宮本武蔵 資料篇
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[資料] 繪本二島英勇記 巻之二  Back    Next 

 この巻之二は、巌流と吉岡の対戦と、場所を変えて九州での巌流による報復が主題である。
 弟子どもをさんざんに打倒された巌流は、前面に出てきて、何者か、名乗りを要求するが、吉岡は自身の名を出すのを拒む。私用の旅だから、主人の名を出すのは、当然憚られる。しかし巌流は、自分が名のった以上、相手の名を聞き出さないとあっては、面目が立たない。このあたりの問答はおもしろく、衆人環視の下での公開争論である。しかし、あくまでも吉岡は名乗りを拒むから、そこでは、というので、剣で言わせてやろうと、巌流は対論を打ち切って剣術勝負の態勢に入る。吉岡はやむをえず、巌流と勝負せざるをえなくなった。
 勝負は吉岡があっさり勝つ。巌流が未熟だからではなく、吉岡が強すぎたからだ、と作中の語り手は後に解説する。だが、勝負はついたが、事件は終っていない。師匠が打ち負かされたとあって、門人たちが一斉に刀を抜いた。ところが、そのとき数百人の手勢を引き連れた役人が突然やってきて、この喧嘩を止める。事の次第が糺され、巌流に非のあることが判断され、吉岡は、播磨と備前の国境まで護送される。
 吉岡は事なきをえて九州へ帰ったが、それでは済まないのは巌流である。どうにも恥辱の鬱憤が晴れず、姫路の師範役を辞して、もっと強くなろうと武者修行の旅に再び発つ。このあたり、巌流は情念の人であり、鬱憤は一種のモチヴェーションとして、義人の行動原理と紙一重。というよりも恥辱の鬱憤は巌流を苦しめ、それを晴らすのは一種の大義なのである。
 巌流は、ついに九州へやってきて、筑前名島の城下で、吉岡を殺す機会を窺う。ちょうど卯月の候、深夜まで寺で碁会をしての帰り、吉岡は門人等と別れ、一人醉った勢いの謡いで機嫌よく帰るところ、巌流は一刀の下に吉岡を斬り伏せる。暗殺、闇討ちである。巌流は吉岡の喉にとどめを刺すと、すぐさま現場から逃亡した。
 ここで、物語上の結構を再確認すれば、いうまでもなく、
    宮本武蔵が吉岡を殺す → 佐々木巌流が吉岡を殺す
という変換である。このシフトは、もちろん意図的な設定、物語の虚構性の明白な指標となるものである。こういう虚構性の指標をなしくずしにしてしまい、実名を出したがるようになるのは、やや時代が下がる。ところが、もうその頃には、巌流の「佐々木」という姓が虚構の設定だということが忘却されてしまうのである。
 さて、吉岡が死んで、彼の妻女は、春には嫡男病死の上に、またまた夫の横死、このショックで彼女も死んでしまう。吉岡家は次男を養子に出してしまっているから、跡継ぎがなく、家は断絶してしまった。門人たちがいるから葬儀や喪事は執行されたが、さて、闇討ちによるこの吉岡の横死、これが以後いかなる物語の展開を生じるであろうか。
 文章にさまざまな文化的教養がちらついているが、それよりも、吉岡と巌流の対決において、剣の運動を描写するいわば小説的な手法に注意して読まれたい。この叙述は、物語の言語表現史の上で新しいものである。現代の作家どもがこの範疇を超えていないのは明らかだが、すでに二百年前には、だいたいの表現水準はクリアされていた、という事例である。しかも、現代作家の描写は、時として具体性を追うあまりの過剰という難点瑕疵があるが、それに対し、本書の作家の筆致にはきちんと抑制が利いている点が学ぶべきところであろう。

 
   卷之二 目録
 【原 文】

繪本二島英勇記 卷之二
    目 録

  吉岡佐々木巌流を打倒〔うちたおす〕事
    吉岡巌流を伏せしむる圖
    吉村沢田驛店の騒動を鎮むる圖
  巌流吉岡を闇殺〔やみうち〕の事
    吉岡帰國の圖
    巌流九州へ渡る圖
    巌流吉岡を闇殺の圖
    其 二

 【現代語訳】

絵本二島英勇記 卷之二
    目 録

  吉岡、佐々木巌流を打倒す事
    [絵]吉岡、巌流を伏せしむる図
    [絵]吉村・沢田、驛店の騒動を鎮める図
  巌流、吉岡を闇殺〔やみうち〕の事
    [絵]吉岡、帰国の図
    [絵]巌流、九州へ渡る図
    [絵]巌流吉岡を闇殺の図
    [絵]巌流吉岡を闇殺の図 其二


巻之二 1
1 ・・ 巻之二 ・・  

巻之二 1/2
2 ・・ 巻之二 ・・ 1

巻之二 2/3
3 ・・ 巻之二 ・・ 2

 
   1 吉岡佐々木巌流を打倒事(1)
 【原 文】

   吉岡佐々木巌流を打倒事

 播州姫路の城外、驛店〔えきてん〕の爭ひ、事不意より起りて隣家の騒動、上を下へとかへし、房主〔あるじ〕後生〔わかもの〕の事は側〔かたわら〕になりて、始終の所如何あらんと思ふ處に、巌流目前に我黨等を吉岡に打倒され、門人半死の難にかゝりしかバ、忽ち怒心頭より起りて、門人等を押除けて、吉岡が前に進ミ近づき、旅客〔りよかく〕まづ爭ひをやめて、我一言を聞〔きけ〕。我ハ天下武術修行の浪人、佐々木巌流といふものなり。今當家にとゞめられて、諸士乃師範たり。足下〔ごへん〕の武術に於て更に凡夫の所爲〔わざ〕にあらず、まづ姓名を承るべしと申ける。
 吉岡答て、是は西國の者、聊か私用の事ありて上方に赴き、唯今帰國のため、昨夜此所に來れり。住所姓名は、私用の旅行なれば名乘べからず。
 巌流曰、たとひ私〔わたくし〕の旅行にもせよ、某が姓名を名乘らせながら、かへつて名乘ざるの理あるべきや。殊に我家の僕等両人眼前に打倒され、いさゝか面目をうしなひ、其儘にして帰し申すに於てハ、諸人の誹謗〔ひばう〕もいかゞなり。是非に姓名をあかされよ。
 吉岡答て、某〔それがし〕足下〔ごへん〕に姓名を名乘玉へと乞望しにもあらず。又貴家の僕等を打伏たる事も、あへて此方より事を構へたるにもあらず。我何心なく小園に遊ぶところに、墻を超て乱れ入、剰〔あまつ〕さへ理非の道理を聞いれず、猥りに鎗を以て某を逐ひ來る。霜鋒〔きつさき〕は無情の器〔わざもの〕なり。もしあやまつて傷損〔しやうそん〕あらば、自他の後難恐れある事を斷れども、聞入ざる聾人〔ミゝつぶれ〕、やむ事を得ず身の急難を遁んためのはたらきなり。子細は我演説するに及ばず、各初より見玉ふ通りなり。穏便の心をもつて和睦せらるゝぞならバ、獨〔ひとり〕某の幸ひ而已にあらず。雙方の僥倖なり。
 巌流云、凡〔およそ〕武士たるもの、善悪は格別、既に自分の姓名來歴を語りて、相手の姓名を聞かざるハ、人のために辱しめらるゝ道理、また足下も其名を名乗ざるは、巌流が武藝を看破り、渠等〔かれら〕ごときに自姓〔そのな〕を云ん事も口惜しなど、憍傲〔けうがう〕にして身を高ぶるといふなり。今は鋒鋩〔きっさき〕をもつて問尋申さん。
 吉岡また答て、某初めより住所姓名を申ざる事ハ、更に傲高〔たかぶり〕て包〔つゝむ〕にあらず、主人の名を出さん事を憚る故也。然れども、某を事として是非を聞入たまハざる時は、身にとつて不運なり。幾重にも穏便の量簡を廻らし玉へと詫けれども、巌流頭〔かしら〕を振て少しも聴納〔ききいれ〕ず。
 吉岡が謙退するに従ひ、はや手練〔てなミ〕の程を推はかり、有無の返答にも及ばず、身策〔ミごしらへ〕し、門人に向て、各ハ仕官の身分、後難も恐れあり。すこしにても力を加へ玉ふ事なかれと、門弟を制し、去來〔いざ〕旅人〔りょじん〕名乘ずハ名乘ことなかれ、某が鋩〔きつさき〕にて汝に言〔もの〕を開〔いハ〕すベしと、庭のひろミに足場を見定て待かけたり。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   吉岡佐々木巌流を打倒事

