この箇処に関して、少なからず校異がある。指摘しておくべきは、以下の諸点である。
まず、冒頭タイトル部分、筑前系諸本に、
《他流にはやき事を用る事》
とあって、《他流》とあるところ、肥後系諸本には、《他の兵法》とするものがある。また、同じ肥後系でも、早期派生系統の子孫、富永家本や狩野文庫本などは、《他流の兵法》としており、いわば中間形態を示す。
ここは、風之巻諸条の体裁からして、筑前系諸本のように《他流》とするのが妥当であろう。肥後では、「兵法」という語が紛れ込む写し崩れが、早期にあったものらしい。
次に、筑前系諸本に、
《物ごとのひやうしの間にあはざるによつて》
とあって、《物ごと「の」》とするところ、肥後系諸本には、細川家本のように、《物毎「に」》とするものがある。また、同じ肥後系でも、楠家本や富永家本など、これを《物毎「の」》とするものがある。
このように筑前系諸本だけではなく、肥後系にも「の」字のあるところからすると、筑前系/肥後系を横断して共通するのは、「の」字であり、それが古型である。これを「に」字に作るのは、肥後系で後に発生した誤写である。
ところで、ここに「に」字を記すのは、細川家本や丸岡家本だが、それらは従来古型を示す写本だと想定されてきたものである。しかし、明らかにこうした後発性を示す誤写を有するものである以上、細川家本や丸岡家本が古型を示す写本であるわけがない。そうした謬見は却下すべきである。
また次には、「早道」への言及箇処で、筑前系諸本に、
《たとへば、人にはや道と云て、一日に四十里五十里行者も有》
として、《一日に》とあるところ、肥後系諸本には、この語句がない。これは、筑前系と肥後系に分かれて明確に分布しているから、両者を区分する指標的相異である。
しかし、申すまでもなく、眼力のある人士でなくともすでに気づかれておることだろうが、ここに《一日に》という語句がないと、文意が曖昧である。というのも、四十里五十里行く者もあるとして、それがたとえば三日や五日のことでは、早いとは云えないからである。ここは、「一日に」四十里五十里行く者もある、という文章でなければならない。
肥後系諸本は共通して、この「一日に」という語句を脱落せしめているから、これは肥後系早期に発生した異変であろう。ただし、それも単純な脱字誤写ではなく、一日で四十里五十里行くなど、そんなことは荒唐無稽ではないかと考えた者が、これを削除したもののようである。
とすれば、肥後系諸本によるかぎり、「一日に」四十里五十里行く者もあるということ自体が抹消されているわけで、その文脈では、決して、「一日に四十里五十里行く者」など存在しないのである。
しかし、そういう抹消ができるというのも、無条件にはできない。つまり、ここに《一日に》という語句の偶発的な「脱字」ではなく、「抹消」の作為があるとすれば、それは五輪書相伝という環境ではありえないことで、門外流出後の操作とみなすべきである。
そして、もう一つ、――これは重要なポイントであるが――そうした脱落=抹消を示す箇処が、肥後系諸本に共通して存在するとすれば、それは、肥後系現存写本はすべて、門外流出後に発生した海賊版写本の子孫だということになる。この点は、肥後系諸本の史料評価における肝心である。
さて、校異箇処としては、次に、筑前系諸本間の相異のあるところ、すなわち、乱舞の道に言及したあたり、筑前系諸本のうち、早川系の吉田家本・中山文庫本に、《乱舞の道に、上手うたふ謡に、下手のつけてうたへば》とあるが、それに対し、同じ早川系でも伊丹家本には、《上手のうたふ》として「の」字を入れ、また立花=越後系諸本でも、「の」字が入るところである。
つまり、筑前系諸本間には、この「の」字の有無という相違がある。しかも、早川系の伊丹家本に「の」字があるだから、これは立花系/早川系の相異ではない。
肥後系諸本をみるに、同じく「の」字を入れるものがあるし、また、肥後系にも、富永家本のように、「の」字を欠くものがある。それゆえ、その両方が、筑前系/越後系を横断して存在するという格好である。筑前系/越後系を横断して共通するばあい、それは寺尾孫之丞の段階に遡りうる語句であるが、これはどちらもその資格があるということである。
したがって、この筑前系諸本間の相異、「の」字の有無に関しては、未決事項としておくべきである。またさらに新しい史料が発掘できれば、この問題の解決に進むこともできよう。したがって、当面、我々のテクストでは、その未決状態を示すために、《上手(の)うたふ》と記している。
ところで、まだ校異箇処がある。このあたり校異が連続しているので、以下、さらに順序を追って示しておく。
すなわち、一つは、筑前系諸本に、
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハ、これもおくれ、さきだつこゝろなり》
として、《これも》《こゝろなり》とあるところ、肥後系諸本には、《これにも》《心あり》として、双方相違がある。しかもこれらは、筑前系/肥後系を截然と区分する指標的差異である。
ただし、筑前系諸本には共通して存在するところから、前出例と同類のことであり、これらにある語句は、まずは初期性を有するものである。ただし、一応、個別に差異を検分しておくべきである。
このうち、《これも》/《これにも》は、「に」字の有無であるが、これは肥後系に見られる文意強調のパターンである。しかし、これが寺尾孫之丞段階に遡る可能性もある。つまり、寺尾孫之丞後期、《これにも》という語句を記した五輪書を発給したということもありうる。
