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[室津関連資料]     谷崎潤一郎 『乱菊物語』 から  Go Back 

 『乱菊物語』は、昭和5年(1930)春、朝日新聞夕刊に連載された。この作品の直前には、『蓼食う虫』『卍』があり、またこの作品の直後には、『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』がある。谷崎にはいくつか転換点があるが、この時期はそのひとつであろう。
 この作品についてことさらに大衆小説だと言挙げもしたのは、いわば反文壇的な振舞いであった。しかし谷崎には大正期に探偵小説の試みもあるのだから、この大衆小説はそう縁遠い試みでもない。自由にのびのびと筆の行方を伸長してみようというところか。
 谷崎は和辻哲郎と若い頃からの長い親交があり、播磨のことはよく聞いていたものらしい。この小説の女主人公は、花漆という室君の伝説から採ったもので、舞台は時代を変えて戦国期の室津である。小説中の小箱とか蚊帳とかの逸話は、谷崎の独創ではなく、『播磨鑑』の記事を題材にしたのである。ただし作家は素材を加工して独特な世界を構築するのであって、連載当時、「多少は歴史家に叱言をいはれても、首尾よく羽根を伸ばし切れることを望んでゐる」と書いていたのである。
 年譜によれば、この作品執筆のために、谷崎は昭和5年2月に播州へ来て、室津から家島諸島を取材している。町は小五月祭の準備が始まっていて、夜になると謡や囃子の練習が聞こえていたはずである。そのとき滞在したという室津の宿は木村旅館といい、昔からの船宿のスタイルで、いまの漁協の近所にあったらしい。この旅館は場所は替わって、上の国道沿いに今でも営業している。
 谷崎が室津に滞在したときの逸話はいくつかあるが、谷崎評伝のどれにも記録していない話を一つ。彼が室津に滞在していたとき、馴染みになった芸妓があった。彼女はもと大阪でカフエの女給をしていたが、4年の年季で当地へ来ていたのである。当時としては長身のスラリとした美人であったというから、これは谷崎好みのタイプである。
 彼女はその後すぐに、当地を去り、縁があって夫となった人と一緒に満州大連に渡って、そこでキャバレーみたいな遊興場を開いた。それが大当たりで成功者となった。当時の大連は国際的な植民地都市、国内の町にはない雰囲気があった。山本五十六などが部下を連れて彼女の店によく来たという。しかし敗戦で引揚げ無一文になって帰国。ところがその後、彼女は室津にまい戻って来て戦後を過ごすのである。若いとき室津に居たのは、ほんの数年だが、よほど気に入った土地だったらしい。大きな家があったが、子供相手の小さなお好み焼き屋を開いて、この数奇な人生を歩んだ女性は、それを老後の愉しみとしていたという。
 ともあれ、谷崎のこの『乱菊物語』は未完に終った。これが『盲目物語』『武州公秘話』の方へ収斂したとの見解もあるが、そうではあるまい。理由はたんにネタが不足したことにある。この作品は谷崎のもう一つの可能性、ことに追求されずに放置された方向、それを示すものである。そういう意味では、この未完成は惜しい。
 ここに「資料」として、その一部を掲載したのは、戦国期の室津の雰囲気がよく出ているかと思うからである。とりわけ室津の小五月祭例のスペクタクルなシーン、室君の「かげろう御前」の姿が鮮明である。ここではこの作品中の「小五月」の一部を抽いてみた。『乱菊物語』は文庫本でもいまだに重版刊行されているので、関心ある人は改めて全編を通読されたい。

三味線を弾く谷崎 昭和初期

*【播磨鑑】 揖西郡室津条
一 此室の津に昔花漆と云美女有。先祖何人とも不知。嘗て遊戯好色をわざとせり。元より所の長成けれは室君共云しと也。是日本傾城の権輿也と云傳ふ。室君のよめるとて、
  花うるしぬる人もなき今宵哉
      室ありとても頼まれはせす
    又金葉集に
  はな漆こやぬる人のなかりけり
      あなはなくろの君かこゝろや
寔に室君は世にかくれなき遊女にて、かく歌にも讀れ末の世まても名を残されぬ。曾て此所に五ヶの精舎を建立せり。其來由を尋るに、昔唐船此津に舟かゝり時、唐人より室君へ四寸四方の箱の中に八畳つりの蚊帳を入ておくる。室君奇なりとして、即禁中へ捧奉りぬ。其御褒美として黄金千兩拝領し、其金子を以て菩提の爲、室津中に五ケ寺を草創有しと也。其後宮木、友君、大柄杓、小柄杓なと云遊女有し也。委クハ室記[尾の町記、遊郭之記]なと云ものに有之。

