武蔵の五輪書を読む
五輪書研究会版テクスト全文
現代語訳と注解・評釈

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五輪書 火之巻 4  Back   Next 


 
   13 感染させる
【原 文】

一 うつらかすと云事。
うつらかすと云ハ、物ごとに有るもの也。
或ハねむりなどもうつり、或ハあくびなども
うつるもの也。時の移もあり。
大分の兵法にして、
敵うはきにして、ことをいそぐ心のミゆる時は、
少もそれにかまはざるやうにして、
いかにもゆるりとなりて見すれバ、
敵も我事にうけて、きざしたるむもの也。
其うつりたると思とき、
我方より、空の心にして、
はやく強くしかけて、勝利を得るもの也。
一分の兵法にしても、
我身も心もゆるりとして、敵のたるみの間をうけて、
強くはやく先にしかけて勝所、専也。
又、よハすると云て、是に似たる事有。
一つハ、たいくつの心、一つハ、うかつく心、
一つハ、弱くなる心。能々工夫有べし。(1)

【現代語訳】

一 うつらかすという事
 うつらかす〔感染させる〕というのは、どんなことにもあるものである。あるいは眠気などもうつり、あるいは欠伸などもうつるものである。時の移るということもある。
 大分の兵法の場合で、敵が浮ついて事を急ぐ心が見える時は、少しもそれにかまわないようにして、いかにもゆるりとなって見せれば、敵もそれを我が事にうけて、闘志がたるんでしまうものである。それが感染したなと思ったとき、こちらの方から、空〔くう〕の心で、素早く強く攻撃して勝つ利を得るのである。
 一分の兵法にしても、こちらは身も心もゆるりとして、(それが感染して生じる)敵のたるみの瞬間をとらえて、強く早く先に仕懸けて勝つ、ということろが専〔せん〕である。
 また、よわする*といって、これに似たことがある。一つは退屈〔萎縮〕の心、一つは浮かつく心、一つは弱くなる心である。よくよく工夫あるべし。
 
  【註 解】

 (1)敵も我事にうけて、きざしたるむもの也
 これは伝染・感染を利用するという作戦である。伝染するといっても病気のことではなく、気の弛みが伝染するという、なかなか面白い話である。
 人が何人も一緒にいて、ある人の眠気が他の人にうつり、欠伸がうつるということがある。脇の者が欠伸をすると、こちらもつい欠伸をしてしまうという具合である。
 こうした気分の弛緩が伝染することもあれば、逆に緊張が伝染することもある。どうやら人間は、自分ではそういうつもりはなくとも、他人に影響されやすいものらしい。
 こうした心的現象は「転移」(transference)というものだが、ここで武蔵が「うつらかす」と言っているのは、まさにこの転移という現象なのである。
 人間の自我や主体性というものは、考えられているほど自立したものではない。大して独立(indendent)ではないし、自他の境界は明確ではない。他者へ容易に転移する。複数の人間が同じ幻聴をきくという幻覚の事例は多く、日常生活においても、とくに「気分」というのものは無意識のうちに相互に影響し合っている。
 こうした心の現象も戦いに利用できる。こちらが弛みを見せれば、相手の気も弛む。気の弛みが感染するのである。そこで敵の弛んだところを一撃するというわけだ。
 このことは、武蔵の心理作戦と解釈されている。しかし、これは古今東西どこでも言ってきたことだ。武蔵にかぎったことではない。いわば戦いの基本である。武蔵を人間心理をよく見抜いた達人とする通俗解釈があるが、武蔵はそういう「心理学」とは無縁である。武蔵の戦闘心理学は通常の心理学ではない。むしろ心理学を超えた心理学というべき境位が、武蔵のロジックにはある。
 それは一つには、武蔵は心理を解釈するだけではなく、それを利用して行動するという行動のメタレベルでのリフレクションを教えているからだ。
 もう一つは、こうである。――戦いの暴力的空間では、ことに人間は敵も味方も無差異化し、相互に相手を模倣し合っている。我と敵は対立し合っているが、実は本質的には同質の成分して戦闘空間を構成している。言い換えれば、戦争機械としての敵と我は、相似の双子・分身(double)としてしかありえない。
 したがって、先ほどの「うつる」という心的現象にしても、まさにこの戦闘空間における敵我無差異化の一結果にほかならぬ。この境位に留まるかぎり、武蔵のいう「勝つ利」は生じない。
 これに対し、武蔵の教えのポイントは、まさしく、この相互分身性のミメーシス空間を破断することである。それが、《其うつりたると思とき、我方より、空の心にして、はやく強くしかけて、勝利を得る》ということなのである。
 ただし、この《空の心にして》というのは、いわゆる「無心」「虚心」ということではない。ここで「空の心にして」というのは、何の兆しもみせず、ということである。不意に攻撃することである。「空の心」とは、また一つの戦闘道具であって、うつり、うつらかすこの敵我相互分身性の戦闘空間を破断する心である。言い換えれば、敵我同質の戦闘空間にあって、異質な他者として行動するというのが、一貫して武蔵流なのである。
 こうなると、もはや「心理学」でない。「戦闘思想」と我々が謂うところのものである。武蔵の教えを心理学として読むのは間違いである。ことに、この段を含む以下数条を、武蔵流心理学と読む通俗解釈があるが、この点を注意しておきたい。
――――――――――――

 さて、語釈の点で注意すべきは、まず、
よハすると云て、是に似たる事有》
とあるところ、この《よハする》は、「弱する」で、当時の口語。気持がしっかりせず、ふらふらとよろめき、ぐらつくようにさせることである。気力を後退させるのである。
 これを、以下に武蔵は分析してみせる。それをみると、これも多義的な語彙である。
《一つハ、たいくつの心、一つハ、うかつく心、一つハ、弱くなる心》
 まず、この《たいくつ》は、「退屈」ということだが、ただし、何もすることがなくて暇をもてあます、といった現代語の意味ではない。むしろ文字通りの「退屈」、退き屈することで、疲れて気力が萎える、いや気がさすことであり、また、怯えて後退すること、萎縮すること、不安になることである。
《間もなく病気又は悪風にたいくつして、幾たりか替りて》(武家義理物語)
 第二の《うかつく心》は、闘志が高揚するのではなく、浮き足立って、足が地につかないさまである。うわついて、まともな判断ができなくなるのである。そして、第三の《弱くなる心》は、気弱になって、闘志が萎えてしまうことである。
 ところで、この《よハすると云て、是に似たる事有》以下の部分について、既成現代語訳はいかがであろうか。
 まず、《よハする》という語については、戦前の石田訳は誤っていない。ところが、戦後の神子訳は、これを何と、「酔わせる」と訳している。これは、もとより誤りである。以下に武蔵が、「たいくつの心」「うかつく心」「弱くなる心」と、《よハする》の内容を列挙しているのだから、わかりそうなものだが、何を勘違いしたのか、「醉わせる」なのである。
 また、《たいくつ》についてはどうかと見るに、まず石田訳が「退屈な心」として誤解の先駆となった。もちろん、「退屈」が現代語の意味なら、ここでの《たいくつ》の語義ではない。《たいくつ》は、退屈にして退屈にあらず。文字は同じでも、昔と今とでは意味が違うのである。
 かくして《たいくつ》の誤訳は、戦後も反復された。神子訳然り、である。岩波版注記は《たいくつ》を、「心にいや気のさすこと。だれてくること」と注釈しているが、それではこの語の意味が不足である。ここは「怯えて後退すること、萎縮すること、不安になること」といった、さらなる「退屈」の古義を示すべきところである。
 岩波版注記以後の現代語訳は、いづれも見ての通りである。とくに鎌田訳は、岩波版注記の語釈を頂戴するとともに、訳文は神子訳を引き写したものとみえる。

――――――――――――

 この条の校異の問題で指摘すべきは、次の箇処であろう。すなわち、筑前系諸本に、
《或ハねむりなどもうつり、或ハあくびなどうつるもの也》
とあって、《あくびなど》とするところ、肥後系諸本の中には、これを、《あくびなど》として、「も」字ではなく「の」字に作るものがある。
 しかし、これは肥後系諸本共通のことではなく、楠家本・細川家本・丸岡家本等に限ったことである。筑前系/肥後系を横断して共通するのは、《あくびなども》と「も」字を記す方である。したがって、この「も」字を記す方が正しい。
 これは、早期派生系統の子孫たる富永家本や円明流諸本も同じであるから、肥後系でも早期は「も」字を記したのである。これに対し、《あくびなどの》として「の」字を記す、楠家本・細川家本・丸岡家本等は、近縁関係にある諸本であり、しかも後発性を有する点で共通している。
 もとより、これら三本を古いとみなす理由はない。この三本は、肥後系諸本の中では相対的に「正確」である。しかし、「正確」だということと、「古い」ということは、別のことである。越後系諸本のように、より新しいものでも、正確な写本が存在するのである。
 《あくびなどの》と「の」字に作る、この箇処の誤字を見るに、楠家本・細川家本・丸岡家本等三本は後発性を示し、新しい段階の写本である。肥後系早期写本からの距離がある。というのも、この三本の系統は、先に丸岡家本が派生し、次に、楠家本と細川家本の派生があった。したがって、その間に複数回の書写があったということである。
 こうしたことは、先入見を廃棄して、広く諸本の文言を照合してはじめて、明らかになることである。とくに肥後系諸本のみを見ていては、それが分らない。肥後系写本への偏向、それが五輪書研究の、今日まで停滞低迷してきた原因である。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 






立花増寿本 当該箇処








本小札縹絲威二枚胴具足
東京国立博物館蔵

























*【現代語訳事例】
《また、敵を弱くするといふ事があるが似た事である。退屈な心、落付きのない心、弱い心、この三つをうつらかす事に》(石田外茂一訳)
《また、酔わせるといって、これに似たことがある。退屈する気持、上すべりになる気持、弱くなる気持などに相手を引きこむのである》(神子侃訳)
《また、酔わせるといって、これに似たことがある。ひとつは退屈の心、ひとつは落着きのない気分、ひとつは弱気にさせることである》(大河内昭爾訳)
《また、酔わせるといって、これに似たことがある。一つは心にいや気のさすこと、一つは心に落着きがなくなること、一つは心が弱くなることであり、こちらの心に相手を引きこむのである》(鎌田茂雄訳)






*【吉田家本】
《或ハあくびなどうつるもの也》
*【中山文庫本】
《或ハあくびなどうつるもの也》
*【鈴木家本】
《或ハあくびなどうつるもの也》
*【立花隨翁本】
《或はあくびなどうつるもの也》
*【赤見家甲本】
《或はあくびなどうつるもの也》
*【近藤家甲乙本】
《或はあくびなどうつるもの也》
*【石井家本】
《或はあくびなどうつるもの也》
*【楠家本】
《或ハあくびなどうつるもの也》
*【細川家本】
《或あくびなどうつるもの也》
*【丸岡家本】
《或ハあくびなど移る者なり》
*【富永家本】
《或ハあくびなど移るものなり》
*【狩野文庫本】
《或ハあくび抔移物也》