ただし、その場合でも、筑前系の《これも》の初期形態たることは動かない。こちらは寺尾孫之丞前期の可能性があるからである。
次に、《こゝろなり》/《心あり》の相異であるが、これは「なり」/「あり」の相異であり、いづれかの誤記である。つまり、漢字「也」/「有」の誤記ではなく、仮名「な」字と「あ」字の類似から生じた誤写である。
これについては、筑前系の初期性からして、本来は「なり」であったとみえる。これに対し、肥後系の「あり」は、諸本共通するとはいえ、これは寺尾孫之丞段階に遡りえない。なぜなら、これは文意が変ってしまう変更なので、寺尾本人が、前期/後期で、「なり」と「あり」を書き分けることはないからである。
「心なり」と「心あり」とでは文意が異なる。「心あり」ならば、その心がある、ということである。このばあいでは、先立つ心がある、ということである。それに対し、「心なり」であれば、その心である、ということ。では、「心あり」に対して「心なり」は異例かというと、そうではない。「心なり」の語例は多い。右掲のごとく、この風之巻でも、少なからず登場している。
このうち、本例「先立つ心なり」と同じようなネガティヴな意味合いをもつのは、《きられざる心也》、《役にたゝざる心也》、《まよふ心也》などの語例である。したがって、「心なり」の語例は少なくない。
このことから、ここは本来、「なり」であって不都合はない。《さきだつこゝろなり》である。しかし、注意したいのは、上記事例において、《心也》として、仮名「なり」ではなく、漢字「也」が多いことである。とすれば、ここに誤写の要因もあるわけである。
つまり、寺尾孫之丞はここを「なり」と仮名で書いた。筑前系では、これをそのまま伝えたが、肥後系は、門外流出後に、この「なり」を「あり」と誤写した写本が発生した。そのために、後の写本はこれを伝えて、あるいは漢字「有」とも書くようになった。
この誤写は門外流出後早々のことであろう。なぜなら、早期に派生した系統の子孫たる富永家本や円明流系諸本にも、この「あり」「有」が見られるからである。
とすれば、肥後系諸本は、門外流出後早期にこの誤写をした写本の末裔である。言い換えれば、肥後系現存写本の先祖は、この誤写をした海賊版写本である。そして、誤写という偶然が同所に同時に発生することが稀だとすれば、肥後系諸本は複数の先祖を個別に有するのではなく、特定の元祖一本に帰一するものであり、その元祖が生れた後、諸系統に派生したのである。
その肥後系諸本の元祖とは、むろん、寺尾孫之丞が門人に伝授した五輪書ではない。また、この元祖一本は、門外へ流出した写しでもなく、その子か孫である。つまり、五輪書相伝とは無縁な門外者が作成した写本なのである。
かくして、肥後系写本のこの《心あり》の示すところは、決して小さくはないことが知れよう。こうしたことは、写本の一字一句を精査し照合してはじめて析出される事実である。諸本奥書の宛名しか見ていないようでは、わからないことである。
あるいは、後の別の箇処で、筑前系諸本に、
《はやきハこけると云て、間にあはず。勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々とミヘて、間のぬけざるところ也》
とあって、《これ》とするところ、肥後系は共通して、《是も》として、「是」と漢字で記し「も」字を付す。この相違もまた、筑前系と肥後系に分かれて分布しているから、両者を分つ指標である。
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*【吉田家本】
《勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々とミヘて》
*【中山文庫本】
《勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて》
*【伊丹家本】
《勿論、遅きも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて》
*【渡辺家本】
《勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて》
*【近藤家丙本】
《勿論、おそきも悪し。これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて》
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*【楠家本】
《勿論、おそきもあしゝ。是も、上手のする事ハ、ゆる/\とみえて》
*【細川家本】
《勿論、おそきも悪シ。是も、上手のする事は、緩々と見へて》
*【丸岡家本】
《勿論、遲キもあしゝ。是も、上手のすることは、緩々と見えて》
*【富永家本】
《勿論、おそきも悪しゝ。是も、上手のする事ハ、緩/\と見て》
*【狩野文庫本】
《勿論、遲も悪し。是も、上手のする事は、緩々と見へて》
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これについて言えば、筑前系諸本に共通するところから、前例と同様に、《これ》を初期形態とみなしうる。寺尾孫之丞段階まで遡りうる可能性がある。
