武蔵の五輪書を読む
五輪書研究会版テクスト全文
現代語訳と注解・評釈

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五輪書 地之巻 3  Back   Next 


 
   4 兵法の道を大工に喩える
【原 文】

一 兵法の道、大工にたとへたる事。
大将ハ、大工の棟梁として、
天下のかねをわきまへ、其国のかねを糺し、
其家のかねをしる事、棟梁の道也。
大工の棟梁ハ、堂塔伽藍のすみかねを覚へ、
くうでんろうかくの指圖をしり、
人々をつかひ、家々を取立事、
大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也。(1)
家を立るに、木くばりする事、
直にして節もなく、見付のよきを表の柱とし、
少ふしありとも直に強きを裏の柱とし、
たとひ少弱くとも、節なき木のミさまよきをバ、
敷居、鴨居、戸障子と、それ/\につかひ、
節有とも、ゆがみたりとも、強き木をバ、
其家のつよみ/\を見分て、能吟味して
つかふにおゐてハ、其家ひさしくくづれがたし。
又、材木のうちにしても、
節おほく、ゆがミてよハきをバ、あしゝろともなし、
後には薪ともなすべき事也。
棟梁におゐて、大工をつかふ事、
其上中下を知り、或ハ床まはり、
或ハ戸障子、或ハ敷居、鴨居、
天井已下、それ/\につかひて、
あしきにハ、ねだをはらせ、
猶悪きにハ、くさびを削せ、
人を見分てつかヘバ、
其渉行て、手ぎハ能もの也。(2)
はかのゆき、手ぎハよきと云所、
物ごとをゆるさゞる事、たいゆうを知る事、
氣の上中下を知事、いさみをつくると云事、
むたいを知と云事、
か様の事ども、棟梁の心持に有事也。
兵法の利、かくのごとし。(3)
【現代語訳】

 一 兵法の道を大工にたとえる事
 (武家の)大将は、大工の棟梁として(譬えて云えば)、天下の規矩〔かね〕をわきまえ、その国の規矩をただし、その家の規矩を知る。それが棟梁の道である。
 大工の棟梁は、堂塔伽藍の墨矩〔すみかね〕を覚え、宮殿楼閣の設計を理解し、人々を使い家を立てること、(その意味では)大工の棟梁(の仕事)は、武家の棟梁も同じことである。
 家を建てるために、木配りをする場合、まっ直ぐで節もない見かけのよいのを表の柱とし、少し節〔ふし〕があっても、まっ直ぐで強いのを、裏の柱とする。たとえ少し弱くても、節がなく見た目のよいのは、敷居・鴨居・戸障子とそれぞれに使う。節があっても歪んでいても、強い木を、その家の強度の要所を見分け、よく吟味して使えば、その家は長く崩壊しにくいものになる。また材木のうちでも、節が多く歪んでいて弱いのは、足代〔あしじろ・足場〕に使えるし、後には薪木にもすることができるのである。
 棟梁が大工を使う場合、その(腕前の)上・中・下を知り、ある者は床廻り、ある者は戸障子、ある者は敷居・鴨居・天井など、それぞれに使って、腕の悪い大工には根太〔ねだ〕を張らせ、もっと悪いのには楔〔くさび〕を削らせる。人を見分けて使えば、(工事が)捗どって手際のよいものである。
 その捗が行って、手際がよいというところ、(それは)どんなことでも気をゆるめないこと、体と用〔実体と機能〕を知ること、気〔気質器量〕の上・中・下を知ること、勇みをつける〔鼓舞する〕ということ、無体〔無理なこと〕を知るということ、このようなことが、棟梁の心持にあることである。
 兵法の利*はこの如くである。
 

 【註 解】

 (1)大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也
 この一文は、前条最後のパートと内容が重なるが、草稿には別の文章としてあったものである。そしておそらく、次条「士卒たる者は」と一体の長い文章であったと思われる。
 冒頭、いきなり《大将は、大工の棟梁として》とある。これは、諸本共通の文言であるが、もちろんこのままでは現代語では文意不通で不都合である。ここは、「武家の大将は、大工の棟梁として譬えて云えば」ということである。
 武蔵草稿には、たしかに、《大工の棟梁として》とあったものであろう。ただし、語の配置は違っていた。《大将は、天下のかねをわきまへ》とあって、「大工の棟梁として」という語句が脇に添えられていたのがそのかたちであろう。それを編集段階で本文に挟み込んだので、こういう文になったのである。
 したがってこの「大工の棟梁として」という語句は、「武家の大将は、大工の棟梁として譬えて云えば」ということを指示する縮約文であると理解する必要がある。
 さて、ここは「兵法の道、大工にたとへたる事」とあって、何と、兵法の道を大工に譬えてみようというわけである。このアナロジーを支える共通のキーワードは、まず、「かね」という語である。ここはまず、語釈が必要であろう。
 「すみかね」というのは、すでに出てきた言葉であるが、右の写真のように曲尺〔かね〕で墨出しする技術である。これが大工仕事の根本であることは言うまでもない。
 『孟子』などにいう「規矩準縄」の「矩」は直角、ひいては直角定規のことである。「規」は円、「準」は水平・垂直、「縄」は直線を意味する。こうした規矩準縄が社会秩序の隠喩となったのは古い。武蔵の比喩も、政治的軍事的なものであり、こうした伝統を背景に受けとる必要がある。つまり、武蔵の漢文古典に対する教養の一端である。
 この部分は、大名を含む武将クラスの者を、大工の棟梁に喩える。その共通するところは、集団組織のリーダーであることだ。
 武蔵が青年の頃、全国で城作りが盛んであった。これは戦後の失業対策でもあった。今で言えば超高層の天守を含む大規模な建設工事である。たとえば、姫路城(兵庫県姫路市)を例にとれば、足掛け九年の工期に、作業動員延べ二千五百万人という。建設機械がない時代だから人海戦術である。こうなると、プロジェクトの組織力が大きな問題となる。こうしたことを背景にして、武蔵のここでの大工の比喩を読むべきである。
 大工の「棟梁」というのは当て字で、「頭領」「統領」という文字を避けたもののようである。「頭領」は「かしら」、つまりは集団のヘッドでありリーダーのことである。
 近世は「殿」様や「上」様だが、武蔵の世代には、戦国期の「おかしら」という名称がなじんでいたものらしい。こちらの方は、暴力集団の頭目という武将の出自ルーツを裏切らずにいるのである。
 つまり武蔵のこの比喩には、今は大名となって権勢を極めているが、もとは「かしら」と呼ばれた者にすぎないという暗黙の指示内容もある。そんな過去を忘れて、ずっと昔から支配者であったような顔をするようになっているが、彼らは武士団を率いて実力でのしあがった連中である、と。
 そういう意味で、武家の頭領を大工の「かしら」に喩える以下の徹底的な比喩の列挙には、アイロニカルな意味がある。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 



















大工の根本 墨金
曲尺と墨壷




規矩準縄圖
三才圖會(明 1607年)

 この部分で、諸本校異の問題を挙げれば、大工の「棟梁」という語である。筑前系諸本は、「棟梁」という文字で共通しているが、肥後系諸本には別の文字を宛てているケースがある。
 別の文字とは、「頭量」「統領」という字であるが、これは筑前系諸本には記さない文字である。したがって、肥後で後に発生した異字のようである。そこで、かような異字がどの時点で発生したか、それを探ってみる。というのも、肥後系諸本の写本としてのステイタスが、これで判明するからである。
 早期に派生した系統の子孫たる富永家本では、「棟梁」と「頭量」の二種を用いている。楠家本も同様である。このケースは、肥後系諸本の中でも早期にあった可能性を示唆するが、同じ条文に「棟梁」と「頭量」の二種を用いるというのも妙なことで、これは、寺尾孫之丞段階ではありえないことである。孫之丞より後の仕業であろう。
 他に二種の異字を用いるのは、丸岡家本で、こちらは「棟梁」と「統領」である。これは早期に「頭量」とあったのを、「統領」に換えたという系統である。あるいは、細川家本では、もはや「棟梁」という文字は消えて、「統領」で条文を統一している。
 これを通覧するに、「棟梁」という文字の残存有無、「頭量」から「統領」へという変化によって、肥後系諸本における異字発生は、以下のように時期を想定しうる。
   (phase0) 「棟梁」のみを用いる
   (phase1) 「棟梁」を用い最後一回のみ「頭量」を記す
   (phase2) 「棟梁」を用い最後一回のみ「統領」と記す
   (phase3) 「棟梁」を用いず「統領」あるいは「頭量」に統一
 この点に関するかぎり、比較的早期のかたちを保存しているのは、富永家本と楠家本であり、それに続いて丸岡家本にみられる異字「統領」が生じた。ここまでは、基本的に「棟梁」という文字を用いて、最後の一回だけ「頭量」あるいは「統領」に変えているパターンである。ところが、その次になって、細川家本・田村家本のように「棟梁」を用いず「統領」あるいは「頭量」に統一するようになったのである。
 以上のことから知れるのは、この点に関するかぎり、細川家本は、筑前系の中でも後期写本と言うべき田村家本と同じ位相にあることである。言い換えれば、細川家本は、伝写プロセスの後期特性を示す写本だということである。
 むろん、このようなことは細川家本信仰者には受け容れがたい結論であろうが、諸本を比較照合して客観的に判断すれば、こういうことになるのである。
 校異をもう一つ挙げれば、筑前系諸本に、
《人々をつかひ、家々をとり立事、大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也》
とあって、《大工の棟梁、武家の棟梁も》とするところ、肥後系諸本には、《大工の棟梁武家の棟梁も》として、「も」字を入れる。つまり、この「も」字の有無が問題である。
 これは現代語の方から見れば、「も」字が入った方が文意が通る。大工の棟梁も武家の棟梁もおなじ事、というわけである。そこから、これは筑前系諸本には、ここに「も」字の脱落があるのではないか、ということなろうが、それは誤りである。現代語の方寸で古語を見ては誤ること、しばしばである。
 文体の点では、《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事》の方がしっかりしており、それがよろしい。《大工の棟梁も武家の棟梁もおなじ事》では、文体が弱い。それだけではなく、実は、文意に相異が出ている。
 つまり、《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事》では、大工の棟梁(のこと)は、武家の棟梁も同じことだ、という意味である。ここでは、大工の棟梁が、武家の棟梁のアナロジー・モデルであることが示されている。他方、《大工の棟梁も武家の棟梁も同じ事》では、大工の棟梁が武家の棟梁のモデルであるというアナロジー関係はどこかに消えてしまって、いわば両者同列に扱っていることになる。
 つまり、文意の点では、ここは「も」字のないのが正しい。ここに「も」字を入れたのは、その文章構造が読めなかった後世の者が、ついここに「も」字を入れてしまったのである。これと似た前例は、《或ハ一道場、二道場など云て、此道をおしへ》とあるところ、《或ハ一道場、或ハ二道場など云て、此道をおしへ》と、「或ハ」という語句を入れてしまうケースである。
 このように、内容の分析から、《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事》の方が古いだと知れる。他方、これが筑前系諸本共通の語句であってみれば、こちらが初期形態である。つまり、このケースでは、内容分析は、校異分布から導かれる結論と一致する。
 これに対し、 肥後系諸本の「も」字は衍字であるが、それだけではなく、上記のように、ここに脱字があると見て「補正」したものであり、後世の解釈にもとづく改竄である。言い換えれば、門外流出後に発生した改変である。もとより、寺尾孫之丞の関知しない後世の改竄である。   Go Back

*【吉田家本】
《大将ハ、大工の棟梁として》《か様の事ども、棟梁の心持に有事也》
*【立花隨翁本】
《大将ハ、大工の棟梁として》《か様の事ども、棟梁の心持に有事也》
*【渡辺家本】
《大将ハ、大工の棟梁として》《か様の事ども、棟梁の心持に有事也》
*【石井家本】
《大将ハ、大工の棟梁として》《か様の事ども、棟梁の心持に有事也》
*【楠家本】
《大将ハ大工の棟梁として》《かやうの事ども、頭量の心持に有事也》
*【細川家本】
《大将は大工の統領として》《かやうの事ども、統領の心持に有事也》
*【丸岡家本】
《大將は大工の棟梁として》《か樣の事ども、統領の心持に有事也》
*【富永家本】
《大将ハ大工の棟梁として》《ケ樣の事共、頭量の心持に有事也》
*【田村家本】
《大將ハ大工ノ頭量ニシテ》《カヨウノコト共、頭量ノ心持ニアルコト也》
*【狩野文庫本】
《大將は大工の棟梁として》《か樣の事共、棟梁の心持に有事なり》