 播州姫路の城外、旅館[同前。駅店は漢流]での争いは、事が突然に起って、隣近所の家は、上を下へとひっくりかえす騒動で、旅館の主人や下男のことはどうでもよくなってしまい、これはどうなるのだろうと思っていると、巌流は、目の前で自分の若党らを吉岡に打ち倒され、門人が半死半生の目にあわされたので、たちまち怒り心頭に達し、門人らを押しのけて、吉岡の前に出て近づき、「旅の人よ、まず争いをやめて、我が一言を聞け。私は天下武術修行の浪人、佐々木巌流という者である。いま当家[姫路城主・此下飛騨守]に引き留められて、(家中の)諸士の師範をしておる。貴殿[ルビはごへん。以下他例ではそつかと音訓も]の武術は、まったく凡夫のわざではないな。まず姓名をうけたまわろう」と云った。
 吉岡は答えて、「当方は西国[とくに九州を指す]の者、いささか私用の事があって上方に赴き、ただ今帰国のため、昨夜ここに来た。住所姓名は、私用の旅行なので、名乗ることはできない」。
 巌流が曰く、「たとえ私的な旅行にもせよ、それがし[某。自称。以下頻出]の姓名を名乗らせながら、反対に自分の名は名乗らないという理があるか。ことに我家の召使ら[使用人。僕・家僕は漢流]二人を眼の前で打ち倒され、いささか面目を失った。貴殿をそのままにして帰しては、どんなに人々の誹謗を受けるか知れない。是非とも姓名を明かされよ」。
 吉岡は答えて、「それがしが貴殿に、姓名を名乗ってくださいと要望したわけでもない。また、貴家の召使たちを打ち伏せたことも、こちらからあえて事を構えたのでもない。私が何げなくこの庭をぶらついていると、塀を越えて乱入し、あまつさえ、理非の道理を聞き入れず、無礼にも鎗でそれがしを逐って来た。(だから)「切っ先(刃物)は無情のわざ物[ルビによる。武器]である、もし誤って怪我でもさせたら、自分も他人も後難の恐れがある」、と断わったのに、聞き入れない聾人[ルビは耳つぶれ。聴覚障害者]なので、身の急難を遁れるため、やむをえずやったことだ。仔細はそれがしが説明するまでもない。皆さんが最初からご覧の通りである。貴殿が穏便の心をもって和睦なさるならば、それがしにとっての幸いのみではない。双方の僥倖である」。
 巌流が云う、「およそ武士たるもの、善悪はともかく、すでに自分の姓名来歴を明らかにしたのに、相手の姓名を聞かされないというと、他人に辱しめられたということになる。また、貴殿も自分の名を名乗らないのは、巌流の武芸を見透かし、あいつごときに自分の姓名を明かすのは下らないなど、驕傲にして高慢だというのだ。こうなると、切っ先でもって問いただそう」。
 吉岡また答えて、「それがしが初めから住所姓名を申ないのは、決して傲り高ぶって隠すのではない。主人の名を出すのを憚っての故だ。しかし、それがしを問題にして、是非をお聞き入れなされない時は、我が身にとって不運である。穏便にすむよう、幾重にもご容赦ねがいたい」と詫びたけれども、巌流は頭を振って、少しも聴きいれない。
 吉岡が謙退する[へりくだる。下手に出る]につれて、はや(性急にも)、巌流はその手並みの程を推し計り[ここは勘違いしの意]、有無の返答もせずに、身ごしらえし[ルビによる]、門人に向って、「おのおの方は仕官の身分である。後難の恐れもある。決して加担なされないように」と、門弟を制し、「いざ、旅人。名乗らないなら名乗る必要はない。それがしの切っ先で、そなたに物を言わせてやろう」と、庭の広い場所に自分の足場を見定めて、(すでに吉岡を)待ち受ける態勢である。


巻之二 3/4 吉岡巌流を伏せしむる圖
4 ・・ 巻之二 吉岡巌流を伏せしむる圖 ・・ 3

巻之二 4/5
5 ・・ 巻之二 ・・ 4

巻之二 5/6
6 ・・ 巻之二 ・・ 5

 
   2 吉岡佐々木巌流を打倒事(2)
 【原 文】

   吉岡佐々木巌流を打倒事 (承前)

 吉岡が家來は元來正直の生質〔きしつ〕にして、數年奉公するといへども、劔術の事ハ見眞似にも学ばず、忠義一途なる者なりしが、此爭論を見て大きに憤り、獨歯噛〔はがミ〕をなし、劔術こそ知らね、主人の大事、相手に出たる者に喰付ても力を助けんと、脇差を提〔ひつさ〕げ主人の後につゞきたり。
 吉岡大きに叱り、おのれごときもの何の用にか立べき。殊更武士は、一命を陥すとも、恥辱を蒙らざる事を面〔おもて〕とする処也。急ぎ此所を立さるべし、と云ひながら、密に耳もとに口を寄て、汝はやく爰を出て、備前國三ツ石邊にて相待べし。我此ところを脱〔のがれ〕て行べし、と囁きければ、家僕その心をさとり、荷物を擔ひて逃出たり。されど近邊隣町〔きんへんりんちやう〕此騒動によつて、誰とゞむる者もなかりしかハ、足にまかせて犇〔はし〕り行。
 吉岡此間〔ひま〕に身を輕々と装ひ、庭前〔ていぜん〕に躍り出、いかに人々、善惡の分は各見分の所なり、死人に口なし。死後の證人に成たまへと、巌流に對〔むか〕ひ近づき寄る。
 巌流も間合を詰め、双方無隻〔ぶさう〕の達人なれバ、眼光四方に配り、両雄倚ると見へて、刄音はつしと響きたり。互ひに鞘を抜はなしたる所、電光よりも迅きが故に、數多〔あまた〕の門人瞬きもせず見るといへども、誰か刀鞘〔さや〕の放れをしらず。
 門人等再び頭〔かうべ〕を回らす間〔うち〕に、巌流が刀は手を放れて地に墜たり。吉岡が劔光〔かたなのひかり〕わづかに灼燦〔ひらり〕として、三たび巌流が頭のうへに當ると見えしに、巌流匍匐〔はらばひ〕して倒れたり。
 是吉岡が極意の手にて、神息劔〔じんそくけん〕と號〔なづけ〕たる早業にて、電光燧激〔すゐげき〕のうちに三度打といふ術〔じゆつ〕にて、刀乃刄棟をもつて其額を撃、轉動して目眩く處を取て押へる也。
 吉岡忽ち巌流が胸の上に乗かゝり、劔鋩を咽喉〔のんど〕に押當、巌流どの、唯今某名を名乘べし。某は筑前國名島の城主、小早川金吾隆景が家臣、吉岡太郎右衛門と申もの也。但し、この劔皮肉を傷らざる處は、生死〔しやうじ〕の堺なり。足下〔そくか〕伏するや伏せざるやと、其聲近隣を貫き、天地もひゞくばかり、門人等は巌流が組布れたるを見、今ハ後難を顧るべき時にあらずと、廿餘人一度に刀を抜放す。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   吉岡、佐々木巌流を打倒す事 (承前)

