、これを目にもとまらぬ早業というように読んでは間違いなのである。ここで焦点は、
  《我太刀、少もあげずして》
とあるところである。ふつうは、強く打つには、大きく太刀を振りかぶる、そうでなければならないはずだと思う。ところが、ここで武蔵が言うのは、少しも上げずに強く打つことである。そんなことができるのかと思うが、これができるのである。
 昔のことになるが、類似のことは大道芸でもあった。棒状の物――木刀か鉄棒か今となっては確かめようはないが――で、石を割るのである。そのとき、打ち手の棒はほとんど動かないのに、石が割れた。気合で割る、という感じであった。
 気合で割るといっても、それでは話を蒙昧化するだけである。ここはもっと端的な例、たとえば削岩機を想起すればよい。つまりこの機械の尖端で動くハンマーの運動幅はごく小さい。にもかかわらず、岩石を割り進む。運動幅はごく小さいが、ハンマーの速度とパワーが大きいのである。
 この石火の当りで云うところの《我太刀少もあげずして、いかにも強く打也》というのは、物理学的に言えば、要するに運動量は小さいが、運動エネルギーは大きい、という運動のことである。
 武蔵の言うケースは、接近戦で太刀と太刀とがしのぎ合う状態で、太刀を大きく振るなどできない場合である。「少しも上げずに」というのは、たとえば五寸(15cm)どころか、三分・五分(0.9cm・1.5cm)の運動幅でも、太刀は十分強く打てることである。
 つまりブーンと大きく太刀を振るのではなく、いわばガッという瞬時の動きである。そのためには身体の三處、つまり足も体も手も瞬時動員して、その僅かな運動幅の動きに最大限のパワーを発揮する。そのガッという動きが「石火」の動きである。
 これは空手の突きでも同じである。いわば、たとえ三分・五分の運動幅でも十分な打撃は可能である。突きは水平運動だが、太刀の場合は垂直運動、その場合でも大きな打撃力を発揮できるのである。それを武蔵は、《我太刀少もあげずして、いかにも強く打也》と書いているのである。
 なお蛇足とはいえ、一言加えるなら、このあたり、近代の武道家が「気」だの「丹田」だのと言いたがるが、武蔵は決してそんな説明はしないということは、強調しておかねばならない。武蔵の説明は一貫して、フィジカルなものである。それは言わば、近代のオリエンタリズムとは無縁の、物理学である。
 この石火の打ちについて、武蔵は、《足もつよく、身も強く、手も強く、三所をもつて、はやく打べき也》と記している。この三所は、足・身・手のことであるが、それを総動員して全身で打つというわけである。
 この「三所」〔さんしょ〕は、たんに三ヶ所という意味ではない。太刀・刀剣で、三所というのは、目貫・笄〔こうがい〕・小柄の刀装具三品をいうが、三所物〔さんしょもの〕というのは、それが完備していて、しかも同じ意匠、同じ作者であるものをいう。要するに、武蔵がここで「三所」という言葉を用いたのは、そういう三点セットの三所物のように、一体となって、という意味合いである。
 したがって、この「三所」は、たんに三ヶ所ということではなく、三つ一体に、という、武蔵流の三位一体論なのである。既成の語釈・語訳はどれもそれを知らないようだが、ここは、そんな含蓄まで、きちんと読みとるべきところである。

