宮本武蔵 資料篇
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[資料] 繪本二島英勇記 巻之五  Back    Next 

 岡山での話の続きである。白倉源五左衛門は宮本無三四という若者と対戦することになった。意外に無三四が強いので、茶を出して時間を稼いだが、門人らの手前、勝負を避けるわけにもいかず、渋々立合う。
 勝ち負けどちらであろうと、恨みっこなし、と双方八幡神に盟約して、いざ立合うと、無三四はその二刀の早業で白倉を打ち負かす。
 すぐさま白倉は敗北を認め、自分は三十年来武術に励み、この年に至るまで諸国で名のある武芸者に出合ったが、貴殿ほどの人物に逢ったことがない、まことに摩利之天の再来か、と絶賛して、是非門人にしてご教授あれと頼む。
 無三四はその慇懃さに感じてこれに同意し、自分は肥後国熊木の生れ、宮本無三四と申す者だと、身元を明らかにする。すると白倉は、自分たちは仕官の身の上だから、無三四の廻国修行に隨いて行くわけにはいかない、そこで、数ヶ月ここに逗留して、教授してくれと頼む。無三四は、仇の手がかりを聞き出せるかもしれない、とも思ったので、白倉の家に滞在することにした。
 それから三ヶ月、無三四は白倉とその門人を教えた。無三四も人がよいのか、秘中の秘とする流儀の蘊奥まで、すっかり開示して伝授したのである。しかし一方、仇の手がかりはまったくない。これでは、当地を去るほかないと決め、ある日、白倉に出発の旨を告げる。
 そのとき無三四は、白倉を真実の情のある人と見込んで、実は自分は肥後生れではなく、実父は筑前名島の吉岡であり、そして心中に秘していた敵討ちのことまで白倉に打ち明けてしまう。この秘密の開示は、流儀の秘奥の開示と同じ形式である。とにかく無三四は、すっかり白倉を信じて、やたら秘密を明かしてしまうわけである。
 白倉は、敵討ちという秘密を打ち明けられては、引きとどめるわけにもいかず、明日出発するという無三四を、明日は門出には悪日なので、明後日旅立たれるのがよいと説得し、ようやく一日だけ延期させる。そして早速門人たちにもこれを知らせ、明日は送別の酒宴を催したいと述べ、その夜高弟らを自宅に呼んだ。
 ところが、ここまでの物語の気分は反転して、凶悪な側面が露出する。白倉が高弟らを集めて相談したのは、無三四送別の宴会の話というより、彼を殺す謀略を密議するためであった。白倉はもともと、無三四を他国へ去らせて、備前岡山で白倉を門弟にしたと吹聴されては不愉快だし、彼の妙技の秘奥を開示させて、それを習得しようという腹づもりで、無三四を自宅に逗留させたのである。白倉の善意も親切も、実は最初から奸計であった。無三四の二刀流は古今未曾有であり、今やすでにその奥義を伝授されたのだから、無三四を抹殺してしまえば、その妙技の秘密を独占できる、というのが殺害の動機。
 では、無三四を殺すにしても、誰にも非難されない理屈をどう立てるか。高弟らは、戦国時代のいま、当家(備前浮田家)の軍備について知ってしまった者を他国に行かせては、国のためにならないと考えて殺したと弁明すれば、主君秀家もお咎めはあるまいという。では、いかにして無三四を殺すか。深夜寝所に忍び込んで暗殺するという者があれば、それは安易だと反論する者がある。
 このとき、無三四が以前肥後で悪漢らと戦って勝ったが、それ以後、わずかな物音にも驚いて夜熟睡できない、いわば心的外傷(トラウマ)に関する心理学を、作者が語らせるのも面白い。この点では、現代小説のごたごたした下手な心理説明より明解である。
 高弟らは他に毒殺とか殺害方法を提案するが妙案は出ない。そのとき白倉は、妙案があると、自ら提案する。それは、無三四を酒宴で泥酔させたうえ、風呂に入浴させ、湯殿に閉じ込めて、蒸し殺しにするという案である。このあたりの解説は、微に入り細に入り、そのディテールの過剰は、娯楽小説としての読本の独壇場であり、その悦楽の現場である。
 さて、翌日になって、昼間から宴会がはじまり、無三四はこの饗宴に感激し、すっかり気を許してしまう。白倉も、涙を流して、無三四に感謝する。この「涙を流す白倉」という姿は、現代の読みでは、描写の平板さとも受け取られる部分であるが、そうではなく、余計な心理描写がないだけに、不気味で興味深いところである。つまり言うならば、白倉は嘘泣きをしたのではなく、本気で涙を流したかもしれない、という不気味な余地を残すからである。
 そうしているちに、白倉の若党が、風呂が沸いたと知らせにくる。白倉は無三四に入浴をすすめる。無三四は最初それを固辞していたが、白倉師弟の懇請に負けて、湯殿に入る。すると、湯殿の外では用意万端、風呂を焚きたて、熱湯を注ぎ込み、無三四を蒸し殺しにかかる。ようやく、これが罠だと気づいた無三四は、養父武右衛門から伝授された不動体の法を修し不動明王利剣の印を結べば、あら不思議、熱湯にも無三四の皮膚は爛れない。無三四は意を決して戸を蹴破ろうとする――。
 ここまでが、この巻の話。もちろん、この二百年前の小説では、現代の武蔵評伝のように、無三四を風呂嫌いとはしない。むしろ、無三四は湯は熱めが好き、とまで語るのである。だがそれよりも、この巻と次の巻を通じて、寒暑・冷熱の対比法が厳密に貫徹されているのに注目される。仇を討とうとする者が、どうして寒さ暑さを気にしますか、と無三四に語らせているのも、後方に長く伸びる伏線たりえている。
 ともあれ、灼熱の湯殿に閉じ込められた無三四、彼はいかにしてこの状況を突破するであろうか。

 
   卷之五 目録
 【原 文】

繪本二島英勇記 巻之五
    目 録

  宮本白倉源五左衛門と試合の事
    宮本白倉と武技比試〔しあひ〕の圖
    白倉師弟宮本に屈服の圖
  宮本無三四辭白倉の事
        并白倉師弟奸計の事
    宮本復讐を語る圖
    白倉竊に門人と會する圖
  白倉師弟宮本を饗饌之事
    同  圖
    悪黨熱湯を浴室へ流入る圖
    其  二


 【現代語訳】

絵本二島英勇記 巻之五
    目 録

  宮本、白倉源五左衛門と試合の事
    [絵]宮本、白倉と武技試合の図
    [絵]白倉師弟、宮本に屈服の図
  宮本無三四、白倉を辞すの事
         ならびに、白倉師弟、奸計の事
    [絵]宮本、復讐を語る図
    [絵]白倉、ひそかに門人と会する図
  白倉師弟、宮本を饗饌の事
    [絵]同 図(白倉師弟、宮本を饗饌)
    [絵]悪党、熱湯を浴室へ流し入る図
    [絵]悪党、熱湯を浴室へ流し入る図 其二