 吉岡が(旅に連れてきた)家来は、元来、正直な性質で、多年奉公していたが、剣術の方は見真似にも学ばず、忠義一途なる者である。彼は、この争論を見て、大いに憤り、ひとり歯噛みをして(悔しがり)、「自分は剣術こそ知らないが、主人の一大事。相手に出てきた者に喰いついても、手助けしよう」と、脇差をひっ提げ、主人の後につづいた。
 しかし吉岡は(家来を)大いに叱り、「おのれごとき者が何の役に立とうか。とりわけ武士は、一命を落すとも、恥辱を蒙らないことを第一に重んじるものだ。(武士ではないお前は)急いでここを立ち去れ」と云いながら、密かに耳もとに口を寄て、「そなたは、早くここを出て、備前の国の三ツ石[現・岡山県備前市。播備国境に近い]あたりで待っておれ。私はこの場から遁れて、そこへ行くから」と囁いたので、家来はその心をさとり、荷物を担いで逃げ出した。それでも、この近辺一帯の町はこの騒動で、誰も止める者がなかったので、足にまかせて逃げて行く。
 吉岡は、この間に、いかにも何でもないように[軽々とを意訳]身支度をし、庭先に躍り出て、「さあ、人々よ。善悪の分[どちらが正しいか、理があるか]は、皆さんお見分けの通りである。死人に口なし。(もし私が死ねば)死後の証人になって下さい」と云って[これは公衆に対する声明]、巌流に向かって近づいていった。
 巌流も間合を詰め、両方とも無双の達人なので、眼光四方に放ち、両雄接近すると見えると、刄音がはっしと響いた。互いに鞘を抜き放ったのが、電光よりも速かったので、多数の門人が瞬きもせず見ていたけれど、いつ刀が鞘を離れたのか誰にも分からなかった。
 門人らが再び振り向くうちに、巌流の刀は、手をはなれて地に墜ちた。吉岡の剣の閃光が、わずかにキラッと光って、三度巌流の頭の上に当たると見えた瞬間、巌流は倒れて腹ばいになっていた。
 これは、吉岡の極意の手で、神息剣[事実不詳]と名づけた早業であり、雷が落ちる間に[瞬時に]三度打つという術で、刀の刄棟[剣の刄と棟(峰)]で相手の額を撃ち、相手が動転して目が眩むところを、取り押えるのである。[語り手の解説だが、不詳]
 吉岡は、たちまち巌流の胸の上に乗りかかり、剣の切っ先を咽喉に押し当て、「巌流どの、唯今、それがしは名を名乗ろう。それがしは筑前の国名島の城主、小早川金吾隆景[前出参照]の家臣、吉岡太郎右衛門と申す者である。ところでだ、この剣が(まだ)貴殿の皮肉を裂かないのは、生死の境目ということだ。貴殿は降伏するか、それとも降伏しないか」と、その声は近隣を貫き、天地も響くほどである。門人たちは、巌流が組み敷かれたのを見て、もはや後難を顧るべき時ではない[後のことは、どうなろうと、構ってはおれない]と、二十数人がいっせいに刀を抜き放った。


巻之二 6/7 吉村沢田驛店の騒動を鎮むる圖
7 ・・ 巻之二 吉村沢田驛店の騒動を鎮むる圖 ・・ 6

巻之二 7/8
8 ・・ 巻之二 ・・ 7

 
   3 吉岡佐々木巌流を打倒事(3)
 【原 文】

   吉岡佐々木巌流を打倒事 (承前)

 此時外面〔そとも〕の方に數百人の人聲して、壹人の壮士〔さうし〕、馬を店外に乗すて驛店〔はたごや〕の裏〔うち〕に走入り、狼藉なり、諸士の面々。若あやまつて手を下さバ、悉く罪科のがるべからず。旅行の豪傑、過て人を傷る事なかれ。當藩〔たうしよ〕の城主、此下〔このした〕飛騨守の命に依て、雙方の意趣うけたまハり、糺〔たださ〕んため、向ふたりと、大音聲をあげて呼ハるにぞ、忽ち壮士等〔さむらひども〕、周章て刀劔をとり納む。吉岡も手を緩めて、巌流を助く。續ひて騎乗〔むまのり〕の士両人、同じく店内に入たり。
 最初〔はじめ〕に入たるものは、當城の隊騎長〔ばんがしら〕黒宮隼人。後に入たる両人、壹人は監察役〔けんさつやく〕吉村佐一右衛門、壹人は捕盗官〔とりものやく〕沢田〔さはた〕源十郎なり。其蹟より追々かけ來る歩兵〔あしがる〕従卒〔じうそつ〕、蚊蚋〔うんか〕のごとく、手毎〔てごと〕に熊手又は棒、もろもろの兵器〔へいき〕を携へ、店外に充満〔みちみち〕たり。
 是すなハち驛長〔なぬし〕が注進によつて駈付たる也。吉岡も禮を爲して着座すれば、巌流大きに赤面して坐す。
 三士〔さんし〕吉岡に對して、騒動の始末來歴を問けれバ、吉岡事の起り並びに本國姓名一々に申にぞ、三士また駅店の後生〔わかいもの〕、近隣の者に問ふといへども、みな吉岡と一般〔おなじこと〕にして、偏に巌流が性急より事を引出したる事、明白なりしかば、三士巌流に向ひ申けるハ、某等只今うけたまハるがごとくなる時は、足下〔ごへん〕の不平より出たる事著し。利非〔りひ〕は格別、互ひに憤を損〔おさへ〕て、和睦せらるべし。第一は身を傷〔やぶ〕る時は孝道に背き、第二に里民〔りミん〕を駭〔借字・おどろか〕し、第三に城主への不敬なり。殊更吉岡氏は、主人馬前の忠死といふにもあらず、私憤に溺れて身命〔しんみやう〕を墜さるゝ事ハ、忠も闕る道理なり。利を曲て双方寛了〔くわんりやう〕あれと、慇懃に申にぞ、吉岡歓喜〔よろこび〕斜ならず、某初より申ごとく、私用の旅行、いかでか憚りを顧ざらんや。一時の短慮に尊藩〔このところ〕を騒せ奉りし事ハ、都て某が罪なり、免も角も各〔おの/\〕の指揮〔さしづ〕に従ふべしと、甚〔いと〕隠當に申せバ、巌流は流石に無道〔ぶだう〕の返答も出かねて、唯々として三士の斗ひにまかせ、終に和談におよびける。
 是より人々は巌流を引て立帰り、又吉岡は小早川家の武士とあれバ、若路次〔みち〕にて不慮〔ぶりよ〕の変ある時は、微細〔すこしのこと〕より大変の基〔もよひ〕と成らんもはかり難しと、此下家の命〔おほせ〕によつて、警固厳重にして、吉村佐一右衛門・沢田源十郎、人数三十餘人引つれ、備前と播广〔はりま〕の堺なる船坂山といふ地迄、護送して帰ける。