細川家本 「統領」



*【吉田家本】
大工の棟梁、武家の棟梁もおなじ事也》
*【立花隨翁本】
《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也》
*【渡辺家本】
《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也》
*【石井家本】
《大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也》
*【楠家本】
《大工の棟梁武家の棟梁も同じ事也》
*【細川家本】
《大工の統領武家の統領も同じ事也》
*【丸岡家本】
《大工の棟梁武家の棟梁も同事也》
*【富永家本】
《大工の棟梁武家の棟梁も同じ事なり》
*【多田家本】
《大工の棟梁武家の棟梁も同じ事也》

 
 (2)家を立るに、木くばりする事
 こうしてみると、大工と武家の棟梁のアナロジーは二通りで、しかもそれが重層している。
 ここで「木配り」とは、どの建築部位にどの木を材料に使うか、という判断である。それについて、すでに「大工にたとへる」と述べてあるから、ここは読む者をして、必然的に二重の読みをさせるような仕掛けになっている。
 すなわち、先ず最初に、大工の木配りの話があり、次に、大工の棟梁が配下の大工たちをいかに使うかという話が続く。それを要するに、武家の棟梁のモデルにするわけだ。それゆえ、比喩構造は、
  大工棟梁の組織力(木配り→大工の配置)→ 武家棟梁の組織力
という構造になっている。つまり、数学的に言えば、武家の棟梁は、大工の棟梁の関数であるというわけだ。
 木材配置と人材配置とは同じ事である。優れた素材は言うまでもなく、どんな劣質な素材でも使いようはある。材木に使えないものがないように、人材にも使いどころのない者はない、というあたりが話の味噌である。
 もうお気づきだろうが、人材という語の「材」は、材木のことである。通俗解説本が飛びつくのはこのあたりである。「適材適所」がテーマのこの種の話は、なにも武蔵の言を借りるまでもない。だれでも言ってきたことである。
 ただ五輪書が奥義秘伝書の類いではなく、普遍的な読者を対象とする入門書であったことから、こうした分かりやすい比喩で説いているにすぎない。しかも、そういう分かりやすい比喩に、独特の壊乱的な毒気があることはすでに述べたところだが、そういう毒の針は、現代の通俗解釈本の意識には存在しない。
 このとき、材木を比喩とする武蔵の棟梁組織論は、人間を物として扱っているではないか、という穿った非難もありそうである。しかし、あえて誤解を承知でこうも云える。すなわち、(カント=ラカン流に言えば)物の尊厳にまで高められたとき、――語呂合わせではないが――人間は「ものになる」のである、と。
 身分上下関係論が社会組織論の主軸になろうとしていた、封建的道徳社会が、まさに創出されようとする状況下では、武蔵のこうした唯物論的組織論の異常な新しさを、――まさしく流産した近代社会の可能性の一端を、確認しておくべきであろう。
 すなわち、武蔵の世代以降の思考は、まさに見事に反動化してしまう。しかしながら、近世身分社会は、リニアな必然性をもって誕生したのではなく、武蔵のような思考にみられるごとく、別の道というオルタナティヴの可能性もあったということである。

――――――――――――





指図する棟梁 春日権現霊験記絵巻






姫路城大天守木組模型
 諸本校異の問題を挙げれば、指摘すべきは、以下の相異がある点であろう。すなわち、筑前系諸本のうち早川系に、
《家を立るに、木くばりする事、直にして節なく、見付の能を表の柱とし》
とあって、《木くばりする》、《節のなく》とするところだが、この二ヶ所について見ることにしよう。
 まず、《木くばりする》については、これは立花=越後系諸本も同前であり、筑前系諸本共通のところである。したがって、これが初期形態である。
 これに対し、肥後系諸本はこれを《木くばりする》として、「を」字を入れる。これは肥後系諸本に共通するところであるから、この相異は、筑前系/肥後系を截然と区分する指標的差異である。
 このケースでは、筑前系諸本共通の《木くばりする》が初期形態であるので、肥後系の《木くばりをする》の「を」字は、後に入った文字である。それが寺尾孫之丞段階まで遡りうるか否かは別にして、何れにしても、後の挿入である。
 また、もう一つの《節なく》は、同じ筑前系の立花隨翁本をはじめ越後系諸本には《節なく》として、「も」字に作る。つまり、筑前系諸本の間に、「の」字と「も」字の相異がある。つまり、早川系と立花系の特徴的な相異である。
 これの何れが正しいかは、肥後系諸本を参照して判別する。誤解なきように言っておくが、無論それは、肥後系諸本がスタンダード〔標準〕となるという意味ではない。つまり、筑前系/肥後系を横断して共通する語句は、基本的には、寺尾孫之丞段階に遡りうる古型を示す。筑前系/肥後系を横断して共通する語句、というのがポイントである。
 肥後系諸本は如何と見るに、基本的には《節もなく》として「も」字に作る。しかし、《節のなく》がないかといえば、そうではなく、円明流系諸本のうち、狩野文庫・多田家本では、「の」字である。
 しかるに、円明流系統は写し崩れが大きいので、その点多々問題があるが、このケースでも派生後の誤記であろう。比較的近縁の稼堂文庫本や大瀧家本は、「の」字ではなく「も」字に作る。それゆえ、肥後系諸本も当初は、《節もなく》として「も」字を書いたものであろう。
 かくして、《節のなく》は、筑前系/肥後系の両方に存在するのだが、これはそれぞれ派生後の誤記とみなすべき字句である。筑前系では、立花=越後系諸本の書字が正しく、吉田家本はじめ早川系諸本の方が誤記である。
 つまり、立花系はこの箇処を正しく伝えたが、早川系は、おそらく早川実寛→月成実久の段階で、この誤記を生じたものであろう。吉田家本・中山文庫本・伊丹家本にはその結果が反映されているのである。
 したがって、このケースでは、筑前系/肥後系の双方に《節もなく》《節のなく》の両方があるのだが、如上、正誤の判別をして、我々のテクストでは、これを、《節もなく》と記しているというわけである。   Go Back


*【吉田家本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【中山文庫本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【伊丹家本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【立花隨翁本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【渡辺家本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【石井家本】
《家を立るに、木くばり【】する事、直にして節なく》
*【楠家本】
《家をたつるに、木くばりする事、直にして節なく》
*【細川家本】
《家を立るに、木くばりする事、直にして節なく》
*【富永家本】
《家を立てるに、木くばりする事、直にして節なく》
*【狩野文庫本】
《家を建るニ木配する事、直ニして節なき》
*【多田家本】
《家を立るに木配りする事、直にして節なく》

 
 (3)兵法の利、かくのごとし
 うまく人材配置をすれば、物事は効率よく運ぶ。手際がよいというところである。そこでは、具体的にどういうことかというと、《物ごとをゆるさゞる事、たいゆうを知る事、氣の上中下を知事、いさみをつくると云事、むたいを知と云事》と武蔵は言う。
 とはいえ、ここで、語釈が必要であろう。まず、「物ごとをゆるさゞる事」。「物ごと」は現代語の「物事」ではなく、「物毎」。どんなことでも、という意味。「ゆるす」もまた現代語の「許す」という意味ではなく、「ゆるめる」という意である。馬術で、「引かず、ゆるさず」という手綱の要領があるが、これは、手綱は引くでもない、ゆるめるでもないというわけである。ようするに、「物ごとをゆるさゞる事」とは、どんなことでも手を抜かない、おろそかにしない、ということである。
 次に、「たいゆうを知事」の「たいゆう」とは、武蔵の知的バックグラウンドで、当時通有の概念、体〔たい〕と用〔ゆう〕、つまりは物事人事の実体と機能のことである。
 また、「氣の上中下を知事」は、気質器量の上中下の相異を知ることである。「気」が当て字で、「機」もしくは「器」ということもある。「いさみをつくると云事」の「いさみ」は勇み、勇みをつけるとは、鼓舞するということである。そして、「むたいを知ると云事」。「むたい」は無体、無理なことである。そこで、無理なことを知って、無理なことをさせないということである。不合理なことを無理にさせる精神主義もあるが、そういうことはさせない。武蔵の話は合理的である。
 大工の棟梁は、こういうことを呑み込んでいる、十分承知しているものだ。そこで、武蔵は云う、兵法の利、かくのごとし、と。
 ここまで大工の話だったものが、不意にここで、それがまさに兵法のことだったと明かされる。つまり、これが武将の心得を説くためのアナロジーだったのである。
 この兵法の「利」とは、ここでは、アドヴァンテージの意である。つまり、兵法において勝れているとは、まさにこのようなことだ、というわけである。
 ここはとくに難しい話は何もないであろうし、このあたり、武蔵をビジネスに応用したがる通俗解説本の格好の材料となってきたところである。「現代に通じる武蔵の教訓」という路線で、武蔵解説本が多く出版されたという、戦前・戦時・戦後を通じての社会の経緯がある。「武蔵」はどんな時にも応用がきくのである。
 ただし、話を逆にしてはならない。つまり、武蔵は、兵法軍事のことを、平常の建設工事を喩えにして語っているのであって、その逆ではない。ところが、現代の通俗武蔵本は、兵法を比喩にして、平常のビジネスについて語りたがる。話は逆である。
 武蔵は、徹底して、大工の棟梁の仕事ぶりをモデルにして、武将の兵法の道を語っている。大工の仕事を譬えにして兵法を語る、むろん、そんな兵法論は、当時としては、まったく異例のもので、云わば転覆的である。そのユニークなところ、読者に注意を喚起しておきたい。
 あるいは、武蔵が兵法家として語っているところ、それは尋常の合理的な仕事の進め方にすぎない。しかしこれは、当時としては異例のことである。武蔵は非合理な美学に傾こうとする武士の思考を批判するために、こうした大工の話を引き合いに出しているのである。それを読み違えては、通俗武蔵本と変りがない。
 武蔵のいわゆる合理主義、――これはそれ自体が、すでに反時代的なものになりつつあった。これを忘れてはならない。こうした徹底した合理主義は、むしろ近代的なもので、近世幕藩期を通じて異質なものであったけれど、その初期、つまり十七世紀初頭の日本社会で、確かにいったんは発生したものであった。そのことはきちんと押さえておく必要がある。
 なお、この条は、《兵法の利、かくのごとし》と書いて唐突に終っている。本条の内容は人材論のみで、結語らしきものがないから、書きさし文であろう。
 また、このあたり、次条の「兵法の道、士卒たるものは」との境界が不分明である。したがって、もとは次条と一体の文章であったが、編集段階で、二条に分けたものかもしれない。その可能性を念頭において読むべきところである。

 ここで語釈の問題がある。とくにこの部分の前後、これまで正しく解した者がいない。ちなみに、既成現代語訳は、右掲のごとくさまざまである。
 なかでもとくに、「たいゆう」が「体用」とは知らないので、話が混乱している。戦前の石田訳は、旧岩波版五輪書の高柳傍注、「大勇」を頂戴したものである。戦後の神子訳は、「たいゆう」を「大要」と読んだが、「全体の大要を知る」となると、これは脱線転覆である。
 岩波版注記は、これを「大用」と解釈しているが、これは根拠がない。柳生流ではないのだから、武蔵は「大用」などとは謂わない。五輪書に他に「たいゆう」の例があるのは、五方の搆について、上中下は「体」の搆、右脇左脇は「用」の搆とする体用論である。岩波版注記は、ここに体用論というバックグラウンドがあることを知らぬのである。
 続く大河内訳は、岩波新版注記の「大用」なる語釈を頂戴し、鎌田訳も同様にその「大用」という解釈を頂いて、「大用」という語をわざわざ訳して使う。何れにしても、岩波版注記の誤釈に発する間違った翻訳であることは申すまでもない。
 また、末尾の《兵法の利、かくのごとし》というところも、既成現代語訳には問題がある。というのも、この「利」を「理」と曲解して、「道理」と訳すものがある。
 これは、武蔵の合理主義思想の一面としての露骨な実利効用論を、あえて見まいとするものの如くである。五輪書において「兵法の利」というばあい、その「利」は「理」の意味ではなく、文字通りの利である。これは、孫子兵法の昔から云ってきた戦いにおける「利」である。
 既成現代語訳を見るに、この「兵法の利」を「兵法の理」と曲解する例は、すでに戦前の石田訳に現れている。それを戦後の神子訳も引き継いだが、こんどは「理」ではなく「道理」と訳して脱線した。後続二者は、それをそのまま反復している。とくに鎌田訳は、句読点の打ち方まで神子訳そのままである。
 何れにしても、「曲訳」としか言いようのないものであり、現代語訳事情はかくも道理のない混乱状況なのである。

