宮本武蔵 資料篇
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[資料] 繪本二島英勇記 巻之一  Back    Next 

 『繪本二島英勇記』の冒頭、導入部である。時代は天正末期、佐々木巌流という武芸者があり、神道正伝真刀流の剣術に卓絶して、その流義の印可を究め、その後国々を武者修行し、播州姫路の城下にやって来た。その頃は、此下〔このした〕飛騨守高貞(実在モデルは木下家定)が姫路城主で、家中の諸士が巌流と武芸の腕前を競ったが、一人も彼の右に出る者がなかった。
 領主飛騨守は巌流を召抱えようとしたが、いかなる考えがあったのか、仕官するつもりはないと、それを断わって、仕えなかった。それでは、当面は客分になって家中の諸土等の師範を頼むと、飛騨守が要請し、巌流はこれを承けて姫路に留まり、城下の内に新に家宅を造り、稽古場を構えて家中の諸士らを教えた。このあたりは、本多忠政と武蔵の関係を置換したパロディのようである。つまり、
    宮本武蔵/本多忠政 → 佐々木巌流/此下高貞(木下家定)
という変換であり、時代も元和年間から天正末期へとシフトされているが、この変換にもかかわらず保存された共通項は播州姫路という場所である。
 ところで、巌流は、生来気儘で、少しも仁義の志なく…と語られるけれど、それより冒頭に、能力があって人より勝れているのも禍いの一端である、というのは巌流のことを指すのである。このとき諸葛孔明や荊軻という中国史の人物を引き合いに出す、という意外な語りをする作者が、なかかなの曲者である。
 しかも、まず、佐々木巌流之事という巌流の紹介が先に来るのが注意される。敵役が脇役と決まったわけではなく、むしろ読本の特徴として、この作品にはピカレスク(悪漢小説)の気味があり、ゆえに敵役は堂々もう一方の主役である。その点、興味深い入り方である。
 ついで、吉岡太郎右衛門の事へ進み、この『繪本二島英勇記』の主人公・宮本無三四の実父の話になる。宮本無三四の実父が「吉岡」だという設定は、むろん毒が利いている。物語上は反転設定がなされており、本来は宮本武蔵が吉岡を殺したのだが、この物語では、巌流が吉岡を殺し、吉岡の実子・無三四が巌流を親の仇とする。この明白な反転設定は、当初は虚構性の指標として機能するはずであったが、後々までも踏襲されることになるであろう。
 ともかく、父吉岡は九州筑前名島城主・小早川隆景(こちらは実名)に仕える兵法者である。吉岡は腰痛のため、摂津の有馬温泉に湯治に行った帰路、播州の名所めぐりをしながら姫路城下にやってきて、旅館に一泊する。すなわち、吉岡と巌流が遭遇するこの姫路が事件の発端する場所である。
 もちろん、この物語の時代、天正年間には、姫路には後世のような城下町はまだない。これは白鷺城とともに、慶長の池田輝政を待たねばならない。読者はそれを間違ってはならない。ただ当時なら、この町が形成途上の活気のある新興都市としてあっただろうとは言える。
 吉岡が宿泊する城下町の賑わい、泊まって明けた朝の情景、そこには滑稽な喜劇的シーンやら「源氏」のパロディと思わしめるものがあり、当時の読者はむろん、現代の読者にもそのあたりを十分に楽しめる。そんな読者向けサービスをしつつ、話は急転して、吉岡が佐々木巌流一門とのトラブルに巻き込まれてしまう成り行きが、軽快な筆致で述べられる。このあたり、熟練の小説技法とみえ、筆者の正体を探求したくなる。
 結局、吉岡は簡単に巌流の弟子どもを打ち負かすが、これは試合ではなく、喧嘩である。このトラブルが以下どのように展開するか、それを期待させてこの巻は終る。

 
   卷之一 目録
 【原 文】

繪本二島英勇記 卷之一
    目 録

  佐々木巌流之事
    吉岡旅行海辺眺望の圖
  吉岡太郎右衛門の事
    吉岡姫路の客舎に泊る圖
    其 二
  吉岡佐々木巌流と争論之事
    旅店壯客等狗を打殺すの圖
    巌流の若黨土墻を距て客店主を撃圖
    吉岡壮士の狼藉を怒るの圖
    吉岡衆士を挫く圖

 【現代語訳】

絵本二島英勇記 卷之一
    目 録

  佐々木巌流の事
    [絵]吉岡、旅行し海辺眺望の図
  吉岡太郎右衛門の事
    [絵]吉岡、姫路の旅館に泊る図
    [絵]其 二
  吉岡、佐々木巌流と争論の事
    [絵]旅館の男らが犬を打殺すの図
    [絵]巌流の若党が土塀を越えて
        旅館の主を撃つの図
    [絵]吉岡、武士らの狼藉を怒るの図
    [絵]吉岡、武士らを打ち挫く図


巻之一 巌流宮本像賛
巻之一 巌流宮本像賛
巌流像賛
     容貌堂々技冠武夫
     嫉能殺良籌策何愚
         江濱漁 〔印〕
宮本像賛
     孝乎惟孝報仇甘心
     絶妙両刀獨歩古今
         江濱漁寫 〔印〕