 
   14 むかづかせる
【原 文】

一 むかづかすると云事。
むかづかすると云ハ、物毎にあり。
一つにハ、きはどき心、
二つにハ、むりなる心。
三つにハ、思はざる心。能吟味有べし。
大分の兵法にして、
むかづかする事、肝要也。
敵のおもはざる所へ、いきどふしくしかけて、
敵の心のきはまらざるうちに、
わが利を以て、先をしかけて勝事、肝要也。
又、一分の兵法にしても、
初ゆるりと見せて、俄に強くかゝり、
敵の心のめりかり、はたらきにしたがひ、
いきをぬかさず、其まゝ利をうけて、
かちをわきまゆる事、肝要也。
能々吟味有べし。(1)
【現代語訳】

一 むかづかせるという事
 むかづかせる*というのは、どんなことにもある。一つには、危険な目にあっておきる心、二つには、ひどい目にあっておきる心、三つには、予期せず不意をくらっておきる心、である。(これらを)よく吟味しなさい。
 大分の兵法〔合戦〕において、(敵を)むかづかせることが肝要である。敵の予期しないことろへ、息が詰まるほど(猛烈な攻撃を)仕懸けて、敵の心の定まらぬ内に、我が利〔優位〕をもって先〔せん〕を仕懸けて勝つこと、これが肝要である。
 また、一分の兵法〔個人戦〕にしても、最初はゆるりとしたふりを見せて、突然強く攻撃に出て、敵の心の抑揚高低やその働きに応じて、息を抜かさず、すぐさま利〔優位〕を受けて勝つ、これをわきまえることが肝要である。よくよく吟味あるべし。
 
  【註 解】

 (1)むかづかする事、肝要也
 この教えのキーワードは《むかづかする》、敵の心をむかづかせる、である。この「むかづく」は現代語に同じような言葉「むかつく」があって、とくに問題はなさそうにみえる。つまり、むっと腹を立てるという現代語の意味である。
 ところが、この「むかづく」という語こそ、まさに語釈を必要としているのである。意外と思われるかもしれないが、これを現代語の「むかつく」、「腹を立てる」と訳しては、明らかに間違いなのである。
 この「むかづく」は、文字通りの意味である。すなわち、吐きもどす、という意味のあるところ、そこから、要するに現代語流に言えば、「げっ」という気分になることが「むかづく」である――と言えば、その語感がわかるはずである。決して、腹を立てるなどいう語義ではない。
 周知のごとく、「ゑづく」という類語もあって、現代でも口語に残っている。北九州方言に、「えづかァ」といえば、これは恐ろしいという意味である。
 また、云うまでもないが、これは「むかく」と濁音で読んだ語である。
 こういう二語連合における濁音化、連濁については注意すべきところである。懐中を指す「ふところ」という言葉がある。今日では「ふところ」といって、それがあたりまえのようであるが、これは本来「ふどころ」、腑どころ、である。「泣き所」が今日でも「なきどころ」であって、「なきところ」でないのと同じである。
 「づく」にしても、「名づく」「ぬかづく」という語例があり、現代語でも「色づく」「腕づく」といって「色つく」「腕つく」と言わない。そのような濁音化「づく」に留意すれば、上に挙げた「ゑづく」もそうだが、ここでは「むかづく」だったのが知れよう。したがって、翻刻において、句読点の他に清濁音分別までするばあいは、「むかづく」とすべきである。「むかつく」では正しいとは言えず、しかもそれを、現代語の「むかつく」と同列に扱うとすれば、誤りなのである。
 「むかづく」の意味は、たとえば田村家本に、「煩嘔スルト云事」とあって、《むかづかする》に「煩嘔」という漢字を当てている。これを見ると、十九世紀前期あたりでも、人は「むかづかする」という語の本来の意味で理解しているし、上記の方言「えづかァ」と同様に、これが「立腹」の意などとは思ってもいないのである。
 この「げっ」という気分は、驚愕をまじえた、直接的な情動反応である。とくに「むかづく」というのは吐き戻すという否認(disavowal)の心身反応である。武蔵が挙げる事例をみれば、
一つには、きはどき心
二つには、無理なる心
三つには、思はざる心
である。際どい心というのは、危機一髪の危険な目に逢ったときの、「げっ」という心である。無理なる心とある、「無理」はここでは、道理が立たないことではなく、もっと口語的に、ひどい、酷い、という意味合いである。これは、ひどい目にあったときの「げっ」という心である。もう一つは、思わざる心。これは、予期しないことに出くわしたときの「げっ」という心である。
 我々の現代語訳では、この語釈に沿って、上掲のごとく意訳を提示している。ことに「無理なる心」は、そのまま「無理な」と現代語に訳しては誤訳になるからである。
 こうして見れば、明らかなことだが、武蔵の挙げた事例を満足するのは、「腹を立てる」という語義ではない。どれもこれも、驚いて「げっ」という気分になるのが、「むかづく」である。「敵の心をむかづかせる」とは、敵を驚かせて「げっ」という気分にさせることである。

 ここで他の語釈例を見るに、岩波版注記では、案の定、――「むっと腹を立てさせる、怒らせる。相手の心理硬化を狙う作戦」という珍解釈を披露している。
 ただし、これを「腹を立てさせる」としたのは、すでに前例が明治期からある。たとえば『劔道秘要』(明治四十三年)の三橋鑑一郎による割注も、《むかつくとは俗にむっとする意なり立腹する氣なり》としていたのである。それゆえ、この「むかづく」という語は、少なくとも明治以来誤解されてきたのである。
 文章を読めば明白なことであるが、「むかづく」を、むっとする、立腹する、と解しては、文脈内では文意が不通になる。ここで武蔵は、この「むかづかせる」について、具体的にどう云っているか。
《敵のおもはざる所へ、いきどふしくしかけて、敵の心のきはまらざるうちに、わが利を以て、先をしかけて勝事》
《初ゆるりと見せて、俄に強くかゝり、敵の心のめりかり、はたらきにしたがひ、いきをぬかさず、其まゝ利をうけて、かちをわきまゆる事》
 ようするに、敵の予期せぬところを不意に仕掛けて、先をとることである。この不意の攻撃に、敵は驚いて「げっ」となる、それが「むかづく」である。
 それゆえ、この不意の攻撃に敵が立腹する、――と、そんな変なことを、だれが言おうか。ところが、そんなことを武蔵が言っているという珍解釈が、今日まで延々まかり通ってきたのである。違和感があっても、そこは武蔵先生の教えである、間違いがあろうか――という具合なのであった。しかし、これは武蔵が奇体なことを言っていたのではなく、近代の、解釈する側、読み手が間違っていたのである。
 この誤りを、だれも明確に指摘したものはなかった。少なからぬ者が首を傾げたはずなのに、五輪書読解史において、まさにそれが指摘されたことがなかったことが問題なのである。
 さて、ここでの武蔵の教えは、前記のごとく、敵の予期せぬところを不意に仕掛けて、「げっ」というほど敵を驚かせ、先をとることである。要するに、不意打ちの効果から先〔せん〕を取る利を引き出すということである。
 この教えに関して、「敵を立腹させる心理作戦」などという珍解釈が、従来支配的であったが、これはまったくの誤謬である。五輪書をきちんと読解できれば、武蔵がそんなことを決して言ってはいないことがわかるはずである。

 既成現代語訳について云えば、「むかづかせる」の語釈に過誤がある伝統を受けて、まさにどれも根本的な問題を抱えている。この条の一部でさえ、右掲の通りである。
 石田訳は、とくに別語で置き換えていない。神子訳は、《むかづかする》がさすがに「怒らせる」では具合が悪いと思ったものか、「怒らせる」という語訳を回避して、「心の平衡を失う」として「超訳」に救いを求めているが、よくみれば、それは、戦前の石井訳が《きわどき心》を「不安定な心になること」と誤訳したのを流用しているらしい。ただし、この「心の平衡を失う」という語訳では、むろん「むかづく」の意味は大きくはずれる。
 後の大河内訳は、岩波版注記を頂戴して、これを「怒らせる」と訳すのであるが、鎌田訳は、珍しく岩波版注記をパクらず、神子の「超訳」路線を頂戴している。これは、何をかいわんや、論評外である。
 また、《無理なる心》ついては、石田訳は「理に背いた心になる」と珍訳を示し、戦後の神子訳は、これを「困難な場合」とした。石田訳は、「無理」を字義通りに読み、神子訳は、これを現代口語の「無理な」と錯覚して、「困難な」と言い換えたが、そもそもそれが間違いである。
 続く二者は、神子訳なら「無理な」とするの躊躇したところを、文字通り「無理な」と書いてしまった。古語も現代語も見境いなしである。彼らにとって、ここはなるほど、無理な箇処であったもののようである。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 






















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むかづかする事肝要也






















吉田家本 当該箇処














*【現代語訳事例】
《むかつくとは、不安定な心になること、理に背いた心になること、隙のある心になることである》(石田外茂一訳)
心の平衡を失うということは、いろいろな場合にある。危険な場合、困難な場合、予測しない事態がおきた場合、いずれも人は心の平衡を失う》(神子侃訳)
相手をむかむかさせて怒らせるということは、何ごとにもある。ひとつは危険を感じさせること、二つは無理だと思わせること、三つは予想外の状態である》(大河内昭爾訳)
心を動揺させるということは、いろんな場合にある。一つは危険な場合、二つは無理な場合、三つは予測しないことがおきた場合である》(鎌田茂雄訳)


 
   15 おびやかす
【原 文】

一 おびやかすと云事。
おびゆると云ハ、物毎に有事也。
思ひもよらぬ事におびゆる心也。
大分の兵法にしても、敵をおびやかす事、肝要也*。
或ハ、ものゝ聲にてもおびやかし、
或ハ、小を大にしておびやかし、
又、片脇よりふつとおびやかす事。
是おびゆる所也。
其おびゆる拍子を得て、其利を以て勝べし。
一分の兵法にしても、身を以ておびやかし、
太刀を以ておびやかし、声を以ておびやかし、
敵の心になき事、ふつとしかけて、
おびゆる所の利をうけて、其まゝ勝を得事、肝要也。
能々吟味有べし。(1)
【現代語訳】

一 おびやかすという事
 おびえるということは、どんなことにでもあることである。思いもよらないないことにおびえる心である。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、敵をおびやかすことが肝要である。(たとえば)物の音声でもおびやかしたり、あるいは小を(急に)大にしておびやかし、また片脇から「ふっ」と(不意に出て)おびやかすこと、これがおびえるところである。そのおびえた拍子をとらえて、その利〔優位〕をもって勝つべし。
 一分の兵法〔個人戦〕にしても、身体によっておびやかし、太刀によっておびやかし、声によっておびやかし、敵の予期しないことを「ふっ」と(急に)仕懸けて、(敵が)おびえたところの利を受けて、ただちに勝ちを得ること、それが肝要である。よくよく吟味あるべし。
 