巻之五 1
1 ・・ 巻之五 ・・  

巻之五 1/2
2 ・・ 巻之五 ・・ 1

巻之五 2/3 宮本白倉と武技比試の圖
3 ・・ 巻之五 宮本白倉と武技比試の圖 ・・ 2

巻之五 3/4
4 ・・ 巻之五 ・・ 3

 
   1 宮本與白倉源五左衛門試合事(1)
 【原 文】

   宮本與白倉源五左衛門試合事

 却説〔さても〕白倉源五左衛門は、宮本が年齢いまだ稚〔いとけなき〕を慢り、何程の事か有べしと思ひしが、思慮の外〔ほか〕なる其動作〔はたらき〕に恐懼し、暫時刻〔とき〕をうつすといへども、仕出したる上計〔よきはかりこと〕も發せず、それのみならず、門人の思ふ所も恥かしく、渋りながら座を立、頓〔やが〕て圏〔かこミ・圍〕の内に入て、去來〔いざ〕一劔を試むべし。
 宮本曰、われ先生の手を労し奉る事、甚本意に背けり。しかのミならず、比試〔しあひ〕を希〔こいねがふ〕も失礼に似たり。然共修行の人の習ひなり。若〔もし〕唯今の勝負に、某が藝術未練にして打負候ハゞ、曲て失礼を宥され、門人と成〔なし〕玉ハれかし。万一打勝とも、必怒を生じ玉ふ事なかれ。
 白倉こたへて申けるは、大丈夫たるもの、いかで小事〔しやうじ〕に就て憤りを發すべきや。勝〔かつ〕も負〔まくる〕も唯自己の修行次第也。我に於て偏執〔へんしう〕の心なし。決句、励ミの端〔はし〕ともならん。八幡宮も正覧あれ。決て怨恨〔うらミ〕有べからずと、左右方〔さうはう〕盟約を誓ひ立むかへバ、座中の門弟歯を緊〔くいしば〕り、掌を握りてひかへ居る。
 白倉も心こそ奸曲なれ、武藝ハすぐれたる名譽の人、少しも隙〔ひま〕ありとも見へず。三尺ばかりの無反〔むそり〕の木刀、虎頭〔こたう〕に挿〔かざし〕て詰かけたり。宮本若年といえども、天質〔てんしつ〕請得たる処の妙技あつて、左右の両刀何れを薦〔すすめ〕來るやはかりがたく、息を詰て近寄たり。
 白倉は電光の迸るよりも疾く、無三四が頭上に撃來る。無三四左の手の木刀をすゝむると見る処に、忽ち変じて右をすゝめ、白倉が準頭〔はなしら〕へ面〔めん〕の眞中突貫ぬく計に突すゝむ。其遠疾〔するどき〕こと、燧火〔きりび〕の石を出るよりも速し。
 白倉大きに荒忙〔あハて〕て、打かけたる初太刀〔しよだち〕を取直す隙もあらせず、無三四が精心百倍して、大きに叫び、参りたりと聲をかけて、鐵面の眞中よりしたゝかに撃たり。誠に其働き、春を惜める村燕〔むらつばめ〕の風に翻るごとくにて、撃れたる人も見る人も、無三四が手段の早態〔はやわざ〕ハ、見とむる人もなかりけり。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

  宮本、白倉源五左衛門と試合う事

 さても、白倉源五左衛門は、宮本の年齢がまだ若いのを慢り、何ほどのことがあろうか[大したことはあるまい]と思ったが、予想外の宮本の働き[高弟どもを打倒したこと]に恐懼し、しばらく時間を稼いだものの、策略の名案も思いつかず、それのみならず、門人が(見て)思うところも恥かしいので、渋々ながら座を立ち、やがて囲みの中に入って、「いざ、一剣を試みよう」。
 宮本が曰く、「先生(白倉)の手を煩わせることは、まったく私の本意ではありません。それのみならず、(自分から)試合[ルビによる。比試の音訓はひし]を望むのも失礼なほどです。けれども、これは修行中の人間の習慣です(お恕しあれ)。もし、この勝負に、それがしの芸術[武芸の技術]が未熟で、(先生に)打負けましたら、どうか失礼をゆるされ、門人にしてください。(また逆に、私が)万一勝っても、決してお怒りになりませんように」。
 白倉が答えて言うには、「大丈夫[立派な男子]たる者が、どうして小さい事で腹を立てたりしますか。勝つも負けるも、ただ自分の修行次第である。私には偏執[ここは妬み嫉みの意]の心はない。(負けても、それは)むしろ(修行を)励むきっかけともなろう。八幡宮[弓矢の神、古来武士の神]もよくご覧あれ。決して怨みなどしない」と、双方が盟約を誓い[八幡神にかけて誓う]、立ち向うと、座中の門弟らは、歯をくいしばり、手をぎゅっと握って、その場に控えている。
 白倉も、その心こそ奸曲であるけれど、武芸はすぐれた名も誉れもある人、少しも隙(すき)があるとも見えない。三尺ほどの無反[反りのない]の木刀を虎頭[上段の構えの一種]にかざして、間合いを詰めかける。宮本は若年といえども、生まれつきの資質からする妙技があって、左右の両刀のどちらを出してくるか、予想もつかず、(白倉は)息を詰めて接近する。
 白倉は、電光の迸しるよりも疾く、無三四の頭上に撃ってくる。無三四は、(高弟等との対戦の時のように)左の手の木刀を出すかとみえたが、たちまち変じて右を出し、白倉の鼻先[準頭は漢方用語]へ、まるで顔面の真中を突き貫くかのように突き進む。その鋭さは火燧石の火が発するよりも速い。
 白倉は大いに慌て、打ちかけた初太刀(の体勢)をたて直す間もあたえず、無三四の精心はここで一気に百倍、大声で「行くぞ![意訳。参ったぞ]」と声をかけて、鉄面[顔面防具]の真中をしたたかに打った。まことにその動きは、春を惜む村燕が風に翻えるがごとくで[技の名に飛燕にちなむものがある]、打たれた人(白倉)も見る人(門弟ら)も、無三四の手並みの早技を、見てとれた人はだれもなかった。


巻之五 4/5
5 ・・ 巻之五 ・・ 4

巻之五 5/6 白倉師弟宮本に屈服の圖
6 ・・ 巻之五 白倉師弟宮本に屈服の圖 ・・ 5

 
   2 宮本與白倉源五左衛門試合事(2)
 【原 文】

   宮本與白倉源五左衛門試合事 (承前)

 源五左衛門、持たる木刀後のかたに投棄、忽ち無三四が手を取、上座〔じやうざ〕に着〔つけ〕、遥に飛しさりて、扨々驚き入たる御手練〔なミ〕かな、某三十年來武術をはげミ、既に今年〔こんねん〕に至るまで、諸國に名ある武藝者に出合といへども、いまだ足下〔ごへん〕ほどの人物に逢〔あひ〕し事なし。誠に摩利之天〔まりしてん〕の再來と申べきか。さらに凡夫の所爲とハおもハれず。我、生得〔しやうとく〕慢心つよきものにして、人の下風〔したて〕にたつ事を好まずといへども、今日驕慢の角〔つの〕を折却〔をり〕、足下の門人となり、其蘊奥を叩て傳〔つたへ〕玉ハゞ、洪恩〔こうおん〕心膽〔きもだま〕に銘じて忘るまじ。先〔まづ〕貴君の産國〔さんこく〕尊性〔姓・そんせい〕をうけ玉りたしと、謹で申けれバ、一座の門人のこらず頭〔かうべ〕をもつて畳を叩き、先刻よりの失礼過言〔しつれいくハごん〕、ひとへに師匠〔しせう〕に免ぜられ御了簡下さるべしと、其慇懃なる事、始〔はじめ〕にかハりたり。
 無三四も同じく礼を返し、こハ痛入たる敬礼〔けうれい〕かな。それがしが未練の武技、何ぞ奇特〔きどく〕とするに足〔たら〕んや。然れ共武藝の事ハ、修行の功とハいひながら、流義の得失もあるべし。其故ハ、某が年齢と先生の年齢とを以て、修行の功をいはゞ、某ハわづか十年に足ざる手練〔しゅれん〕、先生ハ三十年來の鍛錬、某が身に於て修行をもつて論ずる時ハ、勝〔かち〕を取るべき道理さらになし。しかれども、わが学ぶ所の流義は、譬〔たとへ〕ば道を往〔ゆく〕に逕路〔ちかみち〕を走るがごとく、先生の道ハ迂〔まはり〕遠き還道〔ほんだう〕を行が如き御流義にして、某の藝のすぐれたるにハあらず、流義の勝れたると申者也。流石は物の上手にて、先生少も憤りを發〔はつし〕玉ハず、小兒〔せうに〕同前のそれがしに座を賜りての重礼〔ちやうれい〕、いかでか感激仕らざらんや。僕〔やつがれ〕は則〔すなハち〕肥後國熊木の生〔むま〕れ、宮本無三四と申者也。
 源五左衛門曰、我何とぞ貴君に同伴〔どうばん〕仕り、なほ修行いたし度ハ存ずれ共、仕官の身なるが故に心に任せず。修行の御旅行を妨げいたすに似たれども、曲て此所に二三ヶ月も尊歩〔そんほ〕を輟〔とゞめ〕られ、晝夜〔ちうや〕教授〔けうじゆ〕下され、演武〔けいこ〕仕らば、所詮貴君にハ及ばずとも、万分が一も得る事あらバ、某一人の幸ひのミならずして、門弟の幸ひ也と、師弟ひとしく手を摺〔すり〕て身を謙〔へりくだ〕り頼むにぞ、宮本ふかく感じ入、元來いそがぬ旅の空、且ハ敵〔かたき〕の手がゝりをも聞出す事もや、と思ひければ、渡口〔わたり〕に船を得たる心地して、懇に礼をなし、我既に修行の身分、もしくハ同志の人あつて、道を論じ得失を工夫する時ハ、演武〔けいこ〕の功を積〔つむ〕事、その中にあり。足下の鍛錬流義の太刀筋を少し自得し玉ハゞ、鬼に鉄棒〔かなぼう〕といふべし。然らバ各〔をの/\〕の接待〔もてなし〕に憇〔あま〕へ、数月の間、貴館〔きくわん〕に逗留いたすべしと、心よく諾〔うけが〕ふにぞ、師弟大きに歓び、さらば一献をすゝめ、旅行のつかれをも慰め参らすべしと、頓〔やが〕て座敷に請じ入れ、既に酒宴をはじめける。