此所の遊郭を尾の町共云、又ハ斧町共書。此室君を普賢菩薩化現成共云、又ハ性空上人此津に來り玉ひ、普賢菩薩にあひ玉ひて、西天に飛去り玉ひしを、名残をおしみ玉ひて、乗玉へる白象の尾を引とめられしかは、其尾きれてとゝまる。此故に尾の町と名付侍ると也。其外説々多し。一ツも信用しかたし故に不載。


谷崎潤一郎『乱菊物語』挿絵

姫路市美術館蔵
酒井抱一 播州室明神神事棹歌之遊女行列図

同上 部分
賀茂神社
室津 小五月祭行列
賀茂神社
棹の歌 奉納


 小五月〔こざつき〕

     その一

港の町の地勢と云えば、大概はうしろに山を背負い、海岸伝いの細長い地域に人家がぎっしりと軒を連ねる。
室の津の町もその例に洩れず、一方に明神の山を控え、一方に荒戸の浜を控えた入り江の縁に沿いながら弓なりに続いているのであるが、祭礼の時の神輿の渡御は、弓の一端にある明神の鼻から船で海上を乗り越えて、他の一端に設けられたお旅所に着き、此処に七日間安置される。有名な小五月の行列というのは、七日の後に神輿を守護してお旅所から明神の社へ、その弓なりの線を縫いつゝ町の中を練って帰るのである。
抑々此処の明神は日向国高千穂峰より山城の国二葉山へ遷座まします時、この地に暫く垂迹し給い斧、鉈、鎌の三刀を以て藤葛を伐り払い、港をお開きになり、その後洛北加茂へ光臨なされたのであるから、祭礼の神事の盛んな事は都の葵祭にも劣らない。土地の人は月始めから皆商売を其方除けにして準備をやり出す。都からは上加茂の神官鳥居大路氏が下向して来る。追い追い日が迫ると、内海沿岸の津々浦々から押し寄せる船は港の口を塞いでしまい、それらが運んで来る数限りもない諸国の見物人が、狭い町中に充満して、或る者は商家に宿を求め、或る者は桟敷の座席を予約し、或る者は尾野町の色里を漁り、祭の前からお祭気分を漂わせて、船からも陸からも、連日連夜賑やかなどんちゃん騒ぎが起る。一方では又、それを目あての田楽、猿楽、その他遊芸渡世の者が諸所方々から入り込んで来て、もう町の中は桟敷や飾り物に割りあてられて一寸の余地もないところから、町外れの空地や海岸の沙浜で興行を始める。お寺の境内には此の機を利用していろいろな商品の市が立つ。こゝ一と月のあいだ、中国筋の繁昌は此の津に奪われた形となって、上りの船も下りの船も、沖を通る程のものが悉く吸い寄せられ、入り船はあっても出船は一艘もないと云う有様。
此の祭礼にこんなにも前景気が沸き立つのは、当社加茂別雷神の御威徳もさることながら、一つには音に聞えたかげろう御前の艶姿が人気を呼ぶのであることは云う迄もない。平素は室の長者として、それこそ神殿の御神体のように御簾の奥深く垂れこめている女、その分際でない者には黄金の山を積んでさえも容易に顔を見せない女、そうして而も、はるばると大明国から貢の船が慕って来る程にも、美貌の噂の隠れない女、――その人が古えの花漆の姿を現じて、七年に一度の祭の行列の中心になる。性空上人ではないが、誰でも生身の普賢菩薩を拝みたいと願う者は、此の機会を逸したら更に七年の月日を待たなければならない。だから一遍も拝んだことのない者は勿論、此の前の時に一度見た者でも、花ならば今が盛りの絶頂にあるその歳頃に期待をかけて、再び感激を新たにすべくひしめき合って集まるのである。