  【註 解】

 (1)思ひもよらぬ事におびゆる心也
 ここは前条と一連の内容であるから、とくに説明は要しないであろう。
 敵を怯えさせる――それは、物の音声でも脅やかし、あるいは小を急に大にして威し、また脇から不意に飛び出して脅かす。そこで優位に立って、相手を打ち負かすのである。
 敵に脅威を与え、怯えさせるという作戦である。ならば、一分の兵法〔個人戦〕の場合はどうかというと、これも脅やかしは有効である。
《身を以ておびやかし、太刀を以ておびやかし、声を以ておびやかし》
とあるごとくである。身体も太刀も声も威嚇する道具になり、敵を恐怖させるのは、優位に立つ手段である。「小」を急に「大」にして威すのも可である。もとより、
《片脇よりふつとおびやかす》
《敵の心になき事ふつとしかけて、おびゆる所の利をうけて、其まゝ勝を得》
とあるからには、この脅やかしも、前条の「むかづかせる」と同じく、敵の予期しないことを不意に仕掛けて、怯えを生産するのである。言い換えれば、このあたり武蔵は連続して、「敵の心になきことを不意に仕かける」という作戦を語っているわけである。そのかぎりにおいて、「むかづかせる」も「おびやかす」も同列である。
 ここで《ふつとおびやかす》《ふつとしかけて》とある「ふつと」は、現代語にもある「ふっと」という語である。不意に、不図、という意味である。語感を保全するには、下手に語訳せずに、そのままでよい。
 肥後系細川家本は、この「ふつと」を「不斗」「与風」と漢字表記しているが、これらは五輪書の他の写本に見かけない書字である。言い換えれば、こういう恣意的な漢字変換は、細川家本の写本としての後発性を示すばかりではなく、「自分は門外漢だけど、有名な宮本武蔵の兵書を書写したよ」という表徴がこれである。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 






 ここで諸本校異の問題を指摘すれば、とくに以下の諸点に注意を喚起しておきたい。一つ目は、本条冒頭のところ、すなわち、筑前系諸本には、
《一 おびやかすと云事。をびゆると云、物毎に有事也》
とあって、《云ハ》として「ハ」字を記すところ、肥後系諸本では、《云事》として「事」に作る。つまり、「ハ」と「事」の相異である。
 これの判別はさして難しいことではない。たとえば、本条前と後の条に、
《一 むかつかすると云。むかつかすると云
《一 まぶるゝと云。まぶるゝと云
とあるように、タイトル部分は《云事》、本文に入って《云ハ》、というスタイルである。したがって、この条においても異例である理由はなく、《をびゆると云ハ》とするのが正しい。この点、肥後系諸本の《云事》は、明らかに誤記である。
 ただし、富永家本では、この箇処に写し崩れを見せるものの、《おびやかすと云ハ》として、《云ハ》に作る。富永家本は、早期に派生した系統の子孫とみなしうる写本であるから、おそらく肥後系でも早期には、《云ハ》と書いていたものらしい。
 肥後系諸本は、この系統以外は、円明流系統も含めて、《云事》と記す。それに対し、筑前系諸本は、《云ハ》と記す。したがってこの誤記は、肥後で後に発生したものである。現存諸本は多くが、この誤記を有する写本の子孫である。
 もちろん、楠家本・細川家本・丸岡家本の三本もその例外ではない。言い換えれば、この三本も誤記発生後の写本の子孫であって、後発性の指標を有するのである。字句の示すところは古いものではない。
 あるいは同じような校異にかかわる箇処だが、筑前系/肥後系を通じて、諸本おおむね、《敵の心になき事、ふつとしかけて》とする文がある。この《ふつと》は、とくに問題なく読める箇処である。ところが、細川家本には、ここを、妙な文字で記している。
 通例、ここは《ふつと》と三文字だが、それが二文字なのである。その最初の文字は、「よ」(与)と読める。次の文字は、なにやら「得」と記しているように読める。
 他方、細川家本と祖本を共有する常武堂本には、これも同じように二文字で書いており、最初の文字は、「よ」(与)で同じ、次の文字は、「え」のつもりで「得」または「江」と書いているようである。
 そうすると、何れにしても、ここは、《よえ》(与得・与江)と書いたものであろう。しかし、むろん、《よえしかけて》では意味不通である。ところが、書写者は、意味不通のまま、祖本の文字をそう読んで、誤記してしまった。
 しかし、どうして、そんなふうに紛らわしいことになったのか。同じ肥後系でも、富永家本や楠家本などは、《ふつと》と正しく記している。つまり、肥後系早期には、筑前系諸本と同様、ここは《ふつと》と記していたのである。
 この混乱は、ようするに、常武堂本と細川家本の系統の祖本の段階で、まず、《ふつと》という文字が、二文字に化けていたのである。たぶんそれは、《ふつと》の仮名三文字を、わざと、《不図》という漢字二文字に書き換えたのである。しかも、判然としない文字であったらしい。
 この祖本の書写者は、恣意的に文字を書き換える性向があったようで、この同じ「おびやかすと云事」条では他に、《不斗》という文字も使用している。
 その《不斗》という文字は読みやすかったと見えて、常武堂本も細川家本もこれをその通りに記している。しかし問題は、こちらの《不図》という文字が、そうとは読めない文字だったらしいことである。
 まず、《不図》の「不」字が、「よ」(与)としか読めないもので、そこから筆写者を困惑させたのである。次の「図」字もそうとは読めない文字で、後に、常武堂本や細川家本の「得」という文字を生産してしまったのである。
 このように、常武堂本と細川家本の系統に生じたこの混乱は、もともと祖本の段階で、《ふつと》の仮名三文字を、《不図》という漢字二字に変換したこと、そしてその文字が判読しがたい字体で書かれていたことに起因するもののようである。
 これが、他の諸本にはない文字であることは云うまでもない。、常武堂本と細川家本の系統の祖本にのみ発生した異字であった。それゆえ、この特異文字はこの系統の後発性を示す。そして、その祖本の文字を読み損ねたのが、細川家本の筆写者なのである。
    「ふつと」 → 「不図」 → 「与得」(よえ)
 かくして、祖本で「不図」という異字が書かれ、そしてそれをさらに、細川家本は「与得」と読み誤ったのである。最初、祖本は異字変換だけのことだったが、次の世代で誤写が生じた。言い換えれば、この系統の後発性は二段階を含むのである。
 しかるに、細川家本に記されたこの紛らわしい文字をめぐって、おかしげなことが生じた。戦前の刊本、岩波文庫(高柳光壽校訂)では、ここを《風與》と記して、「ふと」とルビをふっている。しかし、上掲画像のように、どう見ても、そんな文字は細川本の当該箇処には書かれていない。これは校訂者による一種のテクスト改竄である。
 まず、高柳光壽は「得」字を「風」と読み間違えた。ここを「与風」と読んだ。しかし、それはまだしも、「与風」を「ふと」と読めぬとでも思ったのか、これを「風与」と前後逆転して、「ふと」と読ませたのである。しかも、「与」字について、戦前の本だから、これをわざわざ「與」という正字に書換えてしまった。その結果、岩波版五輪書では、ここに、原本字句とは似ても似つかない《風與》という文字が出現するようになったのである。
 これでは、いくら何でもひどいと見たのか、戦後版の『日本思想大系』本になると、これを訂正して「与風」と記すようになった。しかし、戦前の高柳光壽の轍を踏んで、「得」を「風」と読んでしまった。この戦後の校訂も、戦前の高柳の仕わざに影響された誤読である。要するに、戦前も戦後も、書いてある文字を読んでいないのである。
 ようするに、細川家本のこの二文字は、これまでまともに読まれたためしがないという珍例である。もとより、これは、恣意的な書換えとその後の誤読に発する文字だから、あげつらう意義のないことだが、五輪書というテクストの読みには、そんなおかしな錯誤もあったということである。
 これは、細川家本の系統の祖本で発生した誤読だから、楠家本はそれとは無関係である。楠家本は、とくに何の困惑もなく《ふつと》と記している。ところが、丸岡家本をみると、この箇所で、別のエラーが発生したようである。
 丸岡家本は、ここを、《敵の心になき事を、風としかけて》と記して、《ふつと》を、「を風と」と読み間違えている。これはおそらく、まず「を」字の錯入があり、《ふつと》の「つ」字を、「う」字に読み違えたのであろう。したがって、これは細川家本の系統の祖本で発生した誤読とは種類が異なる。
 他方、早期分岐派生の写本の子孫、つまり富永家本は、これを問題なく、《ふつと》と読んでいる。山岡鉄舟本にしても同様である。ところが、円明流系統のうち、狩野文庫本には、《敵の心ニなき事を、風と仕掛て》と記し、また稼堂文庫本には、《敵の心になき事を、ふつと仕懸て》とあるから、これは丸岡家本と同じ「を」字の錯入によるものである。そうしてみると、丸岡家本の錯誤は、諸本の陥りやすいエラーであったとみえる。
 したがって、丸岡家本の錯誤パターンはありふれたものだから、それは別にして、細川家本の上記の錯誤には、独特なものがあった。言い換えれば、それが他にないユニークな錯誤であるだけに、この点でも、細川家本は後発的な写本とみるべきところである。

*【吉田家本】
《をびゆると云、物毎に有事也》
*【中山文庫本】
《をびゆると云、物毎に有事也》
*【鈴木家本】
《をびゆると云、物毎に有事なり》
*【立花隨翁本】
《をびゆるといふ、物毎に有事也》
*【赤見家甲本】
《をびゆるといふ、物毎に有事也》
*【近藤家甲乙本】
《おびゆるといふ、物毎に有事也》
*【石井家本】
《おびゆると云、物毎に有事也》
*【楠家本】
《おびゆるといふ、物毎に有事也》
*【細川家本】
《おびゆると云、物毎に有事也》
*【富永家本】
《おびやかすと云、物毎に有事也》
*【狩野文庫本】
《おびゆると云、物毎ニ有事也》





細川家本・常武堂本 当該箇処


*【肥後系五輪書系統派生図】

○寺尾孫之丞―初期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├……………………富永家本
 |
 ├…┬…┬………楠家本
 | | |祖本
 | | └◎┬………常武堂本
 | |   |
 | |   └…細川家本
 | |
 | └……┬……丸岡家本
 |    |
 |    └………田村家本
 |
 └…流出……………円明流系諸本


*【吉田家本】
《敵の心になき事、ふつとしかけて》
*【立花増寿本】
《敵の心になき事、ふつとしかけて》
*【楠家本】
《敵の心になき事、ふつとしかけて》
*【細川家本】
《敵の心になき事、与得しかけて》
*【常武堂本】
《敵の心になき事、よ得しかけて》