 【現代語訳】

   吉岡、佐々木巌流を打倒す事 (承前)

 この時、外の(通りの)方で数百人の人声がして、一人の壮士[前出。武士]が騎馬を店の外に乗り捨て、旅館の中に走り入り、「狼藉なり、諸士の面々。もし過まって手を下せば、全員罪科を免れることはできないぞ。旅の豪傑よ、過まって人を傷つけるな。当地(姫路)の城主、此下飛騨守の命によって、双方の意趣[存念、言い分]を聴いて事を糺すため、やって来たのだ」と、大音声をあげて叫んだので、たちまち侍ども[ルビによる]は、慌てて刀剣を納めた。吉岡も手を緩めて、巌流(の命)を助けた。続いて騎馬の武士が二人、同じく店内に入ってきた。
 最初に入ってきた(大声で叫んだ)者は、当城[姫路城]の番頭[隊騎長は漢流]黒宮隼人。後に入ってきた二人は、一人は目付[監察役は漢流]の吉村佐一右衛門、もう一人は奉行[捕盗官は漢流]の沢田源十郎である。その後から追々走ってきた足軽[歩兵は漢流]、小物[従卒は漢流]どもが、蚊蚋(雲霞)のごとく、手に手に熊手または棒、もろもろの兵器を携え、店の外は彼らでいっぱいになった。
 これは、つまり町名主[驛長は漢流]が注進して、それによって駈けつけたのである。吉岡も、(三人の役人に)礼をして着座した。巌流は大いに赤面して坐った。
 三人の武士[上記吉村・沢田・黒宮の三人]が吉岡に対して、騒動の顛末と(吉岡の)来歴を問うと、吉岡は事の原因と、本国・姓名を、一つひとつ説明した。三人の武士はまた、旅館の下男、近隣の者に問い糺したが、みな吉岡(の言)と一致した。そこで、これはひとえに、巌流の性急[ここは短気の意]から事を引き起したことが明白なので、三人の武士が巌流に向って云ったのは、「我々が唯今聞いた通りならば、貴殿の不平[憤懣、心の不穏]から出たことは明らかである。理非[どちらが正しいか]はともかく、互いに憤りを抑えて、(まず)和睦なさるべし。第一は、(自分の)身を傷つける時は孝道に背き、第二に、里民を驚愕させ、第三に、城主への不敬である。とくに吉岡氏は、(ここで死んでは)主人馬前での忠死というにもあらず、私憤に溺れて身命を落とされることは、忠を欠くというべきである。(ここは)理を曲げて[無理にでも]、双方寛容をもって事を納めてもらいたい」と、慇懃に述べるので、吉岡は非常に喜んで、「それがしが初めから申すごとく、私用の旅行です。どうして憚りをかえりみないでおれましょう。一時の短気で、ご当地[ルビによる。尊藩は御城の意]をお騒がせしたことは、すべてそれがしの罪です。ともかくも、おのおの方のお指図に従います」と、きわめて穏当に言うので、巌流は、さすがに無道の[道に背く]返答も出しかねて、唯々として(少しも逆らわず)、三人の武士の計らいにまかせ、ついに和睦の話に及んだ。
 このあと、人々は巌流を引き連れて帰り、また吉岡は小早川家の武士ということなので、もし途中で不慮の事変があったりすれば、些細なことから大ごとの原因にもなりかねないと、此下家[飛騨守]の命令で、(吉岡の)警固を厳重にして、吉村佐一右衛門と沢田源十郎が兵士[人数は軍勢の意]三十余人を引連れ、備前と播磨の境にある船坂山という所[播備国境の船坂峠]まで、吉岡を護送して、戻って行った。


巻之二 8/9
9 ・・ 巻之二 ・・ 8

巻之二 9/10 吉岡帰国の圖
10 ・・ 巻之二 吉岡帰国の圖 ・・ 9

巻之二 10/11
11 ・・ 巻之二 ・・ 10

 
   4 巌流闇殺吉岡之事(1)
 【原 文】

   巌流闇殺吉岡之事

 斯〔かく〕て吉岡は、備前國三ツ石に至りけれバ、吉岡が僕は待かねて居たりしが、主人の無事に帰りしを見て、蘇生の人に逢〔あへ〕るがごとく、是より路を急ぎ、今ハ名所奮跡も見めぐらず本國に帰り、主人に謁し、姫路の有状ことごとく語りけれバ、且感じ且驚き、若吉岡にあらずば、如何なる麁忽の振まひをも仕出しなん、老練の取扱ひによつて事なきにこそ重疊〔ちやうじやう〕なれと、隆景卿も甚悦喜ましましける。
 却説〔さて〕、巌流ハ由なきあらそひに依て、吉岡がために打倒され、大きに面目を失ひける。全く巌流が武藝未練にあらず、古今稀有の早業とはいへども、吉岡が天下無雙〔ぶさう〕におよばずして、此恥辱を蒙りぬ。
 是より人口〔じんこう〕の誹謗〔そしり〕も後めたくや思ひけん、此下家を辞し、今一度工夫〔くふうし〕修行して、名譽を四海に發せんとおもひしが、元來我慢の男なりしかバ、吉岡が爲にうち倒されたる事を深く憤り、何とぞ彼國に至り、人知らず渠を闇討にして、怨恨をはらさんと思ひけれバ、同年霜月にいたり、筑紫に帰る松浦舩〔まつらぶね〕に便舩をもとめ、忍びやかに九рヨ下りける。
 光陰に関守なけれバ、玉免〔ぎょくと〕波を逐て過るがごとく、天正十八年になりぬ。吉岡太郎右衛門ハ、いよいよ武藝の名隣國に響き、遠境他國の士に至るまで便〔たより〕をもとめ門人とならん事を請ふといへども、其頃は天下碁を打たるがごとく乱れて、漸く近年世上穏なるに似たれども、諸侯互に隙〔ひま〕を伺ひ、彼は此を亡し是は彼を奪んとする時節なるが故に、諸侯は事を左右に寄、武藝修行に言詫〔かこつけ〕て、間者〔かんじや〕を各國〔くに/\〕に遣し、其國の油斷を計る風俗なれバ、一人として他國の門人といふ者は堅く入門を禁じ、晝夜練磨の外他事なかりける。
 吉岡常に圍碁を好みたれバ、稽古の閑暇〔いとま〕を得る時は、夜分にハ近隣に至り、圍碁に時刻うつりてハ深更に及び帰る事多かりし。
 然るに男子二人あり。長〔あに〕を又太郎といひ、次〔つぎ〕を友次郎といふ。友次郎ハ襁褓〔きやうほう〕の裏〔うち〕より、高弟宮本武右衛門が養子となり、肥後國熊木〔くまげ〕に在〔あり〕。
 宮本武右衛門は、其先山城國宇治郡の英産、幼〔いとけなき〕より劔術を好ミ、吉岡に従ひ諸國を廻り、年々月々に琢磨し、終に劔術の蘊奥を究め、秘する所の神息〔しんそく〕の劔に至るまで、悉く傳ハり、吉岡と高下をわかつ事なし。後に其名四方に流れて芳しかりしかバ、佐藤主計頭〔かずゑのかミ〕清正、此由を聞玉ひ、肥後國熊木に招かれける間、清正に仕ぬ。実子なき故に、吉岡に請ふて、二男友次郎を養ふて子とせり。
 然るに、吉岡が嫡子又太郎、父が流儀を傳へ、あたかも天狗の化身かと謂れし程の早業なりしが、當年二月の末に風氣〔ふうき〕を感じ、起臥心にまかせざりしに、病症日々に重く、三月下旬に病死せり。
 太郎右衛門大きに歎き、誠に生者必滅の世の有状とハ云ひながら、斯る豪壯の若もの、親より先に世を早ふせんとハ思ハざりしに、惜哉、あたら君家〔くんか〕の用にも立べき者を失ひしと、忍び哭〔ね〕に袖をぞ濡〔ぬら〕しける。
 これを見て門人等も心を苦しめ、若や愛惜のあまりに病ひを發しなバ悪〔あし〕かりなんと、彼方此方より碁將棊〔しやうぎ〕など催ほし、ひとへに欝悶をなぐさめける。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   巌流、吉岡を闇殺の事

