序 文
大菩薩峠の普通版第十參冊を出すまでに何か一つ橛を入れて貰ひたいとの刊行會の頼みによつてこゝに『日本武術~妙記』一卷を編纂して與へることにした。
これは御覧の通り日本武術の名人の逸話集である、創作ではない、取敢へず著者所藏本の一部分から忠實に拔き集め、それを最も讀みよきやうに書き改めたまでゝであるから著といふよりも編といふことが、ふさはしいかも知れない、併しそれにしても相當の頭脳を使ひ取捨の勞を加へたことに於て必ずしも著作に劣らない勞力を要した、そこで著と稱しても潜越ではないと考へられる處がある。
こゝに日本武術とはいふけれどもこれは所謂武術の『流派』といふものが定まつた時代から出發してゐるので、つまり足利の末、徳川の初期の間に筆を起して最近幕末明治にまで及んでゐる。
本來日本は武術の天才國である、それは建國以來の國風であつて、その間に箇人としても驚嘆すべき幾多の武術的天才を生んでゐるが、武術といふものが科學的組織に成功したのはこの『流派時代』に始まるといつてよろしい、それまでの武術は特に個々の天才が秀出したり或は武術といふものが戰爭の一つの附屬藝術に過ぎなかつたものを、この期に至つて個人武として立派に獨立した一つの科學とし藝術としたものである、通常飯篠長威齋の天眞正傳~道派をもつて流派といふもゝの起りとしてゐるから本書に於てもそこから始めてゐる。
右の初期に於ては個人武を總て兵法といつてゐた、後には兵法の學は軍隊運用學のやうにとられて來たがその時代は兵法が即ち個人武であつて又必ずしも劍術のみに限らず槍、薙刀、組打等すべて個人武を總稱したもので一流一派とはいふけれども初期の人は刀槍其他皆これに兼ね熟してゐた、また兵法といふ語の外に藝術といふ文字も武藝に對して用ひられた、今日でこそ藝術といふ文字は不良文士の專賣のやうになつたが、もとは日本武術の稱呼の一つであつた、この流派時代の初期は同時にまた日本武術の黄金時代であつて、この間に輩出した流祖名人の藝術は眞に超人的の~妙を極め得たりといひつべきであつた。
それから徳川氏の泰平時代、この祖流は或ひは本流は或ひは支流となり或ひは別派を起し、綿々として二百數十年續き來つたが、その間に廣くなり淺くなり、繊巧に堕した弊はあるけれども曾て失墜廢棄されたことはなく、殊に諸武術のうちの主流をなす劍術の如きは徳川中期に於て二百餘流、末期に於て五百餘流を數えらるゝに至つた、世界の何れの國にも武術が斯くの如く科學的に而も統制的に普遍的に發達存續せしめられた國は無い。
日本武術を知らなければ日本國民性を理解する事は出來ない、これを劍道の側より見るも、各流儀それぞれ皆特色はあるが、通じて觀る處の日本の劍法は我を護ることを先とせずして我を殺すことを先とする、西洋のフエンシングの如きは刀を片手に執り、身を引けるだけ引き、最も多く我が身を護りながら最も多く敵を傷つけようといふ防禦的經濟の理法に出でゝゐるが、日本の劍法は、刀を雙手に取つて全身全力全精~をもつて敵にぶつつかつて行くのである、さうして死中に活を求むるといふ超經濟の方法に出でゝゐる、これは、佛ヘのうちの禪の宗旨とよく合致した手段である、だから日本の劍法には本來受けるといふ手はないのであつて、討つか討たれるかといふ二つの端的よりほかはないのである、そこで劍法の勝負は必ず相打である――といふことが古流劍法の極意になつてゐる、相打とはいひながら、その深淺精粗が問題なのである、皮を切らせて肉を斬れ、肉を斬らせて骨を斬れ、骨を斬らせて髄を斬れ、と柳生流(江戸將軍の師範なりし劔法)では云ふ、全く死中に飛び込んで活殺の自在を得るのである、その勝負はオールかナツシングか生か死かの決定的のものである。