岩波版 五輪書 昭和十七年
高柳光壽校訂



*【戦前岩波版】
《敵の心になき事、風與〔ふと〕しかけて》
*【戦後岩波版】
《敵の心になき事、与風〔ふと〕しかけて》








*【丸岡家本】
《敵の心になき事を、風としかけて》
*【富永家本】
《敵の心になき事、ふつと仕懸て》
*【山岡鉄舟本】
《敵ノ心ニ無キ事、フツト仕懸テ》
*【狩野文庫本】
《敵の心になき事を、風と仕掛て》
*【稼堂文庫本】
《敵の心になき事を、ふつと仕懸て》

 さて、校異のもう一つは、以上二件よりもはるかに重大な問題箇処である。これは五輪書研究史上、これまで看過され、まともに問題化されたことさえなかった点なので、とくに注意して以下を読んでいただきたい。それは、すなわち、筑前系諸本のうち早川系の吉田家本・中山文庫本・鈴木家本に、
《大分の兵法にしても、敵をおびやかす事、眼前の事也
と記しているところであるが、それに対し、同じ筑前系でも、立花隨翁本はじめ越後系諸本には、
《大分の兵法にして、敵をおびやかす事、眼前也
とあって、すでに筑前系諸本間でも相異を示すところである。
 つまり、同じ筑前系でも、早川系の吉田家本・中山文庫本・鈴木家本は、《眼前の事也》であり、立花隨翁本をはじめ越後系の諸本には、これを《眼前也》とする。
 しかし、さらなる相異が肥後系諸本にはある。肥後系では、これを《眼前の事にあらず》と、否定形で記すのである。
 かくして、筑前系諸本では、《眼前(の事)也》とするのだが、それに対し、肥後系諸本では、《眼前の事にあらず》と記す。ようするに、これでは話はまったく正反対である。
 では、どちらが正しいのか。
 この件について、結論を先に言えば、実はどちらも誤りなのであった。この校異は、筑前系/肥後系の指標的差異なのだが、それ以前の最初に問題があったのである。
 それというのも、ここで「眼前」と記されている語句こそが、実は問題なのである。そのヒントは、この諸本校異において、最もシンプルなかたちを示すところの、立花=越後系諸本の《眼前也》である。
 以前は我々も、筑前系の《眼前の事也》と肥後系の《眼前の事にあらず》を、双方を区別する指標的差異とみなし、この対立フレームの中で事を考えていた。筑前系/肥後系の《…也》/《…にあらず》という背反する対立に惑わされて、《眼前の事》という字句を踏越えることができず、百尺竿頭、もう一歩を踏み出せなかったのである。しかし、越後で諸写本を発掘して、その字句《眼前也》に接するに及んで、ようやくこの問題を解く鍵を得たのである。
 要するに、これは、直前条「むかづかすると云事」と対応させてみればよい。立花=越後系諸本には、こう記す。
《大分の兵法にして、むかづかする事、肝要也》
《大分の兵法にして、敵をおびやかす事、眼前也》
 かくして結論を言えば、諸本の「眼前」という字句は、この「肝要」という文字の誤写だったということである。「眼前」という文字の正体は、草体では字面が似ている「肝要」という文字だったのである。
 これで、五輪書では異例の「眼前」という文字は、本来の姿に復元できることになり、通らぬ文意もやっと開通した。というのも、文脈上、ここに「眼前」という文字があっては、文意不通である。そのため我々も以前から、これは誤字ではないか、という疑念を抱いていたのだが、解決には至らなかった。しかし、このようにして、はじめて「肝要」という文字に思い至ったのである。
 では、この「眼前」という誤字はいつ生じたのか。それは、筑前系/肥後系を横断して「眼前」の文字があることから、寺尾孫之丞の段階まで遡りうる書字である。
 おそらく寺尾孫之丞は、武蔵が書いた草体文字「肝要」を、「眼前」と誤読したのである。武蔵の能筆書字では、そうとしか読めなかったのだろう。「敵をおびやかす事は、明白である」という文意に読んだ。そして寺尾は、写本にその《眼前也》と書いて、それを門人らに伝授したのである。
 しかし、《敵をおびやかす事、眼前也》では、やはり文意は通らない。かくして、迷惑したのは、つまり、迷い惑ったのは、道統末裔である。
 筑前系の立花=越後系は、寺尾の書字そのままを伝えたが、同じ筑前系の早川系では、これを《眼前の事也》として「の事」二字を書き加えた。これは「眼前」という語を、「明白な」という寺尾孫之丞の意味ではなく、「目の当たり」と解釈したため、《眼前也》では意味が通らぬ、脱字があるだろうとして、「の事」二字を挿入したのである。
 肥後系の方は、門外流出後のことだから、話はもっと乱妨である。《眼前の事にあらず》と書くようになった。これは、寺尾孫之丞段階の《眼前也》からすれば、複数回の誤写を経て、かようなかけ離れた文言に至ったものである。もちろん、これでは、ますます文意は通らないのだが、それもこれも、「眼前」という誤字がもたらした迷惑なのである。
 ともあれ、武蔵のオリジナル原稿を復元するかぎりにおいて、ここは、寺尾が読み取った「眼前」ではなく、「肝要」という字句でなければならぬ。まさに、「眼前」のことにあらず、である。
 以上の最新研究の結論から、我々のテクストでは、この復元文字「肝要」を採っている。周知の如く、我々の五輪書読解研究は、自余の諸研究と比較すれば、数段階先に進んでいる。まさに、その一例は、このような間テクスト的分析と、それによって導出される語句復元が推進されているところにある。

 さて、そこで、この箇処の既成現代語訳を見る必要はあろうか。
 というのも、既成現代語訳は、どれも細川家本を底本とする(と称する)ものである。肥後系諸本の例にもれず、細川家本も、これを《眼前の事にあらず》と書く。したがって、こうした明白な誤記を有するものを原文とするのだから、語訳以前に錯誤があると言うべきである。
 それゆえ、訳者には原因はないのだが、この誤記をそのまま受け取る羽目になった既成現代語訳は、これをどう処理しているか、それを一通り見ておくのも、五輪書翻訳史を跡付ける意味で、無駄ではあるまい。
 まず、戦前の石田訳は、《眼前の事にあらず》を、「眼に見える物によるばかりではない」と訳した。これは、「ばかり」という語を密輸した意訳であるが、もしそうであれば、原文は、《目に見ゆる物のみにあらず》と記していたはずである。ここで、どうして《眼前の事にあらず》という語句になっているか、そのことを疑うことをしないから、こういう無理やりの語訳/誤訳になる。ようするに、「眼前の事」を、可視/不可視の問題として読むのがあやまりである。
 ところが、《眼前の事にあらず》を、可視ではなく不可視の問題だとして読むという、石田訳が敷設したこの路線に、戦後の現代語訳もそのまま乗ってしまった。神子訳は「目に見えることでおびやかすだけではない」とした。しかし、細川家本原文に、《小を大にしておびやかし、亦、かたわきより、不斗おびやかす事》とあるのが、どうして不可視のことになるのか、これこそ目に見えることで脅やかすことであるはずだが、訳者は自身の語釈の破綻に気づかないもののようである。
 その後の岩波版注記では、神子訳を「目に見えることだけではない」というぐあいに若干修正した。しかしそれだけのことで、語釈は相変わらずであり、新しい工夫は何もない。しかも、続く現代語訳は、大河内訳・鎌田訳のように、例によって、岩波版注記の文言を、鸚鵡のように反復する始末である。
 細川家本(あるいは岩波版)しか知らないから、こういう無理やりの珍訳ばかりになってしまうのである。これも、もとはと云えば、細川家本の誤記に起因することではあるが、しかしその細川家本も、先行する写本の誤記を引き継いだだけである。その先行写本もまた、それ以前の写本の誤記を引き継いでいた…というわけで、ようするに、何段階も経て、この細川家本に行き着いた誤記なのである。
 かようなことは、我々の五輪書研究の進展の結果、はじめて判明したことである。肥後系諸本ばかりを見ていてはわからず、またそれに加えて、筑前系も、早川系諸本のみを見てもわからないことである。
 それが、新たに越後系諸本を発掘したことにより、それら諸本を見て、ようやく、問題箇処の原型が《眼前也》という文言であったとわかった。そしてそれが、寺尾孫之丞段階で誤写されたものであり、「眼前」という文字の正体は「肝要」だったと知れたのである。我々の五輪書研究も一道一路ではなく、こういう紆余曲折を必要としたのである。   Go Back

*【吉田家本】
《敵をおびやかす事、眼前の事也
*【中山文庫本】
《敵をおびやかす事、眼前の事也
*【鈴木家本】
《敵をおびやかす事、眼前の事也
*【立花隨翁本】
《敵ををびやかす事、眼前也
*【赤見家甲本】
《敵ををびやかす事、眼前也
*【近藤家甲乙本】
《敵をおびやかす事、眼前也
*【石井家本】
《敵をおびやかす事、眼前也
*【楠家本】
《敵をおびやかす事、眼前の事ニあらず
*【細川家本】
《敵をおびやかす事、眼前の事にあらず
*【富永家本】
《敵をおびやかす事、眼前の事にあらず
*【狩野文庫本】
《敵をおびやかす事、眼前の事ニあらず



立花隨翁本
むかつかする事「肝要也」
おびやかす事「眼前也」



吉田家本 「眼前の事也」


細川家本 「眼前の事にあらず」






*【現代語訳事例】
《大の兵法でも、敵を脅やかすには、眼に見える物によるばかりではない》(石田外茂一訳)
《大勢の合戦にあって、敵をおびやかすというのは、目に見えることでおびやかすだけではない》(神子侃訳)
《大勢の合戦にあって、敵をおびやかすというのは、目に見えることだけではない》(大河内昭爾訳)
《多人数の戦いにあって、敵をおびやかすこととは、目に見えることだけではない》(鎌田茂雄訳)


 
   16 まぶれる
【原 文】

一 まぶるゝと云事。
まぶるゝと云ハ、敵我ちかくなつて、
たがひに強くはり合て、
はかゆかざるとミれバ、
其まゝ敵とひとつにまぶれあひて、
まぶれ合たる其内の利を以て勝事、肝要也。
大分小分の兵法にも、
敵我かたわけてハ、たがひに
心はりあひて、勝のつかざるときハ、
其まゝ敵にまぶれて、
たがひにわけなくなるやうにして、
其内の徳を得て、其内の勝をしりて、
強く勝事、専也。能々吟味有べし。(1)

【現代語訳】

一 まぶれるという事
 まぶれる*〔混り合う〕というのは、敵とこちらが接近して、互いに強く張り合って、捗が行かないと見れば、すぐさま敵と一つにまぶれ合って、まぶれ合ったその最中の利〔優位〕によって勝つこと、これが肝要である。
 大分小分〔多数少数〕の兵法においても、敵と我方とを区分していては、互いに心が張り合って、(なかなか)勝ちに至らない。そのときは、すぐさま敵にまぶれて、(敵と)互いに区別できないようにして、その最中の徳〔得、有利〕を得て、その最中の勝機を把握して、しっかりと勝つこと、これが専〔せん〕である。よくよく吟味あるべし。
 
