○此条諸本参照 → 異本集

喝とつきあげ、咄と打つ
*【肥後兵法書】
《敵打出す心を請、敵の打太刀に當らざるごとく向の顔ニ突かけ、敵にたくみをうしなはせ、是非もなく打所を、切先を返して上より手を打也。其太刀、前に捨たる如く提さげて、我身を動さず、敵又打かくる所を、三分一にて下より手をはるものなり》(喝咄返切先 中段)
《太刀筋、喝咄する時、太刀大小の刄を立、敵の打右の手を突心にあげて、打上る。あぐる事、敵の太刀にあたりても、あたらでも、同じ事なり。我手前違はぬやうに早く打事、專也》(儀談の搆 上段)
*【正法眼蔵・佛道】
《臨濟將示滅、囑三聖慧然禪師云、「吾遷化後、不得滅却吾正法眼藏」[吾れ遷化の後、吾が正法眼藏を滅却すること得ざれ]
慧然云、「爭敢滅却和尚正法眼藏」[爭か敢へて和尚の正法眼藏を滅却せん]
臨濟云、「忽有人問汝、作麼生對」[忽ちに人有つて汝に問はんに、作麼生か對せん]
慧然便喝。
臨濟云、「誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅却」[誰か知らん吾が正法眼藏、這瞎驢邊に向つて滅却せんことを]》
*【普勧坐禅儀】
《若し坐より起たば、徐徐として身を動かし、安詳として起つべし、卒暴なるべからず。嘗て観る、超凡越聖、坐脱立亡も、此の力に一任することを。況んや復、指竿針鎚を拈ずるの転機、払拳棒喝を挙するの証契も、未だ是れ思量分別の能く解する所に非ず、豈神通修証の能く知る所とせんや。声色の外の威儀たるべし、那ぞ知見の前の軌則に非ざる者ならんや》
*【兵法列世伝】
《如斯公務繁多ナレ共、毎朝出仕ノ時、兵法稽古ノ場ニテ、表二返、喝咄二返宛、大急用有テモ、吉ニテモ凶ニテモ、究リタル格式ナレバ、表ヲ掃除スル者モ稽古所ニ木刀ヲ組置事、主人ノ差圖ニ不違。三歳ノ児モ如斯ノ格ヲ知ル》
*日葡辞書
慶長年間(1603〜4)長崎で刊行された切支丹版日本語・ポルトガル語辞書。ボドレイ文庫本とエヴォラ公立図書館本の2種の異本あり。中世日本語の語義と発音が知れるというので、国語学のみならず歴史学一般の貴重な資料。
*【丹治峯均筆記】
《又或時、肥後ニテ、小知ノ士、十八九歳ノ賎息ヲ一人召連、武州ノ處ニ来、弟子ニイタシ度由ヲ申ス。健ナル若者ユヘ許容アリタリ。親ハ罷帰リ若者ハ残リ、終日稽古ス。喝吐ノ位ヲ数百返教ヘ、及晩皈ル所ニ、町ニテ、人ヲ誤リタル者、血刀ヲ振テ向ヒ来ル。跡ヨリ声々ニ、「其者、留テタマワレ」ト申ス。彼若者、唯今稽古ノ事ナレバ、両刀ヲ抜放シ、喝吐ニテカヽル。狼藉者無拠一刀打込、後ヘシサル。若者カスリ揚テ打込。サレ共、跡ヘシサリシ故、不當。又追カクル。以前ノ如ク、打チ込ミテハシサリ、カスリ揚テハ打チ、五六度、七八度モ右ノ如ニテ、跡ヱシサリ行。其内ニ町口ノ門ヲタテ、ノ〔クハンヌキ〕ヲ打。門際マデ追ツメ、打込ム所ヲカスリ揚テ打。跡ノクハンヌキニツカヘ、シサル事不能。袈裟ガケニ打放ツ。追手ノ者共悦ビ、死骸ナドカタヅケタリ。彼者親早速カケ付、右之趣聞届ケ、賎息召連、武州ヘ伺公、「御影ニテ手柄仕忝」由、及謝礼。武州ノ玉フハ、「我等ノ兵法ニテ候間、今日稽古シ今日打勝候段、不珍候。同ジ事二三度ハ左モアルベシ。数反ノ間、指南ヲタガヘズ、遂打勝候段、志シ丈夫ニテ祝著」ノ由、甚感稱シ玉ヘリト云ヘリ。コレハ武州ガ手柄ニ非ズトイヘ共、聞置タル咄ユヘ記置ナリ。志シ、丈夫ナラデハ、何事モ調イガタカルベシ》
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