*【朝鮮日々記】
《人あきないせるもの(中略)後につき歩き、男女老若買取て、縄にて頸をくくり集め、先へ追立て、歩み候ねば後より杖にて追い立てゝ打ち走らかす有様、(中略)かくの如くに買集め、たとへば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせ荷物を持せなどして責むる躰は、見る目いたはしく有りつることなり》
*【宣祖實録】
《以朝鮮所捕之人、送于日本、代為耕作、以日本耕作之人、換替為兵、年々侵犯、仍向上国矣》
*【ヴァリニャーノ書簡】
《私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。なぜなら、国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うからです。(中略)もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きです。なぜなら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しいので求めるべきものは何もなく、また人民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからです。(中略)しかしながら、シナにおいて陛下がなさりたいと思われている事のために、日本は時とともに非常に益することになるでしょう。それゆえ、日本の地を極めて重視する必要があるのです》(一五八二年一二月一四日付 フィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデ宛)
*【カブラル書簡】
《第一に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主への大きな奉仕であり、第二にそれによって全世界的に陛下の名誉が高揚される。第三に、シナとの自由な貿易により王国に多額の利益がもたらされ、第四にその関税により王室への莫大な収入をあげることができる。第五に、シナの厖大な財宝を手に入れる事ができ、第六にそれを用いて、すべての敵をうち破り短期間で世界の帝王となることができましょう》(一五八四年六月二七日付 スペイン国王宛)
*【カブラル書簡】
《私の考えますに、この政府事業を行うのに、最初は七千ないし八千、多くても一万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分でしょう。(中略)日本に駐在しているイエズス会のパードレ(神父)たちは、容易に二三千人の日本人キリスト教徒を送ることができるでしょう。彼らは長く続く戦争に従軍してきているので、陸海の戦闘に大変勇敢な軍人であり、月に一エスクード半または二エスクードの報酬で、嬉々としてこの征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するでありましょう》(同前)
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A――朝鮮出兵の際、日本の民衆は、これを快挙として大いに興奮していたが、大名は軍事資源調達に四苦八苦している。しかも、あのドサクサに、大名の領国支配はかなり危なくなっているね。
B――それは、朝鮮動員がかなり極端なものだったからだ。主力が出兵してしまっては、領国支配は手薄になってしまう。その隙に、在国ではいろんな思惑が活発化して情勢が不穏になる。ところが、侵略戦争を内乱へ、というテーゼが貫徹されなかったのは、朝鮮出兵が武士だけではなく、領国住民を大量に動員するものだったからだ。村々の若者たちを動員したからね。
C――連中は、出稼ぎのつもりだったろう(笑)。それよりむしろ、戦争は武士だけがやっていたと思ってしまうのは、そもそも間違いだね。武将から足軽クラスまで含めた武士集団の他に、それと同数程度の非武士集団、百姓・商人が動員されていたのが実態だ。武士が千人いたら、それ以外に千人、非武士集団がいた。この非武士集団こそ兵農非分離の集団だね。朝鮮侵略でこうした非武士集団が、全国からそれこそ何十万と集められた。しかし、彼らを徴発できたのは、むろん戦利品の誘惑だね。
B――朝鮮侵略は、それまでの戦国期の内戦と同じパターンで、殺戮と掠奪を徹底してやっている。戦果の一つは、何人殺したか、ということだから、首をいくつあげたか、そこで、首を何千と船に積んで送ってくる。あまり数が多すぎて、首だと嵩が高すぎて船で輸送できないとなると、削いだ鼻だけ送ってくる。これが何人殺したかという物証だね。そうしてまた、戦利品は、物だけではなく、生きた人間も戦利品だ。半島の住民を大量に生け捕りにして、日本へ送っているね。
A――すると、金正日の諜報機関はささやかな歴史的報復をしたというのかな(笑)。一向宗の従軍僧の日記(慶念・朝鮮日々記)がありますね、釜山あたりは、日本からやってきた人買い商人が群れて奴隷市場を形成していたらしい。それに、侵略軍に人買いがつき従って、どんどん買い取っていたようですな。
C――人間を戦利品として日本へ送る。その掠奪論理が、興味深いことに、二十世紀の論理と同じなんだぜ。『宣祖實録』という李朝の正史があるが、当時捕虜になった日本人武士の供述がある。それを見ると、朝鮮人を日本へ連行してきて、労働者として働かせる。日本の農民はそれと代って兵として朝鮮に送って、「上国」つまり明への侵略軍に仕立てる。すなわち、日本人は出征してしまうから、国内生産は生け捕りにしてきた朝鮮人にやらせよう、というわけだ。