そこへ持って来て今度の祭が未曾有な事件になりそうだと云うのは、例の立て札に貼り付けられた「海龍王」の予告である。此の貼り紙は、未だに明神の石段の下に人々の注目を惹きつゝあって、約束の期日「中の酉の日」が近づくにつれ、それを取り巻いて勝手な想像を逞しゅうする群衆は日一日と殖えるばかり。社務所の方では、あまり往来の妨げになるので一時その貼り紙を立て札ぐるみ何処ぞへ移そうという議もあったが、しかし仮りにも「海龍王」の署名があり、石清水八幡宮の使者に托すという文句が記入されているものを、迂闊に動かしては神慮の程も測り難いという説が出て、遂にそれも沙汰止みになり、結局「海龍王」出現の日まで待つよりほかはないことになった。
町通りは最早や万端の飾り付けを終って、行列の過ぎる道筋の家々は幔幕を繞らし、屏風を並べ、張り出しを設け、盆と正月が一度に来たような装いを凝らしている中でも、一と際眼につくのは、二つ引両に左巴の定紋を打った幔幕の桟敷と、その向う側に、同じく檜扇の定紋いかめしい桟敷である。巴の方は赤松家、檜扇の方は浦上家で、この二つの桟敷が作られた場所は、船の荷揚げや交易をするために広い四つ辻が出来ている、その西北の角と、東南の角とであった。
赤松家の桟敷は西北の分で、此の方が一層床も高く、場席も広い。それに比べると浦上家の方はや上控え目に作ってあるのは、さすがにいくらか遠慮の心持を示したのであろう。当日、かげろう御前の行列は西の方から練って来て、最初に太守の桟敷の前を通り、次に執権の前を通る。そして暫く此の四つ辻で歩みを緩めて、神輿をぐるりと一と廻りさせ、会釈に代えることになっている。
室では殿様がおいでになるぱかりか、その殿様が一目置いている執権職の父子迄が揃いも揃って来ると云うので、此れが又素晴らしい景気をあおった。かげろう御前を見たい心に、大名も庶民も変りのある筈はないようなものゝ、こう迄国中のえらい人たちが一度にこの津に集まることはめったにない。殿様の方に従う家来は、老臣の浦上因幡守村国を筆頭に、清水甲斐守政国、秋津宮内秀国、同弟十静坊、三上右京、同弟主馬、伊豆孫四郎、牛窓源六、名倉玄蕃、同三郎四郎、陶山彌四郎その他の面々。浦上方に附き添う者共は宇喜多和泉守能家を筆頭に真木越前守貞邦、宇野丹波守景恭、東条入道順格、仁科清十郎、吉田杢左衛門、河原又八郎、佐多荒平次、島村修理亮、菊野小隼人その他の面々。そして殿様の一行の方は祭の二日前に置塩の城を立って、港の北の山の上にある室の津の城へ這入ったが、浦上父子は一旦置塩から備前の国三石の居城に帰り、此処で勢揃いをして船で乗り込んで来ると、城へはちょっと挨拶に顔を出したばかりで、わざと町中の数箇所の寺に宿を求めた。