  【註 解】

 (1)其まゝ敵とひとつにまぶれあひて
 ここは、混戦状態にもち込んで勝つという方法である。
 むろん個人戦ではなく、多数少数の違いはあれ、集団戦の話である。武蔵が珍しく集団戦のみの話をしているのが、この段である。
 武蔵の教えは、敵我互いに強く拮抗して、その膠着状態のまま決着がつかないと見れば、すぐさま「敵と一つにまぶれ合う」、つまり混戦状態にもち込め、という趣旨である。つまりは、渾沌戦法である。
 この《まぶるゝ》という語は、日葡辞書に、《ドロニmabururu(まぶるる)》とあり、現代語では「泥にまみれる」とそのまま残り、また「塩をまぶす」といった表現にも残存している。要するに、「塗〔まみ〕れる」であるが、かたや「まぎれる」でもある。分別区別できないほど紛らわしくなる、の意である。いづれにしても、b音−m音−g音という子音転化があって、語義の似たこれら諸語が、ゆるい連合関係を形成しているのである。
 それで、《まぶるゝ》という語は、ここで、相互に混合して区別がつかなくなるという意味で使われているから、現代語では「まぎれ合う」が最も近い語義である。我々は、それゆえ現代語と紛らわしいので、「まぶれる」とそのままにして、とくに語訳はしないのである。
 《敵とひとつににまぶれあひ》というのは、自他の区別がつかなくなるほど、混じり込んだ混戦状態である。すなわち、
《其まゝ敵にまぶれて、たがひにわけなくなるやうにして》
とも云う状態、つまり、自他の区別がつかなくなるほど紛れあったかたちである。
 敵我張り合って拮抗する状態になって、捗が行かない、――その事態を打開する方法として、前にあった教えは、「四つ手をはなす」の教えである。敵もこちらも同じ心持になって、張り合う気持になったなと思ったら、すぐさまこの気持を捨て去って、まったくちがう別の利で勝つ、という話であった。
 しかしながら、この「まぶるゝ」で武蔵が言うのは、それとは逆の戦術である。すなわち、「はなす」のではなく、全く反対に、「敵と一つにまぶれあう」のだから。
 常識的には、「四つ手をはなす」の方がわかりよい。いったん敵から離れて、体勢を立て直して攻撃する。しかも、我が方は一団となって固まっていた方が、戦いに有利なように思われる。
 となると、敵我の自他明確に対立して戦う搆図である。武蔵のいう《敵とひとつにまぶれあふ》状態ではない。それゆえ、ここでの《敵にまぶれて、たがひにわけなくなるやうにして》という戦い方は、常識に反しているのではないか――というのが、おおかたの感想であろう。
 ところが五輪書に一貫しているのは、そういう常識的な戦い方ではなく、敵の予想もしない奇手も使うという教えである。要するに、武蔵の戦法は基本的に、臨機応変のゲリラ的な遊撃戦である。
 五輪書を書く時、武蔵の念頭にあったのは、他の兵法書の常識的な戦術教訓であろう。そうした既成兵法書の常識を構成するのが、いわば秩序意識である。そのような思考のスタティックな秩序性を批判するかたちで、こうしたゲリラ的戦法が対置されているのである。
 こういう混戦へもち込む混乱戦術が、有効かどうかは知らない。また、だれも知らないだろう。
 人はだれでも、戦場で実際に戦うのは、生涯に指で数えるほどしかない稀なことである。だれも大した戦闘経験はもたない。それゆえ陣形の秘法を示す兵法書が存在するのだが、その著述者自身が大した経験をもっていないのである。
 それはどんな時代でもそうである。今日、経済の学者や評論家はいても、経済のプロがこの世に存在しないのと同じように、かつて戦争のプロなどこの世に存在しなかった。戦争のプロのような顔をして垂訓するのは、ようするに、詐術者(imposter)である。
 武蔵をして五輪書を書かせた動因には、そういう現状批判があったものと思われる。従来一部に、武蔵は実際の合戦経験が大してないのに、合戦指導のようなことを書いている、という奇妙な批判があった。しかし、五輪書を読めば明らかなように、この書は普遍的な入門書であると同時に、批判の書である。そういう武蔵の、既存兵法書に対するクリティカルなスタンスがわからなければ、武蔵の教訓も理解できないであろう。
 武蔵の批判的なポジションがよく現れているのが、この「まぶるゝ」の条の混戦の教えである。このように《敵にまぶれて、たがひにわけなくなるやうにして》というゲリラ的な戦いは、おそらくシリアスな戦況においてこそ、リアルなものである。
 ここは、『孫子』(虚実篇)に、
《兵を形〔あらは〕すの極は、無形に至る》
とある、その「無形」のパラドックスを参照して語ることもできよう。しかし、ここでも武蔵の「まぶれる」渾沌戦法の方が具体的で実戦的であろう。
 だれしも自他を明確にした秩序ある搆図で戦いたい。これに対し武蔵の戦法は、そうした同一性(identity)の秩序空間を破砕し、混乱にもちこむのである。まさにそのカオティックな混乱のなかから勝利をつかめ。――それが武蔵の教えである。
 武蔵という思考が極めて興味深いのは、こういうところがあるからだ。このあたり、武蔵の戦闘思想の面目であるが、しかしながら、これを以上のように読みえた武蔵論を、我々は知らない。まさにそれこそ、五輪書という書物の不幸であった。

――――――――――――
○此条諸本参照 →  異本集 






まぶれる









東京国立博物館蔵
大坂冬の陣図屏風





出光美術館蔵
大坂夏の陣図屏風











*【孫子】
《故形兵之極、至於無形、無形、則深阨s能窺、智者不能謀、因形而錯勝於衆、衆不能知、人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形、故其戦勝不復、而応形於無窮》(虚実篇)

 ここで諸本校異の問題に立ち入れば、この段にはとくに指摘すべき大きな校異はなさそうにみえるが、ひとつ、筑前系/肥後系を截然と分ける校異がある。
 それは、冒頭ちかく、筑前系写本には、《敵我ちかくなつて》とあるところ、肥後系諸本には、《敵我近くなつて》と、「手」字を入れる。「手」字の有無が校異の問題である。
 これは、いづれが是か、必ずしもどちらともいえないケースなのだが、筑前系諸本を通じて、「手」字を入れないのだから、従前の《inter-textual》な判断基準からして、これが古型であるとみておく。ただし、この《近く》は、肥後系諸本に共通する字句であるから、肥後系早期にすでに存在したものであろう。
 また別の校異の問題では、たとえば、筑前系諸本のうち、早川系の吉田家本・中山文庫本に、《敵我ちかくなつて、たがひ強くはりあひて》とあるところ、同じ筑前早川系でも鈴木家本は、《たがひ強くはりあひて》として、「に」字を入れる。もちろん、同じ筑前系の立花増寿本はじめ立花=越後系諸本にも、ここを《たがひ》として、「に」字を入れている。
 肥後系諸本を横断してみるまでもなく、これは、《たがひに》とあるべきで、早川系の吉田家本・中山文庫本は、その「に」字を脱字せしめたのである。筑前系において、立花・早川系分岐以後の偶発的誤写である。
 あるいは逆に、立花=越後系諸本が、《たがひに心はりあひて、勝つかざるときは》として《勝事》と記すところ、この《勝事》は、《勝の》とあるべきところであり、「事」字は誤記である。これは、立花増寿本に《勝事》とするから、越後で発生した誤写ではなく、それ以前の筑前において、立花系が分岐した以後の誤写である。
 これらは、早川系と立花=越後系を区分する指標的相異である。それとともに、空之巻を除く吉田家本四巻が、立花系と分岐した後の早川系に属することの証拠である。
 あるいはまた、別の校異を挙げれば、肥後系諸本のうち、細川家本が、《まぶれあいたる其うち利を以て、勝事肝要なり》として、《其うちに》するところ、これは「に」字ではなく「の」字の誤写である。
 また細川家本に関して、前にもあることだが、ここでも末尾に、《克々吟味あるべし》として、《克々》という文字を記す。諸本共通の《能々》が、細川家本では、この異字《克々》に変異している。まさに特異例である。
 この異字は、細川家本と同系統の常武堂本にも現れる文字であるから、細川家本・常武堂本系統の祖本において発生した異字である。もとより、比較的近縁関係にある楠家本でさえ見られない書字である。
 何れにしても、これはその祖本の作成者による恣意的な異字変換である。つまり書写者は、つい、自己流に《克々》と書いてしまったのである。言い換えれば、これは伝承責任のない門外漢による筆写を示す特徴である。
 細川家本に至るまで、それ以前に書写がいくつも介在したのだが、これは、細川家本の祖本、もしくは前の写本にあったものである。かような異字は恣意的操作にすぎないのであるが、それを継承したという点で、いわば、細川家本系統の後発的写本としてのポジションが露呈したところである。   Go Back

*【吉田家本】
《敵我ちかくなつて、たがひ【】強くはりあひて》《たがひに心はりあひて、勝のつかざるときハ》
*【中山文庫本】
《敵我近くなつて、たがひ【】強くはり合て》《たがひに心はりあひて、勝のつかざるときハ》
*【鈴木家本】
《敵我ちかくなつて、たがひ強くはりあひて》《たがひに心はりあひて、勝のつかざる時》
*【立花隨翁本】
《敵我ちかくなつて、たがひ強くはりあひて》《たがひに心はりあひて、勝事つかざるときは》
*【赤見家甲本】
《敵我ちかくなつて、たがひ強くはりあひて》《たがひに心はりあひて、勝事つかざるときは》
*【近藤家甲乙本】
《敵我ちかくなつて、たがひ強くはり合て》《たがひに心はりあひて、勝事つかざるときは》
*【楠家本】
《敵我ちかくなつて、互つよく張やいて》《互に心張合て、かちのつかざる時ハ》
*【細川家本】
《敵我近くなつて、互強くはりあひて》《互に心はりあいて、かちのつかざる時は》
*【富永家本】
《敵我近く成て、互強く張合て》《互に心張合て、勝の付ざる時ハ》


*【肥後系五輪書系統派生図】

○寺尾孫之丞―早期写本…流出…┐
 ┌―――――――――――――┘
 ├…………………富永家本 能々
 |
 ├…┬…┬……楠家本 能々
 | | |
 | | |異字発生
 | | └◎┬……常武堂本 克々
 | |   |
 | |   └…細川家本 克々
 | |
 | └…………丸岡家本 能々
 |
 └…流出……円明流系諸本 能々