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墨出しする大工 春日権現霊験記絵巻













 












*【現代語訳事例】
《武士が物事に心を許さないこと、大勇の者を識別すること、気勢を擧げること…》(石田外茂一訳)
《何事もいいかげんにしないこと、全体の大要を知ること、気(エネルギー)の状態を見きわめること、勢いをつけるということ…》(神子侃訳)
《何ごともいいかげんにしないこと、使いどころを知ること、やる気があるかどうかの程度を知ること、励みをつけること…》(大河内昭爾訳)
《何事も気をゆるめないこと、大切なところを知ること、気力の上中下を見きわめること、勢いをつけるということ…》(鎌田茂雄訳)


*【現代語訳事例】
《兵法のは以上の通りである》(石田外茂一訳)
《兵法の道理もまた、このようなものである》(神子侃訳)
《兵法の道理もまた同じことである》(大河内昭爾訳)
《兵法の道理もまた、このようなものである》(鎌田茂雄訳)

 ここは、大きな諸本校異はないが、ひとつ問題を挙げれば、筑前系諸本に、
《節多くゆがミてよハきをバ、あしじろともなし、後にハ薪ともなすべき也》
《物ごとをゆるさゞる事、たいゆう知事、氣の上中下を知事、氣の上中下を知事》
とあって、《なすべき也》《たいゆう》とし「事」字、「を」字を入れるところ、肥後系諸本も同様のものがある。したがって、筑前系/肥後系を横断して共通するところから、この語句は初期性を有するとみなしうる。これを正記とするわけである。
 しかるに、肥後系諸本のうち、写し崩れによる特殊な脱字を示すものがある。たとえば、肥後系細川家本に、
《ふしおほく、ゆがミてよわきをば、あしじろともなし、後には薪ともなすべき【】也》
《物毎をゆるさゞる事、たいゆう【】知事、氣の上中下を知事》
とあって、《なすべき也》《たいゆう知事》とする。これは諸本では、筑前系/肥後系を横断して、《なすべき事也》、《たいゆうを知事》とする。つまり、細川家本の文には脱字があり、《たいゆう知事》として、「事」字を落とし、《たいゆう知事》として「を」字を欠くのである。
 前者の「事」字を落す例は、肥後系では他には狩野文庫本がある。後者の「を」字を欠く例は、丸岡家本とその系統の田村家本にある。それゆえ、これは、肥後系諸本のみを見ていては、「事」字、「を」字の有無、その正誤の判別が付かないところである。しかし、筑前系諸本を見てはじめて、その判断がつくのである。
 このケースの脱字は、肥後系において、早期ではなく、系統派生後に発生した異変である。しかし、興味深いのは、細川家本・常武堂本の系統のみ、「事」字、「を」字の両方を脱落させていることである。つまり、細川家本・常武堂本の祖本の段階ですでにあった脱字である。
 それに対し、細川家本に近縁性のある楠家本は、これを両方とも落さず記す。しかも、写し崩れの大きい他の諸本でさえ、正しく記すのに、細川家本には脱字がある。すなわち、これらの脱字は後々になって偶発的に発生したものである。つまりは、細川家本の後発性を示す標識である。
 また同様に、この部分には、同系統の常武堂本にもない細川家本特有の異字がある。つまり、それは、《果敢の行、手ぎわよきと云所》と記すところ、この「果敢」が特異文字である。諸本は、これを「はか」と仮名で記すが、細川家本は、これをわざわざ「果敢」と漢字で記すのである。
 同系統の常武堂本には、これを「はか」と記すから、この「果敢」字は、細川家本の作成段階で発生した恣意的な書換えである。
 他にこれが見られるのは、円明流系統の一本、稼堂文庫本である。円明流系統では狩野文庫本も多田家本も「はか」と記すから、この系統では、稼堂文庫本でのみ発生した異字である。いづれもポジションの末流たることを示す恣意的な書換えである。
 要するに、こういう恣意的な文字変換が、細川家本の特徴である。言い換えれば、細川家本には、そのような後発的特徴の脱字や異字があるのだから、もとよりこの写本を古いとは見なせない。しかるに、たびたび言うように、これを古型を保持した写本とみなす者がある。しかも、細川家本が寺尾孫之丞段階の写本に直接接するがごとき妄説まで現れている。
 もちろんこれが謬説たることは、本書の読解過程の随所で明らかである。細川家本は他の諸本と同じく、肥後系早期写本から派生したものであり、しかも、その元祖からの距離は遠く、なんら特別なステイタスをもたない写本である。この点、誤りなきようにすべきである。   Go Back

*【吉田家本】
《後にハ薪ともなすべきなり》《物ごとをゆるさゞる事、たいゆふ知事》
*【中山文庫本】
《後にハ薪ともなすべきなり》《物ごとをゆるさゞる事、たいゆふ知事》
*【立花隨翁本】
《後にハ薪ともなすべき也》《物ごとをゆるさゞる事、たいゆう知事》
*【渡辺家本】
《後にハ薪ともなすべき也》《物ごと、ゆるさゞる事、たいゆう知る事》
*【石井家本】
《後にハ薪ともなすべきなり》《物ごとをゆるさゞる事、たいゆう知る事》
*【楠家本】
《のちにハ薪ともなすべき也》《物ごとをゆるさゞる事、たいゆう知事》
*【細川家本】
《後には薪ともなすべき【】也》《物毎をゆるさゞる事、たいゆう【】知事》
*【丸岡家本】
《後には薪ともなすべなり》《物ごとを許ざる事、大用【】知事》
*【富永家本】
《後にハ薪ともなすべきなり》《物ごとをゆるさゞる事、たゐゆう知る事》
*【狩野文庫本】
《後ニハ薪ともなすべき【】なり》《物毎をゆるさるゝ事、たいゆふ知と云事》


○寺尾孫之丞―早期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├…………………富永家本 はか
 |
 ├…┬…┬……楠家本 はか
 | | |
 | | └┬……常武堂本 はか
 | |  |
 | |  └…細川家本 果敢
 | |
 | └…┬……丸岡家本 はか
 |   |
 |   └………田村家本 ハカ
 |
 └…┬………狩野文庫本 はか
   |
   └…┬……多田家本 はか
     |
     └……稼堂文庫本 果敢


細川家本 脱字異字箇処

 
   5 士卒たる者
【原 文】

一 兵法の道、士卒たるものハ、(1)
大工にして、手づから其道具をとぎ、
色々のせめ道具をこしらへ、
大工の箱に入てもち、
棟梁の云付る所をうけ、
柱、かうりやうをも、てうなにてけづり、
床棚をもかんなにて削り、
すかし物、彫物をもして、
能かねを糺し、すミ/\めんだうまでも、
手ぎハよく仕立所、大工の法也。
大工のわざ、手にかけてよく仕覚へ、
すミかねをよくしれば、後は棟梁となるもの也。
大工の嗜、能きるゝ道具をもち、
すき/\にとぐ事肝要也。
其道具をとつて、御厨子、書棚、机つくゑ、
又は行燈、まな板、なべのふた迄も、
達者にする所、大工の専也。(2)
士卒たる者、此ごとくなり。能々吟味有べし。
大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、
かんなにて能削事、すり(ミ*)かゝざる事、
後にひすかざる事、肝要也。
此道を学ばんと思はゞ、
書顕す所の一こと/\に心を入て、
よく吟味有べき者也。(3)

【現代語訳】

一 兵法の道、士卒たる者は、大工にして(譬えて云えば)、自分の手でその道具をとぎ、いろいろ工夫した工具をこしらえ、それを大工の道具箱に入れて持ち、棟梁の指示するところに従って、柱・虹梁〔こうりょう〕を手斧〔ちょうな〕で削ったり、床棚を鉋〔かんな〕で削ったり、透し物・彫り物もして、よく規矩を調整し、隅ずみや複雑な部分までも、手ぎわよく仕上げるところ、それが大工の法〔なすべきこと〕である。
 大工が仕事を自らの手でよく覚え、墨かねをよく知れば、後は棟梁となるものである。
 大工の嗜み(とは)、よく切れる道具をもち、それを暇さえあれば研ぐこと、それが肝要である。その道具を手にとって、御厨子〔仏壇〕、書棚、机卓、または行灯、まな板、鍋の蓋までも、上手に作る。それが大工の専*〔せん、第一とするところ〕である。
 士卒たる者は、これと同様である。よくよく吟味あるべし。
 大工が心がけるのは、木がひずまないこと、部材の接合部を(ぴたりと)合わせること、かんなでうまく削ること、(部材表面を)擦って傷つけないこと、後で乾燥しても隙間が生じないようにすること、これらが肝要である。
 この(兵法の)道を学ばんと思うなら、ここで書き表わすところのひとこと、ひとことを、心に入れて、よく吟味すべきなのである。
 

 【註 解】

 (1)兵法の道、士卒たるものハ
 まず、タイトルのことで言えば、ここでは「兵法の道、士卒たるものは」としており、これは「…の事」「…と云事」という五輪書の各条タイトルの通例からすれば、異例であって、明らかに不自然な部分である。
 もしこれが独立した一条であるならば、前条が、
《一 兵法の道、大工にたとへたる事。大将は、大工の棟梁として》
というかたちで始まるのだから、ここも、当然、
《一 兵法の道、大工にたとへたる事。士卒たるものは、大工にして》
という書き出しであるべきところである。この「大工にたとへたる事」という語句がないのは、これが前条と重複するからではなく、そもそもオリジナル草稿には、これが独立した一条ではなく、前条に連続した一体のものだったのである。
 それを二つに分けて、後半を一つ書きの独立した一条にしたのは、おそらく寺尾孫之丞の編集段階であろう。
 前々条「兵法の道と云事」から、この「士卒たるものは、大工にして」の本条まで、条々の内容を見れば、書きさし断簡の寄せ集めで構成したものと知れる。その中でも、この前後は、編集によって分割されたものである。
 前条の《兵法の利、かくのごとし》で終る、その唐突な終り方をみれば、そこに切断面が示されていると見える。とすれば、この条文の起こし方、つまり、――《一 兵法の道、士卒たるものは、大工にして》と云う開始文において、《一 兵法の道》という部分が、オリジナル草稿にはなかったものかもしれぬ。寺尾孫之丞は、編集にあたって、《一 兵法の道》という文字を、とりあえず入れたのであろう。
 ところが、それが浮いてしまっているのである。ここに入れた《兵法の道》という語の後始末がついていない。ようするに、そういう編集作業によってもカバーできないのが、このあたりの草稿状態である。編集子が多少やりくりしてもカバーできないのである。このあたり、そんな草稿状態を示すところであろう。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 









立花隨翁本 当該箇所
 
 (2)大工の専也
 前条が武家の棟梁、統率者である武将のことであるのに対し、こんどは士卒、ふつうの兵士のことである。武士にもいろいろあって、家来とともに出陣する武士から、いわゆる鑓隊・鉄砲隊の足軽まで、さまざまであるが、ここはそれを総称して士卒と呼んでいる。
 ここもまた、大工をモデルにしてアナロジーで語る。
 冒頭の《士卒たるものは、大工にして》とあるところ、諸本共通であるが、これは、前条に、《大将は、大工の棟梁として》とあるのと同趣である。これは「士卒たるものは、大工に譬えて云えば」というように、比喩で語るところである。
 つまり、「大工の法也」「大工の専也」として、大工のなすべきこと、大工の第一とすべきことを語って、士卒たるものの比喩とする。「大工の法也」「大工の専也」とある「法」や「専」は、本書に頻出する特種語彙であるので、そのまま読んでもらいたいところである。
 なお、「専」という字は「もっぱら」ではなく、「せん」と読む。
《茶は水がせんじゃ》(狂言「清水」)
 これは、茶は水が最も大事だ、ということである。五輪書を読むなら、この「専」という古語を覚えていただきたい。
 それ以外には、この条はそのまま読めるので、とくに説明は要しないだろうが、若干の大工道具語彙について解説が必要かもしれない。
 たとえば「せめ道具」。これは一般に「責め道具」というときの、拷問や性交のための道具のことではない。この場合の「せめる」は、努力して究める、探究するということであり、類似用例を捜せば、
《せめず心をこらさざる者、誠の変化をしるといふ事なし》(三冊子・赤雙紙)
であろう。つまり、ここでの「せめ道具」は、自分でいろいろ工夫して拵えた道具ということである。
 これについて岩波版注記は、《責金、責(締)木など》という訳のわからぬ注釈を記載しているが、これは誤りである。「せめる」を「締める」と取り違えているだけではなく、文脈そのものを理解していないのである。大工に「責金、責(締)木など」という物が必要なのか、自分で考えてみればよい。ここは一般に要領を得ない箇処のようで、既成現代語訳にはいろいろとバカげた誤訳がみられるところであるが、ここでは省く。
 また「虹梁」〔こうりょう〕は建築用語、建物の梁は露出するので装飾的に扱うことが多い。右図のようなものが一般的だが、ここに細密な彫刻をしたものもある。
 「手斧」〔ちょうな〕は今でも梁を削るのに使われるが、鉋以前は柱・床板もこれで削った。その場合、仕上りはうろこ状になる。「鉋」〔かんな〕は、以前からあった鑓鉋〔やりかんな〕ではなく、ここでいう鉋は、武蔵の時代には新しい道具だった台鉋のことだろう。床棚を削ると書いているからそうである。