その時代から少し下つて、漸く稽古に道具をつけるやうになり、叩合ひがはじまつたけれども、本來受けつ流しつの叩合ひなるものは一つの稽古に過ぎないので、劍法そのものは斬るか斬られるか、生きるか死ぬるかである、そこで、勝を一瞬に決する、生死を眼前に見詰めることが宗ヘの境地に達するのである。
さうして、その勝を一瞬に決する勝負の爲に一生涯の修練を費して絶對無礙の世界を悠々自若として歩み得るといふのが名人の境地なのである、この劍道の特色精~が、事ある毎に日本の國民性を發揮してゐる、劍道と相竝んで行はれた柔術、或は柔道といふものにもこの特色がよく見られる、それから、スポーツの一種としての日本の國技とされてゐる相撲に於いてもその特色がよく見られる、日本の相撲は西洋のレスリングやボクシングと違つてちょつと指を地に一本ついても、足を規定線外へちょつと蹈み出しても、もうそれで勝負がついてゐるのである、その代り、愈々取組むまでの計畫と熟慮は非常に長い、それは日本のスポーツの立派な特色である。
日本の劍道に限らず、日本の武術はスポーツではない、近來輕薄なる記者が、是等をスポーツの中に組み入れてゐるものがあるけれども、これは全然違つてゐる、日本の武術は國民性そのものゝ發現であり、一種の宗ヘである、人が和かい氣分で、生活の餘裕に人も樂しみ我れも樂しましむるスポーツの類と同一視する時は非常なる誤解であり堕落である、日本に於ける大きな仕事は皆この劍道の意氣に於て爲され、國難はいつも此の武道の精~によつて排除せられた、これを言葉に表わして見ると、『熟慮斷行』である。
日本國民性は熟慮の際には殆んど無表情にして多くの侮辱を忍んでゐる、殆んど忍び難きところまで忍んでゐるが、實行となると死そのものゝ中へ直接飛び込んで活を求める。
明治維新の如きも、歴史的には日本空前の文化的飛躍の時機であつたけれども、それを爲した人は皆劍道家であり或は劍道家的精~を具備したものであつた、それから、明治廿七八年日清の役、參十七八年日露の役、皆この精~によつてゐる、極度まで隠忍し、壓迫に堪へ、その間に熟慮計畫を樹て、而して萬已み難き時に至つて初めて斷行する、近來、日本も種々の思想複雜し來り、この特殊の國民性にも大いに疑念を持たれたが、最近の満洲事變の前後の經路を見て此の國民性未だ衰へずといふことが出來る、例の爆弾參勇士の如きも此の國民性の一つの現はれであつた、日本國民自身がこの國民性を自ら認めず、或は曲解して自ら侮るやうなことがあれば甚だ危ない、また、世界の國民が日本國民のこの國民性を看取し得ずして日本を侮ることあれば、これも亦危ない、この國民性は決してミリタリズム、或は侵略主義を含んではゐないといふことを強調しなければならぬ、この天才的國民的特色を以て爭闘性蠻力と見るものは劍道をスポーツと同一視するものゝ無智と同樣である、日本の劍道の眞精~を理解する者は、それが絶對に危險性が無く、却つて危險を防止し、人間の正義の爲に邪惡と闘ひ、士人の品格と體面とヘ養を豊かにするものであることを知らなければならぬ。
世界に於て、古來、日本國民ほど武器を愛する國民はなかつた、日本國民の武器を愛好する態度は蠻力の表象として誇るのではない、破邪の正器として恭敬するのである、そこで、刀劍を作る鍛冶は齋戒沐浴し、~に祈り佛に仕ふる心をもつて刀劍を鍛えた、故に日本の刀劍は世界絶倫の利器である、武術の修行に於てもその通り、武術修行の處を道場といい、聖僧が道に精進するのと同じ意味のところとし、必ず~佛を祭り、また、その禮儀正しきこと武術家の如きはない。
