(4)身をたすけ名をたすくる所、是兵法の道也
直前に語られていたのは、――手で勝ち、目に見ることでも勝つ。身でも勝ち、心でも勝つ――という一分の兵法において勝つことである。同様のロジックで、
《又、大なる兵法にしてハ、善人をもつ事に勝、人数をつかふ事に勝、身をたゞしくおこなふ道に勝、国をおさむる事に勝、民をやしなふ事に勝、世のれいほう(例法)をおこなふに勝》
というわけで、大分の兵法〔合戦〕においても、善人〔勝れた人材〕をもつことでも勝ち、人数〔兵員軍勢〕を指揮することにも勝つ。――このばあい、「善人」とは、善人・悪人の善人ではなく、「よき人」ということで、「能き人」の当て字である。つまり、戦場において役に立つ勝れた人材、有能な人物というほどの意味である。
と、ここまではよいが、さらに別の局面へ、この「勝つ」は越境し氾濫する。
身を正しく行うとは修身のこと、その自身一個の行いの道にも勝ち、国を治める事、政治行政においても勝ち、民を養う経済においても勝ち、そして世の例法、法律の施行においても勝つ。
かくして、この「勝つ」のオン・パレードは、修身、政治、経済、法律にまで波及するのである。というのも、武蔵において兵法とは、武士の道であって、狭義の軍事のみならず、人々を組織し、政治、経済、法律をもカヴァーするものであるからだ。兵法なくして、武士は成り立たないのである。
それゆえ、ここでの結語として、語られるのは、
《何れの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也》
ということである。
前に、武士は死ぬ覚悟があるかどうかで決まるのではない、人に勝つということが武士の職務だという話があった。これは後世のいわゆる「武士道」の精神とはまったく違ったものであることが注意されなければならない。
しかもここで《身を助け名を助くる》というところ、まさしく「忠君」ではなく、我が身を助け我が名を助けるのである。この自助たるべき「利己」のポジションは、少なくとも元和偃武以前の武士の姿である。まだ武士が本来の戦闘者でありえた時代の精神である。
おそらく、武家の世界ほど競争競合の激しい世界はなかった。それは「自治体」に他ならぬ領主としての武家の本質から来る。政治学でいう封建制とは、大名から名主のレベルにいたるまで、その自治(autonomy)の安堵される状態、秩序の固定した状態にすぎない。したがって、それはすでに「人に勝つ」という行動倫理とは別のものである。
我々が武蔵の思想的なポジションを見定める時、重要なことは、この「武士」なるものが、まだ野生の集団であって、封建制秩序確立以前の存在だということである。それが近世初頭の武士のエトスであるとともに、その後の封建的な武士のそれとの決定的な相異である。
統治とは、暴力の抑圧と同時にその昇華された様態にほかならない。関ヶ原以後なお形式上は主君であった豊臣家を大坂城に攻めて滅ぼした時、家康は、まさに「人に勝つ」、いわゆる下克上を実演した。しかしそれは、下克上を終結させる最後の下克上(the final supplanting)であった。つまりそれは、最後の人食いを演じた人食い種族の喩えに等しい。近世封建制はまさに最も反封建的な行為によって創出されたのである。
これとともに開始された偃武の時代、もはや「人に勝つ」ことは秩序を撹乱する行為を意味するものとなった。このとき、多くの武芸者・兵法者の類が「人に勝つ」ことを演じたのが、剣術の隆盛に他ならない。
武蔵は二十代までの六十余度の決闘に無敗という記録をもって、生前すでに、まさにそうした剣術の時代の伝説的なモデルになってしまった。しかるに、五輪書を見るかぎりにおいて、兵法教本を書きながら、同時にその剣術の時代を否定しているのである。かくして、
《何れの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也》
という一文は、誤解なきように読むべきである。武蔵がこの後書で「勝つ」「負けない」という語を呪文の行列のように並べ立てているのは、他でもない、武蔵的な意味での自律的な武士的存在が死滅していくという状況への批判に他ならない。まさに、こうした思想状況を背景にして、五輪書というテクストは読まれなければならないのである。
それというのも、前に武蔵は、武士の道は「死ぬ」ことではなく「勝つ」ことにある、と明言していたのだった。これは戦国の武士の行動原理である。武士が実戦の戦闘から離れてしまう泰平の時代になってはじめて、「死ぬ」ことが過剰な美学的価値をもつようになったのである。
武蔵の世代では、「人に勝つ」ことが武士の行動原理である。これは秩序内に回収されない自立的個人としての武士の生き方からくる。武という暴力、戦闘者としての実力だけが、どんな権威にも屈しない個としての自律独立を支えるのである。
したがって、内戦が終焉し偃武泰平の世になって、なおも「人に勝つ」ことを主張するとは、まったく反時代的で壊乱的な言説であった。
武士たちは、すでに、「勝つ」というよりも「後れをとらない」といった消極的な行動を重んじはじめていた。個としての突出した功業よりも、集団的な秩序志向が完成しつつあった。
そこから「勝つ」という武士の行動原理の貶価が生じるのも当然であって、剣術においても、たとえば柳生宗矩の、
《かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也》(兵法家伝書)
といった言説が、世間に受け入れられる土壌が出来上がっていた。言い換えれば、戦闘術が「兵法」というよりも「心法」になってしまうところ、本来暴力的存在である武士における、そのような剣の精神化が始まったとき、武蔵はあえて――きわめて下品にも――「人に勝つ」ことを、武士の規範として定式化するのである。
この「人に勝つ」というテーゼは、前述の通り、戦国の気風の保守であり、同時に偃武以後の秩序世界の中では、まさしく壊乱的な振るまいに他ならない。
要するに、以上のことを念頭において、この一節は読まれなければならない。しかも、そのような了解を前提にしてはじめて、この五巻の書を読む意味があるというわけである。
しかしながら、このあたり、既成現代語訳を見るに、戦前戦後を通じて、いかにも馬鹿げた状況が展開していることが知れる。
戦前の石田訳は、《善人を持つ》を「立派な人物を家来を持つ」と誤訳した。「善人」というのは、軍事においては、役に立つ有能な人材、というほどの意味で、「立派な人物」というような道徳的意味合いはない。また、《人数をつかふ》の訳にしても、これを現代語の「人数」の意味に錯覚してか、「多人数」と誤訳している。五輪書にある《人数》とは、兵員軍勢の意である。古語の素養が足りないこうした石田の誤訳が、戦後においても無反省に流用されるのである。
ただしそれ以外は、石田訳は原文をきちんとトレースして、しかも「勝ち」という語を隠していない。ところが、戦後になると、神子訳以来、意訳というよりも「超訳」で臨むようになった。というのも、あまりにも武蔵が、露骨にも「勝ち」を連発するのに辟易して、その「勝ち」という肝腎なキーワードを隠蔽するのである。
右掲にみる如く、この隠蔽路線は神子訳にはじまった。つまり、――すぐれた人と結びつくことに成功し、多くの部下をたくみに使い、わが身を正しく持し、国を治め、民を養い、天下の秩序を保つことができる――。石田訳と比較すれば、歴然としているが、まさしく武蔵の「勝ち」というキーワードは跡形もなく抹消されている。
その後現れた岩波版注記では、《善人を持つ事》について、戦前の石田訳の誤訳を継承して、「立派な人物を部下に持つこと」と誤釈した以外は、この箇処についてノーコメント、注釈を回避している。
以後の大河内訳は、ほとんど神子訳のパクリで、しかも岩波版注記の語釈を流用したにとどまる。また、鎌田訳も、大河内訳と同じく、神子訳のパクリと岩波版注記を反復する以外、何の新味もない。
このように、戦後の現代語訳は、原文の露骨な「勝ち」の連発にたじろいで、それをひたすら隠蔽する傾向にある。これは戦後の五輪書読みが、戦前よりも逆に秩序志向的になって、武蔵の壊乱的な言説を抑圧しにかかったもののようである。
これはたんなる誤訳なのではない。こうした戦後の現代語訳の一貫した特徴は、いわば「戦後精神」の貧困を反映している。そして、そのようにして、戦後、事実上、五輪書は読めなくなったのである。
それに対して、我々のここでの五輪書読解は、そうした戦後発生した偏向と悪弊を矯正するために、あえて武蔵の言説が内包するものを強調してみたのである。言い換えれば、それは、武蔵の五輪書を「読める」ようにするということである。そのための第一条件は、むろん、武蔵が露骨にも連発する「勝つ」というキーワードを、抑圧と隠蔽から解放することである。
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大坂夏の陣図屏風

徳川家康
*【兵法家伝書】
《かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを出さんと一筋におもふも病、かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋に、おもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢに、とどまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病をさつて心を調る事也》
*【現代語訳事例】
《大なる兵法においては、立派な人物を家来を持つ點で勝ち、多人數を使ひこなす點で勝ち、身を正しくする點で勝ち、よく國を治める點で勝ち、よく民を養ふ點で勝ち、世の法律をよく行う點で勝ち》(石田外茂一訳)
《広義の兵法としては、すぐれた人と結びつくことに成功し、多くの部下をたくみに使い、わが身を正しく持し、国を治め、民を養い、天下の秩序を保つことができる》(神子侃訳)
《広義の兵法としては、立派な人物を部下に持ち、その多くの部下を上手に使い、わが身を正しくし、国を治め、民を養い、天下の秩序を保つことである》(大河内昭爾訳)
《集団の兵法としては、立派な人物を部下にもつことに成功し、多くの部下を上手に使い、わが身を正し、国を立派に治め、民をよく養い、世の秩序を保つことができる》(鎌田茂雄訳)
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