巻之一 1
1 ・・ 巻之一 ・・  

巻之一 1/4
4 ・・ 巻之一 ・・ 1

巻之一 4/5 吉岡旅行海辺眺望の圖
5 ・・ 巻之一 吉岡旅行海辺眺望の圖 ・・ 4

巻之一 5/6
6 ・・ 巻之一 ・・ 5

 
   1 佐々木巌流之事
 【原 文】

   佐々木巌流之事

 不材〔ふさい〕之木は無用なるが故に天年を得、主人之雁は不材なるを以て死〔ころ〕さる。荘周は其間に處〔おら〕ん事を取れり。嗚呼宜なるかな。能ありてよく勝〔すぐ〕れたるも禍ひの端〔はし〕なり。諸葛武侯が賢なるも、畢〔つひ〕に五丈原に心志を労して、其終りを能〔よく〕する事あたはず。荊何〔荊軻〕が刺に於る、その刺のために死す。是所謂其能を以て其生を苦しめらるゝ者也。
 爰に本邦足利家の覇權一たび解け、應仁より以降〔このさき〕、永禄天正の頃にいたり、天下の英勇蜂のごとく起り鷹のごとく揚〔あがり〕て、各國瓜のごとくに割〔さけ〕、闘戰しばしば止む時なし。故に武夫〔ぶふ〕は弓馬刀劔の道を翫ぶ事を宗〔むね〕とし、專ら武藝一道に通達したる者、各〔おの/\〕諸侯のために聘せられ、僉〔こと/\〕く一國の上に師範たり。
 然に天正の黎〔ころ〕、佐々木巌流といふ者あり。豊前國小倉海外の一小島において、宮本無三四が爲に死を蒙り、今に至りて二百年、天下の人口に膾炙す。つら/\其起〔おこり〕を尋るに、佐々木巌流は、その先ハ近江國の人、六角佐々木の餘裔〔すへ〕なり。天質狼戻〔うまれつききまゝ〕にして、少しも仁義の志なく、神道正傳眞刀流の劔術に卓絶して、流義の印可を究め、其後國々を武者修行し、後に漂〔なが〕れて播磨國姫路の城下に來りぬ。
 其頃は此下〔このした〕飛騨守高貞の鎭藩〔おさめ〕させ玉ふ時なり。家士〔かし〕一統に武技〔ぶげい〕を好みけれバ、諸士〔しよし〕かハるがハる巌流が旅宿に訪らひ、藝術を競〔くらべ〕るといへども、一人も是が右に出る者なし。領主飛騨守も深く感激し、ひたすら召抱らるべしとありしかども、如何なる奥念〔こゝろ〕やありけん、仕官に心なきよし、辞〔ことハり〕してつかへず。然らバ當分客位〔きやくぶん〕に處〔なり〕て、諸土等が師範頼むの旨、懇に輟〔とゞめ〕られしかバ、巌流も面目身に餘る心地し、承伏してとゞまりぬ。
 是に依て、城下の内に新に家宅を造り、教場を構へ、諸士日々に來、門人次第に加ハり、竹刀木刀〔ちくたうしなへ〕の聲喧しく、門前市をなしにけり。

 【現代語訳】

   佐々木巌流の事

 役に立たない木は、無用なるが故に、寿命をまっとうする。主人(持ち)の雁は、役に立たなければ、殺される。荘周[中国古代の思想家・荘子]は、その中間を自身のポジションとして択んだ。ああ、尤もなことではないか。能力があって人より勝れているのも、禍いの一端である。諸葛武侯[孔明 一八一〜二三四年]は賢明な人だったけれど、五丈原の戦い[二三四年]で心志を労して陣中に死んだので、ついにその終りをよくすることができなかった。荊軻[けいが ?〜紀元前二二七年]は秦の始皇帝を殺す刺客になったが、その殺害は未遂に終って殺された。これは所謂、その能力によって自分の生を苦しめられるケースである。
 さてここに本邦では、足利家の覇権がいったん崩壊して、応仁より以降、永禄・天正の頃[一五七〇年代、戦国末期]にいたり、天下の英勇らは、蜂のごとく起ち鷹のごとく上昇して、それぞれの国は瓜のごとくに割け、戦闘はしばしば止む時がなかった。故に武士は、弓馬刀剣の道を学ぶ事を旨とし、もっぱら武芸の一道に通達した者は、おのおの諸侯に招聘され、ことごとく一国の師範となった。
 ところで、天正のころ[一五七〇〜八〇年代]、佐々木巌流という者があった。豊前国小倉の沖の一小島[巌流島のこと]において、宮本無三四のために死を蒙り、今日[十九世紀初頭の享和年間]まで二百年ものあいだ、天下の人口に膾炙している。振り返って彼の出自を調べると、佐々木巌流は、先祖は近江国の人で、六角佐々木の余裔である[この説が以後流布する]。巌流は、生来気儘で、少しも仁義の志なく、~道正伝真刀流の剣術に卓絶して、その流義の印可を究め、その後国々を武者修行し、後に流れて播磨国姫路の城下にやって来た。
 その頃は、此下飛騨守高貞[実在モデルは木下家定(一五四三〜一六〇八)]が城主であった時である[鎭藩は漢流]。家士らはみな武技を好んでいたので、諸士が代わる代わる巌流の旅宿を訪れ、武芸の腕前を競ったが、一人も彼の右に出る者がなかった。領主飛騨守も深く感激し、ひたすら召し抱えようとされたけれど、巌流は、いかなる考えがあったのか、仕官するつもりはないと、それを断わって、仕えなかった。それでは、当面は客分になって家中の諸土等の師範を頼むと、飛騨守が巌流を懇ろに引留められたので、巌流も面目身に余る心地がして、これを承伏して姫路に留まった。
 こうして、巌流は(姫路)城下の内に新たに家宅を造り、稽古場を構え、家中の諸士が日々に来て、門人が次第に増加し、竹刀・木刀の音がやかましいほど、門前市をなしたのであった。