手 斧 石山寺縁起絵巻

やり鉋 大山寺縁起
 「規矩」〔かね〕・「墨かね」は、前述のように、どちらも計測墨出しする大工の根本技術だが、それがものごとの基準として隠喩的使用されることが多い。
 あるいは、「すみずみ、めんどうまでも」とある「めんどう」は、ここでは、手間のかかる複雑でややこしい部分、としておいた。「めんどう」は、本来は「めどう」で、みぐるしいの意である。今日でも関西語で、「めんどい」という語にのこる。
 しかるに、これが、どうでもいい、わずらわしいの意に転じ、「面倒」と当て字されて、今日に共通する意味になった。ここでは、文脈から、わずらわしい複雑で手間のかかるところと、語の新義で語釈しておいた。
 なお、岩波版注記に、この「めんどう」という語について、「馬道(めどう)。長廊下のこと。書院の外廻り」という珍解釈を示している。ようするに、これは間違いである。
 ここは、柱、虹梁をも、手斧で削り、床棚をもかんなで削り、すかし物、彫物をもして、よく墨かねを糺し、隅々「めんどう」までも、手際よく仕立て、とあるように、細工技術に関するところだから、隅々と来て、ディテールの細工の話になる。だから、そこで、いきなり屋外の馬道、長廊下の話が出てくるわけがない。
 こういう明白な誤解釈が陳列されているところを見るに、この注釈を書いた者は文章の内容を理解していないのである。全般に見て、岩波版注記の記載には無知な誤りが少なくない。
 ともあれ、武蔵の言うように、彫刻や欄間などの透し物、俎板から鍋の蓋まで作ってしまうとすれば、大工仕事は範囲は広い。というよりも、「おれはこれ以外にはやらない」と矜持があって、つっぱる大工もあろうに、こんな具合に、何でも器用に造ってしまう大工の方に、武蔵は共感をおぼえているようにも思える。   Go Back






鑿(のみ)各種



虹 梁



初期の台鉋 姫路城蔵



譽田宗廣縁起 部分
鑿で打ち割る製材作業

 
 (3)卒たる者、此ごとくなり
 武蔵は、士卒、兵士たる者は、このごとくなり、大工と同様である、この事実をよくよく吟味しろ、とする。とすれば、いったんここで条文は終ってよいはずだが、現存写本では、さらに続けて、《大工の嗜、ひずまざる事、とめを合する事…》と記している。
 前段に、《大工の嗜、能きるゝ道具をもち、すき/\にとぐ事肝要也》とあって、大工の嗜み(心がけ)を述べているから、これは重複であり、文章の整理がすんでいないところである。
 このように、再度大工の嗜の話が重複して出てくる。つまり、むしろこの反復部分を削った文の方が話は筋が通るのだが、これは、別の書きさしの断片を捨てずに、そのまま取り込んで、ここに加えたかたちである。
 これも草稿状態を示すところであり、また草稿断片を捨てずに編集したものとみえる箇処である。
 なお、語釈のことからすれば、ここでは、現存写本に共通して、《すりかゝざる事、後にひすかざる事》とある箇所が問題であろう。
 《すりかゝざる事》というと、従来語釈は一般に「摺り磨かない」というように読んでしまうのだが、それは早とちりである。どうして大工が摺り磨いてはいけないのか、それを知らずに訳しているが、それでは意味が通らない。棚板や床框など、とくに最後の仕上げにすり磨いて、それから漆など塗装することがある。
 したがって、ここには、誤記があるとみなければならない。ようするに、《すりかゝざる事》の「ミ」(み)字が衍字なのである。武蔵のオリジナルテクストには、《すりかゝざる事》とあったはずのものである。
 つまり、これは《擦り欠かざる事》という語句で、「部材表面を擦って傷つけないこと」という話なのである。直前に「かんなでうまく削ること」とある文脈の連続からすると、せっかくきれいに削っても、それを傷つけては台無しだからである。これは今日でも同じで、かんなで仕上げた後は、表面を傷つけないように大事に養生するものである。
 現存諸本は、筑前系/肥後系を問わず、多数が《すり「」かゝざる事》としている。ということは、この衍字誤写は寺尾孫之丞段階のものであろう。孫之丞は、つい「摺り磨かざる事」と読んでしまって、オリジナルにはない一字を入れてしまった。それが、この部分に関するかぎり、そのまま「誤りなく」伝写されて、現存諸写本の文字になっているわけである。
 興味深いことに、肥後系諸本の中に、ここに異を立てているものがある。つまり、丸岡家本は、これを《磨琢事》として、否定形ではなく「すりみがく事」としている。これは「すりみがかない事」では、文意不通とみなして、改竄したものであろう。また後継の田村家本は、この《すりかゝざる事》という語句そのものを削除している。この系統は、他の諸本と異なり、書写者が、《すりかゝざる事》では変だと気づいたようである。
 ともあれ、我々のテクストでは、現存写本の多くに違背して、これを《すりかゝざる事》としている。つまり、「ミ」(み)字を衍字とみなして、武蔵のオリジナルを復元したのである。
 もうひとつ、ここでの語釈に関して指摘しておきたいのは、上掲の《大工の嗜、ひずまざる事、とめを合事、かんなにて能削事、すり(ミ)かゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》の部分、「後にひすかざる事」とある《ひすく》という語である。
 これについては、従来、「ひずく」として、これをさらに「ひずむ」「ゆがむ」と無理やり誤釈しているものが多い。岩波版注記に至っては、これを「ねじれないこと」として、珍解釈を披露している。
 むろん、《ひすく》には、歪む、ねじれるの意だという語例はない。これは五輪書読解に多い恣意的な誤釈の一例である。そもそも、すでに「大工のたしなみ、ひずまざる事」と書いているのだから、歪むということなら、「ひずまざる事」と書くであろう。
 とすれば、これは「ひすく」とそのまま読んだ方がよい。「後に」ひすかざる事というのだから、ここは、後に木材が乾燥収縮して、隙間が生じる、という意味の「乾すく」である。だから、ここは、後々木材が乾燥しても隙間が生じないようにすること、という語義である。
 このあたり、既成現代語訳と比較すれば明白なことだが、我々の語釈によって、はじめて五輪書が正しく読めるようになった、という一例である。

 諸本校異に言及したついでに、ここでもう一つ指摘しておけば、この条文の終りの結語部分、筑前系諸本に、
《此道を学ばんと思ハヾ、書顕す所の一こと/\に心を入て、よく吟味有べき者也》
とあって、《一こと/\に》とあるところ、これに対して肥後系諸本には、語句表記さまざまで、誤りが多い。
(楠 家 本)  書顕す処の一こと/\に
(細川家本)  書顕す所のこと/\に
(丸岡家本)  書顕す所のこと/\くに
(田村家本)  書顕ス処ノ如クニ
(富永家本)  書顕所の一/\こと/\くに
(狩野文庫本) 書に顕ス所の一事/\に
 このように、上掲例では楠家本と狩野文庫本だけが正記する他は、誤記が見られるところである。細川家本は、「一」字を脱字して、「ことごと(事毎)に」と誤解し、丸岡家本は同じ脱字をうけて、「ことごと(悉)くに」と解釈し、田村家本にいたっては、語重複記号「/\」を「く」字に読んで、「如くに」と改竄している。あるいは、富永家本では、「一々悉くに」と読む。
 まことに混乱した状況だが、こうした諸例からすれば、細川家本や丸岡家本も他と変わりがない。写本としての程度が知れるところである。
 しかし、岩波版は、他の諸本との照合を怠っているものだから、これをそのまま「こと/\に」と書いて、何の断りもない。もっとも流布している岩波版五輪書が信用ならないというのは、この例でもわかる。一般の読者は、それを誤記と知らずに読まされているわけである。













*【吉田家本】
《大工の嗜ミ、ひずまざる事、とめを合事、かむなにて能削事、すりかゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》
*【立花隨翁本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【渡辺家本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【石井家本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【楠家本】
《大工のたしなみ、ひずまざる事、とめをあハする事、かんなにてよくけづる事、すりかゝざる事、のちにひすかざる事、肝要なり》
*【細川家本】
《大工のたしなミ、ひずまざる事、とめをあハする事、かんなにて能けづる事、すりかゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》
*【丸岡家本】
《大工のたしなみ、ひずまざる事、とめを合する事、かんなにて能削る事、磨琢事、後にひすかざる事、肝要也》
*【田村家本】
《大工ノ嗜、ヒズマザル事、トメヲアワスル事、カンナニテヨク削ル事、【★削除★】、後ニヒスカザル事、肝要也》






*【現代語訳事例】
《かんなでよく削ること、やたらに磨きたてないこと、あとでゆがまないこと》(神子侃訳)
《かんなでよく削ること、やたらに磨きたててごまかさないこと、あとでひずみが出ないこと》(大河内昭爾訳)
《かんなでよく削ること、すり磨かないこと、あとでゆがまないこと》(鎌田茂雄訳)







*【吉田家本】
《書顕す所の一こと/\に心を入て》
*【中山文庫本】
《書顕す所の一こと/\に心を入て》
*【立花隨翁本】
《書顕所の一こと/\に心を入て》
*【渡辺家本】
《書顕所の一ことひとことに心を入て》
*【石井家本】
《書顕所の一ことひとことに心を入て》
*【楠家本】
《書顕す処の一こと/\に心を入て》
*【細川家本】
《書顕す所のこと/\に心を入て》
*【丸岡家本】
《書顕す所のこと/\くに心を入て》
*【田村家本】
《書顕ス処ノ如クニ心ヲ入テ》
*【富永家本】
《書顕所の一/\こと/\くに心を入て》
*【狩野文庫本】
《書に顕ス所の一事/\に心を入て》



手 斧

やり鉋

斧〔おの〕

鉞〔よき・まさかり〕
 いづれにしても、この大工のアナロジー、その根柢には、大工の使う道具の多くが上掲道具のように武器に似ており、即、武器に転用しうるという事実がある。これを忘れてはならない。
 かくして武蔵は、大工を範例にして、徹底して比喩してみせたわけである。大工をモデルにして武士は定義されるのである。身分制秩序の固定しつつあった当時、これがどれほど転覆的な言説実践であったか、それを十分認識する必要があろう。
 もう一つ付け加えるならば、こうして武士を大工をモデルにして語るのは、おそらく、武家の子弟に武士の何たるかを教えるというスタンスだったことである。
 こうしたシンプルな比喩の提示は、まさに兵法の道の初心者、武士の子弟たちを相手の講義である。その様子をみれば、五輪書は決して道の達者向けの奥義書ではなく、子供たちに教えるという極めて初歩的な教育書だったのである。
 それゆえ、もっとも初歩的なものが、もっとも転覆的であるという、一種の奇蹟をこの書は実践しているのである。
 なお付け加えれば、以上のような武蔵の大工/武士論が、当時であっても、いかに特異なものであったか、それは知っておくべきであろう。
 たとえば、柳生十兵衛に右掲の如き論説がある(寛永十四年十一月書付「昔飛衛といふ者あり」)。これは《一ツの見之所は常にはずれずして、工の縄墨のごとし》として、以下、見、機、躰の三段を語る仕儀である。
 これも大工を比喩に使った言説ではあるが、武蔵の論法とはまったく話の筋道が違うだけではなく、そもそも武蔵のような転覆的な威力はどこにもない。たんなる技術論である。これは剣術家と兵法家の相違である。兵法家とは古来思想家でもあった。そこの違いである。   Go Back