 【現代語訳】

   宮本、白倉源五左衛門と試合う事 (承前)

 源五左衛門は、持った木刀を後の方へ投げ棄て、すぐさま無三四の手を取って上座に座らせ、遠く飛び退いて、「さてさて、驚き入ったお手並みですなあ。それがしは三十年来武術を励み、すでにこの年に至るまで、諸国で名のある武芸者に出合ったが、いまだ貴殿ほどの人物に逢ったことがない。まことに摩利之天[まりしてん・インドの女神。三面六臂ないし八臂の像に作る。日本では中世以来武士の守護神となる]の再来と申すべきか。まったく凡夫のしわざと思えません。私は、生れつき慢心が強く、人の風下に立つことを好まない者ですが、今日、驕慢の角を折り、貴殿の門人となり、その蘊奥をすべて伝授して下されば、その広大な恩義は肝玉に銘じて忘れません。(そこで)まず、あなたの産国[生れた国。生国]とご姓名をうけたまりたい」と、謹しんで述べたので、一座の門人も残らず畳に叩頭して、「先ほどからの(我々の)失礼と過言は、どうか師匠(白倉)に免じてお恕し下さい」と、その慇懃なこと、最初と大違いである。
 無三四も同じく礼を返し、「これは大変なご敬礼、痛み入ります。それがしの未熟の武技は、まったく特別とするほどのものではありません。しかし、武芸のことでは、(諸個人の)修行経験次第とはいえ、流儀そのものの優劣もあります。というのも、それがしの年齢と先生(白倉)の年齢とをもって修行の経験を比較すれば、それがしは僅か十年にも足りない修行期間、(それに対し)先生は三十年来の鍛錬です。それがしの修行期間からすれば、先生に勝てる道理はまったくありません。けれども、私が学んだ流儀は、たとえば道を行くのに近道[ルビによる]を走るようなものです。先生の道は、遠く迂回する本道[ルビによる。往還・街道]を行くような御流義です。(それゆえ)それがしの(個人的な)芸がすぐれているのではなく、流儀がすぐれているというものです。さすがは、物の上手[達人]だけあって、先生は少しもお怒りにならず、小児同然のそれがしに、上座を与えてくださるという重礼、どうして感激しないおれましょう。やつがれ[謙遜自称]は、肥後国熊木の生れ、宮本無三四と申す者です」。
 源五左衛門が曰く、「私は、何とぞあなた(の旅)に同伴させていただき、さらに修行をしたいとは存じますが、仕官の身ですから自由にはできません。(そこで)修行のご旅行を妨げてしまうようですが、どうかここに二、三月歩みをお止めになり、昼夜ご教授下さり稽古[ルビによる。この演武は見世物ではなく演習訓練の意]させていただければ、所詮あなたには及ばないとはいえ、万分の一でも得ることがあれば、それがし一人の幸いのみならず、門弟たちの幸いです」と、師も弟子も同じように、手を摺り身をへり下らせて頼むので、宮本は深く感じ入り、もともと急がぬ旅の空、それに仇の手がかりを聞き出せるかもしれない、と思ったので、渡りに船を得た心地がして、懇ろに礼をして、「私はすでに修行の身分です。たまたま同志の人があり、道を論じ、理論を研究する[ここは意訳。得失は道理の意]ばあいは、稽古の経験を積むことも、修行のうちです。貴殿の鍛錬(に加えて)、(我が)流儀の太刀筋を少し自得なされば、鬼に鉄棒といえるでしょう。しからば、皆さんのもてなしに甘え、数ヶ月の間、お宅に逗留いたしましょう」と、心よく承諾したので、師弟は大いに歓び、「では、一献(酒)をすすめ、ご旅行の慰労をさせていただきましょう」と、それから座敷に招き入れ、早速酒宴をはじめたのであった。