やがて神輿の海上渡御の日が来る。それから一日たち、二日たち、七日目が来る迄のあいだ、式典は滞りなく進行して、昼は神前の神楽の唯、諸種の興行物の鳴り物のひゞき、夜は此処彼処の酒盛りや酔っ払いのそゞろ歩きで、折角お旅所に御動座になった神様もびっくりなさりそうな騒ぎがつゞく。
初夏の空は濃い瑠璃色に晴れて、来る日も来る日も申し分のない天気である。例の貼り紙が物を云うべき最後の日は、海龍王が海の底から宝を返すのだから、雨になりはしないだろうかと、人々の心配は唯その一点にあったが、当日の朝になると、若葉の風もさわやかに、空は前日にも優して、此の待ちに待たれた行事を祝福したような日本晴れとなった。
明神の石段の下からお旅所の前まで、往来の両側は、屋根を除いては立ち並ぶ人家の柱も壁も見えない程の人の山である。笠と、烏帽子と、被衣と、地頭と、女子供の着飾った衣裳と、紋所を入れた素襖の袖と、無数の胡蝶のようにハタめく扇子と、……五月の朝の日光の下にそれらがキラキラと照り映えつゝ華美を競っている様は、町全体が一つの大きな薬玉のよう。此のすさまじい群集の中には、遠くは四国九州辺から駈けつけた者もあるであろう。夜の明けぬうちから弁当持参ですわり込んでいたのもあろう。凡そ此の一箇月間に集まって来た旅人と云う旅人は、此の一日を見逃すまいために、船も宿もがら空きにして狭い一とすじの街路を埋めてしまったのである。
そのうちに此処でも彼処でも、待ちくたびれた群集がガヤガヤと噂話を取り交す。あなたは何処からいらっしゃいましたとか、此の行列を御覧になるのは始めてゞすかとか、かげろう様のお歳は幾つぐらいでしょうとか、二十だろうとか、十七八だろうとか、二十三四だろうとか、いや、あゝ云う上揩ノなると、四十五十になる迄も顔に一本の皺も寄らず、とこしえに若いから本当の歳は見当が付かないとか、――そして結局、いったい海龍王の使者はいつ出現するだろうかと、何処へ行っても最後にはそれが議論の花を咲かせる。首尾よく宝物が戻るとしても、長い間水の底に漬かっていたんだから、もう役に立たなくはないだろうかと、余計な心配をする者もあれば、なあに、金の函に詰めてあるんだから大丈夫だと、心得顔に説く者もある。
そこへ社家の侍が、一人は徒歩で、一人は馬で、全く両側の区別も付かぬ程道のまん中へ押し出されて来た人だかりを整理しながら、声を喰らして通る。が、一番前列を占めた者は地べたヘベったりと腰を据えて、かげろう御前の裾の挨を浴びることを無上の光栄と覚悟しているかの様に、馬の蹄で脅やかされたぐらいでは中々後へ退ろうともしない。混雑に連れてときどき小競り合いが起ると、何という事もなくわあッと鬨の声が上って、次から次へどよめきが伝わる。
すると、忽ち、此の動揺が、役人の制止を待たずに、一人の人間の行動の如く一瞬間にピタリと止んで、緊張し切った、息詰まるような沈黙が入れ代った。それは幾千万人の耳が、此の時遠く波の寄せるように聞えて来た楽のひゞきと唄の声とを捕えたからである。
裁ち縫はん
裁ち縫はん
衣きし人もなきものを
なに山姫の
布さらすらん