*【柳生十兵衛文書】
《たとへば、工のあまた道具はあれど、つかふ時は一ツ一ツならては用ひず。あまたの道具を二手に持てつかふ事なし。しかりとて又、数の道具なくてもなるべきにあらす。一つのすみかねといふ事ありて、是を目付として道具をもつかふたる物也。一つ手に錐・鋸・鑿・槌をあつめ持てつかふ物にはあらず。用にあたりたる道具一ツ見、見る所の縄墨はいつとてもすてられさる事也。兵法も数々の習はあれと、一々の習を一度に用る事なし。時にあたつて用る所はかはれども、一ツの見之所は常にはずれずして、工の縄墨のごとし。爰を以て数々の習をよせて三段となして、其第一には見、其第二には機、其第三には躰とす》(昔飛衛といふ者あり)


 
   6 地水火風空五巻の概略
【原 文】

一 此兵法の書、五卷に仕立事。
五ツの道をわかち、一巻/\にして、
其利をしらしめんために、
地水火風空として、五巻に書顕すなり。(1)
地之巻におゐてハ、
兵法の道の大躰、我一流の見立、
劔術一通りにしてハ、まことの道を得がたし。
大なる所より、ちいさきところをしり、
淺より深きに至る。
直なる道の地形を引ならすに依て、
初を地之巻と名付る也。(2)
第二、水之巻。
水を本として、心を水になす也。
水ハ、方圓の器にしたがひ、
一てきとなり、さうかいとなる。
水にへきたんの色あり。清き所をもちゐて、
一流の事を此巻に書顕也。
劔術一通の理、さだかに見分、
一人の敵に自由に勝ときハ、
世界の人に皆勝所也。
人に勝といふ心ハ、千万の敵にも同意なり。
将たるものゝ兵法、ちいさきを大になす事、
尺のかね*を以て大佛をたつるに同じ。
か様の儀、こまやかには書分がたし。
一を以万を知る事、兵法の利也。
一流の事、此水の巻に書記すなり。(3)
第三、火之巻。
此巻に戦の事を書記す也。
火ハ大小となり、けやけき心なるによつて、
合戦の事を書也。
合戦の道、一人と一人との戦も、
萬と萬との戦も同じ道也。
心を大なる事になし、心をちいさくなして、
よく吟味して見るべし。
大なる所は見へやすし、
ちいさき所は見へがたし。其子細、
大人数の事ハ、そくざにもとをりがたし。
一人の事ハ、心ひとつにてかはる事はやき
に依て、ちいさき所しる事得がたし。
能吟味有べし。
此火の巻の事、はやき間の事なるに依て、
日々に手なれ、常の事と*おもひ、
心の替らぬ所、兵法の肝要也。然に依て、
戦勝負の所を、火之巻に書顕す也。(4)
第四、風之巻。
此巻を風之巻と記す事、我一流の事に非ず。
世の中の兵法、其流々の事を書のする所也。
風と云におゐてハ、昔の風、今の風、
其家々の風などゝあれバ、世間の兵法、
其流々のしわざを、さだかに書顕す、是風也。
他の事をよくしらずしてハ、
ミずからのわきまへなりがたし。
道々事々をおこなふに、外道と云心有。
日々に其道を勤と云とも、心の背けば、
其身ハ能道とおもふとも、直なる所よりみれば、
実の道にハあらず。
実の道を極めざれバ、少心のゆがみにつゐて、
後にハ大にゆがむもの也。
ものごとに、あまりたるハ、たらざるに同じ。
よく吟味すべし。
他の兵法、劔術ばかり、と世におもふ事、尤也。
わが兵法の利わざにおゐてハ、各別の儀也。
世間の兵法をしらしめんために、
風之巻として、他流の事を書顕す也。(5)
第五、空之巻。
此巻、空と書顕す事。
空と云出すよりしてハ、
何をか奥と云、何をかくちといはん。
道理を得てハ道理を離れ、
兵法の道におのれと自由有て、
おのれと奇特を得、
時にあひてハ拍子をしり、
おのづから打、おのづからあたる、
是皆空の道也。
おのれと實の道に入事を、
空の巻にして書とゞむるもの也。(6)

【現代語訳】

一 この兵法の書を、五巻に仕立てる事
 五つの道を分け、一巻ずつにして、その(道の)利を教えるために、地・水・火・風・空の五巻に書きあらわすのである。
 地〔ち〕之巻においては、兵法の道の概略、我が流派の見立てるところ、剣術だけをやっていては真実の道は得がたい。大きな所から小さい所を知り、浅いことから深いことへ至る、そのまっ直ぐな道の地形*〔ぢぎょう・ぢかた〕を造成して均すことから、はじめ(の巻)を「地」の巻と名づけるのである。
 第二、水〔すい〕之巻。水を手本として、心を水のようにする。水は、容器の形にしたがって四角になったり円形になったりする。水はわずか一滴のこともあれば、広大な滄海となることもある。水には碧潭〔深い淵の青緑〕の色がある。その水の清浄なところを用いて、我が流派の事をこの巻に書きあらわすのである。
 剣術一通りの理を定かに見分け、一人の敵に自由に勝つときは、世の中の人の誰にでも勝つのである。人に勝つというのは、千人万人の敵についても同じ意味である。武将たる者の兵法は、小さいものを大きく行うことであり、それは尺のかね〔曲尺〕を使って大仏を建てるのと同じである。
 こうしたことは、詳細には説明しがたいが、一をもって万を知ること、それが兵法の利〔効用〕である。(そこで)我が流派のことを、この「水」の巻に書き記すのである。
 第三、火〔か〕之巻。この巻には戦さの事を書き記す。火は、大きくなったり小さくなったり(自在に変化し)、きわだって派手なところがあることから、合戦の事を書くのである。
 合戦の道において、一人と一人の戦いも、万人と万人の戦いも、同じ道である。心を大きなことにしたり、小さくしたりして、よく吟味して見るべし。
 大きな所は見えやすいが、小さな所は見えにくい。そのわけは、大人数の事は即坐に変えることは難しいが、一人の事は、心一つでさっと変るので、小さな所は(逆に)知ることがむずかしいからだ。(この点を)よく吟味しておくべきである。
 この火の巻で説くのは、早い間の(変化の)事であるから、日々に手馴れて、日常のことと思い、心の変らぬところ、それが兵法の肝要である。それゆえ、戦さ勝負のところを「火」の巻に書きあらわすのである。
 第四、風〔ふう〕之巻。この巻を「風」の巻と記すこと。これは我が流派のことではない。世の中の兵法、その諸流派のことを、書き載せるのである。
 風というばあい、昔の風、今の風、その家々の風などとあるから、世間の兵法、その諸流派のやり方を、定かに書きあらわしておく。これが「風」ということである。
 他の(流派の)事をよく知らずしては、自身の理解も成りがたい。いろいろな道においてさまざまな事を行うに、外道〔げどう〕という心がある。日々にその道に励むとしても、心が(道に)背いていては、自身は善いと思っていても、まっとうな所から見れば、真実の道ではない。真実の道をきわめなければ、(最初は)ほんの些細な心の歪みでも、後には大きな歪みになってしまうものである。どんなことでも、過剰は不足に等しい。(これを)よく吟味すべし。
 他(流)の兵法のことを、世間の人が、剣術だけでしかないと思うのは当然である。我が兵法の利わざ〔理事*〕においては、(他流とは)まったく違っている。世間の兵法(がどんなものか、それ)を知らしめるために、「風」の巻として、他流の事を書きあらわすのである。
 第五、空〔くう〕之巻。この巻を、「空」と書きあらわすわけは、(以下のようなことだ)
 「空」と言い出す以上、何を奥と云い、何を入口と云うのか。(そんな区別など、ありはしない)
 道理を得てしまえば、道理を離れ、兵法の道におのずと自由があって、おのずから奇特〔きどく、不思議なほど優れた効験〕を得る。時に相応しては拍子を知り、おのずから打ち、おのずから当る。これみな空の道である。
 (そのように)おのずから真実の道に入ることを、「空」の巻にして書留めるのである。
 

 【註 解】

 (1)地・水・火・風・空
 ここでは本書の構成概略が示される。地・水・火・風・空の五巻、これらがどういう内容なのか、概略を記す。長文である。
 したがって、なお序文のごとき体裁であるが、この点、諸家の指摘するような矛盾はない。というのも、次に述べられるように、地の巻は地形地盤の地ならしをしているからだ。それをここでは再帰的(reflexive)に語っているのである。
 あるいは、「地水火風空」の五輪・五蘊として仕立てることから、武蔵は東洋哲学流の形式的体裁にこだわりすぎる、という批評もあるが、これはいかにも見方が浅薄である。武蔵にそれほど形式性を重んじるふうはない。
 既に述べたように、五輪書とは書物の形式をとった武蔵の墓である。この墓は五輪塔である。その形態に留意すればいいのであって、形式主義というものではない。
 ようするに、形式と形態は違う。武蔵がとっているのは、形式ではなく、形態だということが気づかれねばならない。あたかも寿蔵を五輪塔にして建造するように、武蔵はちょっとした戯れを演じているのである。
 なお、ここで「その利を知らしめんがために」という「利」は、メリットというより、いわばアドヴァンテージというほどの意味である。  Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 







五輪塔
 
 (2)地之卷
 最初の地の巻は、なぜ「地」の巻か。まっすぐな道を敷設するとき、地ならしをする――と、武蔵は土木的発想で語る。土木建築用語では「地業」という作業である。これなくして何も建造できない。
 ここで「地形」とは、「ちけい」ではなく、「ぢぎやう」「ぢかた」と訓む。土木建築用語では「ぢかた」と訓む習慣が今でも残っている。
 このあたりの比喩の採り方は面白いので、とくと見ておくことだ。
 つまり、「地」というと、当時の人間なら、すぐさま「天地」哲学論を振り回してみたくなろうが、武蔵はそれをしないで、何とまさに土木的に「地」を語るのである。
 五輪書の記述の発想は土木建築的である。こうした記述の特徴が従来指摘されたことがなかったのも、これまでの五輪書論の瑕疵欠陥とすべきである。
 剣術だけをやっていては、まことの道は得がたい、というのが武蔵流である。大きな所から小さい所を知り、浅いことから深いことへ至る、そういう真っ直ぐな道を通すための造成工事をするのが、地の巻だというわけである。
 日本のような自然では地形には起伏がある。そこに直線道路を敷設するためには、昔も今も地形を平らにする造成工事が必要なのである。
 この《地形を引きならす》について、岩波版注記に「道に玉石を敷きつめて地固めすることをいう。基礎を固めるの意」とあるが、これは根拠なき謬説である。
 《地形を引きならす》とは、読んで字の如し、土木造成工事のように地形を平らにすることである。何も道路舗装や基礎固めまでするとは一言も書かれていない。これは余計な解釈をして誤る例である。
 この箇処について見れば既成現代語訳は、右掲の通り、すべて誤りである。武蔵のような昔の人間ほども、かれら訳者は土木工事を知らないのである。これは世間的常識がないということである。  Go Back





梵字 「地」




*【現代語訳事例】
大地にまっすぐな道をえがくことになぞらえ、最初の一巻を地の巻と名づけるのである》(神子侃訳)
まっすぐな道を地固めすることをもって、最初の一巻を地の巻と名づけるのである》(大河内昭爾訳)
まっすぐな道を地面に描くことになぞらえて、最初の巻を地の巻と名づけるのである》(鎌田茂雄訳)