そこで、日本では少年時代より士分のものは申すまでもなく、農商の人々まで武術を學んだ、農夫のうちより一流一派の達人を出したのも少くはない、それから日本の古來有名なる武將は固より政治家も皆個人的に武術の達人であつた、日本歴史を通じての最大政治家の一人と稱すべき徳川家康の如きも武將としてのみでなく、單に劍道家として立たせても一流一派の祖たるべき實力を備へてゐた、又徳川後期の最も文化政治家である松平定信の如きも柔術の師範として、宗家を繼ぐべき實力があつた。
そこで、日本の劍法といふものは生死の瀬戸際に立たなければ、その~妙がわからないものである、單に道具をつけて叩合ひをしたり、勝負を爭つたり、また演劇や映畫の類によつて、そんなものゝ俤を見ようとするのは大きな間違ひである、日本の劍法を知るには日本の宗ヘの~秘に觸れなければわからぬ。
本書記する處は、必ずしも珍書秘書を探つたといふわけではなく、取敢ず著者家藏本の一部分から拔いたものであることは上述の如くだが、兎も角、右樣な精~を以て比較的各方面に日本武術の精髄味を収録した點に於ては最も出色と云つて宜からうと思ふ、勿論、これ以上に傳ふべきものにして、これに漏れたるも多いに相違ないと思ふが、それは當然將來相當の續篇を以て集大成しなければならない、たゞそれ集であるから必ずしも私見は加へない、諸書に見るうち多少の矛盾錯誤してゐる處はあつてもそれはその儘取り容れた、比較、考證等は別に研究書として着手すべき事である、本書の要領は日本武術の~妙の働きを想像感悟せしむるにあるのだから、もとの講談者流や、今日の大衆文學連の爲すが如き荒唐妄誕と亂雜冒瀆とは極めてこれを避け引用の書物も皆相當信用權威あるものにより、間々稍々荒唐に近き逸話と雖も精~修養にとつて有uと思われるものは傳説のまゝ加へたものもある。
それから普通誤り易く紛れ易きもの流名人名等に就ても相當に訊して、まだ決して完全とはいへないが出來るだけは訂正して置いたつもりである。
さてまたこれ等~妙の名人上手の實力に就ての品評は古來よく下馬評にのぼり、爐邊話題に供せらるゝものであるが、それはなかなか難しいもので時代を異にし流派を異にする超人間の人々の技量手腕に上下段階を附して見るといふことは殆んど不可能のことだが、併し離れて大觀すれば自ら相當の標準が無いではない、著者はいつか閑があつたらば戯れにその番附を拵へて見たいと思つてゐるが、まづ初期に於て一例を云へば、
大家 上泉伊勢守
柳生但馬守
名人 塚原卜傳
上手 小野次郎右衛門
宮本武藏
と謂つたやうな順位は動かないものと思はれる。
宮本武藏の強さに就ては問題になつてゐることは今に始まつたことではなく渡邊幸庵の物語には武藏は強さに於ては柳生但馬守よりも井目も強いと書いてあり、それから又或書には柳生但馬守は宮本武藏の弟子だなんぞと途方もない事も書いてあつて強さに於ては日本無雙と噂をされたことは隨分古い話だが位地としてはこの邊の順序に坐るべきものだと思ふ、其他これに伯仲上下する名人上手を各藩各家に有してゐたことは本書によつてもその一斑を窺ひ得らるゝと思ふ。
右の如く本書は一に古來の諸書に材料を得、それに取捨選擇の勞を加へて別に練つて書き改めたものであるが、引用の書目は總て、各項の下に著者名或は原書名を記して置いた、また近刊の著書のうちよりも、相當許さるべき範圍内に於て借用摘録をさせていたゞいてゐるが、本書の主意精~斯の如きものであるにより、一々御挨拶を申上げることの代りに、こゝに一言を附して御寛恕を請ふ次第である。
昭和八年臘月
著 者
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