棹のあらし
棹のあらし
長閑にて
日かげも匂ふ
天地のひらけしも
さしおろす
棹のしたゝりなるとかや

さる程に
さる程に
春過ぎ夏たけて
秋もすでに暮れ行くや
時雨の雲も重なりて
峰しろたへに降りつもる
越路の雪の深さをも

知るやしるしの
知るやしるしの
棹立てゝ
豊とし月の行くすゑを
はかるも棹の
歌うたひて
いざや遊ばん

こゝとてや
こゝとてや
室山かげの神かぐら
加茂の宮居は
幾久し
小五月の祭が名高いと共に、此の「棹の歌」も室の津の歌謡として昔から名高い。太鼓、鼓、笛の音につれて、今しも此の唄がこだまの如く伝わって来たのは、既に行列がお旅所を練り出した一証拠であった。(後略)

    その二

侍が一騎、前駆を成して先を払いながら過ぎる。
その後が暫く、しーんとした、神々しい静粛に支配される。
つゞいて、錦の絹傘が、ゆるやかに宙に浮かびながら、殆ど空間の一点に止まっているように見えて、少しずつ前へ押し出されてくる。
鷹揚な「棹の歌」の合唱と伴奏とは、その絹傘の下から湧いて出るのである。
稚児輪に、白い千早を着て、緋の大口を穿いた童女が二人、横笛を吹く。
次に、同じような童女が二人鼓を鳴らす。
次に又童女が二人、太鼓の両側に控えて行く。
次にかげろう御前が行く。両手に金の幣帛を捧げ、黄金の龍が珠玉を銜えた天冠を戴き、白の水干、緋の大口の下に、きらきらしい唐綾の衣がとかげの皮膚のように見える。
発声の婦を先頭に、十二人の傾城を選りすぐった合唱隊が、二人ずつ二列に並んでかげろう御前のしりえに従う。此の一隊は皆一様にすべらかしの髪、白の千早、緋の大口の服装で、同じく金の幣帛を捧げる。
十間程の間隔が此の後に置かれた。
再び騎馬の前駆が通る。
次に緋の総を飾った神馬が二頭。次に御旗、御唐櫃、巫女の一隊、真榊。
素襖の随士数十人、稚児、仕丁等が前後に供奉して、当社加茂明神の神宝、斧、鉈、鎌を捧げて来る。弓、胡簗、太刀、鉾等の神器がつゞく。
次が神輿。仕丁二十人が此れをか舁き、うしろから長柄の傘をさしかける。
上加茂七家の一家である鳥居大路氏が、鳥帽子狩衣に指貫を穿き、白馬に跨がり、土地の神官、禰宜の一行を率いる。再び幣帛、榊。社家の侍、町の宿老。……
此の数丁に亙る長蛇の列が、両家の桟敷のある四つ辻の広場へ来かゝると、次第に歩調を緩め始めて、まず合唱隊の一と組が太守の席の前に立ちどまり、一層声に力をこめつゝ棹の歌を繰り返した。
拭うが如く晴れた、正午に近い空の下に、日光の直射を受けている白衣の女菩薩の一隊は、さながら雪のかたまりが現れたようにばっと明るい。金の幣帛と緋の大口とが、その明るい中に燃えくるめいて、炎を上げそうに思われる。十二人の傾城は、いずれも美しからぬはなく、恐らくはその一人々々が千金に値する器量の持ち主に違いなかろう。そしてこういう場合、同じように正装をし、厚化粧をして顔を揃えると、めいめいの個性的な「美」が眼立たぬ代りに、そこに一種の、重ね写真に似た典型的な美女の輪郭――日本人に、殊に今この場合では南国の日本人に共通な、ある理想的な端麗な容貌が、面を被ったように各々の顔に刻まれているのが感ぜられる。十二人のうちの孰れを孰れに比べても、鼻の形、眼の切れ具合、頸の尖り加減、額つき、生え際、よくもよくも似た顔が揃ったものだと訝しまれるばかりで、皆一斉に合唱する時の、紅い唇の開き方までが、一直線に牡丹の花びらを列べたような奇観を呈する。それらの顔は表情に乏しく、生き生きとした色彩を欠いているだけ、ひとしお超人間的に神性化されつゝ、此の儀式にふさわしい荘厳さを帯び、誰でもその姿に掌を合わせ、伏し拝みたい気分にさせられる。
かげろう御前は、恰もこれらの十二人の神々の首座に君臨する女神であった。彼女の顔にも特に此れという個性の輝きは認められない。たゞ十二人の代表する理想的な美が彼女の一身に具現して、一段と高められ、引き締められ、純潔にされ、典型的なものゝ粋が凝っていると云うべきであろう。而もこの女だけは合唱に和せず、固く唇を閉じたまゝ、剣客が一刀を青眼に構えた時のように、沈んだ、落ち着いた瞳を、しずかに眼の前の幣帛に据えている。その「死」のような凄みのある美の集注した顔の中に、幣帛から反射する金色の円光がほんのり漂っているのである。