 
 (3)水之卷
 水の巻は、《一流の事、此水の巻に書記すなり》とあるように、主として、武蔵流の太刀筋を初歩から具体的に教える。
 心を水のようにする、という。水は状況に応じて形態を変え、また一滴から広大な海までその大きさを変える。碧潭の水の澄み切った清浄さがある。自由で清浄なこういう水の心にするのである。
 水に碧潭の色あり、清き所を用ゐて――というあたり、この碧潭という語は「寒山詩」の有名な一節を反響させている。吾心似秋月、碧潭清皎潔。かくして、この措辞、当時の詩文教養の世界を背景にしていることを読み取らねばならない。
 ところで、しばしば引用されて問題になる部分が、次に来る。すなわち、一人の敵に自由に勝つときは、世界中の人の誰にでも勝つ、人に勝つというのは、千人万人の敵についても同じ意味である、という「一をもって万を知る」、「一人に勝てば万人に勝つ」というテーゼである。
 これはおかしいじゃないか、と理屈をこねる話が多い。ようするに、一人に勝っても、次にもっと強い奴が現れないとも限らない、それが世の中だ。これでは井の中の蛙ではないか、と。
 常識は、一対一の対戦と、合戦のような集団的戦闘は、おのずから異なる、両者は同軌に扱えないとする。リアルな実戦主義者、武蔵にしては、ずいぶん非現実的な話ではないか、と。――これはこれで、尤もな見解ではあろう。
 しかし、それは常識の論理であって、武蔵はここで、そういう常識的な考えをひっくり返して見せるのである。だから話は、非常識なその先に進んでいなくてはならない。
 「一人に勝てば万人に勝つ」――考えると、これは謎めいたテーゼで、まるで禅の公案である。しかし、武蔵の言うことは、水のアナロジーからのトポロジカルな論理の展開である。
 すなわち、武将たる者の兵法は、小さいものを大きくすることであり、それは「尺のかね」をもって大仏を建立するに同じことである、と。「尺のかね」は曲尺のこと、前述の大工が使う物差しである。この拡張拡大自由自在という論理の非常識性が、武蔵的なのである。
 まず最初に、戦闘に規模の大小はあれ、根本は「一人に勝つ」ということなのだ。「一人に勝つ」ということがマスターできなければ、大規模な戦闘にも勝てない。それゆえの個人の鍛錬なのだとは言える。
 だが、それだけなら、だれにでも言えることだ。武蔵のおもしろいところは、トポロジカルな高度な論理を、――まさに形式論理では短絡としかみえない論理を、そのショートサーキットを、――あっさり行使するところである。
 常識を裏切る事例をあげれば、たとえばトポロジカルな論理では、右のようなドーナツとコーヒーカップは、まさに同じ構造なのである。ここには構造的相同性(structual homology)がある。《一人に勝てば万人に勝つ》というテーゼは、たんなる同一性ではなく構造的相同性を語っているわけだ。これは《一を以て萬を知ること、兵法の利なり》とあるのも同じ論理である。
 この明解なロジックが把握できず、蒙昧な剣禅一如で誤魔化してしまったり、あるいは武蔵の論法はおかしいと非難したりするのが、従来の五輪書読みに共通する欠陥である。ようするに、武蔵のロジックを理解するには知能が足りないわけだ。
 では、なぜこの水の巻で、こうしたロジックが展開されるのか。それはすでに冒頭で言っているではないか。水は、容器の形にしたがって、四角になったり円形になったりする。水はわずか一滴であることもあれば、広大な滄海となることもある、と。方円同一、滴水即大海である。大小自在、形態自由である。これが流体のトポロジーでなくて何であろうか。
 ようするに、視覚的イメージとしては、水のように大小自在・形態自由であること、これが腑に落ちるようでないと、武蔵流の思考法について行けないわけである。
 こうした武蔵の思考と論理は、ある意味で、社会秩序確立以前の具体的思考形態である。秩序が確立してしまうと、こうした思考は受け入れられなくなる。それゆえ、この自由自在の論理が規則違反の短絡としかみえないのである。
 「一をもって万を知る」――これは五輪書で一貫して主張されるテーゼである。この強力なショートサーキットのロジックも、短絡どころか、大小自在・形態自由の武蔵流流体トポロジーにおいて、構造的整合性をもっているのである。このあたり、頭で理解するところでないとしても、数学的構造の了解と似たようなところがあろう。
 このことを、武蔵がここにわざわざ書いたのも、この水之巻の読み方に誤解があってはならぬと、懸念してのことである。水之巻は、剣術の初歩から教える。しかし、それを剣術だけに視野を狭窄して読んではならない。一人との戦闘も、千万の敵に対するのも同じことだと、そのことをたえず念頭において学ぶべきである。ようするに、この巻が「水」の巻であって、心を、水のトポロジカルな流体性になすようにしろ、というわけである。
 しかし、このように武蔵が強調しているのに、どうしても、この水之巻を剣術中心主義的に読んでしまう。その傾向は今日現代でも同じである。武蔵の懸念も警告も、無視されてきた。とすれば、我々は、改めて武蔵流の水のトポロジカルな論理を強調しておくべきである。





梵字 「水」









大仏のお身ぬぐい
奈良 東大寺




ドーナツとコーヒーカップ
どちらも穴が一つの構造





水は一滴となり滄海となる
――――――――――――

 さて、ここの部分で指摘すべき校異が数ヶ所ある。
 その一つは、《第二、水の巻。水を本として、心を水になす也》とあるべきところ、これを《水になる》とする諸本のあることである。これの校異は、筑前系・肥後系を横断して、諸本に見られるものである。

  水になす 水になる
筑前系  立花隨翁本 渡辺家本
 近藤家本 石井家本
 伊藤家本 神田家本
 吉田家本 中山文庫本
 伊丹家本
肥後系  楠家本 丸岡家本
 富永家本 田村家本
 狩野文庫本 多田家本
 稼堂文庫本 山岡鉄舟本
 細川家本 常武堂本

 このように、筑前系では吉田家本・中山文庫本・伊丹家本など早川系が「なる」とするのに対し、肥後系では、上掲リストの範囲では、細川家本・常武堂本の系統のみが、例外的に「なる」と記す。興味深いところである。
 もとより、この部分の記述が「心を水になる」では、明らかに文として誤りである。ここは、肥後系写本の多数派が正しい。肥後系の中でも細川家本・常武堂本の系統のみが誤写している。読者は、こんなケースもあることを知っておいてよい。
 むろん、これまでの五輪書研究で、肥後系諸本の中でも細川家本の系統のみが誤写している箇処があるなんぞ、そんなことが指摘されたことはなかったのである。岩波版五輪書は、諸本校合をしていない杜撰なものだから、この点、何の断りもない。
 他方、筑前系写本は、従来、吉田家本・中山文庫本しか知られていなかったので、筑前系に「水になす」などと書くヴァージョンがあるとは、思いも寄らぬところであった。しかるに、我々が越後で諸写本を発掘精査した結果、筑前系の立花=越後系諸本には、「水になす」と正しく記してあることが判明したのである。
 校異の問題で、もう一つは、次の箇処である。すなわち、諸本に「尺のかた」とあるのをみかけるが、これは、「尺のかね」の誤写誤伝である。
 「尺のかた」とするのは、小を大になすという文脈から、大仏の制作にあたって、まず一尺ほどの型(模型)を作ったということだろうという推測から、「かた」とみなしたものである。しかし、大仏の模型にするのに、一尺のミニチュアでは小さすぎる、模型は少なくとも四尺五尺はある、ということを知らなかったのである。
 そうでなくとも、もし模型のことなら、「尺のかた」とは書かず、「一尺のかた」と書いたはずである。「尺のかた」ではいかにも語句表現がよろしくない。ようするに、ここは、曲尺〔かねじゃく・さしがね〕のことを「尺のかね」と書いたのである。おそらく、「ね」(年)字を「た」(多)と誤読して「かた」としたことが、まず最初の間違いだったようである。
 そのように「かた」とするのは、これも、肥後系・筑前系を問わず、見られる誤写であるから、史料批判によってはじめて訂正可能な箇所である。

  尺のかね 尺のかた
筑前系  立花隨翁本 渡辺家本
 近藤家本 石井家本
 伊藤家本 神田家本
 吉田家本 中山文庫本
 伊丹家本
肥後系  富永家本
 多田家本 稼堂文庫本
 楠家本 丸岡家本
 細川家本 常武堂本
 田村家本 狩野文庫本
 山岡鉄舟本

 こうしてみると、筑前系では、上掲の「水になす/なる」の例と同じく、立花=越後系と早川系の間で截然たる相異があり、ここでも、早川系の吉田家本・中山文庫本等よりも、立花=越後系の立花隨翁本・渡辺家本・石井家本等々の諸本の方が正しい。これをみるに、柴任美矩→吉田実連の段階まで「尺のかね」であったのを、のちに早川系で「かた」と誤写したものらしい。
 また、肥後系諸本をみると、楠家本・細川家本・丸岡家本等がそろって「尺のかた」とするのに対し、富永家本は「尺のかね」である。しかも円明流系統のうち、多田家本と稼堂文庫本が同じく「曲尺」「かね」と書いている。
 ということは、肥後系でも早期には「尺のかね」であったとみえる。これら写本は、どれも後期写本なのだが、早期に派生した系統の末裔である。そこで、たまたま早期の遺跡が保全されていたというわけである。
 何れにしても、「かね」が「かた」に変異したのである。それは書写者の頭に解釈が働いて、目が文字を読み違え、手はおのづから「かね」を「かた」と書いてしまったのである。
 細川家本を底本とする岩波版の注記は、これを《小さな原型。「かね」か》としており、「小さな原型」は無理を通した誤釈であるが、さすがにおかしいと思ったのか、「かた」ではなく「かね」かと示唆しているのは正しい。
 既成現代語訳はすべて、右掲の通り、岩波版細川家本の「尺のかた」を無理に訳して、間違っている。神子訳は「一尺の模型」という、原文にはない「一尺」を持ち込んだ超訳であり、以下、大河内訳・鎌田訳も神子訳の誤りを反復している。神子訳は以前のものだからしかたがないが、せっかく岩波版注記が「かね」の線を示唆しているのに、大河内訳・鎌田訳ともに、これを考える努力を怠ったのである。
 ここは、「尺のかね」でなければならない。これは「一尺ほどの小さな物差」という意味でなく、まさに曲尺〔かねじゃく〕のことである。すこしひねった言い方でそれを「尺のかね」と洒落て書いているだけである。他の例では、兵法のことを「兵の法」と書いたりする。こういう文飾語法の知識がないと、語釈も語訳も初歩的なミスをしてしまうのである。

 この部分でもう一つ指摘すべき校異箇処がある。すなわち、筑前系諸本に、
《一を以て万知事、兵法の利也》
とあって、諸本共通して《万を》とするところ、肥後系諸本のなかには、《万と》として、「と」字に作る例がある。しかし、これが肥後系諸本すべてに共通する語句かというと、そうではない。丸岡家本や円明流系統では、《万を》とする。
 したがって、筑前系/肥後系を横断して共通するのは、《万を》の方である。それゆえ、既出例と同じく、このケースでは、《万を》と記すのが古型であり、これが正記である。《万と》と記すのは誤記である。
 こうしたことは、肥後系諸本ばかりを見ていては、判定がつかないところである。筑前系/肥後系を横断して諸本を照合して、はじめて分ることなのである。
 改めて内容を分析してみれば、実際、《一を以て万知る事》では、文意不通である。内容の点でも、これは明らかに誤写である。そして一部写本に限ったことなので、肥後系の派生過程において、これは早期にはなく、後になって発生した誤写である。
 このように後発的特徴を示す誤写を有するのは、楠家本や細川家本などである。誤写の後発性とその共有ということからして、この両本は近縁性をもつ。言い換えれば、丸岡家本系統が派生した後に派生分岐したのが、楠家本と細川家本の系統である。

細川家本 校異箇処

丸岡家本 校異箇処
 以上のように、このあたり校異が集中しているので、よい機会だから史料評価をしてみよう。以上の諸校異――「心を水になす 」、「尺のかね」、「一を以て万を知る」の三ヶ所――について、肥後系の楠家本・細川家本・丸岡家本の正誤を、それぞれ整理すれば以下の如くである。

校 異 字 句 楠家本 細川家本 丸岡家本
 心を水になす
×

 尺のかね ×
×
×
 一を以て万を知る ×
×


 この一覧表によって校異の結果は明らかである。すなわち、水之巻の記事におけるこの校異三ヶ所に関するかぎり、丸岡家本が二勝一敗、楠家本が一勝二敗、細川家本は零勝三敗で、最下位である。
 他の部分では異なる結果が出るが、このあたりについては以上の結果である。したがって、先入見なしに公平に物事を見るとき、なぜ、これまで細川家本に格別のステイタスが与えられてきたか、不思議に思わない者はあるまい。
 ようするに、細川家本を諸本に勝る特別な写本と見るその理由も根拠もない。ましてや、筑前系/肥後系を横断して諸本を照合すれば、従来細川家本に賦与されてきた格別のステイタスには、およそ根拠がないのは明らかである。かくして、思い込み、先入見というものから自由になれない限り、五輪書もまた不可解な蒙昧の中におかれたままである。   Go Back