巻之一 6/7
7 ・・ 巻之一 ・・ 6

巻之一 7/8 吉岡姫路の客舎に泊るの圖
8 ・・ 巻之一 吉岡姫路の客舎に泊るの圖 ・・ 7

巻之一 8/9 吉岡姫路の客舎に泊るの圖 其二
9 ・・ 巻之一 吉岡姫路の客舎に泊るの圖 其二 ・・ 8

 
   2 吉岡太郎右衛門之事
 【原 文】

   吉岡太郎右衛門之事

 其頃武術名譽の達人あり。其名を吉岡太郎右衛門某〔それがし〕といふ。其前〔そのさき〕は、伊豫國吉岡の人にして、若年の頃より京都に住し、武藝の師を訪ひ、また諸國を経歴して名ある豪傑に交り、且切瑳琢磨の功積〔つみ〕て、自然〔しぜん〕と吉岡流といふ一流を建立し、劔術の一道に於てハ普天の下におよぶ者なし。然れども猥りに驕慢の心なく、其人成〔ひとゝなり〕誠直にして、仁慈をもつて心とし、奴僕〔しもべ〕といへども叱事をなさず、今既に筑前國名島の城主、金吾黄門小早川隆景に仕へ、秩禄〔ちぎやう〕三百石をぞ賜〔たまハり〕ける。實〔じつ〕に當世の誠君子〔せいくんし〕なり。
 然るに近年、腰疾〔えうしつ〕のために苦められて、寒暑の候は別して痛疼〔いたミ〕堪がたきが故に、攝州有馬の温泉に浴せん事を願ひて、百日限りの暇〔いとま〕を請ひ、年來の家僕〔めしつかひ〕一人に旅の行李〔にもつ〕を持しめ、天正十七年八月上旬に本國名島を發足し、日を経て有馬に至り、如此〔かく〕て温泉に浴〔ゆあミ〕し、果して痛苦を忘れ、初て身體〔ミうち〕快き事を覚しかバ、萱莢荏苒〔つきひすら/\〕と移りて五十日を経たり。
 去來〔いざ〕さらば、今は帰路に向ふべしと、旅行〔たび〕の調度〔したく〕して有馬を發〔いで〕、播磨がたにかゝりしが、吉岡忽〔ふと〕思ひけるハ、此國は名にしおふ風景の地、殊に古昔〔いにしへ〕の歌人などの、詠じ殘せる言葉〔ことのは〕の跡もなつかしく、又ひたぶる恐しき往古の英勇〔ものゝふ〕の古戰場の名殘も床しく、帰るさの道柴〔みちしば〕に枝折〔しおり〕もとめばやと、其邊此處尋廻りし程に、九月下旬〔すゑつかた〕姫路の藩外〔じやうか〕にさしかゝる。
 此日夕陽西に傾き、城市〔じやうし〕の繁昌いふばかりなく、街頭〔ちまた〕をさし挾む両行〔りやうがハ〕の人家〔いへ〕より、旅客をとゞむる女子〔をんな〕ども僉〔こと/\〕くかけ出、猥〔みだり〕に紅粉を粧ひ、旅人と見るとひとしく僧俗の分〔わかち〕もなく引止め、或は商價〔あきうど〕、桑門〔よすてびと〕、振拂ふ袖をとりとゞめ、駈行〔かけゆく〕袂を引ちぎり、擔〔かたげ〕し調度〔にもつ〕引奪ひ、難なく大勢取懸り人を引込む所もあり。引込む行李〔にもつ〕奪返し、頬〔つら〕ふくらして行〔ゆく〕もあり。
 吉岡、これかれうち見ながら、何心なく行過るを、網干〔あぼし〕屋といふ旅房〔はたごや〕の裏より両人の女かけ出。一人は大體〔おほがら〕にして、両の頬邊、あたかも照〔てれ〕る桃のごとく、腕は毛こそ無けれ、羅城門にて綱が得たる肘〔かひな〕のごとくなるを以て、吉岡が衣襟〔むなぐら〕を取〔とる〕。一人は越後の板額女〔はんがくぢよ〕が再生〔うまれかハり〕の如くなるが、後より其腰間〔こし〕を抱きて動さず、むりに泊り玉へといふより早く、無体に内に引入るゝ。引放さんと悶〔もだ〕ゆれども、劔術者とも言〔いは〕さず、両人寄て天にも上〔あげ〕ず地にも付けず、難なく引居たり。吉岡大きに興に乘し、此両女〔りやうぢよ〕はあたかも普天の下の豪傑なりと笑ひながら、草鞋を解せ、やがて客廳〔ざしき〕に入、湯飯〔たうはん〕徐〔ゆた〕かにして息〔やすみ〕けり。

