【本山荻舟 二刀流物語】
ある日無二斎が自分の部屋で、楊枝を手ずから削つていると、武蔵は一間をへだてた室で、しきりに二刀の工夫をしていた。無二斎が心憎く思つて、不意にその小刀を手裏剣にして、えいつと打つと、武蔵は別に驚きもせず、平気でひよいと顔をそむけた。小刀は後ろの柱に立つた。無二斎がいらつて、「日頃わが兵法を誹る。不埒な奴だ」といいながら、ふたゝび手裏剣を打つけると、武蔵はまたひよいと顔をそむけて、庭の方へそれたのを見とゞけると、ぷいと立つて物もいわずに、表の方に逃げ出した。そんな事からます/\父の怒りに触れて、ついには家にもとゞまり難く、母をたよつて山越しに、播州に志したのは、まだ九つの年だつた。
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【Case 1】 司馬遼太郎『真説宮本武蔵』
父は、新免無二斎。
――無二斎は妙な男だったらしい。ある日、すでに初老をすぎた無二斎が自室で楊枝を削っていると、戸ブスマのかげから、まだ幼い武蔵(幼名弁之助)が入ってきて、父の小刀さばきをシキリとからかった。ついには父の兵法の悪口までをいった。察するに武蔵の幼時は(いや長じてからも)可愛げのないこどもだった。
無二斎はわが子ながらも弁之助がきらいだったらしく、その小面僧さに激怒して手にもった小刀を投げ、弁之助は憎くもかわした。無二斎はついにたまりかねて小柄を抜きとって投げ、
「これでもか」
異様な親子である。弁之助は器用にかわし、柱に突きあたった小柄をぬきとりながら、さらにあざけり笑った。この「丹治峯均筆記」の記述が事実とすれば、武蔵の家系には、狂人と紙一重の異常な血が流れていたのであろう。
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