(3)卒たる者、此ごとくなり
武蔵は、士卒、兵士たる者は、このごとくなり、大工と同様である、この事実をよくよく吟味しろ、とする。とすれば、いったんここで条文は終ってよいはずだが、現存写本では、さらに続けて、《大工の嗜、ひずまざる事、とめを合する事…》と記している。
前段に、《大工の嗜、能きるゝ道具をもち、すき/\にとぐ事肝要也》とあって、大工の嗜み(心がけ)を述べているから、これは重複であり、文章の整理がすんでいないところである。
このように、再度大工の嗜の話が重複して出てくる。つまり、むしろこの反復部分を削った文の方が話は筋が通るのだが、これは、別の書きさしの断片を捨てずに、そのまま取り込んで、ここに加えたかたちである。
これも草稿状態を示すところであり、また草稿断片を捨てずに編集したものとみえる箇処である。
なお、語釈のことからすれば、ここでは、現存写本に共通して、《すりミかゝざる事、後にひすかざる事》とある箇所が問題であろう。
《すりミかゝざる事》というと、従来語釈は一般に「摺り磨かない」というように読んでしまうのだが、それは早とちりである。どうして大工が摺り磨いてはいけないのか、それを知らずに訳しているが、それでは意味が通らない。棚板や床框など、とくに最後の仕上げにすり磨いて、それから漆など塗装することがある。
したがって、ここには、誤記があるとみなければならない。ようするに、《すりミかゝざる事》の「ミ」(み)字が衍字なのである。武蔵のオリジナルテクストには、《すりかゝざる事》とあったはずのものである。
つまり、これは《擦り欠かざる事》という語句で、「部材表面を擦って傷つけないこと」という話なのである。直前に「かんなでうまく削ること」とある文脈の連続からすると、せっかくきれいに削っても、それを傷つけては台無しだからである。これは今日でも同じで、かんなで仕上げた後は、表面を傷つけないように大事に養生するものである。
現存諸本は、筑前系/肥後系を問わず、多数が《すり「ミ」かゝざる事》としている。ということは、この衍字誤写は寺尾孫之丞段階のものであろう。孫之丞は、つい「摺り磨かざる事」と読んでしまって、オリジナルにはない一字を入れてしまった。それが、この部分に関するかぎり、そのまま「誤りなく」伝写されて、現存諸写本の文字になっているわけである。
興味深いことに、肥後系諸本の中に、ここに異を立てているものがある。つまり、丸岡家本は、これを《磨琢事》として、否定形ではなく「すりみがく事」としている。これは「すりみがかない事」では、文意不通とみなして、改竄したものであろう。また後継の田村家本は、この《すりミかゝざる事》という語句そのものを削除している。この系統は、他の諸本と異なり、書写者が、《すりミかゝざる事》では変だと気づいたようである。
ともあれ、我々のテクストでは、現存写本の多くに違背して、これを《すりかゝざる事》としている。つまり、「ミ」(み)字を衍字とみなして、武蔵のオリジナルを復元したのである。
もうひとつ、ここでの語釈に関して指摘しておきたいのは、上掲の《大工の嗜、ひずまざる事、とめを合事、かんなにて能削事、すり(ミ)かゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》の部分、「後にひすかざる事」とある《ひすく》という語である。
これについては、従来、「ひずく」として、これをさらに「ひずむ」「ゆがむ」と無理やり誤釈しているものが多い。岩波版注記に至っては、これを「ねじれないこと」として、珍解釈を披露している。
むろん、《ひすく》には、歪む、ねじれるの意だという語例はない。これは五輪書読解に多い恣意的な誤釈の一例である。そもそも、すでに「大工のたしなみ、ひずまざる事」と書いているのだから、歪むということなら、「ひずまざる事」と書くであろう。
とすれば、これは「ひすく」とそのまま読んだ方がよい。「後に」ひすかざる事というのだから、ここは、後に木材が乾燥収縮して、隙間が生じる、という意味の「乾すく」である。だから、ここは、後々木材が乾燥しても隙間が生じないようにすること、という語義である。
このあたり、既成現代語訳と比較すれば明白なことだが、我々の語釈によって、はじめて五輪書が正しく読めるようになった、という一例である。