「あゝ、かげろう御前」
「かげろう! かげろう!」
「かげろうさま、――」
誰いうとなく、何処からともなく、発作的に起る感嘆のさゝやきが、唄のこえと、笛の旋律と、鼓太鼓の拍子の隙を縫いながら、熱に浮かされたように、群集の口々に伝わる。
そのさゝやきを浴びているかげろうの面色には何の反応も現れない。こゝまで練って来るあいだ、沿道に堵列する幾万人の人々を「恍惚」の魅魔にかけた彼女は、自分が既に自己催眠に陥って、精神のない形骸になってしまったよう。
が、ちょうど桟敷の真下へ来た時、黄金の宝冠が微かに揺いで、珠を銜えた龍のあぎとが天日を仰いだかと見ると、彼女は幣帛を心持ち高くかざして、桟敷の上の太守の方へ、ほんの一瞬間、目礼を送った。
合唱隊は棹の歌を第一節から順々に唄った。そして第五節までを唄い終ると、長蛇の列が再び少しく行動を開始して、その先頭はやがて広場の東の角へ、執権職の桟敷の方へ進んで行った。
此方の角と、向うの角と二つの大名の場席が睨み合っている境い目には、纔かに庶民の観客を容れる狭い一線が、南北の辻を塞いでいる。かげろう御前と十二人の傾城とは今しも此の辻のまん中へ歩みを運んだ。と、忽ち、かげろう御前の大口の裾のあたりから砂埃が舞い上ったようであったが、そこの前列に土下座していた見物人の一人の男がすっくと身を起すや否や、
「あれ、あれ」
と云いながら、東の方の空を指した。
「あれ、あれ、八幡様のお使いが、――」
幣帛の上に釘付けにされていたかげろう御前の瞳は、「八幡様のお使い」の語を聞くと同時にぱっちりと開かれて、その男の指さす空に向った。その場にありとあらゆる瞳が、皆一遍に彼女の瞳の跡を追った。
明神の森の方から、此の四つ辻の上を目がけて飛んで来る一羽の鳩がある。たゞ一と色の紺青の空に浮かんだその白い小さな影は、胡粉の点を滴らしたようにくっきりと、あまりにも鮮明であるが、何か鳩の身の周りに淡い淡い環状のくもりがあって、それが月の暈の如く揺曳している。漁師が海に向って投網を投げる刹那に、網が円い帷のように漁師の体の四方へひろがる。――月の暈と云うよりも、むしろあれに近い淡さである。
そして尚よく視線を凝らすと、そのくもりの環は、矢張投網に似て円の中心にあたる所が朝顔型に細くくびれ、末は一抹の糸のようになって鳩の嘴に銜えられている。
「蚊帳だ! 羅綾の蚊帳だ!」
と、誰かゞ叫び声を上げた。恐らく群集の半数以上は、そう云われる迄そのくもりが何であろうとも気が付かなかったに違いない。
「蚊帳だ! 蚊帳だ!」
と、人々は又改めて驚きの眼を見張り、一人が云えば一人が応じて、その四つ辻から町の両端へひびきの如く報道が走った。
たしかに、鳩の嘴から吐き出されているものは、嘗て明の商人が持って来たといわれるうすものであるらしい。それにしても、一とたびは船に載せられて万里の波濤を越え、一とたびは幽鬼に呪われて海の底深く沈んだものが、いかにして黄金の函を脱け出して、小鳥に運ばれているのであろうか。その十六畳の部屋にひろがるうすものは、今や二寸二分四方の障壁を除かれて、鳩の体の何百倍かの面積に、巨大な海月のようになりつゝ天空を飛揚して来るのであるが、それを可愛い嘴が無事に支えているのを見れば、風の抵抗を勘定に入れてもどんなに軽い物質であるかは想像に余りある。
「かげろう殿に物申そう、――」
と、その時東の桟敷の上から高声に呼ばわった者がある。
見ると、檜扇の定紋の幔幕をかゝげて、手すりの端に、播磨、美作、備前三ケ国の執権、浦上美作守則宗、その子掃部助村宗を始め宇喜多、真木以下の一族郎党がズラリと肩を並べ、皆立ち上って空を眺めていた中で、たった今声をかけたのは、掃部助に紛れもない。かちん色の小袖に忍ぶ摺りの直垂を着、熊の皮の尻鞘の附いた赤銅作りの黒太刀を帯び、金地に朱漆の日輪を描いた扇を上げてかげろうをさしまねいている。美作守と並んだ顔だちは黙っていても父子と分るほど似寄っていて、その口もとには太い黒いまばらな髯が生え、頬骨が高く、額が広く、眉が濃く、唇が厚く、日に焼けたあかがね色の血色の中で、眼だけが異様に白く鋭い。