それだけではなく、寺尾孫之丞が《これ》と仮名書きしたのは、漢字《是》が、ついつい「も」字を付されがちなので、ここは特に仮名書きにして、予防線を張ったものらしい。ところが、後に肥後系では、この仮名を漢字「是」に作り、そうしてその後に、案の定「も」字を付す写本が出たということである。
そうしてみると、《これ》と《是も》の間には、「是」と漢字変換する段階があったらしい。つまり、
「これ」 → 「是」 → 「是も」
というプロセスである。門外流出後、まず「是」と漢字変換されて、その後に、「も」字を付して、文意を強調する操作がなされ、《是も》と化したのであっただろう。
この《是も》という語句も、肥後系諸本の共有するところである。前記諸例と同じく、元祖一本に帰せられるものとすれば、その元祖一本は、寺尾孫之丞の五輪書からすれば、少なくとも「孫」であって「子」ではない。言い換えれば、門外流出後に発生した写本の子か孫である。
以上のように、肥後系早期の写本は位置づけられるであろう。現存写本は、そこから派生した諸系統の末裔である。誤記という遺伝子を共有することから、それらは同祖子孫である。先祖が複数存在したわけではないのである。
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*【吉田家本】
《他流にはやき事を用事。(中略)はやきと云事ハ、物ごとのひやうしの間にあはざるによつて、はやきおそきと云こゝろ也。(中略)人にはや道と云て、一日に四拾里五十里行者も有》
*【伊丹家本】
《他流に早き事を用事。(中略)早きと云事ハ、物ごとの拍子の間にあはざるによつて、はやきおそきと云こゝろ也。(中略)人にはや道と云て、一日に四拾里五拾里行者も有》
*【渡辺家本】
《他流にはやき事を用る事。(中略)はやきといふ事ハ、物毎のひやうしの間にあハざるによつて、はやき遅きといふこゝろ也。(中略)人にはや道と云て、一日に四十里五十里行者も有》
*【近藤家丙本】
《他流に早き事を用る事。(中略)早きと云事ハ、物毎の拍子の間にあハざるによつて、はやき遅キといふこゝろ也。(中略)人に早道と云て、一日に四十里五十里行者も有》
*【楠家本】
《他の兵法にはやきを用る事。(中略)はやきといふ事は、物毎の拍子の間にあわざるによつて、はやきおそきといふ心なり。(中略)人にはや道といひて、【★】四十里五十里行ものも有》
*【細川家本】
《他の兵法にはやきを用る事。(中略)はやきと云事は、物毎に拍子の間にあハざるによつて、はやきおそきと云心也。(中略)人にはや道といひて、【★】四十里五十里行ものもあり》
*【富永家本】
《他流の兵法にはやきを用る事。(中略)はやきと云事ハ、物ごとの拍子の間に合ざるによつて、はやきおそきといふ心なり。(中略)人ニはや道といふて、【★】四十里五十里行者【★】あり》

伊丹家本 校異箇処
*【吉田家本】
《上手【★】うたふ謡に、下手のつけて》
*【中山文庫本】
《上手【★】うたふ謡に、下手のつけて》
*【伊丹家本】
《上手のうたふ謡に、下手のつけて》
*【渡辺家本】
《上手のうとふ謡に、下手のつけて》
*【近藤家丙本】
《上手のうたふ謡に、下手のつけて》
*【猿子家本】
《上手のうたふ謡に、下手のつけて》
*【楠家本】
《上手のうたふ謡に、下手のつけて》
*【細川家本】
《上手のうたふ謡に、下手のつけて》
*【富永家本】
《上手【★】うたふ謡に、下手のつけて》
*【狩野文庫本】
《上手のうたふ謡に、下手の付て》
*【吉田家本】
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハこれもをくれ、さきだつこゝろなり》
*【中山文庫本】
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハこれもおくれ、さきだつ心也》
*【伊丹家本】
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハ是もおくれ、さきだつ心也》
*【渡辺家本】
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハ、これもおくれ、さきだつこゝろ也》
*【猿子家本】
《老松をうつに、静なる位なれども、下手ハ、これもおくれ、さきだつこゝろなり》
*【楠家本】
《老松をうつに、静なるくらゐなれども、下手ハ是にもおくれ、先だつ心有》
*【細川家本】
《老松をうつに、静なる位なれ共、下手は是にもおくれ、さきだつ心あり》
*【富永家本】
《老松を打に、しづかなる位なれども、下手ハ是にもおくれ、先立心あり》
*【狩野文庫本】
《老松をうつに、静なる位なれ共、下手は是にも後レ、先立心有》
*【風之巻語例】
《人を切ときにして、むりに強くきらんとすれバ、きられざる心也》(他流につよみの太刀と云事)
《ミじかき物にて敵へ入、くまむ、とらんとする事、大敵の中にて役にたゝざる心也》(他流にみじかき太刀を用る事)
《人をきる事、色々有と思ところ、まよふ心也》(他流に太刀数多き事)
《物毎に、搆といふ事は、ゆるがぬ所を用る心也》(他流に太刀の搆を用る事)
《はやきと云事ハ、物ごとのひやうしの間にあはざるによつて、はやきおそきと云心也》(他流にはやき事を用事)

楠家本 校異箇処

吉田家本 校異箇処
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