續日本武術神妙記

・・剣豪武術家逸話集・・
序  文
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 日本の武術の特質に就て著者の認識は、前篇の序文に明らかにした處である。本篇に於て新たに之に加ふるの要を見ない。たゞ、日本武術が、近來流行のスポーツといふものと、絶對に性質及び使命を異にするものであるといふことは、この際、特に強調して置く必要があると思ふ。
 抑々、スポーツとは何ものぞ、これが解釋については相當意見もあらんが、最も通常の意味に於ては、一種の遊技に過ぎないものである、三省堂發行の「コンサイス英和辭書」の第五百六十二頁に曰く、
  sports
遊戯−戯れ−遊技−獵−遊獵−愚弄−ナブリ物−、遊道具−玩弄物−オモチャ−オドケ−ジヤウダン−遊ブ−オドケル−フザケル−見セビラカス−金ビラをキル−ウカル−ヒョウゲル−戯弄−
等の解釋になつてゐる。これが要するにスポーツといふものゝ通例概念である。
 然るに、當今「日本の武術も立派なスポーツになつてゐるよ」と云はれて、さも光榮に喜ぶかの如きしれ物がある。右の解釋を適用して見ると「日本の武術も立派な玩弄物になつてゐるよ」と云はれて狂喜するやからと同じことになる。
 日本武術は斷じてスポーツでは無い、最も~聖にして嚴肅にしてしかも融通變化自在なる幻妙味を有する破邪顯正の發動であることを、少くとも本書の前後を通讀して味得せらるゝは日本國民たるものゝ必須のヘ養なりと謂つて宜しいと思ふ、敢て自ら薦む。
    昭和十一年十一月佳節
介山居士題



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