巻之五 6/7
7 ・・ 巻之五 ・・ 6

巻之五 7/8
8 ・・ 巻之五 ・・ 7

巻之五 8/9 宮本復讐を語る圖
9 ・・ 巻之五 宮本復讐を語る圖 ・・ 8

巻之五 9/10
10 ・・ 巻之五 ・・ 9

 
   3 宮本無三四辭白倉の事并白倉師弟奸計の事(1)
 【原 文】

   宮本無三四辭白倉の事
        并白倉師弟奸計の事

 宮本無三四ハ、白倉師弟が慇懃の敬礼にひかれて、岡山の逗留、假初と思ふが内に、はや三ケ月に及びぬ。
 源五左衛門ハ、晝夜美酒を饌〔そな〕へ珍膳を調へ、叮嚀を盡し、終日教場〔けいこば〕に於て其奥義を叩て、切瑳琢磨しけるほどに、無三四も隔心〔きやくしん〕なく、曾て秘中の秘とする処まで残りなく傳へ、日々門人等の諸士に交り、何となく敵〔かたき〕の手がかりを伺ひ探ると雖ども、夫と思ふ心あたりもなかりしかバ、さらば當地をも出ざるべしと決定〔けつじやう〕し、一日〔あるひ〕白倉に對ひ語けるハ、
 扨〔さて〕貴館に滞留して光陰空く送りぬ。熟〔つく/\〕足下〔そくか〕の動靜〔ふるまひ〕をみるに、全く実情ある仁〔じん〕と存る故、心腹乃密事〔ミつじ〕を申也。元來我出生の地ハ、筑前國名島、実父ハ吉岡太郎右衛門と申す。かの肥後國へハ、幼少の時養子となりて赴ぬ。然るに、実父太郎右衛門、先年何人の所爲〔しわざ〕とも知れず、闇討にうたれたり。是より如々〔しか/\〕の願ひを出し、表ハ武者修行と唱へ、其実ハ敵討なり。敵と目指〔めざす〕者ハ佐々木巌流ならんと、大かたの推量に依て、すでに國をば出たれ共、これとてもたしかに敵とも押究めがたし。されバとて、愚父吉岡、なミ/\の人に無残々々〔むざ/\〕と討るべきものにあらず。一流の師範をもすべき人のせし事ならんと高弟等の批判、是によつて、まづ国々を駈めぐり、一國の内にハ是非武藝に英〔ひいで〕たる憑敷〔たのもしき〕人物も有べければ、其人に親しミを累ね、次に心底〔しんてい〕の大望を明かに語り、陰〔ひそ〕かに手係〔てがゝり〕を覓んと存じ、諸国を経歴して貴國に來り、ふしぎに足下〔そくか〕と交りを結び、此一大事を申出すに及べり。指を屈〔かゞ〕めて日を計〔かぞ〕ふるに、はや百日ばかりの逗留、少しも其かたきの手がかりをも得ず、今年も看々〔みす/\〕暮にちかし。夫ゆへ一両日の間〔ほど〕にハ發足いたすべし。なを當地を出て、山陰道に経過し、上方に走るべし。此後いづれの地に趨くとも、幸便を相もとめなば、書状を参らすべし。足下もし我當地を去し後〔あと〕にても、此月ごろの交りをおぼしめし出されなば、わが憑〔たのも〕しげなき身の上を憐れミ玉ひ、當家のうちにても、新参の諸士数多〔あまた〕あるべけれバ、其輩に心を付られ、それと思ハしき手筋も出來〔いでき〕らバ、我方へ魚鴈〔ぎよがん〕の便〔たより〕をもつて、如斯〔かく〕としらせ玉ハれかし。去ながら、此事ハ門人の旁〔かた/\〕へも穴賢〔あなかしこ〕漏し玉ふ事なかれと、涙を流し頼ミければ、
 源五左衛門大きに驚ろき、扨ハ吉岡氏の御子息にて侍〔はんべ〕るかや、某も吉岡氏の名号〔おんな〕ハ雷霆〔いかづち〕の耳に轟がごとく聞及べり。因縁薄ふして對面仕らず。かゝる大望ある人ともぞんぜず、無躰に行歩〔かうほ〕を妨げ申す事ハ、心なき所作〔しわざ〕也。然れ共、はや霜月の半、とりわけ今年ハ寒氣も厳ければ、今暫く此所に逗留し玉ひ、正月の時候を待て出玉へ。
 無三四が曰、身に讐〔あだ〕を討んとする望ミある者、何ぞ寒暑に恐るべき。扨足下の劔術もとより英〔ひいで〕玉へる上に、我秘嚢の底を振うてこと/\く傳へ、一ツも遺す所なし。最早唯今にてハ、それがしが及ぶ所にあらず。このうへは一日の遅怠も無uの月日をおくるに似たり。明日發足いたすべし。
 白倉大きに嘆息し、今御心術〔ごしんじゆつ〕承るうへは、一日もとゞめ参らすべきにあらず。然れ共、明日ハ往亡日〔わうまうにち〕にて、首途〔かどいで〕にハ何とやらん、心掛りの惡日〔あくにち〕なり。明後日ハ吉日なれば、廿一日發足し玉へ。明日ハ門弟等をあつめ、送別の酒宴を催し、せめて發旅の日ハ、皆々一二里が間、むまのはなむけに道を送り参らすべし。
 無三四固く辞して申けるは、旅行を送り玉ハる事、決て無用也。千里相送るといへども、終に一別すと、古人も申候へば、是非一たびハ別るゝ道、尊歩〔そんほ〕を煩ハして何のuかあらん。悪日とあるに、發足も快からず。明日の出立ハ思ひとゞまるべし。
 白倉は大きによろこび、早速の御得心〔ごとくしん〕よろこぶに堪〔たへ〕たり。是まで御教授〔ごけうじゆ〕にあづかりし処の門人へも、此事を告しらすべしと、すぐに其座をたち、ひそかに僕〔ぼく〕を呼よせ、福田十左衛門、村山源左衛門、高田千之介、森脇左十郎、猪子内匠、貝沢万右衛門、すべて十八人の高弟の方〔かた〕へ書翰を遺し、今晩申合せたき子細あれバ、悉く私宅〔したく〕へ聚り玉へとの事也。これによつて、其夜暮〔くれ〕るをまつて、高弟等こと/\く白倉が家に來りける。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   宮本無三四、白倉を辞するの事
       ならびに、白倉師弟、奸計の事

 宮本無三四は、白倉師弟の丁重な敬礼[うやまいの礼。ここは無三四を師と仰ぐ礼儀]に(つい)ひかれて、岡山の逗留は少しだけのつもりだったが、そのうちに、はや三ヶ月になった。
 源五左衛門は、昼夜(無三四に)美酒を供し珍味の膳を用意して、丁重の限りを尽くし、終日稽古場[ルビによる]で、無三四の奥義を研究して、切瑳琢磨していた。無三四も隔心なく[うちとけて気をゆるし]、これまで秘中の秘としていたところまで残りなく伝授し、(また)毎日門人の諸士と話をして、さりげなく仇の手がかりを探っていたが、それと思う心あたりもなかったので、それでは、当地を出るほかないと決め、ある日、白倉に向って話したのは、
 「さて、お宅に滞留して、時を空しく過ごしてしまいました。(というのも)貴殿の振舞い[ルビによる]をじっくりと見させていただいていましたが、全く真実の情のあるお人と存じますので、私の腹の中にある秘密を明かしましょう。――もともと私が出生した土地は、筑前の国名島で、実父は吉岡太郎右衛門と申します。かの肥後の国へは、幼少の時養子となって行きました。しかるに、実父の太郎右衛門は、先年、誰のしわざとも知れず、闇討ちにあって殺されました。そこで、しかじかの願いを(主人に)出し、表向きは武者修行と称し、その実は敵討ちなのです。仇と目指す者は佐々木巌流だろうという、漠然とした推量によってすでに国を出ましたが、これとても確かに仇と決めつけるわけにもいかない。さればとて、私の父吉岡は、並々の人にむざむざと討たれるはずもありません。一流の師範もできる人間のやったことだろうと、高弟等のご意見があり、これによって、まず諸国を駈け廻り、一国の内には必ず武芸に秀でたたのもしい人物もあろうから、その人に親しみをかさね、次に、心の底の大望を打ち明けて、ひそかに手がかりを求めようと思い、諸国を経歴して貴国に来て、ふしぎにも、貴殿と交りを結び、この一大事を打ち明けることになりました。――指を折って日を数えると、はや百日ほどの逗留になります。(その間)少しも仇の手がかりも得ず、今年もみすみす暮近くなってしまいました。それゆえ、一両日のほどには出発いたします。なお、当地を出て、山陰道を通って、上方に行きます。この後、どこの地に行っても、幸便[手紙を託すに都合のよいついで]を求めて書状を差上げます。貴殿がもし、私が当地を去った後でも、この数ヶ月の交りを思い出されたなら、我が頼りない身の上を憐れみ下さり、当家のうち(浮田家中)でも新参の諸士が数多くあるようなので、その人々に気をつけられ、それとおぼしい手筋[手がかり]が現れたなら、私の方へ魚雁の便り[書状手紙の意]で「こうだ」と知らせて下さい。さりながら、このことは、門人の方々にも絶対に[あなかしこは神かけての意]漏したりなさらないように」と、涙を流して頼むので、
 源五左衛門は大いに驚き、「さては、吉岡氏の御子息でございましたか。それがしも吉岡氏のお名前は、雷が耳に轟くがごとく聞き及んでいますが、因縁が薄くて対面したことはありません。こんな大望がある人とも存ぜず、(私が)無理に旅の歩みを妨げましたことは、心なきしわざです(お恕しください)。けれども、はや霜月[旧暦十一月]の半ば、とりわけ今年は寒気が厳しいので、もうしばらくここに逗留なさって、正月[新春]の時候を待ってご出発なされ」。
 無三四が曰く、「私は自身に、讐を討とうとする望みがある者です。どうして寒さ暑さを気にしましょう。さて、貴殿の剣術は、もとより秀でておられる上に、我が秘嚢の底を振って(蘊奥を)ことごとく伝授し、一つも遺すところはありません。もはや今では、それがしが及ぶところではありません。このうえは、(私にとって)一日の遅滞さえ無益の月日をおくるも同じです。明日出発いたします」。
 白倉は大いに嘆息して、「いま御心術[腹中のご意志]を承った以上は、一日もお引き留めはいたしません。しかれども、明日は往亡日[おうもうにち、出立・出軍の忌日]で、門出にはどうでしょう、気がかりな悪い日です。明後日は吉日ですから、二十一日に出発なされ。明日は門弟等をあつめ、送別の酒宴を催し、せめて旅立ちの日は全員で、一里や二里の道は馬のはなむけ[壮行儀礼]に見送りましょう」。
 無三四は固く辞して、言うには、「旅行(の出立)を送ってくださる必要は全くありません。千里を送って行っても、最後には一別する、と古人も申しますから[千里相送、終須一別:『古今賢文』の語句によるか]、結局一度は別れる道です。わざわざ送っていただいても、何の益がありましょう。(しかし)悪日とあるのに、出発するのは気持ちよくない。明日の出立は思いとどまりましょう」。
 白倉は大いによろこび、「早速ご納得いただいて、喜びに堪えません。これまでご教授いただいた門人へも、このことを告げ知らせましょう」と、すぐにその座を立ち、ひそかに下男を呼よせ、福田十左衛門・村山源左衛門・高田千之介・森脇左十郎・猪子内匠・貝沢万右衛門ら、合計十八人の高弟の家へ書翰を遺わし、「今晩、申し合せたい事情があるので、全員私の家へ集合されたい」とのことである。これにより、その夜暮れるのを待って、高弟ら全員が白倉の家に集まって来た。