 かくして吉岡は、備前国三ツ石に到着したので、待かねていた吉岡の家来は、主人の無事に帰ったのを見て、蘇生した人に逢ったがごとく(喜んだ)。それより帰路を急ぎ、もう名所旧跡も見て廻ることなく、本国(筑前)へ帰り、主人[ここでは城主小早川隆景]に拝謁し、姫路(の一件)の有さまをことごとく物語ると、(主人は)感動したり驚いたりで、「もし吉岡でなければ、どんな粗忽な行動に出たか。老練の処理によって無事におさまったのは、よかったな」と、隆景卿も非常に喜悦なさった。
 さて、巌流は、つまらない諍いで吉岡に打ち倒され、大いに面目を失った。(しかし、負けたのは)全く巌流の武芸が未熟だったからではない。(巌流は)古今稀有の早業とはいえ、吉岡の天下無双(の業)に及ばず、この恥辱を蒙ったのである。
 このことがあって、(巌流は)人々の誹謗も後めたく思ったのか、此下家を辞し、もう一度工夫し修行して、名誉を全国に発しようと思った。ところが、元来、我慢[ここは高慢強情の意]の男だったので、吉岡に打ち倒されたことを深く憤り、どうしても、かの国(筑前)へ行って人知れず吉岡を闇討ちにして、怨恨をはらそうと思ったので、同年霜月[天正十七年十一月]になって、筑紫に帰る松浦船[肥前松浦の船。万葉以来名高い]に便船をもとめ、ひそかに九州へ下った。
 光陰に関守はないので、あっというまに[玉免は月のこと]、天正十八年になった。吉岡太郎右衛門は、いよいよ武芸の高名が隣国に響き、遠い他国の武士にいたるまで、つてをもとめて門人となりたいと願うけれど、その頃は(戦国末期で)、天下は碁を打つがごとく乱れて、ようやく近年になって世の中が穏やかになったようすだが、諸大名は互いに隙を狙い、彼はこれを亡し、これは彼を奪わんとする時節だったので、諸大名は態度をあいまいにして、武芸修行にかこつけて間者[密偵]を諸国々に派遣し、その国の油断を探るという状況だったので、(吉岡は)他国の門人という者はだれ一人として堅く入門を禁じ、昼夜練磨に余念がなかった。
 吉岡は常に囲碁を好んだので、稽古の暇を得た時は、夜分には近隣に行き囲碁に時を過ごし、深夜になって帰ることが多かった。
 ところで、(吉岡には)男子が二人あった。長男を又太郎といい、次男を友次郎という。友次郎は幼児[襁褓はおむつ]のうちから、(吉岡の)高弟・宮本武右衛門の養子となり、肥後の国熊木[熊本ではなく「くまげ」である]にいた。
 宮本武右衛門は、もともと山城国宇治郡[宇治は現京都府内]の英産で、幼いころから剣術を好み、吉岡に従って諸国を廻り、その間ずっと琢磨して、ついに剣術の蘊奥[奥義]を究め、吉岡秘術の「神息の剣」に至るまで、ことごとく伝授され、吉岡と優劣の差もなくなった。のちに(宮本の)名が諸方に流れて有名になって、佐藤[加藤にあらず]主計頭清正が、評判をお聞きになり、肥後国熊木に招かれたので、清正に仕えていた。(宮本は)実子がなかったので、師匠吉岡に頼みこんで、かの二男友次郎を養子にしたのである。
 しかるに、吉岡の嫡子又太郎は、父の流儀を伝え、あたかも天狗の化身かと言われた程の早業であったが、当年[天正十八年]二月の末に風邪に感染し、ねたきりになって、病症日々に重く、三月下旬に病死した。
 太郎右衛門は大いに悲嘆し、「まことに生者必滅の世のありさまとはいえ、こんな豪壯の若者が、親より先に早世しようとは思わなかったのに、残念だ、あたら主君の家の役にも立べき者を失ったことよ」と、忍び泣いて袖を濡していた。
 これを見て、門人等も心を痛め、もしや愛惜のあまりに、師匠が発病などしたらよくないと、彼方こなたから碁将棋などを催して、ひたすら吉岡の欝悶を慰めていた。


巻之二 11/12
12 ・・ 巻之二 ・・ 11

巻之二 12/13 巌流九州へ渡る圖
13 ・・ 巻之二 巌流九州へ渡る圖 ・・ 12

 
   5 巌流闇殺吉岡之事(2)
 【原 文】

   巌流闇殺吉岡之事 (承前)

 四月十五日には眞觀寺といふ眞言宗の寺に於て碁曾を催し、太郎右衛門を請じける。
 此寺は城下の境外〔まちはづれ〕にて、田裏〔ざいぐち〕なりしかバ、風景もよろしき所成が故に、情〔こゝろ〕を晴すに屈竟の地〔ところ〕なりと、其日晡時〔なゝつどき〕より彼處に赴き、殊に雷雨厳しく降り、碁興闌〔たけなは〕にして、既に深更におよび、三更〔さんかう〕の鼓〔たいこ〕響きければ、吉岡耳を傾け申けるハ、今の響きは城中半夜〔よなか〕の鼓なり。思ざる外の長座〔ちやうざ〕に、寺中〔じちう〕の人々の眠りを妨げたり。去來〔いざ〕各退出すべし、と申にぞ、門人も皆々是に同〔どう〕じ、各僧侶に暇乞し、寺門を出て見るに、宵に降たる雨の道は湿りて悪〔あし〕しといへども、田中〔でんちう〕の水に銀盤〔つき〕かげうつり、頃しも薄暑の時候、一天快よく晴れ、微風そよ/\と來るに酔を醒し、そゞろなる咄しなどして、門人と共に十餘人、間〔ほど〕なく市街〔まち〕に入けるが、頓〔やが〕て岐路〔わかれミち〕にさしかゝり、皆々此處にて別れ帰る時、門人言をそろへ、我輩〔わがともがら〕一同に先生の家まで送り参らすべし。
 吉岡固く辞して、決して無用なり。夜行は常の事にて、今晩初めて帰るにあらず。我是より氣儘に帰るべし。各早く帰へりて息ミたまへ。われ酩酊して申にハあらねども、魍魎鬼神はいざ知らず、狐狸天狗の類ひは物の數にもあらず。まして人に於てをや。國中〔こくちう〕の諸士に我を討留る者一人もあらんと思ハず。若し他國の豪傑あつて我を討ば是非もなし。何の怖畏〔おそれ〕あつて各位〔おのおの〕の護送を蒙るべき。しかれども、天地に不時の風雲あり、人には不測の禍ひあり。今晩の内他人のために殺さるゝ事あらバ、人々への對面もこれぞ限りなるべし、と戯れけれバ、門人等、こハけしからぬ事をのたまふ物かな、かゝる忌々しき事ハ申さぬ事也と、後は笑ひに移りて、師弟思ひ思ひに別れて帰ける。
 吉岡が言〔ことば〕後に思ひ合すれバ、身を亡すべき前兆なり。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   巌流、吉岡を闇殺ちの事 (承前)