肥後系の「なす」と「なる」
丸岡家本/細川家本



*【肥後系五輪書系統派生図】
 
○寺尾孫之丞―早期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├…………………富永家本 なす
 |
 ├…┬…┬……楠家本 なす
 | | |
 | | |誤写発生
 | | └◎┬……常武堂本 なる
 | |   |
 | |   └…細川家本 なる
 | |
 | └…┬……丸岡家本 なす
 |   |
 |   └…┬………鉄舟本 ナス
 |     |
 |     └…田村家本 ナス
 |
 └…流出……円明流系諸本 なす



山梨県勝山村
曲尺をもつ曲尺聖徳太子像
曲尺を発明したという伝説あり




筑前系の「かね」と「かた」
石井家本/吉田家本






*【現代語訳事例】
《これは一尺の模型によって大仏を建立するようなものである》(神子侃訳)
《これは一尺の原型を大きくして大仏を建立するようなものである》(大河内昭爾訳)
《これは一尺の型によって大仏を建立するのと同じである》(鎌田茂雄訳)









*【吉田家本】  《一を以て万知る事》
*【中山文庫本】  《一を以万知る事》
*【立花隨翁本】  《一を以て万知事》
*【渡辺家本】  《一を以て万知事》
*【近藤家乙本】  《一を以て万知事》
*【石井家本】  《一を以て万知事》
*【楠家本】  《一を以て万知事》
*【細川家本】  《一をもつて万知事》
*【丸岡家本】  《一を以万知事》
*【狩野文庫本】  《一を以万知る事》
*【多田家本】  《一を以て萬知事》


*【肥後系五輪書系統派生図】
 
○寺尾孫之丞―早期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├……………………富永家本
 | 誤写発生
 ├…┬◎┬……楠家本 万と
 | | |
 | | └…┬……常武堂本 万と
 | |   |
 | |   └…細川家本 万と
 | |
 | └…┬……丸岡家本 万を
 |   |
 |   └…┬………鉄舟本 萬ヲ
 |     |
 |     └…田村家本 万ヲ
 |
 └…流出…………円明流系諸本


   (4)火之卷
 火の巻では、戦闘での駆け引きや戦局の視点など実戦的な戦法を述べる。ここはとくに説明を要しないであろう。
 ただ若干語釈を要する言葉があり、それらに関して言えば、まず、「けやけき」とあるのは、際立って目立つというほどの意味。火であるから赫然としていること。
 また次に、《もとをりがたし》の「もとをる」はすこし難しいが、元来は「まわる、まがる」という意味である。あるいは、古いところでは、『古事記』中巻の歌謡にある、
《細螺のい這ひ母登富理》
《大石に這ひ母登富呂布細螺の》
の「もとほり」「もとほろふ」であるが、細螺〔きさご〕が巻貝であるところから、「もとほる」である。これは「くるくる回る」という意である。しかし後代の「もとをる」は、自由に操作する、自由が利く、あるいは役に立つという語義に転じた。そこで、《もとをりがたし》とは、自由が利かないという意である。「もとほり」の古義の語感が残存しているとすれば、ここは、大人数だと図体が大きくて、方向転換が難しいというほどの感じである。
 さて、火は、大きくなったり小さくなったりする。水も、容器にしたがって、自在に形を変えたし大きさも変えた。それゆえ、ここでも武蔵は、
《一人と一人との戦も、萬と萬との戦も同じ道也》
として、前記の水のトポロジカルな論理を繰り返している。水之巻では流体のトポロジーであったが、こんどは炎のトポロジーである。こうした水や火の原型的イメージは、バシュラール風の自然学=物理学として読んでよいものである。
 他に言えば、ここでの武蔵流のテーゼは、《心を大なる事になし、心をちいさくなして》とか、《大なる所は見えやすし、小き所は見えがたし》というものである。
 後者について言えば、戦場において大きな所は見えやすいが、小さな所は見えにくい――しかし、それは常識とは逆であろう。「木を見て森を見ず」とか言うから、小さいところは見やすいが、大きなところは見えにくいというのが、通常の話である。
 それを武蔵は、変化ということで説明する。大人数なら図体が大きくて変るのが難しいものだから、見えやすいが、一人の事のような小さな所はあっという間に変化するから見えにくい。
 この火の巻で説くのは、――と武蔵は云う、――早い間の(変化の)事であるから、日々に手馴れて、日常のことと思い、心の変らぬところ、それが兵法の肝要である、と。
 ようするに、瞬時に変転する細部を把握するには心の不変がなくてはならない――という初歩の教えである。言うならば、変化における不変、運動における不動、という兵法の弁証法的構造がここで示唆されているというわけである。
 しかしこれはまだ教えの初歩である。だれでも言う基本のことだから、とりたてて論ずべきことはない。後に武蔵はもっと複雑な話を繰り出してくるだろう。

――――――――――――

 この部分における校異について指摘すべき箇処がある。すなわち、筑前系諸本に、
《日々に手なれ、常の事とおもひ、心の替らぬ所、兵法の肝要なり》
とあって、諸本共通して《常の事と》とするところ、肥後系写本には、《常のごとく》とする例が多い。
 この相異が筑前系/肥後系を截然と区分する差異かというと、必ずしもそうではない。肥後系のうちでも円明流系統の狩野文庫本は、《事と》と記し、多田家本には、同類の《事に》と写し崩すのである。
 円明流系統は比較的早期に派生した写本の子孫である。それゆえ、早期写本の痕跡を残している箇処もある。このケースもそうであろう。おそらく、肥後系も早期には、《事と》と記していたのである。これが後に、《ごとく》へと変異したものらしい。
 もとより、「常の事と」思うも、「常のごとく」思うも、このケースでは、文意は大して変らない。しかし、どちらが正しいかとなると、古型はどちらか、ということで決まるのである。
 筑前系諸本には共通して《事と》と記すから、これは筑前系の初期からあったという見当が付く。しかも、肥後系でも円明流系統に《事と》の例があることからすると、肥後系早期にはこう記していたらしいということになる。
 このような《事と》から《ごとく》へ、というこの変異プロセスは、いかなる経緯をたどって生じたのか。それはおそらく、肥後系で仮名で「ことゝ」と記す写本が発生して、その「ことゝ」の「とゝ」二字を、「とく」と読んでしまい、「ことく」と記すようになったものである。以後、肥後系写本のなかに《ごとく》と読んで伝える写本が生じたのである。
 これは円明流系統の派生以後のことであり、肥後系のなかでも《ごとく》と記す写本は、いづれも大して古いものではないのである。
 しかし、《常のごとく》と記す岩波版細川家本に依拠する従来の語釈は、こうした校異状況を知らないようで、その無知から、ここを抵抗なく読んでしまっている。
 それだけではなく、既成現代語訳を通覧するに、《常のごとくおもひ》という語句が曖昧になっていった。戦前の石田訳がその皮切りのようで、細川家本の《常のごとくおもひ、心のかはらぬ所》が、「平常と變らぬ心を持つやうになること」と一種の超訳で臨んでいる。
 戦後になると、神子訳が、「いざというときに平常心で当たれるようになること」と、これまた輪をかけた超訳を示し、原文のどこにもない「平常心」という言葉を持ち込んだ。この神子訳の脱線は、岩波版注記も継承して、「いかなる場合に臨んでも、迷いのない、平常心を養うこと」と記して、いつのまにか「迷いのない」という形容詞を密輸して、誤謬を増幅している。
 次の大河内訳は、「いざというときも、いつもと変らずに戦うこと」として、まったく原文から遠くかけ離れた脱線を演じているし、鎌田訳は、「平常心で当たれるように心がかわらないこと」として、神子訳および岩波版注記の「平常心」を頂戴しているだけではなく、細川家本原文の《常のごとくおもひ》という語句は、跡形もないという破壊ぶりである。
 こういう誤釈珍訳を陳列してみると、その遠因はやはり、細川家本が《常のごとく》という誤記を写したことにあると言わざるを得ない。これが迷惑の原因である。これが、文意を不明確にして、ついには「迷いのない平常心」などという阿呆な話が思いつかれるようになった。
 もし訳者が、《常の事とおもひ》が正しいと知っておれば、ここまでの脱線は生じなかったかもしれない。この箇処もまた、原文校訂にまで遡って、現代語訳の訂正が必要なところである。   Go Back





梵字 「火」
























*【吉田家本】
《常の事とおもひ、心の替らぬ所》
*【立花隨翁本】
《常の事とおもひ、心の替らぬ所》
*【渡辺家本】
《常の事と思ひ、心の替らぬ所》
*【近藤家乙本】
《常の事とおもひ、心の替らぬ所》
*【石井家本】
《常の事とおもひ、心の替らぬ所》
*【楠家本】
《常のごとくおもひ、心のかはらぬ所》
*【細川家本】
《常のごとくおもひ、心のかはらぬ所》
*【富永家本】
如常思ひ、心のかわらぬ所》
*【狩野文庫本】
《常の事と思ひ、心の替ぬ所》
*【多田家本】
《常の事に思ひ、心の替らぬ所》









*【現代語訳事例】
《日々練習して平常と變らぬ心を持つやうになること》(石田外茂一訳)
《日夜、習熟して、いざというときに平常心で当たれるようになること》(神子侃訳)
《日々習熟して、いざというときも、いつもと変らずに戦うこと》(大河内昭爾訳)
《日日に習熟して、平常心で当たれるように心がかわらないこと》(鎌田茂雄訳)

 
 (5)風之卷
 風の巻は、《他流の事を書顕す也》と、他流に対する批評である。ようするに、一言で云えば「他流批判」である。五輪書の兵法書としての特徴は、このような他流批判を含むことである。
 何ごとであれ、自身が自身であること、アイデンティティは、自身一個では規定できない。往時の構造主義的思考の所説を俟つまでもなく、まさしく他との差異によってのみ自己規定は可能である。
 武蔵は、他の流派の事をよく知らずしては、自派の理解は成りがたい、とする。つまり、即自的な自己知はありえず、対他の回路を巡回してはじめて、自己了解に到るのである。これまた他者を反面の鏡として、ネガティヴな鏡として、自己認識に到るという弁証法である。
 しかし武蔵の教えはそこにとどまらない。言うならば、構造主義的な自他の差異にとどまらず、自他の対立のプロセスを通じて、この対立が実はリアルな対戦と重層的に規定されることを示し、兵法の弁証法的構造を武蔵は語ろうとするとみえる。ただしこれも、弁証法が闘争の論理だというヘーゲルの思考を前提しての話ではあるが。
 もうひとつは、修行のバタフライ効果とも言うべきものである。すなわち――《道々事々をおこなふに、外道と云心有》として、「外道」〔げどう〕のことを語り、真実の道を究めなければ、始めはほんの少しの心の歪みも、後には大きな歪みになってしまうものだ、という話である。
 《ものごとに、あまりたるは、たらざるに同じ》――どんなことでも、過剰は不足に等しい。この反対物の一致(correspondence of opponents)は武蔵的テーゼと云うべきもので、後にも繰り返されるだろう。武蔵一流のユーモアで、毒が効いている。
 だから、他の諸流派がどんなものか、知っておかねばならない。言わば、この風之巻は他流のやり方を解説するとともに、初心の者へのガイダンスを行うのである。

――――――――――――

 ここで、語釈の問題を挙げれば、以下の部分である。
《他の兵法、劔術ばかり、と世におもふ事尤也。わが兵法の利わざにおゐては、各別の儀也》
 この「利わざ」という語。これは筑前系/肥後系を通じて、同じく「利わざ」である。ただし、これはそのままでは読めないところである。したがって、当時の「りわざ」の語法から「理事」という書字に復元すべきところである。「事」は「わざ」と訓むのである。後に述べられるであろうが、この「理」と「事」は相対される概念である。
 五輪書諸写本はいづれも同じく「利わざ」である。とすれば、この「利わざ」という字句は、寺尾孫之丞の段階まで遡りうるものである。これは、「理事」を「利わざ」と仮名書きしたもので、「利」字には漢字の所記的意味はない。武蔵のオリジナルにも、そのように仮名書きで「りわざ」とあって、「理事」を意味せしめただろうし、孫之丞はそれを転写しただけである。したがって、「利わざ」という表記の「利」字は、文字通りの仮名文字であって、それに所記的意味を読み取るのは、明らかな錯誤である
 この「利わざ」に関して、岩波版注記は「理合(りあい)と業(わざ)」だとしている。これは意味内容は誤りではないものの、やはり「りわざ」が「理事」という成語であったことを明確に注記すべきところである。この点、正確な注記とは言えない。
 既成現代語訳を見るに、右掲のごとくで、神子訳は「りわざ」の語義を知らないために誤訳しているが、他の二者は、岩波版注記にガイドされて、「理事」に近い線を出している。ただし、「理事」が成語であることが、この訳語では不明である。