 
   17 角にさわる
【原 文】

一 かどにさはると云事。
角にさはると云ハ、ものごと、強き物をおすに、
其まゝ直にはおしこミがたきもの也。
大分の兵法にしても、
敵の人数を見て、はり出強き所のかどに
あたりて、其利を得べし。
かどのめるに随ひ、惣もミなめる心あり。
其める内にも、かど/\に心を付て、
勝利を得事、肝要也。
一分の兵法にしても、
敵の躰のかどにいたミを付、
其躰少も弱くなり、くづるゝ躰になりてハ、
勝事安きもの也。此事能々吟味して、
勝所をわきまゆる事、専也。(1)

【現代語訳】

一 角にさわるという事
 角〔かど〕にさわるというのは、どんなものでも、強いものを押す場合、すぐさま真っ直ぐに押込むのは難しいものである。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、敵の人数〔軍勢〕を見て、張り出しの強い部分の角を攻めて、その利を得るべし。角がめる〔へこむ〕にしたがって、全体も皆める〔へこむ〕気分になる。そのめる〔へこむ〕うちにも、あちこち他の角に狙いをつけて、勝つ利を得ること、これが肝要である。
 一分の兵法〔個人戦〕にしても、敵の体の角を痛めつけて、その体勢が少しでも弱まり崩れる格好になったら、勝つことは容易である。このことをよくよく吟味して、勝ちどころをわきまえること、それが専〔せん〕である。
 
  【註 解】

 (1)はり出強き所のかどにあたりて、其利を得べし
 ここは、強力な敵を相手にする場合の、その攻略法である。
 どんな場合でも強いものを押すとなれば、真っ直ぐに押し込む正攻法では難しい。そこで、武蔵のいうのは、《角にさはる》である。
 むろん、ここにいうのは、《はり出つよき所》へあたれということではない。その角、つまり《はり出つよき所のかど》へあたれということである。
 ここで語釈が必要が必要であろう。
 まず、この《角にさはる》とは、角(隈)に手をつけるという意味である。《さはる》は、かるく手をつけてみて、様子を見るというニュアンスがある。
 ここに書かれているのは、《はり出つよき所》へあたれということではない。その角、つまり《はり出つよき所のかど》へあたれということである。
 「角」(かど)は、ここでは稜角の意の突出部分でなく、「すみ」の意味の角である。現代標準語の語感では、「かど」「すみ」の使い分けをするようだが、もとは「かど」「すみ」の語の区別はさして明確ではない。じっさい「角」という字に、「かど」「すみ」と二通りの読みが残っている次第である。英語のコーナー(corner)には、この「角」のニュアンスがある。
 したがって、「角(隈)」と表記して角のこの語義を示してもよいが、むしろこの語に関しては、「角」を「かど」と読んで、「すみ」の意味をとる、という頭の使い方をすることである。要するに、ソシュール流に言えば、シーニュ(sign)は「角」で、シニフィアン(signifiant)は「かど」だが、シニフィエ(signifie)は「すみ」である。
 さて、《角にさはる》とは、角(隈)に手をつける、である。強力な敵に対しては、正面や中央を攻めるのではなく、角(隈)から手をつけろ、という教えである。張り出しの強い部分の正面中央を押そうとするのではなく、その角/隅の方から攻めて行け、ということである。これも、前条「まぶるゝ」と同様に、ゲリラ的戦法であったかもしれない。
 角を攻めて、その角が崩れて、へこむ。――これを武蔵は《める》と言う。この語は、前出の《めりかり》の「めり」である。勢いが減衰すること、崩れて弱り、へこむことである。現代語でも「めりこむ」とかいって、陥没することを云うから、語義はさして変らない。
 そうして、敵の角を攻撃して、それが「める」につれて、全体が皆「める心」になってしまう。闘志が衰え、志気が下がるのである。角(隈)から全体へ「めり」が波及して、さらにあちこち角を狙い撃ちにして攻撃すると、さしもの強力な敵も弱り、ついには崩れる。――正攻法で正面あるいは中央を攻めるのではなく、角(隈)から手をつける戦法の要諦は、そのことにある。
 この「角にさはる」戦法は、合戦のような集団戦がモデルだが、武蔵はこれを一分の兵法、つまり一人の戦いでも適用可能な戦術とする。
 《敵の躰のかどにいたみを付》とは、相手の身体の中心部ではなく、手など端部を痛めつけて、ということである。今日我々が「痛めつける」と云う言葉の先祖は、この「痛みを付ける」なのである、しかし、ここは「躰」であって「身」ではない。これには「体勢」の含意もある。敵の体勢を徐々に弱らせて、最後に撃破するのである。
 徐々に損傷を積み上げるこうした戦い方をするのは、強い相手のときであろう。武蔵は強力な戦闘者だが、自身がそうであるだけに、この教えはなかなかリアルで、興味深い。というのも、武蔵自身はこの戦法はとらなかっただろうに、ここは、凡人である読者を対象にした、普遍的な教えを説く五輪書のこと、むしろこういう手段、――弱き者が強い敵を倒す方法も教えたのである。

――――――――――――

 ここで、語釈の点につき、若干の問題がある。岩波版注記は、「角」という語について、「強く張り出している所。重要な拠点」というのである。おそらくこれは、岩波版注記に含まれる誤釈のなかでも五指に数えうる珍解釈であろう。
 要するに、細川家本の《はり出つよき所のかど〔角〕にあたりて》とあるところを読んで、「はり出つよき所=角」と誤解してしまったのである。しかしここは、張り出しの強い部隊があるとして、その陣立の角(隈)、つまり――正面中央ではなく――端部であることは言うまでもない。
 そればかりか、「角」(隅)が「重要な拠点」だというのである。まったく逆さまの語釈である。この珍解釈の典拠は不明であるが、思慮の足りない粗忽ぶりからして、この《角にさはる》の教え全体の基調さえ見ていないようなのである。
 武蔵の教えとは、「張り出しの強い部分の正面中央への正攻法ではなく、――重要でもなく拠点でもない――角(隈)の方から手をつけて、へこませろ。そうすれば、そのうち全体もへこんで崩れる」とするものである。重要な拠点から手をつけろとは教えていない。話は逆である。
 繰り返せば、ここに書かれているのは、《はり出つよき所》へあたれということではない。その角、つまり《はり出つよき所のかど》へあたれということである。岩波版注記は、要するに文言を読んでいないのである。
 とすれば、既成現代語訳はいかがであろうか――と思えば、どれもこれも同じように、この箇処をまとも読めていないのである。
 まさしく語釈上の問題の焦点は、「角」という語だったらしい。神子訳は、「突出した所を攻撃する」と書いて、「かど」という語を抹消している。ここで、突出した所=角という誤訳が発生したようである。上述の岩波版注記は、不用意にもこの神子訳の路線に乗ってしまったのである。
 かくして、神子訳以来、「角」は突出部分と決まったらしい。大河内訳・鎌田訳は、神子訳が消した「角」を復活させているが、《はり出つよき所のかど〔角〕》の文意がわかっていない。だから、神子訳をなぞるだけである。
 ただし、神子訳は《める》という語をほどほどに訳せているが、それに対し、鎌田訳は、この《める》を「減る」と誤訳して、突出した角が減ると、全体も勢いがなくなる、と記している。大河内訳は、岩波版注記の「重要な拠点」なる珍解釈を頂戴して、《かど/\》を「要所、要所」とする。いかにもお粗末としか言いようがない。

――――――――――――

 ところで、ここでは、校異の問題として指摘すべき箇所があろう。それは、筑前系諸本と肥後系諸本を截然と区分する指標的差異である。すなわち、筑前系諸本に、
《其めるうちにも、角々に心を付て、勝利を事、肝要也》
とあって、《心を付て》《勝利を得》とするところ、肥後系諸本には、《心得て》《勝利を受る》としている。これは歴然たる相異であるが、筑前系諸本は越後系も含めて共通するところなので、筑前系初期に、《心を付て、勝利を得》とする文言がすでにあったのである。
 これに対し、肥後系では、富永家本や円明流系統諸本まで、基本的に同様であるから、肥後系早期には、このように、《心得て、勝利を受る》という文言が出来上がっていたようである。
 ただし、これには例外があって、丸岡家本は、後者の《勝利を受る》を、《勝利を得る》としていて、筑前系諸本と同じである。しかし、これは丸岡家本が、古型を保存しているということではなく、二次的な偶発的誤記であろう。つまり、肥後系写本ではいったん《勝利を受る》となっていたのを誤写したものであろう。
 ともあれ、この筑前系/肥後系の相異については、筑前系諸本では、越後系も含めて共通するところなので、既述例のごとく、筑前系初期に、《心を付て、勝利を得》とする文言があり、それゆえ、他方、肥後系の文言は、後に生じた肥後ローカルな変異であるとみなしうる。
 もちろん、文意の点で言えば、「角々に心得る」では、何を心得るのか、文意不通である。これは、「角々に心を付ける」とする筑前系の語句の方が妥当である。また、肥後系の「勝利を受ける」では不適切である。これも「勝利を得る」とする筑前系の語句の方が、文意からして正しい。
 おそらく、肥後系早期写本の段階で、《心を付て》の「を付」の二字を、「得」一字に誤読したのが最初であろう。また《勝利を得》の「得」字を、「うる」と仮名書きした後に、さらに次の段階で、「うる」を「うくる」として「く」字を錯入したものらしい。これは直前に、《得て》と書いているので、重複を避けたということのようである。その段階の痕跡は、楠家本や狩野文庫本の《うくる》という仮名表記に残っている。ようするに、数段階の誤写を経て、肥後系の《心得て、勝利を受る》という文言が出来上がったのである。
 したがって、肥後系のこの文言は、これが肥後系早期のものだとしても、寺尾孫之丞段階にまで遡れない変異である。というのも、数段階の誤写を経なければ、ここに至らないからである。すなわち、この語句変異は、門外流出後のことであり、それゆえ筑前系諸本のあずかり知らぬところで発生した誤記だということである。
 こうしたことも、肥後系諸本ばかり見ていては解らぬ事態である。筑前系諸本まで横断してみてはじめて判明するところである。従来の肥後系諸本中心の知見に囚われていては、五輪書研究は進捗しない。武蔵流に云えば、はかが行かないのである。   Go Back
○此条諸本参照 →  異本集 






角にさはる




座卓の「角」





赤見家甲本 当該箇処






















*【現代語訳事例】
突出した所を攻撃することによって、優位に立つことができる。突出した部分が勢いをなくすと、全体も勢いがなくなってくる。その勢いのなくなってくるなかでも、出た所、出た所を衝いて勝利をおさめていくことが大切である》(神子侃訳)
《その突き出たところのを攻撃することによって、優位に立つことができる。角の勢いがなくなると、全体の勢いもなくなるものである。その勢いのなくなってくる間にも、要所、要所を衝いて勝利をおさめていくことが大切である》(大河内昭爾訳)
《強く突出した所のを攻めて、優位に立つことができる。突出した角が減ると、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなるなかにも、出ている所、出ている所を攻めて、勝利を得ることが大切である》(鎌田茂雄訳)