 四月十五日には、真観寺という真言宗の寺で碁会を催し、太郎右衛門を招いた。
 この寺は、城下の町はずれ[ルビによる。境外は漢流]、在口[ルビによる。田園地帯の入口]にあり、風景もよい場所なので、吉岡の鬱情を晴らすには最適の地だと、その日、七つ時[ルビによる。夕方、午後四時]よりそこへ赴いた。(その夜は)雷雨がことに激しく降り、碁興たけなわにして、すでに深夜におよび、三更[午前零時]の太鼓が響いたので、吉岡がそれに耳を傾けて、「今の音は城中夜半の太鼓だ。思わぬ長居をして、寺の人々の眠りを妨げてしまった。いざ諸君、退出しよう」と言うので、門人も皆々これに同じて、それぞれ僧侶に挨拶し寺門を出て、見ると、宵に降った雨の道は濡れて歩きにくいとはいえ、田んぼの中の水に月影が映り[銀盤は月。初夏で田植えの時期]、頃あいは薄暑の候、一天快よく晴れ、微風がそよそよと吹いてくるのに酔いを醒まし、とりとめもない話などしながら、門人と共に十余人、ほどなく市街に入ったが、やがて岐れ路にさしかかり、全員ここで解散して帰る時になって、門人たちが同音に、「我々みな一同、先生の家までお送りします」。
 吉岡は固く辞して、「それは全く必要ない。夜行は常のことで、今晩はじめて帰るのではない。私はこれから一人気儘に帰るよ。諸君は、早く帰ってお休みなさい。自分は酩酊して云うのではないが、魍魎[本来は山川木石のアニミスティックな精霊、ここでは化物]鬼神ならいざ知らず、狐狸天狗の類いは物の数ではない。まして人間ならばね。この国中の諸士で私を討ち留める者は、一人もあるとは思わない。もし他国の豪傑がいて、私を討てば是非もない。何の怖れがあって、おのおの方に護送してもらおうか。しかれども、天地に時ならぬ風雲あり、人には思いがけない禍いあり。今晩のうちに他人に殺されることがあれば、諸君との対面も、これで最後だな」と、戯れて言うので、門人らは、「これはけしからぬことを言われますな。そんな忌々しい[ここは不吉なの意]ことは言わないものです」と、後は笑いに流れて、師弟は思い思いに別れて帰った。
 吉岡のこの言葉は、後になって思い合せると、身を亡すべき前兆であった。


巻之二 13/14
14 ・・ 巻之二 ・・ 13

巻之二 14/15
15 ・・ 巻之二 ・・ 14

 
   6 巌流闇殺吉岡之事(3)
 【原 文】

   巌流闇殺吉岡之事 (承前)

 此時佐々木巌流は、先辱〔せんじよく〕の欝憤山のごとく、何とぞ吉岡を撃殺し、おのれが結恨〔けつこん〕を報ずべしと、既に先達て當國に下り、少しの知音〔ちいん〕をもとめ、姿をかへて城下に徘徊し、心を盡して吉岡を附ねらふといへども、嘗て便〔たより〕を得ざりしが、今宵眞觀寺に爾々〔しかじか〕の事ありて、吉岡も彼處〔かしこ〕に赴くと聞しかば、それこそ幸ひの事なれ、帰宅夜に入なバ、竊に田裏〔でんり〕の間に於て討べしと、眞觀寺の邊に身をひそめて俟〔まつ〕ところに、吉岡數多の門人と倶に寺門を出けれバ、巌流大きに焦燥〔いらち〕、南無三宝こよひ如此〔かく〕大勢の門人付添ば、本意を遂る事成がたし、さればとて、黙すべきにあらずと、徐〔しづ〕かに跡より伺ひけるが、已に岐路〔わかれミち〕に於て門人等に引わかれ、獨り南に行を見て、巌流地に雀躍〔こをどり〕し、さてハ天の加護、ことに吉岡今不吉の言〔ことば〕を出す事、渠が運命の盡るべきしるしなり、と心に歓び、後方〔しりへ〕に従ひ窺ひゆく。
 吉岡は如此〔かく〕とも知らず、唯一人いさミ酔〔ゑひ〕に乗じ、當藩〔たうばん〕の國士〔からう〕鳴尾五郎左衛門が別莊〔しもやしき〕の裏門通、高らかに謡曲して、五衰滅色〔ごすゐめつしよく〕の秋なれや、落る木の葉の盃、飲む酒は、谷水の流るゝもまた涙川、水上〔ミなかミ〕は、我なるものを、物おもふ時しも是、今こそ限なりけれ、と謡ひつゝ、何心なく歩ミ行時しもあれ、吉岡が隣家・溝口源兵衛といふ者の家に勤〔つとむ〕る奴僕〔しもべ〕、今宵主人源兵衛が使として、深更におよび此路系〔みちすぢ〕に來りしが、吉岡が來るを見て、這〔あの〕謡ひ聲は、慥〔たしか〕に隣家の吉岡殿なり、出合てハ礼をするも懊悩〔むつかし〕と、側〔かたハら〕を見るに、一方は竹林〔やぶ〕なり、一方ハ鳴尾五郎左衛門が別莊〔しもやしき〕の裏門にして、土墻〔へい〕盤環〔ながく〕築めぐらし、塀の外に枳殻〔きこく〕の籬〔かき〕あり。頃しも卯月の中旬〔なかば〕なれば、枝葉細やかに繁茂〔しげ〕て蔭くらきに、籬の絶間〔たへま〕所々にありて、身を隠すべき所あり。奴僕〔しもべ〕喜び、僥倖〔さいはひ〕なる陰窟〔かくれが〕ござんなれ、此處に避て遣過さんと、土墻〔へい〕と籬〔かき〕の間、僅に三尺ばかりの透間〔すきま〕に躬を瘻〔かゞめ〕て忍居る。
 此時、夜は次第に更〔ふけ〕ゆくに、月の光りぞいよ/\沍〔さえ〕、竹林〔やぶ〕の風音ものすごく、笹葉〔さゝば〕を凄〔さつ〕と吹分れば、月華路上を照して、あたかも白晝に彷彿〔さもに〕たり。吉岡は少しく酒を過し、謳ひさしの謡曲〔うたひ〕猶たかく、ものすさまじき夜端〔よは〕の景色に餘情を催し、潦水〔たまりみず〕に足を濡さじと、月の明りに路頭を窺[借字]ひ、かの奴僕が隠れたる籬〔まがき〕の圖辻〔ずんど〕に出來〔いできた〕る。吉岡が後方より、巌流鷺脚〔さしあし〕して迫り來〔きた〕る。
 吉岡おもハず潦江に踏ミ陥り、前の方に跌〔つまづ〕き、すでに倒れんとする處を、巌流走りかゝつて、抜打に吉岡が右の肩口に切込んだり。元來手練の事なれバ、刄〔やいば〕之勢ひはげしくて、弓手の肋骨〔わきぼね〕まで一刀に切下〔きりさぐ〕るに、鬼神と呼れし豪傑も、二言と云ず倒れ死す。
 巌流は吉岡が髻〔もとどり〕をつかんで仰〔あおの〕けに押ふせ、持たる血刀とりなをして、いかに吉岡、先年われに恥辱をあたへし其恨ミ覚たるかと、胸板を足下〔そつか〕にふミつけ、咽喉〔のどぶへ〕二タ刀つゞけ刺にさし通せば、毛孔〔ミのけ〕いよだつて恐しく、奴僕は籬〔まがき〕の裏〔うち〕に在て、此の有さまを見、魂魂天に飛び、聲をあげんには身の上恐しく、地に入らんにハ大地堅剛〔かた〕く、皮肉筋骨一時〔いちど〕に縮まり、大地に喰ひつきうかゞひ居る。巌流前後を見まハし、血刀を提〔ひつさげ〕て當りを窺ふ。奴僕はいよ/\懼しく、息を詰てかゞミ伏す。
 巌流刀の血を拭〔のご〕ひ鞘に納る間〔あいだ〕もなく、鳴尾が別莊〔べつさう〕の長屋の内に人聲たかく、裏門の外に刀の刄響〔はひゞき〕したるハ怪しく、門を開ひて出て見よと、詈〔のゝ〕めきたり。巌流聞より大きにおどろき、東に臨んで走行〔はしりゆく〕。奴僕も同じく忙〔あハ〕て、若此の所に隠れ居て、捕られてハ後日〔ごにち〕の難義と、籬〔かき〕の内より潜り出、道をかへてぞ逃のびけり。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   巌流、吉岡を闇殺ちの事 (承前)