 なお、ついでに校異の点を申せば、ここで一つ、注意すべきことがある。それは、他の諸写本にはなく、細川家本・常武堂本の系統にのみある脱文箇処のことである。










梵字 「風」





















*【現代語訳事例】
《他の流派では、兵法といえば剣術のことだけと思っている。そう思われるのも無理はない。わが兵法では、狭義の兵法(剣術)と広義の兵法の二つがあると考える》(神子侃訳)
《他の流派では、兵法といえば剣術のことだけと思っている。もっともだが、それは誤りである。わが兵法の利わざ(理合と業)においては、考え方がまったく異なっている》(大河内昭爾訳)
《他の流派では、兵法といえば剣術のことだけと思っている。もっともだが、それは誤りである。わが兵法の理と業においても、特別な意義があると考える》(鎌田茂雄訳)


*【吉田家本】
《実の道を極めざれば、少心のゆがミにつゐて、後にハ大にゆがむものなり。ものごとに、あまりたるは、たらざるにおなじ。能吟味すべし》
*【楠家本】
《実の道をきわめざれバ、少心のゆかミにつゐて、のちにハ大きにゆかむもの也。物毎に、あまりたるハたらざるに同じ。よく吟味すべし》
*【丸岡家本】
《実の道を極めざれば、すこし心のゆがみに付て、後には大キにゆがむもの也。物ごとに、餘たるは、不足におなじ。能吟味すべし》
*【石井家本】
《實の道を極めざれバ、少し心のゆがみにつゐて、後にハ大にゆがむもの也。ものごとに、あまりたるハ、たらざるに同じ。能吟味すべし》
*【細川家本】
《實の道を極めざれば、少心のゆがみに付て、後にハ大きにゆがむもの也。【★★★★★★脱文★★★★★★】吟味すべし》
*【狩野文庫本】
《実の道を極ざれバ、少心のゆがミに付て、後ニハ大きにゆがむ者也。物毎ニ、余りたるハたらざるに同じ。能吟味すべし》
 さきほど、反対物の一致として述べたところの、《ものごとに、あまりたるは、たらざるに同じ》、つまり過剰は不足に等しいという武蔵的テーゼ、それがここでは丸ごと脱落している。
 これは、続いて《よく吟味すべし》と指示があるものだから、落せない言葉である。にもかかわらず、細川家本・常武堂本の系統には、それがない。つまり、細川家本・常武堂本の祖本の段階で、不注意にもこれを脱落せしめたのである。
 これは、筑前系では勿論、肥後系諸本の中でも、この系統にのみ見られる脱字である。つまり、写し崩れの多い他の肥後系諸本でさえ、ここを正しく記すのに、細川家本・常武堂本の系統だけが誤写している。ようするに、細川家本をむやみに信奉して、異本照合を怠っていると、武蔵の重要なテーゼさえも見失ってしまうのである。
 しかるに、岩波版注記は、このような細川家本の脱字について何の断りもない。ということは、他の異本を参照しなかったと見える。そういう杜撰な校訂が現行岩波版を生み出している。
 武蔵が云っておるではないか。――《他の事をよくしらずしては、みずからのわきまへなりがたし》。
 五輪書を校訂する者が、武蔵の教えに背いてどうする? 後学の諸君は、武蔵の教訓にしたがって、他の異本を可能なかぎり当たってみることだ。そうすれば、多少なりとも自身のわきまえもできることだろう。
 しかし、さらに問題なのは、岩波版細川家本しか知らない既成現代語訳である。むろん、この武蔵的テーゼがここにあるとさえ気づかず、素通りしてしまっている。かくして、今に至るも、読者はそれを知らされず、「五輪書」と称する粗悪な擬い物を読まされているというわけである。   Go Back


*【肥後系五輪書系統派生図】

○寺尾孫之丞―早期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├…………………富永家本 脱文無
 |
 ├…┬…┬……楠家本 脱文無
 | | |
 | | |脱文発生
 | | └◎┬……常武堂本 脱文
 | |   |
 | |   └…細川家本 脱文
 | |
 | └…┬……丸岡家本 脱文無
 |   |
 |   └………田村家本 脱文無
 |
 └…流出……円明流系諸本 脱文無

 
 (6)空之卷
 五輪塔の一番上に宝珠が載っている。これが空〔くう〕の部分である。
 最高のポジションがまた最も深いのである。逆にいえば、深淵こそ最も高みにある。そんなトポロジカルな逆説である。
 ここで「空」というと、何やら抹香臭くなるのも致し方ない。仏教に影響されてそういう最高最深の境位を求める文化的伝統があって、それが我々の場所にまで連続しているからである。
 しかし、武蔵の場合、「空」は具体的に、奥も入口もない空間である。しかもそれは、作為執着によるのではなく、おのずから自由である空間である。これはまた仏家の即身成仏や頓悟法門などといった密教的伝統を背景に、禅門においてとくに主張された思想的ポジションであるが、武蔵がこれを言うとき、決して禅堂での観想においてではなく、まさしくリアルな戦闘シーンを背景にして語るのである。
 したがって、武蔵が「空」というとき、殺人という至高悪の深淵、まさにリアルなものの空虚の露出を、我々は読み取らねばならない。空は決して観念的なものではなく、まさにリアルなものの次元に出現するのである。
 こうしたことを念頭において、ここでの武蔵のテーゼ、
《空と云出すよりしては、何をか奥と云、何をか口といはん》
《道理を得ては、道理をはなれ》
を受けとらねばならない。この二つは、要するに同じことを言っているのである。
 あらかじめ言えば、この空之巻が最高の境地を語っているとみるのは、誤りである。既に「空」というときは、何を「奥」といい何を「入口」といおうか、である。もはや入口も奥もない。最高も最低もない。武蔵がこの兵書を、若年初心者のために書いたそのポジションは、まさにそこにある。
 ただし、この「そこ」はどこにもない場所、非場所(utopos)であると、言えば言えるが、それでは文学的にすぎる。そうではない。むしろトポロジカルな場所として、それは死と殺人のリアルな現場で不意に露出するものである。言わば、最悪の場所でこそ「空」はある。
 それゆえ、以下に言う「おのづからの道」としての空の道も、そのような文脈で読まれなければならない。すなわち、――道理を得てしまえば、道理を離れ、兵法の道におのづと自由があって、おのづから奇特を得る。時に相応しては拍子を知り、おのづから打ち、おのづから当る。これみな空の道である。そのようにおのづから真実の道に入ることを、空の巻にして書留めるのである、云々。
 この武蔵流の「おのづからの道」としての空の道を、老荘的自然主義と読むのは誤りであるし、ましてや、日本的なあれやこれやの無心としての自然主義と見るのも誤解である。
 武蔵は、明確に、おのづから打ち、おのづから当る、これみな空の道である、と書いている。この「おのづからの道」とは自動運動のことである。自動と自然が違うのはだれでも理解できよう。しかも、それが自動的に人を殺傷する運動なのである。
 これが、武蔵の「おのづからの道」としての空の道である。殺生の最悪の場所でこそ「空」はある。ゆえに、武蔵の「空」は、善悪の彼岸という倫理性を帯びる。このことを見ないかぎり、五輪書という兵法教本の根底にある地獄も知らぬ、能天気な武蔵論ばかり、という現状が再生産されるのである。

――――――――――――

 ここで、校異の所在から、ひとつ興味深い事実が判明するので、それを挙げておく。ことは筑前系写本に限ってのことである。すなわち、
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》
という、奥/口の話のところ、筑前系吉田家本では、第二の《何をか》を落としている。
 他の筑前系諸本、立花隨翁本をはじめ越後系の諸本では、この第二の《何をか》は正しく保全されている。それのみならず、同じ早川系の中山文庫本や伊丹家本にしても、この第二の《何をか》を落としていない。
 吉田家本は、一般に中山文庫本等諸本よりも比較的正確である。そして、他には見られない文字表記の一致も見られる。したがって、このことから、吉田家本は中山文庫本の「父祖」ではないかという推測もあった。しかるに、この例のように、中山文庫本が正記する箇処を、吉田家本が脱字せしめているのである。
 ここから、興味深い結論を得るのである。すなわち、――同じ吉田=早川系であっても、吉田家本に、中山文庫本にはない誤記があるということは、吉田家本のうち地水火風四巻は、中山文庫本等諸本の「父祖」ではなく、互いに平行関係にある写本だということである。つまり、吉田家本四巻は、早川系内で分岐派生した後の写本だということである。それゆえ同じ系統でも、その中で校異が発生しているのである。
 そのことから、さらに、吉田家本は、中山文庫本の「父祖」と交渉があったのではないか、と推測しうる。つまり、中山文庫本は、吉田実連から早川実寛(吉田卓翁)へ派生した流れに属するのだが、この早川系の写本が早期に還流して、それが吉田家本四巻になったと見なしうるのである。


吉田家本 立花増昆跋文

 そうすると、吉田家本空之巻に継ぎ足した立花増昆の跋文(寛政四年)の記事を、どうみるか。というのも、そこには、
 ――二天流の兵書、地水火風空五巻は、新免玄信居士により、寺尾孫之允信正、柴任美矩に伝わり、柴任美矩から吉田実連に与えた書五巻、これが貴家(吉田家)の高祖父吉田式部治年が所持していて、代々伝えたのだが、筐底に埋れていたばかりであった、という。
 つまり、寛政四年(1792)の段階での立花増昆の言によれば、柴任が吉田実連に与えた五巻は、吉田治年以来この吉田本家に伝持されていた。ところが、現存吉田家本を見るに、空之巻以外の四巻は、柴任美矩→吉田実連当時のものではなく、写し崩れのある明らかに後世の写本である。言い換えれば、吉田治年以来、吉田本家にあったと立花増昆が云う五巻のうち、空之巻だけが現存しており、他は逸失して、替りに後の写本が充当されているのである。
 したがって、いま地之巻に関わっているところだが、この地之巻を含む吉田家本四巻は、どこから来たものか、ということが次の問題である。
 この件については、なおしばらく再考を要するところであるが、当面は、早川実寛系統の月成実久から大塚重寧あたりの五輪書が書写されて、吉田家へ還流したのではないかと想定している。
 それはともあれ、この脱字箇処から、吉田家本と中山文庫本との関係も、おおよそのところ見当がつくようになった。吉田家本と中山文庫本はともに、立花系の隨翁本に対して、早川系と位置づけられるものであるが、吉田家本と中山文庫本の両者は平行関係にあり、大塚家本や中山文庫本の「先祖」から吉田家本四巻が派生したと見ることができるのである。   Go Back





梵字 「空」





空の幡








 





*【吉田家本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、【】くちといはん》
*【中山文庫本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》
*【立花隨翁本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》
*【渡辺家本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》
*【石井家本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》
*【伊藤家本】
《空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん》


*【筑前系五輪書伝系図】

○新免武蔵守玄信―寺尾孫之允┐
 ┌――――――――――――┘
 └柴任美矩―吉田実連―┐
    吉田家本空之巻 |
 ┌――――――――――┘
 ├立花峯均―立花増寿┐隨翁本
 |┌――――――――┘
 |├立花種貫―立花増昆―┐
 ||┌―――――――――┘
 ||└吉田経年 吉田家本相伝証文
 ||
 |└丹羽信英…→(越後門流)
 |         越後系諸本
 |
 ├(吉田治年)…吉田家本四巻
 |          ↑?
 └早川実寛―月成実久―┤
  ┌―――――――――┘
  └大塚重寧―大塚藤実―→


*【立花増昆跋文】
《二天流の兵書、地水火風空五巻ハ、新免玄信居士により、寺尾孫之允信正、柴任三左衛門美矩に傳り、美矩より吉田太郎右衛門實連に与へし書五巻、貴家の高祖父式部治年丈所持ありて、代々傳ふといへども、只筐底に埋れぬ》




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