*【吉田家本】
《角々に心を付て勝利を事肝要也》
*【中山文庫本】
《角々に心を付て勝利を事肝要也》
*【鈴木家本】
《角々に心を付て勝利を事肝要也》
*【立花隨翁本】
《かど/\に心を付て勝利を事肝要也》
*【赤見家甲本】
《かど/\に心を付て勝利を事肝要也》
*【近藤家甲乙本】
《かど/\に心を付て勝利を事肝要也》
*【石井家本】
《かど/\に心を付て勝利を事肝要也》
*【楠家本】
《かど/\に心て勝利をうくる事肝要也》
*【細川家本】
《かど/\に心て勝利を受る事肝要也》
*【丸岡家本】
《かど/\に心て勝利を得る事肝要也》
*【富永家本】
《角/\に心て勝利を受る事肝要也》
*【狩野文庫本】
《角々にて勝利をうくる事肝要也》


 
   18 うろめかす
【原 文】

一 うろめかすと云事。
うろめかすと云ハ、敵にたしかなる心を
もたせざるやうにする所也。
大分の兵法にしても、
戦の場におゐて、敵の心をはかり、
我兵法の智力を以て、敵の心をそこ爰となし、
とのかうのと思はせ、おそしはやしと思はせ、
敵のうろめく心になる拍子を得て、
たしかに勝所をわきまゆる事也。
又、一分の兵法にして、
時にあたりて、色々のわざをしかけ、
或ハうつとミせ、或ハつくと見せ、
又ハ入こむと思はせ、敵のうろめく氣ざしを得て、
自由に勝所、是戦の専也。
能々吟味有べし。(1)
【現代語訳】

一 うろめかすという事
 うろめかす*というのは、敵に確固たる心を持たせないようにする、というところである。
 大分の兵法〔合戦〕にしても、戦いの場において、敵の心を推計り、こちらの兵法の智力をもって、敵の心を翻弄し、あれやこれやと思わせ、遅すぎる早すぎると思わせ、敵がうろめく心になる拍子をとらえて、確実に勝つ、そこをわきまえることである。
 また、一分の兵法〔個人戦〕では、その時々に応じて、いろいろの業を仕懸け、あるいは打つと見せ、あるいは突くと見せ、または入り込むと思わせ、敵がうろめく気持になるのをとらえて、自由に〔思いのままに〕勝つところ、これが戦いの専〔せん〕である。よくよく吟味あるべし。
 
  【註 解】

 (1)敵のうろめく心になる拍子を得て
 これは前にあった「むかづかする」「おびやかす」と一連の心の作戦である。敵の心を迷わせ、うろうろさせる。《うろめく》には、浮き足立ち、おろおろする、あるいは、あわてて前後の見境もなく分別のないことをする、という意味もある。
《御旗ぶぎやう衆うろめきたるを聞召けるや》(三河物語 三)
という用例もあるところである。
 《うろめく》という語は、方言に「おろめく」とも云い、現代にも残る言葉である。訳さずとも、通じるであろう。これが本節のタイトルでもあり、またとくに、「うろうろ、おろおろ」という語のニュアンスを保存するため、我々の語訳では、《うろめかす》をあえて訳さない。
 この語さえ片づいたら、ここでの教えは、とくに解説がなくとも読めるであろう。敵をうろめかすのは、敵に確固たる心をもたせないためである。あれこれ仕掛けて敵の心を撹乱する。そうして敵のうろめくところを捉えて、そこにつけ込んで勝つ、という次第である。
 繰り返せば、要するに武蔵の教えのスタンスでは、「敵を知れ、敵の心を読め」ということはさして重要としない。むしろ逆に、解釈するよりも行動しろ、――こちらのアクションによって、敵の心の動揺を「生産」しろ、という行動のパフォーマティヴな生産性(performative productiveness)に賭けるのである。
 逆に言えば、敵が何を考えているかは、どうでもいい。そんな考えなど吹っ飛ばすように、陽動作戦を仕掛けて心を撹乱し、状況を見失わせればよいのである。
 このあたり、前に「ゲリラ的」と言ったが、まさに同じ路線の話である。武蔵は戦いの「王道」は語らない。教えの多くに一貫しているのは、ゲリラ的遊撃戦と陽動作戦で、敵の心を撹乱し混乱させて、その動揺を衝いて撃破する、という戦法である。
 これでは「剣聖武蔵」に似合わない?――それはもっともな話である。ところが、五輪書に堂々たる戦いの王道を期待する方が間違っているのである。現実の戦争には、王道など存在しない。むしろ、リアルな戦場では、こうしたゲリラ的遊撃戦が溢れているはずである。
 戦国のエトスは、勝つためにはどんな手段でもとる、ルールのない「なんでもあり」の世界である。もしゲリラ的武蔵が、剣聖武蔵を裏切るなら、それが正しいのである。戦いに王道なし、は武蔵の教えに一貫した基調のスタンスである。
 武蔵が本書で再三言うのは、一人で十人二十人に勝つということ、千人で万人に勝つということである。ようするに、この桁違いの相手でも勝つ戦法を、再三強調して語るところをみれば、遊撃者のゲリラ的戦法こそ、武蔵流兵法の要であったと知れるであろう。
 こうした武蔵のゲリラ的戦法の教えは、五輪書を閲かなくとも、武蔵の戦闘論として巷間に伝聞されたもののようである。その結果、さまざまな武蔵伝記のなかで登場する武蔵像が形成されたのである。とくに決闘の場にわざと遅れたり、突如として不意打ちを仕掛ける――卑怯な――武蔵がそれである。
 しかし、そういう秩序性志向の武蔵論については、武蔵流兵法はゲリラ的だった、と言えば話は済む。本書の教えを見るかぎり、堂々と正面から戦えという無謀な教訓はない。むしろ兵法の智力をもって戦え、敵を撹乱する奇手を駆使せよ、といった「斜め」の教えが多い。前に述べたように、こうした傾向は、やはり既成兵法書に対するアンチテーゼとしてあるように思われる。
 それゆえ、これから忽ち想起されるのは、『孫子』(兵勢篇)の、
《凡そ戰は奇を以て勝つ》
というテーゼである。すなわち、およそ戦いは奇襲作戦によって勝つものだとするのである。「奇」は「正」に対する概念だが、この「奇」について、孫子関連文書には、《形を以て形に対するは正、無形を以て形を制するは奇なり》とある。この「無形を以て形を制する」とある定義は、五輪書を読むためにも記憶しておいてよい。
 しかし、さらに言えば、『孫子』のあれほど有名なテーゼ、
《兵は詭道なり》(始計篇)
《兵は詐を以て立つ》(軍争篇)
がある。これを、ここで引くのはあまりにも当然で、むしろ芸のない噺であろうが、戦いとは騙し合いである(兵は詭道なり)とは、まさしく戦いの本質の喝破道得に他ならない。
 《兵は詐を以て立つ》という『孫子』(軍争篇)のこの部分の意味は、
 ――戦いは詐術をもってなりたち、利に従って行動し、分散集合をもって変化するものである。それゆえ、その迅速なること風のごとく、その徐やかなること林のごとく、侵略すること火のごとく、識別しがたいこと陰のごとく、動かざること山のごとく、動くこと雷鳴のごとくでなければならない。里郷を略奪しては多数に分かち、土地を占領してはその利益を分かち、よく状況を判断したうえで動く。「迂直の計」を先に知るものが勝つ、これが戦争の原則である――ということである。
 この「迂直の計」とは、通常は急がば廻れと解されるが、むしろ、二点間の最短距離は直線ではないという、非ユークリッド幾何学に属する思考であるもののごとく、一種の遊撃奇襲の謀りごとである。
 また、この『孫子』の部分に依拠して、《其疾如風、其徐如林、侵掠如火、知難如陰、不動如山、動如雷霆》の文言から武田信玄の「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と記した幡があった、また「風林火山」なる四文字を書した幡は本当はなかったことも、それを言えば、やはり蛇足というものであろう。
 言うなれば、『孫子』に依拠するまでもなく、古来、戦いはまさに詐術をもって勝つのであって、それ自体、反道徳的な、アモラル(amoral)な行為である。武蔵のリアリズムというが、それは特に武蔵に限ったことではなく、諸子百家の時代からそうだったのである。改めて言うまでもないことである。
 しかしながら、武蔵の時代、「武」がまさに美学化し道徳化してしまおうとする徴候のあるとき、武蔵のアモラルなポジションは、やはりどうしても反時代的なものであったようだ。
 このことは、たとえば『兵法家伝書』の柳生宗矩の、右掲のような《虚偽は最終的に真となる》という正当化の論理とはまったく違っている。ここで宗矩のいう「表裏」〔ひょうり〕とは策略のことである。宗矩の論理はまず、以下のようなものである。
 ――「表裏」〔策略〕は兵法の根本である。これは策略と思いながらも、仕掛けられるとそれに乗らずにはおれないものである。当方が策略を仕掛けると敵が乗ってくる、乗るのを乗らせて勝つ。相手が乗ってこないときにも、乗ってこないと判れば、また、こちらから仕掛ける。そうすると、敵が乗らぬ場合も、乗ったことになる。
 これは策略の仕掛けと、相手を乗らせる話である。乗らせて勝つ――これが計略だが、相手が策略だと知って乗ってこない場合でも、乗ってこないという反応それ自体が、すでに当方のアクションに対するリアクションであり、すでに策略に乗っていることになる。こういう敵我関係の再帰的構造は、むろんよく知られていたことである。
 ところで宗矩が言うのは、これは仏教でいう「方便」と同じことだという説明である。つまり、方便は、真実を内に匿し外には虚偽を出すが、これも最後には真実の道に引き入れるのであるから、虚偽もすべて真実となるわけだ。これを神祇(神道)では「神秘」と呼ぶ。秘密にすることによって人々の信仰を起こさせる。人を信じさせれば、その人を救えるのである。これと同じことは、武家では「武略」という。「略」とは虚偽のことであるが、この虚偽によって人命を損なわずに勝つ。そのときは、虚偽も結局は真実となるのだ。――という論理である。
 この虚偽も結局は真実となるというロジックは、それ自体を執ってみれば、ほどほどに興味深いものであろう。しかしながら、これは、いわば「日和見」の論理である、孫子の《兵は詭道なり》《兵は詐を以て立つ》という戦争本来の「悪」を引き受ける覚悟がない、――というよりも、これは確信犯の論理である。
 すなわち、宗矩はどこから語っているのか。宗矩はすでに兵法者=戦闘者のポジションを離脱し、覇権者に同伴する場所を占めている。覇権者は、他者の暴力を排除して、自身の暴力を正当化し、その悪を秩序の名の下に善にすり替える詭弁を弄するものである。かくして、宗矩は「武」の悪をむしろ善として正当化する、まさに偃武の論理の体現者であった。この策略の正当化の論理は、「殺人刀・活人剣」の論理と同型である。
 武蔵は決してそんな正当化をしない。覇権者の場所に同化するのではなく、あくまでも戦闘者のポジションを譲らない。人を救いもしなければ、おのれが救われもしない、本質的にネガティヴな悪の場所に留まる。
 あるいは、こうも言える。――分割不可能な自身の個(indivisual)の場所に、「武」という暴力本来の根源的な悪とともに留まる、と。それが武蔵の、道徳の彼岸としての倫理的ポジションである。
 したがって武蔵と宗矩の比較論をすれば、こうだ。――武蔵は倫理的ゲリラとして、宗矩のような覇権者の偃武の論理――ニーチェ流に言えば、勝者の論理――の虚偽を嗤うであろうし、宗矩は武蔵ほど暴力の悪について吹っ切れていないが、自身は確信犯であることによって「大悪」の場所、すなわち権力の場所を占める、ということである。
 だから、兵法書たる五輪書が、詭道や詐術といった「みもふたもない」、汚い裸の戦争の原則を繰り返し強調していることは、無視されるべきではない。すなわち、こうした武蔵の兵法論には、「あえて」する反時代的な言挙げがある。
 後に発生する道徳的な武士道の精神から五輪書を読んでしまう、という倒錯が今なお終熄しないのであるが、武蔵のいう「兵法の智力」とは、《兵は詭道なり》とするこのアモラルなリアリズムを踏まえたものである。こうした詭道が、戦国の行動原理であって、天下泰平の世の道徳的な武士道の精神とはまったく異なることは、強調しておくべきであろう。
○此条諸本参照 →  異本集 
