巻之五 10/11
11 ・・ 巻之五 ・・ 10

巻之五 11/12 白倉竊に門人に会する圖
12 ・・ 巻之五 白倉竊に門人に会する圖 ・・ 11

巻之五 12/13
13 ・・ 巻之五 ・・ 12

巻之五 13/14
14 ・・ 巻之五 ・・ 13

 
   4 宮本無三四辭白倉の事并白倉師弟奸計の事(2)
 【原 文】

   宮本無三四辭白倉の事
        并白倉師弟奸計の事 (承前)

 白倉やがて教場〔けいこば〕の内に人々を呼入れ、家僕に至るまで人を遠退〔とをざけ〕、ひそかに密語〔さゝやき〕て申けるハ、
 扨もわが輩〔ともがら〕、最前にハ宮本がために贏〔かち〕をとられて、其儘に渠を返す時は、他國に到りて大言を吐ちらし、岡山に於て白倉と較量〔しやひ〕打倒したりなど云はれんは、流義の恥辱〔はぢ〕、又は國の名折ならん事を懐ひ、二ツにハ渠が流義の妙様〔めうよう〕、いかにしても奇特の所あるが故に、其秘嚢を探りとらんため、態〔わざ〕と甘言を以て誑かし、其心を驕慢〔おごら〕せたるに、果して我計較〔もくろミ〕に陥り、既に三ケ月の間、這厠〔きやつめ〕が夜の目も寝ずして自得したる限を摭出〔まきいだ〕して、我等師弟に傳へたり。然るに此もの大望の事ありて、明日此所を出立せんと申を、それがし左右〔とやかく〕して、明後日起〔たゝ〕しめんと一日を延したり。
 其所以〔ゆゑ〕は、擅〔ほしい〕まゝに此者を他国に放ち遣す時は、渠言〔こと〕の序〔ついで〕に、白倉源五左衛門こそ我門弟にしたりなどゝいハれんも、無益〔むやく〕しく、殊に天下の内に二刀といふ流義なし、渠はじめて工夫して、自然に得たる天質の妙技也。某其極意を聞たる上からハ、此者を殺害〔せつがい〕して捨る時ハ、他に流義を請續〔うけつぎ〕たる人もなく、我家〔わがいへ〕の流義となる事疑ひなし。
 夫故今ばん足下等〔ごへんら〕を招きて、其手段を廻らさんと思ひ、如此〔かく〕密事を明す也。もし又此事主君の聽〔きゝ〕に達する時は、後難も計がたし。密に謀て人乃義論をまぬかるゝ思案を廻し玉へと、言〔こと〕をたくみに述にける。
 十八人の高弟、いづれも一度に横手〔よこで〕をうち、扨々驚入たる妙計かな。我々が輩〔ともがら〕つくづく宮本が人と爲〔なり〕を見るに、その生質大膽にして、如〔しか〕も寛量〔こゝろひろ〕く、礼を厚ふして敬ひ重んずる者にハ、猥〔ミだり〕に秘事〔ミつじ〕口傳を惜まずして傳ふ。かれ又己が流義の弘まる事を歓び、後にハ天下ことごとく二刀流となりなん。其時は先生の数月〔すげつ〕心志を労して傳へ玉ひしも、珍しからぬ者となり、徒に功なきのミならず、笑ひを國中〔こくちう〕の諸士に蒙り玉ふべし。扨渠を殺害して、後難をおそれ玉ふといへども、此事ハ申訳幾らも有べし。今戦國の時節、諸侯各〔をの/\〕、弓馬劔術鎗術の達人と聞てハ、遠方の士をも招き募〔つのる〕折から、國中に逗留して當家の弓矢の格式をも能々〔よく/\〕知たる者を、他国へ出す時ハ、後日〔ごにち〕の禍とも罷成べしと存じ、國のために遠き慮〔おもんはか〕りを以て殺害いたせし、と申上なば、殿にも敢て御咎ハあるまじ。何れの道、他国へ放ち遣すべき者にあらず。
 白倉曰、しからバ如何〔いかゞ〕して殺すべきや。猪子内匠が曰、某今晩深更に及び、彼ものゝ寝雷〔いびき〕をうかゞひ、竊に寝所に忍び入、闇殺〔あんさつ〕すべし。
 村山源右衛門、頭〔かしら〕を振て、不可なり容易也、先日渠が物語の叙〔つい〕でに、我本国に在し時、侠男〔うでだて〕を好む若士〔わかざむらひ〕数十人徒黨をなし、夜某が旅行の帰路を考へ、野中に待伏して執圍〔とりかこミ〕しを、難なく大勢を切倒し、危き所を脱れ家に帰りぬ、それより以後〔のちハ〕今に至るまで、十分に熟〔うま〕く寝入といへども、少しの物の響きにも驚駭し、秋風の木の葉を散す音にも夢さめ、夜ハふかく寝〔ねる〕事あたハず。現〔うつゝ〕のごとく物を覚へ居る事、わが近頃の僻〔やまひ〕なりといへり。紙門〔ふすま〕など押開〔おしあけ〕忍び入るを、彼安閑として有べきや。自然仕損じて身を傷ふのミならず、他國に走らせたる時は、諸人のために嘲り笑ハれ、渠も又此事を人に語り詈り笑ハん事疑ひなし。
 貝沢万右衛門進出て、然らば明日の酒宴を幸に、毒薬を用ゆるには如じ。
 白倉やゝ久しく黙然と眼〔まなこ〕を塞ぎ居たりしが、否毒薬ハ宜かるまじ。まづ毒薬といふものハ、庸醫〔やぶいしや〕ハ調合する事能ハず。又此事を輕々しく醫師などに物語り仕出〔しいだ〕し、露顯して人口〔じんかう〕にかゝるも、最〔いと〕快よからず。某一計あり。手を労せずして殺すべし。
 幸ひわが家に湯風呂を作れり。一度に三四人づつ浴〔いる〕やうに普請させ、昨日までに出來せり。此は我身體〔からだ〕肥太りて、常躰〔つねてい〕の風呂口ハ狭くして究屈〔きうくつ〕なり。殊に家族も多ければ、二三人宛一度に浴〔いる〕ときは便利もよろ敷など、若黨等が申によつて、思ひ付たり。
 明日新造の風呂を燒〔たか〕せ、酒饌を安排〔あんばい〕し、這斯〔きやつ〕に酒を薦め、多く醉せて後、かの風呂に浴〔いら〕すべし。其時何心なく風呂に入らば、下より強く火を燎〔たか〕せ、又水を容るゝ穴より、夥しく湯を沸して盪込〔つぎこミ〕なば、急に走り出んと、はたらくべし。其時、戸には後刺〔しりさし〕して開かざる様に拵置〔しつらひおき〕、いよ/\湯を加て熱湯を溢〔まし〕、きびしく燎立〔たきたつ〕るものならバ、酒氣内に盛〔さかん〕にし火氣外より蒸立〔むしたて〕、程なく身体〔しんたい〕痲痱〔なえしびれ〕て自在成がたく、熱湯のため皮肉爛れ傷〔やぶ〕れ、終に焦殺〔むしごろし〕となるべし。是手を動かさずして計るにあらずや。
 然れども渠豪勢〔がうせい〕の者なれば、風呂を指上〔さしあげ〕て出んとする事も有べし。時には各〔をの/\〕精心を抖擻〔はげま〕し、風呂の四面を押へて破られざるやうにし玉へ。新に造りしが故に、板厚くして中々破りがたし。万一突出る事あらば、手を下すべし、といひけるにぞ、
 一座の門人ミな雀躍〔こおどり〕してよろこび、寔〔まこと〕に先生の妙計、時に取て圖をはずさぬ。風呂ふき攻〔ぜめ〕なり。譬へ無三四、泉小次郎朝日奈が勇力〔ゆうりき〕あつても、熱湯に弱らずといふ理〔り〕あらんや。此上ハ宮本に悟られぬやう肝要なりと、其夜はミな/\帰りけり。