A――そういう意味では、侵略戦争の組織論は、秀吉の時代から変っていなかった。しかし、秀吉はどうして、朝鮮出兵、大明国支配などという、途方もない企画を立てたのですかね。
B――もちろんこれは、誇大妄想でも何でもない。ヨーロッパ人のキリスト教宣教活動の、アジア植民地化構想とシンクロナイズ(同期)したものだね。秀吉が誇大妄想なら、ヨーロッパ人は誇大妄想を現実に実現してしまった連中だぜ(笑)。
C――イエズス会の東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの書簡など見れば、日本は植民地化は無理だが、支那なら十分可能性がある、そのとき日本人の軍事力を支那征服に利用できるとの報告だな、これが(笑)。
A――スペイン人はアメリカ大陸を経て、十六世紀半ばには太平洋を横断してフィリピンに到達してましたな。そこをアジア植民地化事業の拠点にして、極東地域で貿易と布教の旺盛な活動を行っていた。
B――宣教師たちは、国王に支那征服の献策をしている。信長に会っていたフランシスコ・カブラル(一五七〇年代イエズス会の日本布教長)によれば、支那征服には六つのメリットがあると言うね。それを見ると、話はまったく帝国主義の論理だ。カブラルは、チノ(支那人)は悦楽に耽溺し臆病である、だから征服は容易であると言うね。
C――その例証が、れいのマカオの一件だね。日本人十三人がマカオに渡来した時、数千人の支那軍に包囲されたが、支那の船を奪って脱出した事件。その際に多数の支那人が殺されたが、日本人は数千人を相手にして一人も死人がでなかった、日本人は戦争に強いぞという話だが、当時周辺地域での日本人のイメージは海賊、ようするに掠奪する暴力団だね(笑)。
B――十六世紀を通じてジャパニーズ・パイレーツは東シナ海を荒らしまくっていた。そこで、陰流の伝書が大陸へ流出して知られていたりすることもありうるわけだ。当時あいつら強いぞということで、武術と言えば、海を渡って来襲する日本人(笑)。
C――水軍というが、海賊だね。陰流の流祖・愛洲移香斎の愛洲氏なんてのも伊勢に根拠をおく海賊で、熊野水軍に組織された一党だろうが。十五〜六世紀は戦国時代ということで、国内にしか歴史の目が向かないが、実は武士は掠奪と交易の場を東アジア沿岸全域に展開している。このインターナショナルなシナ海という交通世界は、戦国というドメスティックなケチな話じゃない。鉄砲なんて武器も最初、マカオの生産地から直接仕入れたのだろう。
A――すると、鉄砲の伝来が種子島経由というのは?
B――むろん、ポルトガル人が種子島にやってきて、というのは事実だろう。しかし、そのポルトガル人たちは倭寇の船に乗ってやって来たんだよ(笑)。
C――種子島以前から、倭寇はポルトガル人と付き合っていたし、むろん鉄砲も知っていた。日本人はそれ以前からシナ海沿岸を寇していたのだから、スペイン人やポルトガル人の先輩だったはずだね。ポルトガル人がマカオに居つくのを明朝に許されたのは、倭寇を追い払ったからだ。
B――種子島の一件後になるが、マカオに戦略拠点が開設されると、シナ海の状況は一変する。最初に鉄砲を戦場で大量に使った鈴木孫市の雑賀衆は水軍を背景にしている。この連中は、陸で使う前に海で鉄砲を使っていたんだ。雑賀衆以外にも同種の集団がいただろう。彼らは武装集団であると同時に、渡海交易集団でもあり、しかも武器生産のテクノ集団でもあるね。
C――インターナショナルな水軍をバックにしていたというのでは、もっと早い時期の例があるね。たとえば、嘉吉の変(1441)で赤松満祐が将軍義教を殺して、播州へ逃げ込んで戦ったが敗北し、赤松氏嫡流は壊滅する。このとき、嘉吉の変の首謀者の一人、赤松左馬助則繁は、決戦場の木山城から脱出、なんと朝鮮へ逃げた。それで、朝鮮の使節がやって来てクレームをつけた、赤松則繁が一国を占領して迷惑している、何とかしろと。変後八年して文安年間、機をみて赤松則繁は帰国して蜂起するが、結局敗北して河内の太子で死ぬ。これが史実かどうか分からんが、赤松氏が円心以来水軍を蓄えていたのは確かだし、十五世紀半ばの頃には、水軍が朝鮮で占領までしてたことはなきにしもあらず。
B――そうね、十五世紀半ばには、すでにそういう状態だろ。海には境界はない。
A――となると、通説歴史観と違って、当時の日本人は戦国時代で、国内の戦争にばかりかまけていたわけじゃない。すくなくとも、スペイン人やポルトガル人が東アジアに浸透していたように、日本人も大陸沿岸部にかなり跋扈していたということですな。
B――そういうわけで、イエズス会のカブラルは国王に、日本人を使って支那を征服するという案を出している。勇敢な兵士たちは安い報酬で嬉々として陛下に奉仕するであろうとね。ずいぶんナメた話だが(笑)、日本で布教する目的は、日本人をキリスト教徒にして、支那征服事業に寄与させることにある、というわけだ。事業目的は明確だ(笑)。
C――小西行長など、朝鮮へ出陣した大名に切支丹がいるが、まさにこのバテレンの謀略(笑)のモデルだろうな。実際、切支丹武士は少なくなかった。後の島原の乱の時点でさえ、九州の切支丹武装勢力はかなりの力量。その気になれば、数千どころか数万だって「切支丹侵略軍」を組織できる情勢だった。
B――イエズス会のカブラルはスペイン国王に支那征服を建策しているが、同時に、秀吉にも建策していただろう。この朝鮮侵略の黒幕には注意しなければならん。
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