 このとき、佐々木巌流は、前に受けた屈辱の欝憤は山のごとく(積り)、何とかして吉岡を撃ち殺し、おのれの結恨[怨恨]を報いようと、すでに先だって当国[筑前]に下り、わずかなつてをもとめ、姿を変えて城下を徘徊し、懸命に吉岡をつけ狙っていたが、一向に機会を得なかったところ、今宵真観寺にしかじかのことがあり、吉岡もそこへ行くと聞いたので、「それこそ、幸いだ。帰宅が夜に入れば、ひそかに田園の中で討ち取ろう」と、真観寺のあたりに身をひそめて待っていると、吉岡が多数の門人といっしょに寺門を出て来たので、巌流は大いに焦り[いらち、関西弁に現存]、「しまった[南無三宝、本来は仏徒の祈りだが]。今宵、このように大勢の門人が付き添っていては、本意を遂げることはできない。さればとて、見逃すわけにはいかない」と、徐ろに後から(好機を)うかがっていたが、まさに岐れ路で門人たちと別れ、吉岡が一人南へ行くのを見て、巌流、足は小躍りし、「さては、天の加護か。ことに吉岡がいま不吉の言葉を口に出したのは、彼の運命の尽きるしるしだ」と、心の中で歓び、様子をうかがいながら後について行く。
 吉岡は、そんなこととも知らず、唯一人、勇み酔いに乗じて、当家の家老[ルビによる。国士は漢流]・鳴尾五郎左衛門の下屋敷[ルビによる。別荘は漢流]の裏門通りを、高らかに謡曲して、「五衰滅色の秋なれや、落る木の葉の盃、飲む酒は…」と謡いつつ[この謡曲は俊寛]、無心に歩み行く、まさにそのとき、吉岡の隣家・溝口源兵衛という者の家に勤める下男[奴僕は高踏表現]が、この夜主人源兵衛の使いで、深夜になってこの道筋を通りかかったが、吉岡が来るのを見て、「あの謡いの声は、たしかに隣家の吉岡殿だ。出逢ってお辞儀をするのも、厄介だな」と思って、傍らを見ると、一方は竹藪、一方は鳴尾五郎左衛門の下屋敷の裏門で、土塀を長く築きめぐらし、塀の外に枳殻(からたち)の生垣がある。ちょうど卯月[四月]の中旬なので、枝葉がびっしり繁茂してその蔭は暗く、生垣の絶間が所々にあって、身を隠せる所がある。下男は喜んで、「幸いにも隠れ家がござるよな。ここに身を避けて(吉岡を)やり過ごそう」と、土塀と生垣の間、わずか三尺ばかりのすき間に、身をかがめて、隠れていた。
 このとき、夜は次第に更けゆくに、月の光はいよいよ冴え渡り、竹藪の風音は何となく殺伐として、笹の葉をざわと吹き分け、月光は路上を照して、あたかも白昼を思わせる。吉岡は少し酒を飲み過きて、謳いさしの謡曲の声はなお高く、冴えざえとした夜半の景色に余情を催し、水たまり[潦水は漢流]に足を濡すまいと、月の明りに路面を窺いながら、かの下男が隠れている生垣のある通りの角[図辻の図は通りの意で、条里制の条]に出て来た。吉岡の後方からは、巌流が差し足[ルビによる。さぎあし]で(足音を忍ばせて)迫って来る。
 吉岡は、思わず水たまりに足を踏み込み、前の方につまづいて、まさに倒れんとするところを、巌流が走りかかって、抜き打ちに吉岡の右の肩口に切込んだ。(巌流は)もともと手練れ[熟練の達人]だから、刄の勢い激しく、左側の肋骨まで一刀で切下げたので、鬼神と呼ばれた豪傑(吉岡)も、うむとも言わず、倒れて死んでしまった。
 巌流は吉岡の髻[もとどり、髪を束ね結んだ部分]をつかんで、その身体を仰むけに押し伏せると、手にした血刀を持ち直して、「どうだ、吉岡。先年、おれに恥辱をあたえたその恨み、思い知ったか」と、胸板を足で踏みつけ、咽喉を二回続けさまに刺し通したのは、身の毛がよだつほど恐ろしく、(溝口の)下男は生垣の中に隠れていてこの光景を目撃し、心魂が天にぶっ飛んだが、声をあげると自分の身の上が恐しく、地に潜り入るには大地は堅すぎるし、皮肉筋骨一度に縮みあがり、大地に喰らいついて、様子をうかがっている。巌流は前後を見まわし、血刀をひっ提げて、あたりを窺う。下男はいよいよおそろしく、息を詰めてじっと身を屈めている。
 巌流が刀の血を拭い鞘に納めるや、たちまち、鳴尾の下屋敷の長屋の内で人の声高く、「裏門の外に刀の刄響きがしたのは変だ。門を開いて、出て見よ」と、わめいている。巌流はそれを聞いて大いにおどろき、東に向かって走って行った。下男も同じく大あわてで、もしこの場所に隠れていて、捕えられては後日の難義と、生垣の中から潜り出て、巌流とは反対方向へ逃亡した。