Ernesto Che Guevara Lynch
(1928〜1967)




毛沢東 (1893〜1976)
20世紀後半世界で最も名高い
兵法家。その戦術論は必読文献



*【孫子】
《凡戦者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也、聲不過五、五聲之変、不可勝聴也、色不過五、五色之変、不可勝観也、味不過五、五味之変、不可勝嘗也、戦勢、不過奇正、奇正之変、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之》(兵勢篇)






*【孫子】
《兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾きことは風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり》(軍争篇)



米沢市上杉博物館蔵
武田信玄配陣図屏風




*【兵法家伝書】
《表裏は兵法の根本也。表裏とは、おもひながらも、しかくれば、のらずしてかなはぬ者也。わが表裏をしかくれば、敵がのる也。のる者をばのらせて勝べし。のらぬ者をば、のらぬよと見付る時は、又こちらからしかけあり。然ば、敵ののらぬも、のつたに成なり。仏法にては、方便と云也。真実を内にかくして、外にはかりごとをなすも、終に真実の道に引入る時は、偽皆真実に成也。神祇には、神秘と云、秘して以て人の信仰をおこす也。信ずる時は、利生あり。武家には、武略と云。略は偽なれば、偽をもつて人をやぶらずして、勝時は、偽終に真と為也。逆に取て順に治と云是也》


芳徳寺蔵
柳生宗矩坐像






宮本武蔵像
――――――――――――

 さて、この段の諸本校異について。一つは、筑前系諸本のなかでの相異である。すなわち、吉田家本・中山文庫本・鈴木家本等の早川系では、
《我兵法の智力を以て、敵の心をそこ爰となし、とのかうのとおもハせ、おそしはやしとおもわせ、敵のうろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也》
とあるところ、それに対し、立花=越後系の近藤家本・石井家本・伊藤家本においては、《とのかうのとおもハせ》と《敵のうろめく心になる》の間に文字の脱落がある。つまり、《おそしはやしとおもわせ》という文言が欠けている。
 これは、早川系写本の方が正しい。というのも、筑前系/肥後系を横断して共通するばあい、それを古型とみなしうるから、このケースでは、《おそしはやしとおもわせ》という文言のあるのが本来のかたちである。
 越後系諸本におけるこの異変は、筑前系において早川系にはない脱字である。したがって、立花系/早川系の分岐以後の発生である。ただし、これがいつの段階のものか、つまり、筑前の立花峯均・増寿の段階ですでにあった脱字なのか、それとも越後で生じたものなのか、それが不明であった。しかし、新史料、立花隨翁本の発掘によって、そのケリがついたのである。
 すなわち、立花隨翁本にもすでにこの箇所の脱字があった。ということは、これは越後で発生した誤写ではなく、筑前に遡る変異である。しかるに、早川系諸本は、これを正記するから、これは立花系固有の誤記だと知れる。それが、五代立花峯均あるいは六代立花増寿、そのいづれかの段階で発生したということである。
 なお、この脱字については、興味深いことに、大瀧家本が同様に脱字を示している。この大瀧家本が、越後系諸本と同じ箇処に脱字を示していることは、これが越後系写本を参照したという証拠である。大瀧家本は他の箇処で述べたように、肥後系写本を底本として、その上で越後系写本を参照しているものであるが、その証拠の一つがこの箇処の脱字である。
 以上は筑前系諸本間の相異であるが、他の校異について、上記の同じ箇処での相異を挙げれば、筑前系諸本に、
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也》
とあって、《敵の》とするところ、肥後系諸本には、この「の」字を欠く。また、これに続く文で、筑前系諸本には、
《又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
とあって、《時にあたりて》とするところ、肥後系諸本には、《時にあたりて》と、「我」字を付す。

筑 前 系 肥 後 系
うろめく心になる拍子
敵【】うろめく心になる拍子
】時にあたりて
時にあたりて

 ようするに、一方では、「の」字が有れば、「我」字無し、他方では、「の」字が無ければ、「我」字有り、という具合で、有無凹凸があるのだが、これは筑前系/肥後系を区別する指標的相異である。しかも、双方、文意を損なうほどの異変ではない。
 この件について云えば、立花=越後系を含めて筑前系諸本に共通することからして、「の」字有り/「我」字無しの方は、筑前系初期からあった文言である。つまり、寺尾孫之丞前期に、すでに、「の」字有り/「我」字無し、のパターンであったと推測しうる。
 これに対し、「の」字無し/「我」字有りの方は、筑前系では存在しないパターンであり、肥後において、後になって発生したかたちである。つまり、肥後ローカルの誤記である。
 このように、肥後において、《敵のうろめく》の「の」字が欠け、また、《時にあたりて》の頭に衍字「我」が発生したのであるが、しかし、脱字は往々ありうることだとしても、この衍字「我」の方はいかがであろうか。どんなプロセスで発生したものか。――これは、五輪書校異研究において興味深いところなので、以下、若干これに関説してみることにする。
 まず、注目したいのは、早期に派生した系統の子孫である富永家本や円明流系狩野文庫本が、その前期形態を暗示していることである。すなわち、それを見るに、
《一分の兵法にしても、我時ニ當て》
とあって、「我」字の前に、「も」字も付す。この「も、我」二字を見て、そこから推測しうるのはどういうことであろうか。
 おそらく、門外流出後の肥後系早期において、まず、《にして、時に》と記す写本が出現していたのである。この《にして》という語句には「も」字が付属しやすい。それはたとえば、筑前系の中山文庫本でも、ここに「も」字を付して、《にしても》とする通りである。このように、《にして》という語句には「も」字が付きやすいという傾向がある。そこで、肥後系写本にも早々に、それが付いてしまったのである。
 その次の段階で、その「も」字が「我」字に変異した。これは、おそらく、「も」(茂)字を、類似の「我」字と誤読したのである。かくして、《にして、時に》と記す写本が現れた。――これが、楠家本・細川家本・丸岡家本など肥後系諸本が示す、《にして、我時に》という文言である。
 しかし、そこにとどまらず、次に、そこでも《にして》にやはり「も」字が付いて、《にして、我時に》というかたちになった。――それが、富永家本や狩野文庫本に遺蹟として残る文言である。
 以上のプロセスを要約すれば、以下のような変遷である。
「にして、時に」
 →「にして、時に」(衍字)→「にして、時に」(誤写)
 →「にして、我時に」(衍字)
 この経緯を見るに、衍字《も》は二度出現した、再帰したパターンである。しかし、《一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》では、「我」字のおさまりが悪く、文意不通である。そこで、円明流系統では、この「我」字を、類似字形の「戦」字に読み違えた写本が現れた。
 つまり、多田家本や稼堂文庫本のように、《一分の兵法にしても、時に當りて、色々の業を仕懸》と記すのである。こうすれば、文意は通るが、もとよりこれは、「我」字を、類似の「戦」字に誤読した誤記でしかない。
 以上のようなわけで、肥後系諸本の成立過程において、いろいろな変形が生じた。しかし、それも最初は、《にして、時に》に「も」字を付した《にしても、時に》が、たまたま現れたにすぎない。しかしこのとき付された「も」字が仮名「茂」であったために、爾後の混乱をもたらしたのである。
 再三申すことだが、これも、肥後系諸本ばかりを見ていてはわからないところである。また、肥後系諸本中心主義なる偏見があっても、見えない事実である。それゆえ、先入見を廃して広く諸本を比較照合することを、我々は後学の諸君に勧めるのである。   Go Back




*【吉田家本】
《とのかうのと思ハせ、おそしはやしとおもわせ、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【中山文庫本】
《とのかうのと思はせ、おそしはやしと思ハせ、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【鈴木家本】
《とのかうのと思ハせ、おそしはやしとおもわせ、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【立花隨翁本】
《とのかうのとおもハせ、【】、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【赤見家甲本】
《とのかうのとおもハせ、【】、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【近藤家甲乙本】
《とのかうのとおもハせ、【】、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【石井家本】
《とのかうのとおもハせ、【】、敵のうろめく心になる拍子を得て》
*【大瀧家本】
《とのかうのとおもはせ、【】、敵のうろめく心になる拍子を得て》




*【吉田家本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時ニあたりて、色々のわざをしかけ》
*【中山文庫本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【鈴木家本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【立花隨翁本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【赤見家甲本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【近藤家甲乙本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【石井家本】
《敵うろめく心になる拍子を得て、たしかに勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【楠家本】
《敵【】うろめく心になる拍子を得て、慥に勝所をわきまゆる事也。又、一分の兵法にして、わが時にあたりて、いろ/\のわざをしかけ》
*【細川家本】
《敵【】うろめく心になる拍子を得て、慥に勝所を弁ゆる事也。亦、一分の兵法にして、時にあたりて、色々のわざをしかけ》
*【富永家本】
《敵【】うろめく心に成拍子を得て、慥に勝所をわきまゆる事也。【】一分の兵法にしても、我時に當りて、色/\のわざを仕懸》
*【狩野文庫本】
《敵【】うろめく心に成拍子を得て、慥ニ勝所を弁る事也。又、一分の兵法にしても、我時ニ當て、色々の業を仕懸》



狩野文庫本 「も我」


*【多田家本】
《又、一分の兵法にしても、戦ふ時にあたつて、色々の業をしかけ》
*【稼堂文庫本】
《又、一分の兵法にしても、時に當りて、色々の業を仕懸》




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