 【現代語訳】

   吉岡太郎右衛門の事

 その頃、武術に名も誉れも高い達人があった。その名を吉岡太郎右衛門某[諱韜晦か]という。もともと伊予国吉岡の人で[河野通宗の末孫ということらしい。吉岡は現愛媛県西条市]、若年の頃より京都に住し、武芸の師を訪ね、また諸国を遍歴して有名な豪傑と交り、かつ切瑳琢磨の功を積んで、その結果自然と「吉岡流」という一流を建立し、剣術の一道においては天下に及ぶ者がなかった[京都の吉岡憲法とは設定をズラしてある]。しかれども、みだりに驕慢の心なく、その人となりは誠直で、仁慈をもって心とし、奴僕といえど叱ったりはせず、今すでに筑前国名島[現福岡市東区]の城主、金吾黄門小早川隆景[金吾は衛門督、黄門は中納言の唐名。こちらは実在人物、毛利元就三男 1533〜1597]に仕え、秩禄三百石を賜わった。まことにに現代の誠君子[まことの人格者というほどの意]である。
 しかるに近年、吉岡太郎右衛門は腰疾に苦められ、寒かったり暑かったりする候はとくに痛疼が堪えがたい。それで、摂州有馬の温泉[古来有名な温泉。現・神戸市北区]に浴して療治することを願い出て、百日限りの休暇をもらい、年来の家僕一人に旅の行李を持たせて、天正十七年八月上旬に本国(筑前)名島を出発し、やがて日を経て有馬に到着して、かくして温泉に浴すると、はたして痛苦を忘れ、はじめて身体に快いことを感じた。そのうち月日はあっという間に過ぎて[ルビによる。懐風藻に月日荏苒去]、五十日が過ぎた。
 それでは、もう帰路に向うべしと、吉岡は旅の支度をして、有馬を出発し、播磨方面に向かったが、吉岡がふと思ったのは、この国は名にし負う(すばらしい)風景の地、ことに古昔の歌人たちが詠じ残した名歌の跡も懐かしく、また、向う見ずで恐しい往古の英勇たちの古戦場の跡もゆかしく、帰る途中の旅の記念でも求めようと、あちこち訪ね廻っているうちに、九月下旬、姫路の城下[ルビによる。藩は城壁、ここで藩外は城外の町の意]を通りかかった。
 この日は夕陽すでに西に傾き、城下町[城市は漢流]の繁昌は言葉では言い尽くせない程で、街頭を挾んだ両側の人家から、旅客を引き留める女どもが、ことごとくかけ出してきて、むやみに厚化粧して、旅人と見るとだれだろうと、僧俗の区別もなく引き留め、あるいは商人・世捨人[ルビによる。桑門は沙門]が振り払う袖を取りとどめ、駈け行く袂を引きちぎり、担いだ荷物を引ったくって、大勢でとりかかって難なく人を引ずり込む所もある。すると、引ったくられた行李を奪い返し、(怒って憮然として)頬をふくらませて行く人もある。
 吉岡は、(巷の喧噪の)あれやこれやを見ながら、何げなく通り過ぎようとすると、網干屋[あぼし・姫路西部の漁村の名]という旅館の内から二人の女が走り出る。一人は大がらで、両の頬のあたりはまるで照った桃のようで[赤い。桃は悪鬼を祓う呪物、以下鬼の文脈に通じる]、その腕は毛こそ無いが、羅城門で(渡辺)綱[源頼光の四天王の一、羅城門の事蹟で有名]が取った(鬼の)腕のごとくで、その腕で吉岡の胸ぐらをつかむ。もう一人は、越後の板額御前[吾妻鏡にみえる有名な女傑・アマゾネス戦士]の生れかわりのような女で、後ろから吉岡の腰を抱えて、動さない。「お泊りください」と言うより早く、むりやり乱暴に(家の)中へ引きずり込む。吉岡は引き離そうと悶えるけれども、(天下の)剣術者とも言わさず、二人して吉岡の身体を天にも上げず地にもつけず、難なく引すえた[源平盛衰記。中門の外に恐しげなる者二人立向て、大納言の左右の手を取、天にも揚ず地にもつけず、引持てゆき、のパロディ]。吉岡は大いにその興に乗じ、「この二人の女は、まるで天下の豪傑だぞ」と笑いながら、草鞋を解かせ、やがて座敷に入り、湯も飯もゆっくり十分にとって、その夜は寝たのである。


