右地水火風空乃五冊ハ、玄信公若年より兵法に心をよせ、数度のしあひに勝利を得、諸藝諸能のミちまで鍛錬し、六十有余にして此書を書し、未後に及、予にさづけらるゝ書籍也。然によつて、空の卷ハ所存のほどかきあらはされず。兵法乃道にいたつて、地水火風の四冊の卷を一字一字に執行し、道利を得てハ道利をはなれ、格を用ゐてハ格をはなれ、をのづから兵法をはなれ、有にあらず無にあらず、眞の道たるこそ、實相圓滿兵法逝去不絶、碑文の心に通ずべし。空といふにいたつてハ、豁達して空也。絶學無爲の所なるべし。右にあらはすごとく、末後に及て擇書たるによつて、天下に此書乃傳を得たる人なし。然に、貴殿依執心、今書写所令傳授也。弥朝鍛夕錬して兵法眞の道に達し、傳の道におゐてハ、極まつてきはまざるところをもちゐ、乃ぞミ乃やから於有之は、おのづからまことの道にいたるやうに可被相傳者也
新免武藏守玄信
寛文八年五月日 寺尾夢世[花押印]
槇嶋甚介殿
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右地水火風空之五冊は、玄信公若年より兵法に心をよせ、数度之しあひニ勝利を得、諸藝諸能之道鍛錬し、六十有余にして此書を書し、末後ニ及、予にさづけらるゝ書籍也。然によつて空之巻は所存之程書顕されず、兵法之道ニ至てハ地水火風之四冊の巻を一字一字執行し、道理を得てハ道理を離れ、格を用ゐてハ格を離れ、おのづから兵法をはなれ、有にあらず無にあらず、真の道たるこそ、実相圓満兵法逝去不絶碑文之心に達すべし。空をいふに至てハ豁達して空也。絶学無爲之所なるべし。右に顕す如く末後におよびて撰書たるニよつて、天下に此書を得たる人なし。然に貴殿依執心、今書写令所伝授也。弥朝鍛夕錬して兵法誠之道に達し、伝之道におゐてハ極まつて極まらざる所を用ひ、望のやから於有之ハ、おのづから真の道に至る様ニ可被相伝者也
慶安四年十一月五日
寺尾孫丞勝政[花押]
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右地水火風空之五冊者、玄信若冠ヨリ兵法之道ニ心ヲ寄ラレ、数度ノ仕合ニ勝利ヲ得給ヒ、諸藝諸能ノ道マデ鍛錬シ、六十有余ニシテ此書ヲ書シ給ヒ、未期ニ及テ、予ニ授ケラレシ書籍也。然ルニ依テ、空ノ卷ハ粗書アラハサレズ。兵法ノ道ニ至テハ、地水火風ノ四冊ノ卷ヲ一字々ニ修行シ、道理ヲ得テハ道理ヲ離レ、格ヲ用ヒテハ格ヲ離レ、オノツカラ兵法ヲ離レ、有ニアラズ無ニアラズ、直ノ道タルコソ、實相圓滿ノ兵法、逝去不絶、碑文ノ心ニ通ズベシ。空ト云ニ至テハ、豁達シテ空也。絶学無為ノ所ナルベシ。右アラハスゴトク、末期ニ擇置レタルニ依テ、天下ニ此書傳ヲ得タル人ナシ。然ルニ、貴殿ノ依執心、書写シ所令傳授也。弥朝鍛夕錬シテ、兵法ノ誠ノ道ニ達シ、傳ヘノ道ニ於テハ、極テ極ラザル所ヲ思ヒ、望ノ族於有之者、自ラ直ノ道ニ至ル樣ニ可被相傳者也
慶安四年十一月五日
寺尾求馬助
信行[花押]
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