巻之二 15/16 巌流吉岡を闇殺の圖
16 ・・ 巻之二 巌流吉岡を闇殺の圖 ・・ 15

巻之二 16/17 巌流吉岡を闇殺の圖 其二
17 ・・ 巻之二 巌流吉岡を闇殺の圖 其二 ・・ 16

巻之二 17
18 ・・ 巻之二 ・・ 17

巻之二 17
   ・・ 巻之二 ・・ 18


 
   7 巌流闇殺吉岡之事(4)
 【原 文】

   巌流闇殺吉岡之事 (承前)

 裏門の番人門をひらき、挑灯〔てうちん〕をもつて駈出る。跡につゞいて若侍三四人、毎手〔てんで〕に棒を引さげかけ出、吉岡が死骸を見付、大に騒ぎ、是は吉岡殿なり。何ものゝ所爲〔しハざ〕にて如何〔かく〕暗討〔やミうち〕にハせしぞ。然とも相手壹人にあらず、慥に東西へ迯出したる足音なり。まづ此由を注進せよと、上を下へと騒動し、鳴尾が本宅へ告けれバ、鳴尾五郎左衛門はなハだ驚き、たゞちに城中に訴へ、監察〔かんさつ〕に達し、且吉岡がかたに知らせける。
 折しも吉岡が妻女は病氣にてありしが、既に吉岡が變死を聞、こハ怪からぬ事の有さまや、此春家子〔わがこ〕の病死の上、夫の横死、かゝる愁ひを見る事も、定まれる前世の果報とハ云ながら、武藝万人の上に出、遠國他境の人までに鬼神〔おにかミ〕とも称〔よば〕れし人の、劔難に罹りて身を失ふとハ何事ぞや。さればとて、篤實第一にして藝術に驕らず、人を侮慢〔あなどり〕軽しめず、人の恨ミをしも受玉ふべき由もなし。何者の所爲〔しハざ〕。そのうへ刀をだにも抜合せず、討れたまひしと聞事の不思議さよ。若名乘かけての勝負ならんにハ、相手に手をもあふせらるべきを、察する處、これハ懐ひがけなき所を、騙[借字]し討に打たると覚へたり。夫の死骸の在る所まで我をつれ行け、者共〔ものども〕と、奴僕〔ぬぼく〕の肩に助られ、玄関までよろばひ出しかども、病中のうへに氣を悶し故にや、忽ち積〔しやく〕氣胸に迫り、其儘玄関に絶入たり。家内の男女大きに周章〔しうしやう〕し、さま/\にいたハれども、鍼藥終に験〔しるし〕なく、即死せし社〔こそ〕はかなけれ。
 扨鳴尾が家より訴により、いまだ夜の明ざるうちに、實檢〔じつけん〕の人、および吉岡が門人追々に來り、見分するに、紛れなき闇討と見へたり。然れども一刀〔ひとかたな〕をもつて切とめたる事ハ、全く未練の手の内にあらず、劔術熟練の者の所爲〔しよゐ〕なりと、言〔ことハ〕を揃へて申ける。此旨隆景卿に言上せしかば、殊に惜ませ玉ひ、緊〔きび〕しく相手を吟味すべしと仰〔おほせ〕ありしかども、嘗〔かつ〕て是ぞといふ手掛りもなく、門人等吉岡が死骸を請ふて、葬禮〔さうれひ〕かたのごとくとり行ひける。
 此時溝口が家僕は、吉岡が討れたる様子、詳かに見たりといへども、相手の人物さらに當家の諸士の内に見馴ざるが故に、此事口外に出し、吟味にあハゞ難儀なりと、敢て人にも語らざれバ、畢〔つひ〕に知る者なかりけり。
 吉岡が家には又太郎は當春死去、次男友次郎は他國に養子〔やうし〕となりし間、其家断絶におよびけるは、是非もなき次第なり。もとより吉岡は其前〔そのさき〕は京都に住し、後小早川家に仕官せるが故に、親類縁者すべて當所に無く、高弟等うち寄〔より〕、つとづとに弔慰をなし、喪の事を行ひしぞ憑〔たの〕もしき。

  繪本二島英勇記 卷之二 終

 【現代語訳】

   巌流、吉岡を闇殺ちの事 (承前)

 (家老鳴尾の下屋敷)裏門の番人が門をひらき、提灯をもって駈出る。跡につづいて若侍が三、四人、手に手に棒を引っさげけ、走り出て、吉岡の死骸を見つけ、大いに騒ぎ、「これは吉岡殿だ。このように闇討ちにしたのは何者のしわざか。しかし相手は一人ではない。たしかに、東と西へ逃げ出した足音だった。まずこのことを注進せよ」と、上を下へと騒動し、鳴尾の本宅へ報告すると、鳴尾五郎左衛門はひどく驚いて、ただちに城中に訴え出たのが目付[監察は漢流]に達し、そして吉岡の方にも知らせた。
 おりしも、吉岡の妻は病気であったが、まさに吉岡の変死を聞き、「これは、とんでもないことになってしまった。この春、我が息子が病死した上に、夫の横死、こんな悲しい目に遭うのも、定まれる前世の果報とはいえ、(夫・吉岡は)武芸はだれよりも強く、遠国他境の人までに鬼神とも称された人なのに、剣難にかかって身命を失うとは、どうしたことか。とはいえ、篤実第一にして自分の芸術[剣術の腕前]に驕らず、人を侮ったり軽ろんじたりせず、人の恨みなどお受けになるはずもない。(とすれば)何者のしわざか。その上、刀を抜き合せもせず、お討たれになったというのは、考えられないことだ。もし、名乗りかけての勝負であったなら、(刀を抜いて)相手と手合せしたはずなのに、察するところ、これは不意のところを騙し討ちにしたと思われる。夫の死骸のある所まで、私を連れて行け、者どもよ」と、召使の肩に助けられ、よろよろと玄関まで出たけれど、病中のうえに(夫の死に)心労が重なったせいか、たちまち癪気(の発作)が胸に迫り、そのまま玄関で気絶した。吉岡家の男女は大いにあわて、さまざまに介抱したけども、鍼も薬も結局効果なく、すぐに死んでしまったのは、痛ましいことであった。
 さて、鳴尾の家からの訴えにより、いまだ夜の明ざるうちに、現場検証の役人、および吉岡の門人が追々にやってきて、状況を検分するに、紛れもない闇討ちと思われた。けれども、吉岡を一刀で斬りとめているのは、全く未熟の手の内にあらず、剣術熟練の者のしわざであると、だれもが同じように言う。この旨を(城主小早川)隆景卿に言上したところ、格別に吉岡を惜まれて、きびしく相手を調査せよと、仰せがあったけれど、これぞという手がかりはまったくなく、門人たちは吉岡の死骸を貰い受けて、葬礼を作法通り執り行なった。
 このとき、溝口の下男[現場目撃者]は、吉岡が殺される様子を詳らかに見たのだが、相手の人物がまったく当家の諸士の内に見馴れない者なので、この事を口外して取調べに遭うと難儀だと(思い)、あえて人にも語らなかったので、ついに知る者はなかった。
 吉岡の家では、(嫡子)又太郎はこの春死去、次男友次郎は他国に養子となっていたので、その家が断絶に及んだのは、是非もない次第である。もとより吉岡は、以前は京都に住し、後に小早川家に仕官したので、親類縁者すべて当所にはなく、高弟らが寄り集まって、手際よく、弔慰をなし喪事を行ったのは、たのもしいことであった。

  絵本二島英勇記 卷之二 終





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