巻之一 9/10
10 ・・ 巻之一 ・・ 9

巻之一 10/11 旅店壯客等狗を打殺すの圖
11 ・・ 巻之一 旅店壯客等狗を打殺すの圖 ・・ 10

巻之一 11/12
12 ・・ 巻之一 ・・ 11

 
   3 吉岡佐々木巌流と爭論之事(1)
 【原 文】

   吉岡佐々木巌流と爭論之事

 吉岡太郎右衛門は、行歩の労倦〔くたびれ〕に一睡快よく寝入て、旅宿の寂寞〔ものうき〕ことを打忘れ、覚ず暁に至りぬ。
 家雉〔にハとり〕翅撃〔はゞたき〕し、國家皇王〔こつかくわうわう〕の聲に夢破れて、眼をひらけば、打火場〔だひどころ〕のかた喧々〔がや/\〕と人聲ありて、房主〔あるじ〕一番に寤〔おき〕て、炊婢〔めしたき〕を叫起し、火を燧〔うつ〕音と共に竈の下焼〔たく〕折柴の悖〔ほと〕り、紙門〔ふすま〕の透より入て、姻苦難堪〔けむたく〕、摺盆〔すりばち〕の音、雷〔らい〕のごとくなるに、障外〔ふすまどなり〕の旅人二三人起あがり、行粧〔たちじたく〕を做〔な〕す。その話聲耳に貫き、いよ/\眠りがたきまゝに、越方行末の事ども思ひつゞくる内、はや早膳〔さうぜん〕をすゝむる器皿〔かぐ〕の響と、旅人は飯〔はん〕に付て箸音高く、何れも羹〔あつもの〕を啜る嗚咽〔のどね〕は、更に長鯨〔くじら〕の百川を吸ふがごとく、誠に此輩〔ともがら〕は食中の八僊〔はつせん〕と謂つべき者なりと、獨言〔ひとりごと〕して腹を抱へ、また囂〔かまびす〕さ益〔ます/\〕加ハりて、寝る事ます/\かたきに、房銭〔はたごだい〕を投出す畳の響に枕を躍らしめ、旅客〔たびゞと〕ハ程なく箇々〔ひとり/\〕暇乞して出行たり。
 吉岡歎息〔ためいき〕ほつとつき、嗚呼噪〔かしま〕しの旅宿の形状〔さま〕や、されど斯〔かゝ〕る事も僉〔みな〕旅行の樂しミなり、されバ我は急がぬ旅なれバ、一両日は此所に逗留し、此邊の名所をも尋ぬべし。五ツの刻限にハまだ一時あまり也、今一睡し能〔よき〕夢見んと、再び衾〔よぎ〕を引覆ひ、又睡〔ねむら〕んとする所に、忽ち此家の後園〔うしろ〕の方にあたりて、多く人聲發り、大に叫び張て、物の爭ひを仕出したるが如く、其中〔そのうち〕に撃合響高らかにして、慥〔たしか〕に木太刀の音なり。
 心を靜め耳を欹〔そばだつ〕るに、全く武藝の操練〔けいこ〕なれば、吉岡眉を顰〔ひそめ〕思道〔おもへらく〕、此隣〔このあたり〕すべて商徒〔あきんど〕駅店〔やどや〕、かつて諸士の家宅〔いへ〕ある事なし。然るに武技〔ぶげい〕の物音あるは如何にと、其儘起て紙門〔ふすま〕を押開、立出るに、はや夜は明はなれ、街道往來の人綿々として引も切らず、繁華夕に増〔まさ〕れり。
 吉岡やがて房主〔あるじ〕を呼び、我は西國の者、入湯のため有馬に赴けり。帰がけに當國一見せんと思ふなり。汝の家を借て五六日逗留すべし。扨此隣〔このあたり〕を見るに、みな商戸〔あきんど〕なり。然るに今聞〔きく〕、武術の聲夥しく起り物噪〔さハが〕しきは、何れの所ぞ。
 房主答て、是は我家の後園〔うしろ〕のかた、高塀のあなたハすべて衙門〔やしきまち〕あり、其内ミな諸士の居宅〔いへ〕なり。今稽古の聲聞ゆる所は、佐々木巌流といふ人の家、此人は當時天下の一人にして、元來諸國武者修行し、今年春の頃より此國に來り、當地の諸士と武藝を試るに、一人もこれに打勝ものなし。それ故、主公〔とのさま〕深く重んじ、客分として此所に止め、諸士の師範を憑ミ玉ひ、尊摂〔おとりあつかひ〕はなハだ厚し。これによつて毎朝〔まいてう〕早天より木刀の音絶ず、夕に至るまで衆士〔さむらひしゆ〕かハる/\入來りて、稽古の有様物さハがしく、我々が輩〔ともがら〕常にうるさく思ふなりと、語りける。
 吉岡も打うなづき、我常に巌流が名は聞及びぬ。いかさま武藝の響、聞なれてさへ囂〔かまびすし〕きに、心に好まずば轉〔うたゝ〕やかましかるべしと、坐したる處を起〔たつ〕て後園〔うしろのその〕に出、彼方此方を打見やるに、野菜の類ひに立交る菊花の葩〔はなびら〕、霜のために凋ミ、朝顔のつる枯たるまゝに籬〔まがき〕に残り、晩秋の形容〔ありさま〕小園の中といへども寂寥たり。
 菜園の向ふは、隔ての土墻〔へい〕高く掛て、その彼方ハ巌流が家にて、衆士〔しうし〕の武技〔ぶげい〕を操る聲、手にとるごとく聞ゆるにぞ、好める道の事なれバ、何となく見たき心地して、高塀の方に立寄て伺へバ、土墻の下の方は都て雨のために朽破れて、犬も人も往來〔ゆきかひ〕すベきほどの竇〔あな〕二三ケ所にあり。其所より差闖〔さしのぞく〕といへども、教場〔けいこば〕遥かに隔て、甞て見る事能ハず。
(以下つづく)