 【現代語訳】

   宮本無三四、白倉を辞するの事
      ならびに、白倉師弟、奸計の事 (承前)

 白倉は、すぐに稽古場[ルビによる]の内に人々を呼び入れ、(他の者は)家僕に至るまで人を遠ざけ、ひそかにささやいて言うには、
 「さても諸君、以前宮本に勝ちを取られたのだが、これをそのままにして彼を帰らせると、他国へ行って大言を吐きちらし、岡山で白倉と試合して打ち倒したなどと言われるのは、我が流儀の恥辱であり、あるいは国の名折れになると考え、また二つめには、彼の流儀の絶妙のさまがいかにも特別優れたところがあるので、その秘嚢を探り取るため、わざと甘言をもって誑らかし、彼の心を驕慢させた。すると案の定、我が目論見[ルビによる。策略]に陥り、すでに三ヶ月の間、きゃつめ[ルビによる。這厠は罵倒漢語]が夜も寝ないで自得した全てを取り出して、我ら師弟に伝授した。
 しかるに、この者(宮本)には大望のこと[敵討ち]があって、明日ここを出立するという。それを、それがしがあれこれ言い含めて、明後日出発させようと一日延期させた。
 そのわけは、この者を好き勝手に他国へ行かせると、話のついでに、「白倉源五左衛門は我が門弟にしてやった」などと言われるのも、いまいましい。ことに、天下の内に二刀という流儀は(他に)なく、あいつがはじめて工夫して、自ずから得た天質の妙技である。それがしがその極意を聞いた以上、この者を殺害してしまえば、他にその流儀を受け継いだ者もなく、我が家の流儀となることは間違いない。
 それゆえ今晩、貴殿らを招いて、手段[宮本を殺す方法]を考えようと思い、このように密事を打ち明けたのだ。もしまた、このことが主君[浮田秀家]の耳に入ったりすると、後難があるかもしれない。ひそかに謀略して人の批判をまぬがれるよう思案をめぐらしていただきたい」と、言葉たくみに述べた。
 十八人の高弟は、だれもがそろって横手を打ち[両手を打ち合わせ感心の身振り]、「さてさて、驚き入ったすばらしい計りごとです。我々[我々が輩は我々の意]が、じっくり宮本の人となりを見ますと、その性質は大膽にして、しかも寛容な心をもち、礼を厚くして尊敬し重んずる者には、密事[ルビによる。流儀の秘密]口伝をみだりに惜むようなことはせず、伝授する。彼はまた、自分の流儀が広まることを歓迎する者ですから、後には天下ことごとく二刀流となってしまうでしょう。そうなると、先生(白倉)が数ヶ月の間心志を労して(宮本から)伝受なさったのも、珍しくないものとなり、無駄に功なきのみならず、国中の諸士に笑われるでしょう。――さて、彼を殺害すると(主君から)後難の恐れがあるということですが、この申し訳[弁明]はいくらでもあります。《いまは戦国の時節、諸侯はそれぞれ、弓馬・剣術・鎗術の達人と聞いては、遠方の士をも招き募っている状況です。我が国に逗留して、当家(浮田家)の軍備仕様を知ってしまった者を他国へ行かせると、後日の禍いとなりかねないと存じ、国の将来を思って(宮本を)殺害しました》と申し上げれば、殿(秀家)もあえてお咎めはなさりますまい。どのみち、(宮本は)勝手に他国へ行かせるべき者ではありません」。
 白倉が曰く、「しからば、どのようにして殺せばよいか」。猪子内匠が曰く、「それがしが今晩、深夜になって、かの者のいびき[ルビによる]を窺い、ひそかに寝所に忍び込んで、暗殺します」。
 村山源右衛門は頭を振って、「だめだ。安易すぎる。先日、彼が話のついでに、《私が本国[肥後]にいた時、腕立て[腕自慢の勇猛]を好む若侍が数十人徒党をなして、私の旅行の帰路を考え、夜中に野原で待ち伏せして取り囲みましたが、難なく大勢を切り倒し、危いところを脱れて家に帰りました。それから以後は、今に至るまで、熟睡していても、少しの物音にも驚いて、秋風の木の葉を散らす音にも夢が醒め、夜は深く眠ることができません。まるで現実のようにあの記憶がある[フラッシュバックがありトラウマが解消できない]ことが、私の近ごろの病癖です》と言いました。(したがって)襖[ルビによる]などを押し開けて忍び入るのを、彼が安閑としているはずがない。当然、(襲撃者は)仕損じて、身を損なうのみならず、(宮本を)他国に逃がした時は、諸人に嘲り笑われ、彼もまた、このことを人に語り、罵倒し笑うことは、疑いありません」。
 貝沢万右衛門が進み出て、「しからば、明日の酒宴を幸いに、毒薬を用いるのが一番よいでしょう」。
 白倉は、やや久しく黙然と眼を閉じていたが、「いや。毒薬はよくない。まず、毒薬というものは、藪医者[ルビによる]には調合できない。また、このことを軽々しく医者などに話したりして、ことが露顕して世間の噂になるのも、まったく不愉快だ。(そこで)それがしに一計あり。手を労せずして殺せるのだ。
 幸い我が家に湯風呂を新造している。一度に三、四人ずつ入浴できるように普請させ、昨日までに完成した。これは、私の身体が肥え太って、普通の風呂口では狭くて窮屈だし[これは語り手の滑稽味]、ことに家族も多いので、「二、三人ずつ一度に入浴できれば、便利もよろしい」などと、若党らが言うので、思いついたことだ。
 明日、この新造の風呂を焚かせ、酒食を按配[用意]して、きゃつ[前出]に酒をすすめ、十分醉わせた後、かの風呂に入浴させる。そのとき、気を許して風呂に入れば、下から強く火を焚かせ、また大量に湯を沸して、水を入れる穴から注ぎ込めば、(宮本は)急いで脱出しようと動くはず。そのとき戸には尻刺[ルビによる。心張棒]をして開かないように拵えておき、(さらに)ますます湯を加えて熱湯を増し、猛烈に焚き立てれば、酒気は体内に高まり火気が体外から蒸し立て、そのうち身体は痲痺して、自由がきかず、熱湯のため皮も肉も爛れ破れ、ついには蒸し殺しとなるだろう。これが、手を動かさずして計るということではないか。
 けれども、彼は豪勢の者であるから、風呂を押し上げて出ようとすることもあるだろう。そのばあいには、諸君は精心を励まし[ルビによる。斗藪はもと梵語漢訳仏語]、風呂の四面を押えて、(宮本に)突破されないようにしていただきたい。新しく造ったものだから、(壁の)板は厚く、なかなか破壊できまい。万一突破することがあれば、手を下すべし」と言ったので、
 一座の門人はみな小躍りして[ルビによる]喜び、「まことに先生の絶妙の計りごと、状況をとらえて的を外さない。(これは)風呂吹き攻め[茹で殺し]だ。たとえ無三四が、泉小次郎・朝日奈[泉親衡・朝夷名義秀、ともに鎌倉期の武将。和田合戦で反北条、勇猛を示し敗走。吾妻鏡参照]のような勇力があろうとも、熱湯に弱らないというわけがあろうか。このうえは、宮本に悟られぬようにするのが肝要だ」と、其夜は(高弟ら)全員帰宅した。