「かげろう殿に申し入れる」
と、再び調子を張っていうのが、戦場の矢叫びの中でもよく通りそうな、腹の底から出る声である。
「――あの空を行く鳥を仕止めて、宝を返して上げたいが、よもや立て札の誓約に間違いはあるまいな? ぐずぐずしている場合でない、直ぐ返答を聞かして貰おう!」
「いや、あの鳥は此方で仕止める」
かげろうが何とも答えぬうちに、西の桟敷の幔幕の前に立ち現れた貴公子がある。今まで天を仰向いていた群集の首は、その顔を見るとはっとしたように地上に垂れた。誰もその人が太守自身であることを、はっきり知っていたのではない。そうと悟るより先に、争われぬ品位と威容に打たれたのであった。
「――どうだ、かげろう? それに異存はないだろうな?」
そう云いながら、此の性急な若大将は浦上の桟敷を一と睨みして、やゝ焦り気味に、固い決心の眦をかげろうの天冠の龍に注いだ。
東を向いて立ち止まっていたかげろうは、太守の言葉が終らぬうちに、くるりとうしろへ向き直った。その一文字に結ばれた朱の線――唇の上に、期せずして総べての視線が吸い寄せられる。
「冥加に余る仰せ、かげろう嬉しゅう存じます。でも、どちら様へどう申し上げてよろしいやら……」
「しかし、当国は誰が支配している? 向う側の奴原は皆己の家中の者だぞ」
太守はどん! と、桟敷の床板を路み鳴らした。
「いゝえ、此の津は加茂明神の神領、ましてわたくしの誓約には、貴賎を問わずと記してございます。此の上は、どうぞ、どちら様でも、あれを仕止めて下さいまし」
「それ!」
と云う声が、上総介と、掃部助と、二人の口から同時に発した。
その号令を待ちかねたように、両方の桟敷の欄干の角へ、武者が一人ずつ走って出た。
西の桟敷に現れた武者は、一重藤の小袖にかち色の素襖の袖を露高く結んで、赤染のむらごきの弓に蟇目の本黒の矢をつがえる。
東の桟敷に現れた武者は、すずしの小袖に加賀梅染の素襖の袖を、これも露高く括って、吹き寄せ藤の弓に蟇目の妻白の矢をつがえる。
「暫く、暫くお待ち下さいまし」
と、かげろうの凛とした言葉がひゞいた。
「――お如才もございますまいが、もしあの品に疵や汚れがつきましたら何の役にも立ちませぬ。そのお積りで射て下さいまし」
「云う迄もないこと!」
そう云ったのは上総介、
「心得申した!」
そう云ったのは掃部である。
けれども此れは射手に取って容易でない。孰方も柔かい桐の木で作った、きっさきの円い蟇目の矢を番えているのは、ならば品物に穴を開けたり、血痕を附けたりしないように、鳩を傷つけずに撲ち殺そうためであったが、それにしても、あの四方へひろがった環状のくもりを避けて、首尾よく鳥を仕止め得るであろうか。万一矢が環の中をくゞれば、風よりも軽そうなうすものが何として破れずにいるであろう。
遠い昔の那須与市、近い例には本間孫四郎、――伝説に残るそれらの名誉の弓取りよりも一層重い責任を負わされた二人の武士は、功を急ぐ気はありながら、粗相のないようにと願う一念で、矢頃に迫りつゝある獲物に、じっと狙いを定めたまゝ、双方共に大事を取っていた。鳥は刻々に形を大きくして、一直線に此の四つ辻の真上へ来ようとしているのだが、翼をひらいたその白い影は、都合の悪いことに、下から見上げたところではちょうど環の中心にある。おまけにその環の淡々しさは、そんなに間近くなっているのに、雲よりも薄く、霞よりもほのかに、有るともないとも判じ難い一道の蘊気に似て、人間のかげろうを羨む神が、空にかげろうを燃え立たせたようにも見え、理窟から云えばそれが飛ぶ鳥の後方に尾を曳いている筈だけれども、肉眼では、前にあるのかうしろにあるのか明瞭でない。
やがて、突然、空を仰いだ人々が緊張の極度に達した時に、思いもかけぬ期待が生じた。
それは、鳩の速力が、近づけば近づくほど次第に鈍くなりつゝあること。そして、さすがに、大きい環を引き擦っているのが漸く支え切れなくなったのか、苦しげな羽ばたきをし始めたこと。――恐らく此の鳩は遠くから飛んで来たのではない。直き此のあたり、事によると数丁を出でない地点から、予め距離を測って放たれ、最初は小さく畳まれていたあのうすものが、空の途中で段々あんな風にひろがって、頃合いの時分に鳥を地上へ落すように、計画されたものであるらしい。――