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 【現代語訳】

   吉岡、佐々木巌流と争論の事

 吉岡太郎右衛門は、旅の疲れに一睡すると、気持ちよく寝入って、旅の宿の寂寞も忘れて、気がつかないうちに暁になった。
 鶏が羽ばたきしてコケコッコーと鳴く[国家皇王と鳴くは諧謔]声に、夢破れて眼をひらくと、台所[打火場=だひどころは台所の洒落]の方で、がやがやと人の声があり、旅館の主人が一番に起きて、飯炊き女をわめき起し、火を燧つ音とともに、竃の下を焚く折柴の熱煙が、襖の隙間から入ってきて、煙たいこと堪えがたく[ルビによる]、摺り鉢の音は雷のようにやかましい。すると、襖隣り[ルビによる。障外は襖の向う]の旅人が二、三人起きて旅支度をはじめた。その話声が耳を貫き、いよいよ眠るどころではないままに、越し方行く末の事をあれこれ思い続けていると、はやくも早立ちの人の膳を出す食器の響きと、旅人が飯を食べはじめて箸音高く、だれもが汁物[他に饂飩の意もあり]をすする喉の音は、まったく鯨が百の川を吸うごとく、まことにこの連中は食中の八僊(八仙)と謂うべき者だ[杜甫「飲中八仙歌」のもじり]と、ひとり言ごとして腹を抱え、また喧噪がだんだん大きくなって、寝ることなどますますできなくなって、客が宿銭を投げ出す畳の響きに枕が躍り、旅客は程なく一人ひとり挨拶して出て行った。
 吉岡はため息をホッとついて、「ああ、旅の宿とはいえ、なんと騒々しいことかな。けれど、こんな事もみな旅行の楽しみだ。されば、私は急がぬ旅だから、一両日はここに逗留し、この近辺の名所を訪ねてみよう。五つ[午前八時]の刻限には、まだ一時[一刻。二時間]以上ある。もう一度眠って、いい夢でも見よう」と、再び衾[ふすま、ルビはよぎ=夜着。当時は布団はない]を引き覆い、また睡ろうとしたとたん、この家の後の庭の方角に、多数の人声がおこり、大声で叫んで、喧嘩でもはじめたようで、そのうちに打ち合う響きが高くなって、これはたしかに木太刀の音である。
 (吉岡が)心を静めて耳をそばだてると、これは全く武芸の稽古[ルビによる]なので、彼は眉を顰め、思うには、「このあたりは、すべて商家や宿屋[これもルビによる]である。まったく諸士[武士たち]の屋敷があるはずがない。しかるに、武芸(稽古)の物音がするのは、どうしてなのか」[城下町は武家地と町人地が分離区画されているのが通例だから]と、すぐに起きて襖を押し開き、外に出ると、はや夜は明け放れ、街道往来の人々は綿々として引きも切らず、町の繁華は夕べより増している。
 吉岡はすぐに宿の主人を呼び、「自分は西国の者で、温泉入湯のために有馬に行った。帰がけにこの国を見物しようと思っている。おまえの家を借りて、五、六日逗留するつもりだ。ところで、この近隣を見るに、みな商家である。しかるに、いま聞こえている武術の音声、喧しいほど起こしているのは、どこなんだ」。
 宿の主人[房主は漢流]は答えて、「これは、我家の後の菜園の方、高塀の向うはすべて屋敷町[ルビによる。衙門は漢流]で、その内はみな諸士の居宅です。いま稽古の音声が聞える所は、佐々木巌流という人の家で、この人は最近天下の一人[武芸の第一人者]であり、元来諸国を武者修行し、今年春の頃からこの国(播磨)に来て、当地(姫路)の諸士と武芸の試合をしましたが、一人もこの人に打ち勝つ者がありません。そんなわけで、殿様[ルビによる]がこの人を深く重んじ、客分としてここに留め、諸士の師範をお頼みになりまして、はなはだ手厚くご処遇なさっています。そのため、毎朝早くから木刀の音が絶えず、夕方に至るまでお武家衆[ルビによる]が代わる代わるやって来て、稽古のようすは騒がしく、我々(町人連中)も常にうるさく思っています」と、語った。
 吉岡もうなづいて、「自分も常づね巌流の名は聞いておる。たしかに、武芸の物音は、聞なれてさえやかましいのに、好きでない者なら、もっとうるさく感じるだろう」と、坐っていたところを立ち上がって、後の菜園に出て、あちらこちらを見やるに、野菜の類に混じって菊の花があり、その花びらが霜のために凋み、朝顔のつるは枯れたまゝ垣根に残り、晩秋のありさま[ルビによる。形容は高踏表現]、小さな園の中といえども、あはれ寂寥である。
 菜園の向うは、隔壁の土塀を高く構え、その彼方は巌流の家で、武士たちの武芸を練習する声が手にとるように聞える。(吉岡は自分が)好む道のことなので、何となく見たい気持ちがして、高塀の方に近づいて窺うと、土塀の下の方は、すべて雨のために朽ち破れて、犬も人も行き来できるほどの穴が二、三ヶ所ある。そこから覗き込んでみたが、稽古場ははるか向うにあって、まったく見ることができない。


巻之一 12/13 巌流之陪士土墻を距て客店主を撃圖
13 ・・ 巻之一 巌流之陪士土墻を距て客店主を撃圖 ・・ 12

巻之一 13/14
14 ・・ 巻之一 ・・ 13

巻之一 14/15 吉岡壮士の狼藉を怒るの圖
15 ・・ 巻之一 吉岡壮士の狼藉を怒るの圖 ・・ 14

巻之一 15/16
16 ・・ 巻之一 ・・ 15

巻之一 16/17 吉岡衆士を挫くの圖
17 ・・ 巻之一 吉岡衆士を挫くの圖 ・・ 16

巻之一 17/18
18 ・・ 巻之一 ・・ 17

 
   4 吉岡佐々木巌流と爭論之事(2)
 【原 文】

   吉岡佐々木巌流と爭論之事 (承前)