――――――――――――

 ここで、校異の問題である。それは本条最後の文に関することである。すなわち、筑前系諸本に、
《能鍛錬すれバ、つよくあたるもの也》
とあって、《鍛練を》とするところ、肥後系諸本は軒並み、この「を」字がなく、《鍛練すれば》という語句である。
 この相異は、筑前系/肥後系を截然と区分する指標的差異である。したがって、ここに取り上げておくべきところである。
 これについてまず云えば、筑前系諸本において、《鍛練を》として、「を」字を入れるのが共通するところである。石井家巻子本に「を」字を欠く例があるが、同家冊子本では「を」字を追補しているから、巻子本は明らかに脱字である。また同じ越後系の諸本は、すべてこれを《鍛練を》とする。したがって石井家巻子本の脱字は孤立例であり、越後系伝書は本来《鍛練を》としたものとみなしうる。
 このように《鍛練を》が筑前系諸本に共通することからすれば、筑前系初期からこれがあったものと思われる。既述のように、このケースでは、寺尾孫之丞前期の姿を伝えている可能性が高い。したがって、当初は、この《鍛練を》であったものとみえる。
 それに対し、肥後系諸本に「を」字を欠くについては、その経緯に二つ可能性がある。
 ひとつは、寺尾孫之丞後期、寺尾が伝授した五輪書の記述が、《鍛練を》とはせず、「を」字を欠いていたこと。このケースでは、寺尾孫之丞の時期による表記のゆらぎである。したがって、寺尾孫之丞の段階では、正しいのはどちらとも云えない。ただし、前に柴任へ伝授したのであるから、前期の文言の方を古型として採るべきであろう。
 また、この校異に関するもう一つの可能性は、寺尾の段階ではなく、その後の写本に脱字が発生したという可能性である。そのばあい、おそらく、門外流出後早期であろう。というのも、早期派生系統の子孫たる富永家本や円明流系統の諸本も同じく、「を」字を欠くかたちであるからだ。かくして、肥後系諸本においては、早期に発生したこの脱字をそのまま伝写伝播したのであり、現存写本は何れもその子孫である。
 ともあれ、この「を」字を欠く問題はそこまでであって、とくにこれを採るべき理由はない。寺尾孫之丞の当初は、《鍛練を》という方であったであろう。したがって、我々のテクストでは、ここを《鍛練を》として、「を」字の入ったものとしている。
 なお、ついでながら、この行文において、《能鍛練を》とあって「能」〔よく〕とするのだが、これを《能々》とする例がある。肥後系の富永家本や狩野文庫本他がそれであるし、また筑前系でも石井家本・神田家本・猿子家本その他がそれである。このケースは、かなり例が多いし、筑前系/肥後系を横断する事例である。だが、結論をいえば、これは偶発的な誤記である。
 そこで、この校異については、我々においてとくに問題とするに当たらない。だが、《能》が《能く》と送り仮名する例もある。そこで、これが《能/\》が化すケースもあることは、知っておいてよいのである。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 





*【普勧坐禅儀】
《既得人身之機要、莫虚度光陰。保任佛道之要機、誰浪樂石火。加以、形質如草露、運命似電光。倏忽便空、須臾即失》

*【碧巌録】
《不知、古人凡垂示一言半句、如撃石火、似閃電光、直下撥開一條正路》(第七則 法眼慧超問佛)

*【不動智神妙録】
《禅宗にて如何是仏と問へば、問声の未だ絶えざるさきに、手をはたと打べし、又如何是禅と問はゞ、こぶしを差上ぐべし、如何是仏法の極意と問はゞ、其声いまだ止まざるに、一枝梅花となりとも、庭前の柏樹子となりとも云べし、云事のよしあしを云ふにてはなし、留まらぬ心を尊ぶべし》




火打石と火打鉄〔ひうちがね〕
この火打石は瑪瑙




削岩機 昭和初期
別子銅山記念館蔵
















三所物 吉野龍田図大小揃金具
東京国立博物館蔵






*【吉田家本】
《能鍛錬すれバ、つよくあたるもの也》
*【伊丹家甲本】
《よく鍛錬すれバ、つよくあたるもの也》
*【赤見家丙本】
《能鍛錬すれバ、つよくあたるもの也》
*【近藤家甲本】
《能鍛錬すれバ、強くあたるもの也》
*【石井家本】
《能鍛錬()すれバ、つよくあたるもの也》
*【伊藤家本】
《能鍛錬すれバ、つよくあたるもの也》
*【楠家本】
《よく鍛練【】すれバ、つよくあたる物也》
*【細川家本】
《よく鍛練【】すれば、つよくあたるもの也》
*【富永家本】
《能/\鍛練【】すれバ、強く當るものなり》
*【狩野文庫本】
《能鍛練【】すれバ、能當者也》


伊藤家本 「能鍛練を」



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