巻之五 14/15 白倉師弟宮本を饗饌圖
15 ・・ 巻之五 白倉師弟宮本を饗饌圖 ・・ 14

巻之五 15/16
16 ・・ 巻之五 ・・ 15

 
   5 白倉師弟宮本を饗饌の事(1)
 【原 文】

   白倉師弟宮本を饗饌の事

 天正十九年霜月廿日、十八人の高弟すでに白倉が家に聚り、送別の酒宴也と、各〔をの/\〕思ひ/\に魚鳥珍肴〔ぎよてうちんかう〕を携へ來り、臺所の辺ハ、肉板〔にくばん〕に切刻〔きりきざミ〕の音たかく響、午の刻の初より、廳中〔おくざしき〕に盃盤を配べ、宮もとを請て客位に着〔つけ〕、源五左衛門を肇として、高弟車のごとく圏〔ぐるり〕と座し、浮羽〔さかづき〕を飛し酒宴をぞ初めける。
 無三四ハ人々の如此〔かく〕慇懃なるに百念を忘れ、大きに歓喜し、座中に向ひ申けるは、某はからず流落して此所に來り、諸豪傑の愛隣を蒙り、数月の間旅行の寂莫〔ものうき〕をわすれ、今に於てハ立去事難しといへども、いまだ諸国半〔なかば〕をも廻らず、且は少しの望あるがゆへ、據〔よんどころ〕なく明日ハ人々に相別れ申べし。別るゝハ天の一方、再会は遥に難し。若〔もし〕因縁厚ふして帰路に向ハゞ、又人々に見参仕る事も有べし。此日黎〔ひごろ〕の懇歓は生々世々を經〔ふ〕るとも忘れ申べき。殊に今日は諸英勇、手づから佳肴〔かかう〕を携へ來りて、かく饗饌に預る事、歓喜〔よろこび〕の中の雀躍〔よろこび〕なり。
 白倉が曰、こは叮嚀の尊謝〔おれい〕却て慚愧〔いたミいる〕に堪たり。足下〔そくか〕には別に大望を懐き玉ふ御身なるが故に、一日の蹄滞〔とうりう〕も、実〔まこと〕に三秋を重ね玉ふに等し。然れどもわが輩〔ともがら〕を取立られんと、深く愛惠〔おんめぐミ〕を發され、数月の御教授〔ごしなん〕、かへつて寝食をわすれ玉ひ、晝夜精神を労せられ、秘密の蘊奥〔おくのて〕を盡され、其惻隠〔おかげ〕によつて、わが儻〔たう〕唯今におゐて明路〔あかり〕を走るやうになりしハ、全くもつて師の賜ものなり。しからば沓をとり笠を携へてなりとも、經歴〔けいれき〕の御供いたすべき処、いづれも仕官の身の上、僅に五斗米〔ごとべい〕のため足をくゝられて、先生の先途〔せんど〕をも見届申さゞる事、誰かかなしまざるものあらんや。今日の淡酒麁肴〔たんしゆそかう〕は、万分が一の恩を報ずるにもあたらずと、涙を流して申ける。
 門人等も白倉が言〔ことば〕の緒につき、何れも頭〔かしら〕を叩き手を摺て恩謝の挨拶なかばへ、若黨一人次の間の口に蹲まり、風呂も沸候へば浴〔いら〕せ玉へと申す。
 白倉打うなづき、無三四に對ひて、去來〔いざ〕風呂に御浴〔いり〕あるべし。
 無三四が曰、まづ足下〔そくか〕御出候へ。某ハ大きに爛酔いたして、前後餘念をうしなへり。この上風呂に入る時は、逆上して宜かるまじ。
 白倉が曰、足下にハ先刻より酒ふかくも呑玉ハねば、敢て酩酊のけしきにもあらず。先日以來、われ風呂を作り、今日はじめて焼〔たか〕せ、実は足下の饗應に備へ、浴後〔よくご〕の酒宴と存ぜしかども、風呂乃湯沸かねて、却て酒宴の後となれり。願ハくは、格別の酩酊にあらずば、ひらに浴〔いり〕玉へ。決句〔けつく〕風呂は酒氣を發散して、忽ち醉〔ゑい〕を醒すもの也。若沐〔ゆあミ〕し玉ひ醒たる時は、此あとにてハ若き衆中〔しゆぢう〕の嗜藝〔たしなミげい〕の舞をまハし、僕〔やつがれ〕が隠藝の蝦魚極舞〔ゑびすくひまひ〕、蟷螂舞〔いぼむしりまひ〕をもして、一興に備へ申さん。曲て御入あるべしと申すに、
 門人等も詞〔ことば〕を揃へ、何さま我師の隠藝、われ/\共もいまだ一覧仕らず。斯程〔かほど〕に心を盡さるゝ事なれば、是非浴〔いり〕玉へと、はなハだ懇にすゝむるにぞ、無三四師弟の饗應に背〔そむか〕んもいかゞなりと思ひ、扨々御芳志感謝いたすに言語〔ことば〕なし。然らバ課〔おほせ〕にしたがひ、失礼を顧ず、沐浴〔ゆあミ〕仕るべしと、そのまゝ座を立、やがて湯殿に入にける。

(以下つづく)

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 【現代語訳】

   白倉師弟、宮本を饗饌の事

 天正十九年霜月[十一月]二十日、十八人の高弟らはすでに白倉の家に集まり、送別の酒宴だと、各人思い思いに魚や鳥の珍味の肴を持ち込んで、台所のあたりは、切り刻むまな板の音高く響き、午の刻の初め[十一時頃]から、奥座敷に盃盤[酒席の道具類]を並べ、宮本を招きいれて客座に着け、源五左衛門をはじめとして、高弟らが車輪のように(円形に)周囲に座し、盃[ルビによる。うきはは景行天皇の事蹟参照。現・福岡県浮羽郡の地名由来]を差しつ差されつ酒宴をはじめた。
 無三四は、人々がこんなに慇懃なので、何もかも忘れて、大いに歓喜し、座中[酒席の者たち]に向って言ったのは、「それがしは諸国に流浪して、思いがけずここに来て、豪傑の皆さんの愛隣を蒙り、この数ヶ月の間、旅の寂しさを忘れ、今になっては立ち去ることが難しいほどです。とはいえ、いまだ諸国の半分も廻らず、しかも少しの望みがありますので、やむをえず明日は皆さんとお別れします。別離は天の一方(へ去ってしまうことで)、再会ははるかに難しい。もし因縁が厚くて、(私が)帰路に向うときは、また皆さんにお会いできることもありましょう。この日ごろの懇ろな歓待は、世々生々を経るとも[何度生れ変わっても永遠に]忘れません。ことに今日は、英勇の皆さんがご自身の手で旨い肴を携えて来られ、こうして饗饌[御馳走]にあづかることは、歓びの中の喜び[最高の歓び]です」。
 白倉が曰く、「これは丁寧なお礼の言葉、かえって慚愧に堪えません。貴殿は、別に大望を懐かれている身ですから、一日の滞留も、まことに三年を重ねられるに等しい。しかれども、我々を取り立てて[上達させて]やろうと、深くお恵み[ルビによる](の心)を起され、数ヶ月の御指南、貴殿はかえって寝食をわすれ、昼夜精神を労せられ、秘密の蘊奥[奥義、奥の手]をすべて開示され、そのお蔭[ルビによる]によって、我々は今では明るい路を走るようになりました。これは全くもって師(宮本)の(ご尽力の)賜物です。しからば、沓をとり笠を携えてなりとも、経歴[廻国修行]の御供をいたすべきところ、誰もみな仕官の身の上、わずかな扶持米[五斗米は謙遜して薄給の意]のために足をしばられて、先生(宮本)の行く末も見届けることができない。これを悲しまない者がありましょうか。今日の淡酒麁肴[うすい酒、不味い料理。謙遜表現])は、万分の一の恩を報ずるにも値しません」と、涙を流して述べた。
 門人らも白倉の言葉に続いて、誰もかれも頭を叩き手を摺って、恩謝の挨拶をする。と、その途中に、若党が一人、次の間の入口に蹲まり、「風呂が沸きましたので、お入りください」という。
 白倉はうなづいて、無三四に向かって、「では、風呂にご入浴ください」。
 無三四が曰く、「まず、貴殿からおいでください。それがしは、大いに爛酔いたして、前後不覚のありまさです。このうえ風呂に入れば、のぼせ上って、よくありません」。
 白倉が曰く、「貴殿は、先刻より深酒しておられませんから、まったく酩酊のようすもありません。先日以来、私は風呂を作り、今日はじめて焚かせました。実は、貴殿の饗応に備えて、入浴後の酒宴と思ったのですが、風呂の湯が沸くのが遅れて、反対に酒宴の後となってしまいました。どうか、格別の酩酊でなければ、なにとぞご入浴ください。むしろ、風呂は酒気を発散して、すぐに醉いを醒すものです。もし入浴されて(酔いが)醒めましたら、この後で若い連中の嗜み芸の舞いをさせ、やつがれの隠し芸の、エビすくい舞や蟷螂の舞[いぼむしりはカマキリ]もして、一興に供しましょう。どうかご入浴ください」と言うと、
 門人等も言葉を揃えて、「たしかに、我が師(白倉)の隠し芸など、我々もまだ見たことはありません。これほどまでに(白倉が)心を盡されるのですから、ぜひ入浴してください」と、はなはだ懇ろにすすめるので、無三四は、師弟の饗応に背くのもどうかと思い、「さてさて、ご好意に感謝いたすにも言葉がありません。しからば、仰せにしたがい、失礼を顧みず、風呂に入ることにしましょう」と、そのまま座を立ち、すぐに湯殿に入ったのである。