 吉岡本意なき事に思ひて立戻るところに、土墻〔へい〕の彼方〔あなた〕より一疋の大狗、竇〔あな〕を潜りて駈來り、吉岡が前をすぎて駅房〔はたごや〕の打火場のかたへ行と思ふうち、忽ち一聲〔いつせい〕鶏の鳴聲聞たるに、かの大狗、雄鶏一宙くはへて、もとの竇に入らんとするを、駅房の後生〔わかもの〕二人、房主〔あるじ〕と共に、それ其狗、鶏を取たるハ、打倒して鶏を助けよといふ聲の下、手毎〔てんで〕に劈柴〔わりき〕、擔杖〔になひぼう〕を引提、追ひ來る。
 彼狗あまりに追るゝ事急にして、もとの竇に入事あたはず。小園〔はたけ〕の中〔うち〕を逃廻〔にげめぐ〕るといへ共、猶喞〔くはへ〕し鶏を放さず。房主〔あるじ〕後生〔わかもの〕大きに焦燥〔いらつ〕て、直〔すぐ〕に土墻〔へい〕の隅の方に追迫〔おひつめ〕、劈柴を以て前脚を打て撃倒せば、房主擔杖を振擧て、一連に二三十つゞけ打に撃ちけるに、かの狗大きに苦しミ、纔〔わづか〕に鶏を放つといへども、鶏すでに死したり。房主いよ/\怒り、猶力に任て打けるに、忽ち鼻柱のかた傷損じ、血ほとばしり出て倒れ死す。
 則〔すなハち〕此狗は、巌流が飼ふところの獅子丸といふ犬なり。此苦聲〔くせい〕を聞とひとしく、巌流が家より若黨両人かけ出、土墻の破れより見て大に叫び、町人〔ちやうにん〕犬を殺したりと呼はりけるに、巌流は教場〔けいこば〕にありて諸士に習練〔しふれん〕して居たりしが、刀を引提、かけ來り、同じく土墻の透間より覩〔うかゞ〕ひ見て、大きに憤激し、それ両人の若黨ども、狗を殺せし町人等を一々〔いち/\〕に突ころせと、いまだ言も終らざる間〔うち〕に、二人の若黨、岡田左源太・堀内門藏、左源太は短鎗〔てやり〕、門藏は短棒〔ちぎりき〕にて、隔の塀水もたまらす棒頭〔ぼうとう〕にて突倒し、後園〔こうゑん〕の中に躍り入る。
 其勢ひにおそれて後生〔わかもの〕両人、家内〔かない〕をさして迯入たり。房主は、一時のいかりに乗じて狗をころしたる事を、初めて後悔し、地に踞〔ひざまつ〕き、言を開んとするところを、聊すこしも耳にかけず、はや短棒をもつて可活可死〔いきよしね〕よと撃居〔うちすへ〕たり。
 吉岡は最初より事の形状〔やうす〕を見るといへども、少しも手を動さず、今房主〔あるじ〕が危きを救んとハ思へども、無取爲〔よしなき〕あらそひを引出して、主君の名を出さんよりハと、避て入らんとする所を、若黨左源太、鎗をもつて跡より追かけ、おのれも宥しがたしと、打火場〔だひどころ〕の口にて突かけたり。
 吉岡身をひるがへして、其鎗首〔やりくび〕を握りて、あらゝかに聲をあげて、狼藉なる下郎〔げらう〕め、我はこれ鎭西の武夫〔ぶふ〕、今般事の所以ありて上方に來り、當駅に止宿し、何ごゝろなく今庭中〔ていちう〕に徘徊す。某に何の所爲〔しよい〕ありて如此〔かく〕理不盡におよぶや。劔戟はもとより無情の器〔き〕、かならず人を傷〔やぶ〕るの道具なり。若かゝる太平の御代にあたりて、罪なき人を損なハゞ、汝後日〔ごにち〕の罪科はいかゞして免んとおもふやと、其鎗すぐに奪ひとり、庭中に投棄たり。
 この早業に恐怖して、猶豫〔ゆうよ〕して立たる所に、教場に有合ふ壮士等〔さむらひども〕追々に駈聚り、四五十人餘り菜園の中〔うち〕に乱れ入り、後につゞいて居たりしが、事がな笛吹んと思ふ血氣の魁勇〔くわいゆう〕、吉岡が腕立〔うでだて〕を見て大きに憤り、口を利すな、まづ其者をうち倒せと、教場に立かへりて、手毎〔てごと〕に木太刀、棒などおつとり、一度に吉岡に向ひ進んで、打かけ來る。
 吉岡少しもひるまず、腰刀に手をもかけず、猶大音をあげて叫びけるハ、此うちに當家の老臣諸役人は無き歟。我に於て少しも事を爭ひ騒動を好む者にあらず。狼藉據〔よんどころ〕なきが故、止む事を得ざる處なり。後日の證人になれ、といふより早く、一番にかゝる壮士〔さうし〕両人が携〔もつ〕たる木刀を奪とり、其まゝ両人を、日月〔じつげつ〕の冠〔かむり〕と名付たる手をもつて、右と左に打居〔うちすへ〕たり。手練〔しゆれん〕の手の内、あたかも木刀の當る處、眞劔をもつて切るゝよりも緊〔きび〕しく、二言〔にごん〕と云ず氣絶〔たへ〕たり。
 是を見て、壮士五六人、前後左右より一度に躍り上りて打來るを、猶物ともせず、相手何十人ありとも、痴〔しれ〕たる汝等の振舞、何ほどの事をか仕出すべきと、五六人をおなじく其處に打ふせたり。
 然れども吉岡思慮ある人物にて、悉く打殺さバ殺すべけれども、後難〔こうなん〕を避る處をもつて、ミな大事の手を撃〔うた〕ず、いづれも死せざる様に打居〔すヘ〕たり。
 猶追々にかゝる諸士二十人あまり、半死半生に打なされたるを見て、敢て壹人もかゝるものなく、生強〔なまじゐ〕なる事仕出して、壮士等〔わかざむらひら〕進退爰に極まり、師匠巌流の見る所、臆したる氣色も見せがたく、さればとて唯今の吉岡が働らき、更に凡夫の所爲〔しわざ〕にあらざるに、心膽をとりひしがれ、互ひに目と目を見合せ、牙〔きば〕を噛でひかへたり。猶如何〔いかゞ〕あるや、下章〔つぎ〕の文段を見るべし。

  繪本二島英勇記 卷一 終

 【現代語訳】

   吉岡、佐々木巌流と争論の事 (承前)