諸本校異に言及したついでに、ここでもう一つ指摘しておけば、この条文の終りの結語部分、筑前系諸本に、
《此道を学ばんと思ハヾ、書顕す所の一こと/\に心を入て、よく吟味有べき者也》
とあって、《一こと/\に》とあるところ、これに対して肥後系諸本には、語句表記さまざまで、誤りが多い。
(楠 家 本) 書顕す処の一こと/\に
(細川家本) 書顕す所のこと/\に
(丸岡家本) 書顕す所のこと/\くに
(田村家本) 書顕ス処ノ如クニ
(富永家本) 書顕所の一/\こと/\くに
(狩野文庫本) 書に顕ス所の一事/\に
このように、上掲例では楠家本と狩野文庫本だけが正記する他は、誤記が見られるところである。細川家本は、「一」字を脱字して、「ことごと(事毎)に」と誤解し、丸岡家本は同じ脱字をうけて、「ことごと(悉)くに」と解釈し、田村家本にいたっては、語重複記号「/\」を「く」字に読んで、「如くに」と改竄している。あるいは、富永家本では、「一々悉くに」と読む。
まことに混乱した状況だが、こうした諸例からすれば、細川家本や丸岡家本も他と変わりがない。写本としての程度が知れるところである。
しかし、岩波版は、他の諸本との照合を怠っているものだから、これをそのまま「こと/\に」と書いて、何の断りもない。もっとも流布している岩波版五輪書が信用ならないというのは、この例でもわかる。一般の読者は、それを誤記と知らずに読まされているわけである。
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*【吉田家本】
《大工の嗜ミ、ひずまざる事、とめを合事、かむなにて能削事、すりミかゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》
*【立花隨翁本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりミかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【渡辺家本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりミかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【石井家本】
《大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すりミかゝざる事、後にひすかざる事、肝要也》
*【楠家本】
《大工のたしなみ、ひずまざる事、とめをあハする事、かんなにてよくけづる事、すりミかゝざる事、のちにひすかざる事、肝要なり》
*【細川家本】
《大工のたしなミ、ひずまざる事、とめをあハする事、かんなにて能けづる事、すりみかゝざる事、後にひすかざる事、肝要なり》
*【丸岡家本】
《大工のたしなみ、ひずまざる事、とめを合する事、かんなにて能削る事、磨琢事、後にひすかざる事、肝要也》
*【田村家本】
《大工ノ嗜、ヒズマザル事、トメヲアワスル事、カンナニテヨク削ル事、【★削除★】、後ニヒスカザル事、肝要也》
*【現代語訳事例】
《かんなでよく削ること、やたらに磨きたてないこと、あとでゆがまないこと》(神子侃訳)
《かんなでよく削ること、やたらに磨きたててごまかさないこと、あとでひずみが出ないこと》(大河内昭爾訳)
《かんなでよく削ること、すり磨かないこと、あとでゆがまないこと》(鎌田茂雄訳)
*【吉田家本】
《書顕す所の一こと/\に心を入て》
*【中山文庫本】
《書顕す所の一こと/\に心を入て》
*【立花隨翁本】
《書顕所の一こと/\に心を入て》
*【渡辺家本】
《書顕所の一ことひとことに心を入て》
*【石井家本】
《書顕所の一ことひとことに心を入て》
*【楠家本】
《書顕す処の一こと/\に心を入て》
*【細川家本】
《書顕す所のこと/\に心を入て》
*【丸岡家本】
《書顕す所のこと/\くに心を入て》
*【田村家本】
《書顕ス処ノ如クニ心ヲ入テ》
*【富永家本】
《書顕所の一/\こと/\くに心を入て》
*【狩野文庫本】
《書に顕ス所の一事/\に心を入て》
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