巻之五 16/17 悪黨等熱湯を浴室に沃入る圖
17 ・・ 巻之五 悪黨等熱湯を浴室に沃入る圖 ・・ 16

巻之五 17/18 悪黨等熱湯を浴室に沃入る圖 其二
18 ・・ 巻之五 悪黨等熱湯を浴室に沃入る圖 其二 ・・ 17

巻之五 18/19
19 ・・ 巻之五 ・・ 18

巻之五 18/19
   ・・ 巻之五 ・・ 19

 
   6 白倉師弟宮本を饗饌の事(2)
 【原 文】

   白倉師弟宮本を饗饌の事 (承前)

 此時湯殿にハ、こと/\く手段を儲、一々に手配〔てくばり〕を備へ、臺所にハ大釜二ケ所に居〔すへ〕て、滾々〔こん/\〕と玉を散す煮湯を用意し、若相圖の聲をかけなバ、熱湯をながしかけんと、大竹の水指口、風呂の後面〔うしろ〕と左右と、三ケ所に構へおき、若黨下部〔しもべ〕は湯桶を提〔ひつさげ〕て待かけたり。
 無三四ハかゝる設〔まふけ〕ある事を夢にも知ず、そのまゝ湯流しの側〔かたハら〕なる刀架に小刀〔わきざし〕を掛置、風呂の内に手をさし入れ、湯の蹺蹊〔かげん〕を試るに、少しく熱かりしかども、元來無三四、熱きを好ミければ、幸の事におもひ、何心なく風呂の内に入たり。
 此時一人の若黨、風呂口に來り、垢を摩〔すり〕て参らすべきやと問ければ、無三四、夫は過分千万也。少時〔しばらく〕俟候へ。今少快くあたゝまりて後頼むべし。若黨が曰、何時にても聲を上てよび玉ハゞ、われ早速参るべしと、竊に扄〔とぼそ〕に尻差〔借字・しりざし〕し、直〔すぐ〕に庭に飛下り、頻に下より燒立〔たきたて〕たり。これによつて湯は滾々として煮上〔にへあが〕り、忽ち湯の玉飛散、風呂の裏〔うち〕大焦熱のごとし。
 無三四聲をあげて、甚堪がたし、水を入れ候へといふに、畏まり候といふよりはやく、相圖の警〔しハぶき〕をなすとひとしく、下部ども一齊に沸々たる熱湯を荷ひ、桶にてはこびきたり。三所〔みところ〕の水口より手をそろへて沃〔そゝ〕ぎこむ。其勢ひ飛泉の岸溪に漲るがごとく、風呂の内に満々〔ミち/\〕たり。
 無三四大きに驚き、戸をひらかんとするに開ず、極熱の滾湯〔こんたう〕身を蒸て、恰も蝦魚〔ゑび〕の色に變じ、其上酒氣十分に逆上して、目鼻一度に塞るごとく、湯の烟〔けぶり〕室中〔しつちう〕に充て闇夜〔あんや〕のごとし。
 心中大きに悶〔もだへ〕苦悩堪がたしといへども、心膽少しもおそれず、扨ハ白倉我を陥穽〔おとしあな〕の裏〔うち〕に陥し入れたり。天神地祇〔てんじんぢぎ〕わが孝心を憐ミ玉へと、丹誠〔たんせい〕を凝し、往昔〔そのかミ〕養父がつたへたる不動躰〔ふどうたい〕の法を努め、手に利劔の印相をむすびしかば、不思議なるかな、滾々たる沸湯〔ふつたう〕の内にありて、身爛〔たゞ〕れず。大喝一聲して、たちまち扄〔とぼそ〕を蹶やぶらんとぞ爭ふたり。

  繪本二島英勇記 巻之五 終

 【現代語訳】

   白倉師弟、宮本を饗饌の事 (承前)

 このとき湯殿では、ことごとく手筈を設け、細かく手配を備え、台所では、大釜を二ヶ所に据えて、こんこんと玉を散す熱湯を用意し、もし合図の声がかかれば、熱湯を流しかけようと、太い竹の水指口を、風呂の後面と左右と、三ヶ所に設けて、若党や下男は湯桶をひっ提げて待機している。
 無三四は、こんな仕掛けがあるとは夢にも知らず、そのまま湯流しの側にある刀架けに脇差を掛け置き、風呂の中に手をさし入れ、湯の加減をみると、少し熱かったけれども、もともと無三四は熱いのが好きだったので[そうかね!]、幸いのことに思い、無心で風呂の中に入った。
 このとき一人の若党が、風呂口に来て、「垢をすって差上げましょうか」と問うたので、無三四は、「それは過分千万(ありがたい)。しばらく待ってください。もう少し温まってから、お願いしましょう」。
 若党が曰く、「いつでも声をあげて呼んでくだされば、私がすぐに参ります」と、ひそかに(戸に)閂(かんぬき)をして尻差し(心張棒をかませ)、すぐに庭に飛び下り、しきりに下から焚きたてた。これによって湯はこんこんとして煮えあがり、たちまち湯は沸騰して、風呂の内部は大焦熱のごとし。
 無三四が声をあげて、「熱くて我慢できない。水を入れてください」というのに対し、「かしこまりました」と答えるよりはやく、合図の咳払いをする。と同時に、下男どもがいっせいに、沸々たる熱湯を桶に荷いで運んできて、三ヶ所の注入口から、手をそろえてどっと流しこむ。その勢いは、まるで飛泉(滝から落ちる水)が溪谷の岸に漲るようで、風呂の中に(熱湯が)満ち満ちた。
 無三四は大いに驚き、戸を開こうとするが開かず、あふれるばかりの極熱の湯が身体を蒸して、(皮膚は)あたかも蝦魚の色に変り、そのうえ酒気が十分に逆上し、目も鼻も一度に塞がるほど湯気が室中に充満して、まるで闇夜のようである。
 (無三四は)心中大いに悶え、苦悩は堪えがたいといえども、心膽少しもおそれず、「さては、白倉がおれを罠にはめたのだな。天神地祇[天の神、地の神]よ、我が孝心を憐みたまえ」と、赤誠の真心を込めて、そのむかし養父(宮本武右衛門)が伝授してくれた不動体[不動明王のような強靭な肉体]の法をつとめ、手に(不動明王)利剣の印相を結べば、不思議なるかな、こんこんたる煮え湯の中にあっても、身体は爛れない。(無三四は)大喝一声して、すぐさま(戸の)閂を蹴破ろうと奮闘する。

  絵本二島英勇記 巻之五 終




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