 吉岡は、残念だが仕方ないと思って、立戻ろうとすると、土塀の向う側から一疋の大きな犬が、穴を潜って走ってきた。吉岡の前を通って、旅館[駅房は漢流]の台所の方へ行ったと思うと、たちまち一声、鶏の鳴き声が聞えて、かの大きな犬が雄鶏を一宙き咥えて、もとの穴に入ろうとする。それを、旅館の下男[若者・若衆。後生は漢流。論語子罕篇に後生可畏]が二人、主人と共に、「それ、その犬、鶏を取ったぞ。打ち倒して鶏を助けよ」という声のもと、てんでに鉈[割り木。ルビによる]や天秤棒[担い棒。ルビによる]を引っ提げて、犬を追って来た。
 あまりにもこの追跡が急なので、犬は、もとの穴に入ることができない。畑[ルビによる。菜園]の中を逃げまわるが、なおも(口に)くわえた鶏を離さない。主人と下男は大いに苛立って、直ちに土塀の隅の方に追い詰め、鉈で犬の前脚を打って撃ち倒す。主人が天秤棒を振りあげて、続けさまに二、三十回犬を叩くと、かの犬は大いに苦しみ、やっとすこしだけ鶏を離すが、鶏はすでに死んでいた。主人はいよいよ怒り、さらにまた力に任せて犬を打ったので、たちまち鼻柱のあたりに傷が裂け、そこから血がほとばしり出て、犬は倒れて死んでしまった。
 この犬は、巌流が飼っている獅子丸という犬であった。犬の(キャンキャンと)苦しむ声を聞くと同時に、巌流の家から若党[従卒。足軽よりは上の身分。若いとは限らない]二人が飛び出してきて、土塀の破れ目から見て、大声で叫び、「町人が犬を殺したぞ」と呼ばわった。巌流は稽古場[ルビによる。教場は高踏表現]にいて諸士に稽古をつけていたが、刀を引っ提げ走ってきて、同じく土塀の隙間から覗いて(様子を)見て、大いに憤激し、「それ、両人の若党ども、犬を殺した町人らをみな突き殺せ」と、いまだ言いも終らざる間に、二人の若党、岡田左源太と堀内門蔵、左源太は手鎗[ルビによる。普通9尺柄の鎗。長いのは長柄という]、門蔵は乳切木[ルビによる。両端が太い戦闘用の短棒]をもって、隔ての塀をあっというまに棒先で突き倒し、(旅館の)菜園の中に躍り込んだ。
 その勢いにおそれて、下男の二人は、家の中をめがけて逃げ込んだ。主人は、一時の怒りにかられて犬を殺した事を、ようやく後悔し、地にひざまづいて、詫言を述べようとしたが、(巌流の若党は)まったく耳をかさず、いまや乳切木(短棒)で「生きよ、死ねよ[ルビによる]」と、主人を打ちすえた。
 吉岡は、最初から事のようすを見ていたけれど、少しも手を出さず、ここで旅館の主の危難を救おうとは思ったが、つまらない争い[ルビによる。よしなき]を引き起して、主君の名が出てしまうよりはと、(その場を)避けて家に入ろうとするところを、若党の左源太が、鎗をもって吉岡の後から追かけ、「おのれも許さんぞ」と、台所の入口で(鎗を)突きかけた。
 吉岡は身をひるがえして、その鎗首を握って、荒々しく声をあげて、「狼藉なる下郎め。おれこそは鎮西[ここは大宰府のある筑前のこと]の武士、このたび用があって上方[京大坂というより摂津のこと]に来て、この宿場[当駅は漢流]に泊まり、何のつもりもなく、いま庭を散歩しておった。何の理由があってこのおれに、こんな理不尽(な乱暴)に及ぶのか。剣戟[剣戟は刀剣と戈。ここは武器の意]は本来無情の器具、必ず人を傷つける道具である。もし、こんな太平の御代にあたって、罪なき人を傷つけるならば、おまえは後日の罪科をいかにして免れると思うのか」と、その鎗をすぐに奪い取って、庭の中に投げ棄てた。
 この早業に恐怖して(若党の左源太が)ためらって立っているところに、巌流の稽古場に居合わせた武士たち[ルビによる。壮士は漢流、勇壮な男子のこと]が追々に駈けつけて集まり、四、五十人あまりが、菜園の中に乱れ入り、後に続いていたが、「何でもいいから、騒ぎを大きくしてやろう[源平盛衰記。さなきだにも、事がな笛ふかんと思ける北面の下搴、、我も我もと走向ける中に]」と思う血気の勇みから、吉岡が腕前を見せたのを見て大いに憤り、「口を利かすな。まずその者を打ち倒せ」と、稽古場に戻って手に手に木太刀・棒などをひっつかんで、いっせいに吉岡に向って進み、打ちかかって来る。
 吉岡は少しもひるまず、腰の刀に手もかけず、さらに大声をあげて叫んだのは、「このあたりに、当家[ここでは姫路城主此下家]の老臣や諸役人はいないか。私は少しも、事を争い騒動を好む者ではない。理不尽な狼藉のため、やむをえないのである。後日の証人になれ」[喧嘩に当りこの種の宣言・声明は当時必須である]というより早く、一番に打ちかかる男たち二人がもつ木刀を奪い取り、ただちにその二人を、「日月の冠」と名付けた手技[二刀流術名らしいが不詳]で、右と左に打ちすえた。熟練[てだれ]の手の内、あたかも木刀の当たるところ、真剣で切るよりもきびしく、この二人は、うむとも言わず[二言といわずは以下頻出する紋切型表現]、気絶してしまった。
 これを見て、武士たち五、六人が、前後左右から、いっせいに躍り上って打ちかかって来たのを、なお物ともせず、「相手が何十人だろうと、正気ではない[痴れたるはinsaneの意]おまえたちの振舞い、何ほどの事ができようか」と、その五、六人を同じくそこに打ち伏せた。
 とはいえ、ことごとく打ち殺そうと思えば殺せるけれども、吉岡は思慮ある人物で、後難を避けるために、みな必殺の手[大事の手]をうたず、どれも死なないようにして打ちすえたのである。
 さらに続いて打ちかかる諸士が二十人あまり、吉岡に打たれて半死半生になった。それを見ては、もうあえて打ちかかる者は一人もなく、(よせばよいのに)不用意な事を仕掛けて、若侍ら[ルビによる]は進退ここに極まったが、師匠巌流が見ているので、臆した気色も見せがたい。さればとて、さっきの吉岡の働きは、まったく凡夫のしわざではないので、勇気をとりひしがれ、互いに目と目を見合せ、歯噛みして控えているのであった。――さらにこれがどうなるか、以下の章の文段を見るべし。

  絵本二島英勇記 卷一 終




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