八幡太郎
頼義の子息が即ち八幡太郎義家であるから武勇の筋が思ひやられる。
後冷泉院の時、義家は鎮守府將軍たる父の頼義に從つて貞任宗任を攻めたが、戰大いに破れて死者無數、將卒四方に散つて餘すところ僅かに六騎になつてしまつた事がある、貞任が軍これを見て攻め寄せ矢を飛ばすこと雨のやうであつた、それを義家が防ぎ戰う有樣~の如く、未だ弱年の身をもつて大いなる箭を射た、その前に當つたもの、倒れ伏さずと云ふ者無く、それが爲に父子主從が無事なることを得た。
古記に、
義家沈勇絶倫、騎射~の如し、白刄を冒し、重圍を突いて賊の左右に出で、大鏃箭を以て頻りに賊帥を射る、矢空發せず、中る所必ず斃る、雷奔風飛、~武命世、夷人靡き走り、敢て當る者無し、
とある。
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