人々の此の期待は誤っていなかった。何者の所為か、こんなにも巧妙に仕掛けられた方法は、今や見事図に中って、鳥の羽ばたきはいよいよ急激に、而もその落ちてくる所は、折よくも太守と執権の面前、かげろうその人の立っている辻であることは最早や疑うべくもない。
しかし、矢をつがえた二人の武士が予想外の結果に呆れた様子で、まだそのまゝの姿勢を保っているうちに、鳥は殆ど垂直に落下の状態に陥りつゝ、そこで再び変化が起った。――うすものと、鳥とが、――円と、円の中心を成す白い点とが、――かげろうの頭上へ被さるように見えた時に、俄かに離ればなれになった。点は円の中心を外れ、円周の外に出で、円を空間に置き去りにして、ぱっと高く飛び上った。円は羽根ばたきに掻き乱されて、いびつに歪みながら、葉巻きの煙のようになって、黄金の龍の上に、降りるともつかず棚引いている。――
人々は先ず、飛び立って行く鳩の方へ注意を移したが、鳥は荷をおろして身軽になると、翼の力を恢復して高く高く舞い上り、まっしぐらに東の空へ、明神の森を越えたかと思うあたりで視野の外へ逸し去った。
空中に残ったうすものの方は、鳥がそれだけの距離を行ったあいだに、自然と立体的な四角形――吊られた蚊帳の形になって、人家の屋根をぬきんずる数丈のところに、雨の脚のような層を作りつゝ垂れ下った。
地上にはそよとの微風もない。合唱の声、笛太鼓のひゞき、人馬の足音、群集の噪音、――今しがたまで町を沸き返らせていたそれらのあらゆる「音」の合奏、――浮き立つ祭礼の交響楽が悉く鳴りを静めてしまい、行列が捲き起した砂埃も収まって、無数の人の手にかざ上れた扇子までが、ハタと動かなくなった夏の日ざかりである。……
が、時ならぬ空の雨の脚は僅かな気流にもゆらゆらと揺れて、透き徹る地質を虻色に光らせながら、やがてその裾でふうわりと、十二人の傾城の頭の上を擦れすれに撫でた。
そこまで来た時、始めて群集の眼に映ったのは、虚空に浮かんでいる数行の仮名文字であった。それは蚊帳の天井に極くうすい墨で書いてあるのだが、もし此の四つ辻がこんなに雑沓していなかったら、それらの文字だけがおぽろに染め抜かれて平地へ影を印したであろう。――
ほんじつ
赤松上総介どの浦上みまさかどのそのほか、あまねくてんがのしよにんけんぶつのところに於て
このおんたからものめでたく返しまゐらせ候
おんせいやくのごとくんばかげろふどのゝいつしん
このうへはわがこゝろのまゝたるべきのあひだ、
ごじつにいたり黄金のはこをしようこにたづさへおん館へすゐさんいたすべきものなり
うるふ五月中のとりのひ
かいりゆうわう
  かげろふ御前え
――この文句が、この通りの字配りで、十六畳の天井へ殆ど一杯に記してある。貼り紙の布告にはあんな文体を用いた男が、今度はこう云う仮名書きにしたのは、疑いもなく、此の場合出来るだけ多くの人に読み易からしめる用意であろう。果して彼方でも此方でも、たどたどしい音読のこえが起った。
「……かげろうどのゝいっしんこのうえはわがこゝろのまゝたるべぎのあいだ……」
「……ごじつにいたり黄金のはこをしょうこにたずさえおん館へすいさん……」
「成る程、成る程」
と、人々はうなずき合い、感歎し合った。
こうして、皆がそれを読んでしまった時分には、天上のかげろうは地上のかげろうに慕い寄って、彼女をはじめ合唱隊の全部を中に取り込めたまゝ、ゆるやかに四つ辻へ裳裾を曳いた。
群集は、拍手し、歓呼し、我知らずどっと鬨を挙げた。さながら芸人の妙技に酔ったようなその声には、かげろう御前に対する讃美と、失われた物が得られた祝着と、まだ出現しない海龍王への喝采の意とが籠っていた。
しかし、此の時、西と東の桟敷には二人の若大将が無念の歯噛みをしていたのである。

  (以下略)



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